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02.家を継ぐと宣言したら長老に喧嘩を売られた

 入学式が終わり、私は公爵家の屋敷に戻ってきた。

 豪奢な玄関をくぐった瞬間、思わずため息がこぼれる。


 ──ふと、思い出すのは別の世界の記憶。

 確かあれは、日本。どこにでもある街、どこにでもいる女。

 そして、乙女ゲームという、甘くて騒がしい恋愛の物語。

 登場人物たちはやたら美男美女で、何やら攻略だのルートだの──。

 細かい設定は曖昧だけれど、今のこの世界と、どこか重なる。

 そう、私はきっと、その乙女ゲームとやらの中にいる──そんな気がするのだ。


 これまでは、王太子に嫁ぐことを当然の未来だと──そう信じ込まされていた。

 それが決められたルートであり、私の役割なのだと、疑いもせずに。

 記憶が戻る前、私はきっと、その乙女ゲームとやらのシナリオ通りに動いていたのだろう。

 王太子を追いかけ、彼に気に入られることが何よりの使命のように思い込んで。


 けれど今は違う。

 私は、そのシナリオから降りた。


 壇上で私は、はっきりと宣言した。

 「公爵家の次期当主となり、自らの手で家を守っていく」と。


 あれは……思いつきだった。

 その場の勢いで、王太子にひと泡吹かせたくて言っただけ。

 でも。


「……案外、悪くないかもしれないわね」


 自室に戻り、鏡の前に立つ。

 金髪に紫の瞳、きつい目元。見慣れた顔なのに、どこか他人のようにも思えた。


「……うん、完璧に悪役令嬢の面構えね」


 鏡の中の美貌が、苦笑いを浮かべた。


「でも、今さらヒロインごっこに戻る気なんてないし。なら、自分の物語を始めるしかないわよね」


 それに──とっさに出た言葉だからこそ、たぶん、それが本心だったのだ。

 自分でも気づかないうちに、心のどこかで願っていたこと。

 誰かの傍にいるだけの人生じゃなく、自分の意思で立っていける未来を。


 そう思ったとき、扉をノックする音が響いた。


「姉さま~、いる~?」


 私が返事をするより早く、勢いよく扉が開かれた。

 のんきな声とともに現れたのは、義弟のエミリオ。

 明るい栗色の髪に、あどけなさの残る笑顔。

 一つ年下の彼は、今日からこの学園に入学した新入生でもある。


「ねえ、今日の入学式でのあれ……本気?」


 あれ、とは私の宣言のことだろう。私は頷いた。


「ええ。本気よ」


 挑むように言い切ると、エミリオはぽかんと目を丸くして、それからのんきに笑った。


「よかったー。僕、ああいうの苦手だし。姉さまが継いでくれるなら、僕は適当に誰かと結婚して、気楽に生きていきたいし」


 ……気楽に、ね。


「僕、面倒なことってほんと無理でさ~。頑張ってもどうせ怒られるし、最初からできる人に任せたほうが早いって思っちゃうんだよね~」


 その口調は軽くて、悪気がないのがまた厄介だった。


 ──はいはい、出ましたわね。

 やる前から自分には無理と決めつけて、誰かに全部押しつけて、感謝すら忘れるタイプ。

 そのくせ相手を気遣ってるつもりで、自分は優しいと思ってる。

 無自覚に搾取する、甘ったれ野郎。


 廊下の奥から、重たい足音が聞こえてきた。

 エミリオがぴくりと肩をすくめる。


「あ、やば。姉さま、後はよろしくー」


 そう言って、彼は逃げるように部屋を飛び出していった。

 ……あまりにも予想通りの行動に、返す言葉もない。


 やがて現れたのは、我が一族の長老にして、エミリオの実の祖父でもある分家筋の男だった。


「おかえりなさいませ、ノエリアさま。入学式、ご立派でしたなあ」


 にこりともせず、笑っているつもりなのか歪んだ口元だけが動いている。

 エミリオを養子としてこの家に送り込んできたのは、この男だ。娘しか生まれなかった本家に、自分の孫を差し込むために。

 その後ろには父の姿もあるが、どこか困ったように視線を逸らしている。


「いやはや、壇上でのご発言、まことに堂々たるものでしたな。あれが本気とは、いや、まさか」


 開口一番、長老は笑みの形をした何かを浮かべながら言った。


「まあ、ノエリアさまは近いうちに嫁がれるお方ですからな。あれは、若さゆえの勢いというやつでしょう。あるいは……我が孫エミリオを婿としてお迎えいただき、公爵家をよりいっそう盛り立ててくださるというお考えも……?」


「婿に?」


 思わず吹き出しそうになるのを堪え、代わりに薄く笑ってみせた。


「……あんな、産んだ覚えのない長男になるのが目に見えている子、ごめんですわ」


 父が小さく咳払いをする。

 長老の口元が引きつったのが、ほんのわずかに見えた。


「ほう。それは、あの発言が本気だということで?」


「もちろんですわ。私、誰かの後ろについていく未来より、自分で歩いていく未来を選びたいの。貴族である以上、家を背負う覚悟が必要でしょう?」


「ノエリアさまには、女性としての……柔らかさも大切かと存じますが」


「柔らかさと従順さは別物ですわ。私は、自分の意志で動ける人間でありたいだけ」


 長老の笑みが、今度こそ消えた。

 その目に浮かぶのは、明らかに排除すべき障害を見る色。


 ──ええ、結構。

 その目が、私を本気で敵として認識した証。


「最近、領地経営にも興味が出てきまして。いくつかの施政について改善案を考えておりますの。書類に目を通すだけでも、新たな発見があるものですね」


 父が驚いたようにこちらを見た。

 長老はなおも沈黙を守っているが、その指がわずかに拳を作っていた。


 ──思い通りにいかない駒ほど、盤面では邪魔。

 でも私はもう、駒なんてものじゃありませんわ。


「公爵家のご当主とは、代々男子が継ぐもの。ご令嬢がその座を口にされるとは……常識をお忘れではありませんかな?」


 長老は静かな口調で、しかしはっきりと敵意を含んだ言葉を放った。

 ……出たわね、あからさまな牽制。


「常識、ですか」


 そっと息を吐くと、まっすぐに長老を見据えた。


「では、長老。一つ、お伺いしてもよろしいかしら?」


 私は微笑みながら、すっと一歩前に出る。


「この国の継承法では、爵位や領地の相続は男子に限ると、明記されているのかしら?」


 長老の口元がぴくりと動いた。


「……いえ、しかし……これまでの例では……」


「ええ、これまでの例ですわね」


 私は一拍おいて、穏やかに続ける。


「つまり法ではなく、前例と空気が全てを決めていると?」


 場にわずかな緊張が走る。


「私の知るかぎり、この国の法は、男女に等しく継承の資格を与えているわ。それを前例がないとか女だからと否定するのは──法を無視して、自分の都合を慣習で上書きしているだけでしょう?」


 長老の目が細くなる。

 私はそれをまっすぐに受け止めた。


「女子が継ぐなど常識外れ……そう言いたげですけれど、面白いわね。法的には問題がないのに、それを避けるのが常識だなんて」


 この国の法では、女子にも男子と同じように継承の資格がある。

 けれど、それが当然とは受け取られないのが現実だった。


 ──どこかで、似たような空気を知っている。


 記憶の奥底にある、もう一つの世界。

 名ばかりの平等が叫ばれながら、無言の圧力がまかり通る場所。


 ……そうよね、プレイヤーが日本人なら、違和感なく受け入れられる設定にしたって不思議はないわ。

 この世界が、誰かの乙女ゲームだったとしたら。


 でも、日本でも少しずつ変わっていったはず。

 なら、この世界だって、変わっていい。


 私が変えてみせる、なんて大それたことは言えない。

 ただ、そのための一歩を踏み出すことはできるはずだ。


「ノエリア……」


 ふいに、父の低い声が聞こえた。

 その目に浮かんでいたのは、驚きと──少しの誇らしさ。


 私は、ゆっくりと微笑んでみせた。


「ご安心ください、長老。私はただ、道理に沿って問いを立てているだけですわ」


 長老の表情が固まっている。

 でもここで、ただ言い負かして終わるのは得策じゃない。


 だからこそ、私は声の調子をほんの少しだけ柔らかくした。


「もちろん、これまで男子が当主を継いできたのは、それなりの理由があったのでしょう。ですが、時代が変われば、求められる資質も変わります。男か女かではなく、誰がふさわしいかで選ばれるべきだと、私は思っていますの」


 長老の目がわずかに揺れた。

 私はその隙を逃さず、静かにとどめを刺す。


「法を尊び、過去の功績を敬いながらも、新たな可能性に目を向ける。それこそが、伝統を守り継ぐ者のあり方ではありませんか?」


 ……さあ、どうなさるの、長老?


「……今後のご成長を、楽しみにしておりますぞ。ノエリアさま」


 かろうじて体裁を保ったその一言に、私はにこやかに頭を下げた。


「光栄ですわ。どうぞ、厳しくお見守りくださいませ」


 その瞬間、父が小さく吹き出すのが聞こえた。

 思わず視線を向けると、彼は咳払いでごまかしながら、わずかに頷いてくる。


 ──ええ、見ていてちょうだい。

 私は、黙って従うだけの娘じゃない。

 それでも、正しくあることを、あなた方に証明するつもりよ。

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