24.正妃と愛妾? それ、私たちの話じゃないので
中庭の芝生の上で、ミアと二人並んでお弁当を広げていたときだった。
「ふむ、仲が良いのは結構なことだ」
聞き慣れた声に顔を上げると、案の定ローレンス殿下が立っていた。
……はぁ。どうしてこうも現れるのかしら、この人。
「なるほど……ノエリア。嫉妬深さから抜け出し、愛妾を導けるようになったのか。ようやく一歩進んだようだな」
にこやかに告げられた言葉に、私は一瞬、固まった。
……え、今なんて言ったの? 愛妾?
どうして私が殿下に褒められるの。しかも「導いている」って?
意味がわからず眉をひそめる。
けれど、彼の得意げな表情を見て──ようやく察した。
……まさか、私を正妃、ミアを愛妾として見ているの?
それで、私が正妃として、愛妾であるミアを教育しているのだと?
信じられない。何その勝手な脳内設定。
いやほんと、なんなのこの人……。
……正妃にしろ、愛妾にしろ。
いずれも、決して軽んじられるものではない。
王太子妃ともなれば、公務に明け暮れる立派な職業。国の顔として外交を担い、日々多くの人々と接する責任ある立場。
愛妾だって同じ。サロンを主宰して国威を示したり、正妃に降りかかる醜聞を引き受けたり──陰で国を支える役割を持つ。
どちらも、国にとって必要とされる、立派な役目のはずだ。
……それなのに、この殿下は。
「自分の妃」「自分の愛人」としか捉えていない。
まるで所有物のように、私とミアを並べて悦に入っている。
冗談じゃない。
私が、彼の従属物になるなんて──絶対にありえない。
ミアにだって同じこと。
彼女の意思を無視し、将来を勝手に決めてしまうなんて、愚行にもほどがある。
しかも愛妾だなんて……。笑わせないで。
この世界において、王族の愛妾が立派な役目であることはわかっている。
でも、やはり前世の感覚では、愛人、浮気相手、日陰者……そういったネガティブな印象が浮かんでしまう。
ミアをそんな立場に貶めようとするなんて……。
私はにっこりと扇を広げた。
優雅に、けれどその奥には怒りの熱を隠さずに。
「殿下。正妃にせよ愛妾にせよ、どちらも国を支える立派な役割ですわ。外交の顔として国威を示すのも、サロンを主宰し人々を導くのも、決して軽んじられることではありません」
一呼吸置き、扇を軽く閉じる。
「けれど──『殿下の所有物』であることだけが役割だとお考えならば……それこそが、最も国を貶める愚かさですわ」
ローレンスの瞳が揺れ、わずかに眉が吊り上がった。
「……ふん。言い方は辛辣だが、結局は同じことだろう。彼女たちは僕の隣に立つことで、役割を果たせるのだ」
私は微笑みを崩さぬまま、さらに言葉を重ねる。
「隣に立つのは、役割ではなく選択ですわ。本人の意思を無視して未来を縛るなど──それは守るのではなく、奪う行為です」
音もなく扇を閉じ、彼の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「殿下がその違いを理解なさらない限り……隣に立つべき人は、きっといつまでも殿下から遠いままですわ」
ローレンスの顔色が変わり、言い返そうと口を開いた、その瞬間──。
「殿下」
穏やかな声が割り込んだ。
グレンが姿を現し、恭しく一礼する。
「生徒会で殿下をお探しでした。お急ぎいただけますでしょうか」
その声に、私はふっと力を緩める。
……言いすぎるところだった。
怒りに任せて、刃を深く突き立ててしまう前に──グレンが現れてくれてよかった。
ローレンスは一瞬不満げに眉を寄せたが、「生徒会が探している」と聞けば引き下がるしかない。
憮然とした様子を隠しきれぬまま、背を向けて歩き去っていった。
その背中が完全に見えなくなったのを見届け、私は胸の奥で小さく息を吐いた。
グレンにはいつも助けてもらっている。
今も穏やかな声で入り込み、場を壊さぬように収めてみせた。
──本当に、上手い。
「……グレン。ありがとう、助かったわ」
私が振り向くと、彼は少し戸惑ったように瞬きをし、それから小さく頭を下げた。
「いえ……ちょうど教師からの雑用を終えて戻るところで、殿下をお見かけしましたので」
「生徒会で探している、というのは本当なの?」
「はい。ただ、急を要する様子ではありませんでしたが……」
やはり。さりげなく嘘ではない理由を添えるあたり、気遣いの細やかさが彼らしい。
ふと気づくと、まだ昼食の時間は残っている。
私は自然な調子を装いながら尋ねてみた。
「あなた、お昼はどうしているの?」
グレンは一瞬きょとんとした顔を見せてから、視線を逸らした。
「……購買でパンを買うことが多いです」
「もし今日はまだだったら、一緒に食べていって」
さらりと勧めると、彼は慌てて手を振った。
「い、いえ……そんな、恐れ多い……」
立ち去ろうとする気配に、今度はミアが前へ出た。
「だめです!」
思わぬ強い声に、私もグレンも目を瞬く。
けれど彼女は頬を赤らめながらも、きゅっと拳を握って続けた。
「せっかくのノエリアさまのご厚意を、無駄にするなんてよくありません」
いつもの遠慮がちな彼女らしくない強さだった。
「わ、私……ノエリアさまやグレンさまに庇っていただいてばかりで……。だから、少しでも……自分も変わらないといけないと思ったんです」
言葉はまだ震えていた。けれど、その目はまっすぐだった。
……ああ。
ほんの少しだけれど、確かに彼女は前へ進もうとしている。
私はそっと笑みを浮かべ、グレンに目を向けた。
「ほら、こう言ってくれているのよ。ね?」
彼はしばし黙したあと、観念したように小さく頷いた。
──こうして三人で囲む昼食は、思っていた以上に心地よい。
小さな誤解も、棘のある言葉も、こうして笑い合う時間の中で少しずつ溶けていく。
守られるだけだったミアが前を向き、グレンもまた隣に腰を下ろしてくれる。
その光景が、なぜだか胸の奥を温めていた。




