20.地雷王子と萎縮ヒロイン、その場を救うのは地味男子
攻略対象なんて、喜んでヒロインに譲るつもりだった。
けれど……当のヒロインが不幸になるなんて、そんなのは絶対に嫌だ。
ミアには笑顔が似合う。怯えて視線を落とす姿なんて、似合わなさすぎる。
本当に私のせいで彼女が追い詰められているのだとしたら……。
責任は、私にある。
だから私は王太子ローレンスに微笑んでみせた。
「殿下。もしよろしければ、次の公爵邸での集まりにいらっしゃいませんか?」
その瞬間、ローレンスの瞳がきらりと光った。
まるで「ついに来たか!」とでも言いたげに。
「……ふっ、やはりな。君は僕に来てほしかったのだな」
……え? いや、別にそんなことは言っていませんけれど?
「わかっている。恥ずかしくて素直に言えなかったのだろう。だが安心するといい、ノエリア。君の願いなら、僕が受け入れてやろう」
勝手に話を盛りすぎている。
しかも「受け入れてやろう」とは何。どうして上から目線なの。
「どうしても、どうしても僕に来てほしいと頼むのなら……仕方がない。このローレンス・アークフェルド、君の望みに応えてやる!」
──いや、二回も「どうしても」なんて強調した覚えはない。
勝手に脳内で捏造するのはやめてほしい。
心底イラッとしたけれど、ミアのためだ。
私は淑女の仮面を崩さず、にっこりと笑顔を浮かべるしかなかった。
そして週末。
公爵邸の門前に、二台の馬車が停まった。
一台は前回と同じく、カルディナート公爵家が用意した落ち着いた意匠の馬車。そこからは、少し緊張した面持ちのグレンが降り立つ。
そして、もう一台──王家の紋章を誇らしげに掲げた豪奢な馬車。
扉が開くと、まず王太子ローレンスが颯爽と姿を現し、すぐに隣へと手を差し伸べる。
その手に導かれて降りてきたのは、やや怯えをにじませた表情のミアだった。
……はいはい。「俺の女」アピールね。典型的だわ。
笑わせないで。
ミアから笑顔を奪っておきながら、「俺の女」扱いだなんて。
彼女はあなたの所有物じゃないのよ。
さらに、どうしてその視線がこっちにも飛んでくるのよ。
まさか王太子殿下、ヒロインと悪役令嬢の同時攻略を狙っている?
呆れ果ててしまうわね……。
……ふと視線を横に移すと、先に到着していたグレンが静かに待っていた。
無駄に飾り立てることもなく、ただ礼儀正しく落ち着いた佇まい。
それがかえって誠実さを際立たせていて──先ほどまでの苛立ちを、少し和らげてくれる。
やっぱり、まともなのは彼しかいない。
その事実を、改めて思い知らされた気がした。
挨拶を済ませると、私は三人を温室へと案内した。
結界に包まれた空間は外気を遮り、魔力の流れも穏やかに整っている。
前にも来たことのあるグレンとミアは落ち着いた様子だが、ローレンスだけは「ふむ、悪くないな」といった顔で見回している。
「ここに置いてもらえるかしら」
そう言って、私は机の一角を指し示した。
ミアは両手で大切そうに鉢を抱えていたが、そっと机に置く。
置いた瞬間、芽が小さく揺れて光を放った。
「わぁ……」
ミアの口から自然と感嘆が漏れる。
彼女の表情に、ようやく無垢な輝きが戻った気がして、私はほっとした。
並んだ二つの鉢。
まず、私とグレンの鉢は真っすぐに立ち、淡い緑の光を規則正しく脈打たせている。魔力の循環も安定していて、育成の手応えを感じさせる姿だった。
次に、ミアの鉢へ。
見た目は繊細で、茎も葉もやや白みがかっている。
循環の脈動は確かにあるけれど、どこか弱々しい。
最高級の土を使っているはずなのに、かえって過敏になりすぎているのかもしれない。
「……この子、大丈夫でしょうか」
不安げに問うミアに、ローレンスが即座に口を挟む。
「問題ない。君はただ僕を信じていればいい」
──また出た、根拠のない自信。
そんな曖昧な言葉で、安心できるはずがないでしょう。
思わず言葉を失ったところで、グレンが静かに口を開いた。
「水やりや魔力の注ぎ方、きっとミアさんが真剣に取り組んでいるからこそ、敏感に応えているのかもしれませんね」
グレンの穏やかな言葉に、ミアの表情が少し和らぐ。
──その瞬間、ローレンスの瞳がわずかに揺れた。
一瞬だけムッとしたのが見て取れたが、すぐに余裕の笑みを作り、取り繕うように言葉を紡ぐ。
「……そうだな。君の言う通りだ。ミアは真剣に取り組んでいる。僕もその姿勢には感心しているよ」
だが続いたのは、甘さを装いながらも逃げ道を塞ぐような響きだった。
「だからこそ、ミア。これからも僕を失望させないように。わかっているよね?」
褒め言葉に見せかけた重圧。
ミアの肩が小さくすくみ、俯いた表情からは再び輝きが消えていく。
……やっぱり。彼の言葉は、いつも相手を縛りつける。
思わず口を開きかけたそのとき──。
「殿下」
静かな声が割り込んだ。
グレンだった。
「お二人の鉢は、とても繊細な様子ですね。循環の光も澄んでいて、まるで高貴なお生まれを映しているかのように見えました。これは殿下の魔力の輝きかと存じます」
ローレンスは顎をわずかに上げ、満足げに頷いた。
「ふむ……そうか。やはり僕の魔力がよく反映されているのだな」
──いや、違いますけど。
心の中で即座に突っ込みたくなったが、何も言わずに堪える。
「その光を支えているのは、やはり日々の世話を欠かさず尽くしておられるからこそ。私は、ミアさんが一つ一つ丁寧に取り組んでいる姿を拝見し、殿下のお力と共に、この鉢に映っているのだと思いました」
グレンの言葉の端々に気遣いがにじんでいた。
ローレンスを立てつつ、さりげなくミアを引き上げる。
──やっぱり、この人は。
私なら、もっと辛辣にローレンスをやり込めることはできただろう。
けれど、こうも穏やかに口を挟み、場を丸く収めることはできなかった。
グレンのおかげで、突っかかることなく、この場は整えられたのだ。
「……一鉢ごとに、こうして違いが現れるのは興味深いですわね。じっくり確かめてみましょう」
私は軽やかに声をかけ、空気を切り替える。
ローレンスの自尊心も、ミアがやっとの思いで保っている尊厳も、壊さずに済んだ。




