21.王太子の影から、ヒロインを引きはがす方法
けれど、落ち着いたのも束の間だった。
観察を続けるあいだ、ローレンスの言葉はやはり甘さを装いながらも、どこか窮屈な響きを帯びていた。
「ミア。君は十分によくやっている。だが……決して気を抜いてはいけないよ。僕の隣に立つ者として、誰からも非難されないようにしてほしい」
……まただ。
褒めているように聞こえて、実際には重圧を与える言葉。
守ろうとしているのはわかる。
けれど、縛りつけてしまっては、結局ミアの笑顔を奪ってしまう。
しかも厄介なことに、そこに悪意はないのだ。
むしろ本気で彼女のためだと信じている。
だからこそ、彼の支配はより強固になってしまう。
──そして、もう一つ。
彼の視線が、時折こちらに揺れるのは私の勘違いではないだろう。
……まさか、私にまで心を向けかけている?
その戸惑いを打ち消すかのように、ミアを余計に強く縛っているのではないだろうか。
悪意はない。だが、それが一番やっかい。
このままでは、ミアはますます追い詰められてしまう。
相手が王太子では、平民の立場の彼女には抗う術などない。
だからこそ、少しでも彼から引き離さなくては。
「殿下。せっかくですし、次は私とミアさんの二人で鉢を見てみてもよろしいでしょうか」
私は何気ない調子を装い、微笑んでみせた。
「同性同士のほうが気兼ねなく言えることもございますし、観察の記録についても細やかに聞けるかと存じますわ」
ローレンスは一瞬だけ眉を寄せたものの、すぐに得意げな笑みを浮かべた。
「なるほど、確かに女性同士ならではの気づきもあるだろうな。……よかろう、君に任せよう」
案外あっさりと引き下がったのは、やはり自分が寛大であると示したいからだろう。
その代わりに、とばかりに私のほうへちらりと視線を投げてきたのには……正直、背筋が冷える。
私は気づかぬふりをして、ミアを温室の奥へと促す。
「こちらへ。日当たりや風の通りによっても、育ち方が変わるかもしれないわ」
ふと横を見やれば、グレンがこちらを見ていた。
わずかな視線の交わりで、私の意図を察したことが伝わってくる。
それだけで十分だった。
彼は自然な仕草で一歩前へ出て、ローレンスに向かって恭しく一礼する。
──やはり、この人は。余計な言葉を交わさずとも、必要なことを受け止めてくれる。
私とミアは並んで鉢の前に腰を下ろした。
淡い光を脈打つ芽を前に、彼女は不安そうに指先を重ね合わせる。
「……私、やっぱり上手くできていないんじゃないでしょうか」
弱々しくこぼれる声。
先ほどのローレンスの言葉が、まだ彼女の肩に重くのしかかっているのだろう。
「いいえ」
私は静かに首を横に振った。
「あなたは十分に頑張っているわ。芽がこうして応えているのが、その証拠でしょう?」
ミアの瞳がわずかに揺れ、こちらを見上げる。
その表情は「信じてもいいの?」と問う子どものようだった。
「大切なのは、結果よりも向き合う気持ちよ。あなたの真剣さは、きっとこの子に伝わっている。だから……何も悪いことはしていない」
「……でも……」
「ミア」
私は少し身を乗り出し、真っ直ぐに彼女の視線を受け止めた。
「あなたは素晴らしいの。どうか、それを忘れないで。もし不安になったら……私に話してちょうだい。あなたは一人じゃない。私たちは友達なのだから」
彼女は一瞬きょとんとした後、はにかむように頬を染めた。
「……ノエリアさま……ありがとうございます」
その声には、沈んでいた影が少しだけ晴れたような響きがあった。
──よかった。少しでも笑顔を取り戻してくれて。
もっとも、その視線に恋する乙女めいた色が宿ってしまうのは、少し困るのだけれど。
沈んでいるよりは、ずっとましね。
ふと横に目を向けると、少し離れた場所でローレンスとグレンが言葉を交わしていた。
グレンは穏やかな微笑みを崩さず、ゆったりとした調子で会話を導いている。
その姿勢はあくまで控えめで、けれど相手を心地よくさせるものだった。
「殿下の魔力は、やはり比類なきものですね。あの繊細な循環の光、私などでは到底及びません」
言いながら、グレンはわずかに視線を落とす。
だがその声音には卑屈さはなく、むしろ誠実な敬意がにじんでいた。
「……ふむ」
ローレンスは顎を上げ、満足げに頷く。
最初こそ少しむっとした気配をまとっていたが、今では余裕を取り戻した様子だった。
「そうだろう。あれは僕の魔力の影響が大きい。だが、決して僕一人の力ではない。……ミアが日々真剣に取り組んでいるからこそ、あの輝きが生まれるのだ」
──あら、珍しい。
褒め言葉に見せかけた縛りではなく、素直にミアの努力を認める言葉が出てくるなんて。
「まさにその通りです」
グレンはすかさず同調する。
「殿下の導きとミアさんの真摯な取り組み、その二つが揃ってこそ。これからも、少し離れたところから見守られることで、彼女の頑張りがさらに映えるのではないでしょうか」
──そう来たのね。
あくまでローレンスを持ち上げながら、さりげなくミアに自由を与える方向へ誘導している。
「……ふむ」
ローレンスはしばし黙し、腕を組んだ。
だが否定はせず、むしろ「自分の度量で彼女を成長させてやるのだ」とでも言いたげに、満足げな顔を見せる。
──上手い。
やっぱりグレンの言葉の選び方は絶妙だ。
私ならつい痛烈に皮肉を飛ばしてしまい、彼の自尊心を逆なでしていたに違いない。
けれどグレンは、王太子の誇りを傷つけることなく、きちんと方向を修正してみせたのだ。




