19.シュプラウトより人間関係がこじれている件について
週末の持ち帰りについて、担当教員から案内があった。
「今週も、希望するペアは鉢を持ち帰って構いません。世話の負担が大きいと感じる場合は、学園に預けても構いませんので、よく相談して決めてください」
育成二週目。芽吹いたシュプラウトたちは、それぞれの環境や魔力に応じて少しずつ個性を見せ始めている。
持ち帰りをどうするかは、そのペアの関係や姿勢が如実に表れる場面だ。
私は周囲を見回す。
まず視線が止まったのは、義弟──エミリオの姿だった。
「今週は私が持ち帰ります」
ペアの女子生徒が落ち着いた声で申し出る。
「じゃ、お願い!」
エミリオは悪びれもなく笑って託した。
へらへらと笑う姿には、無責任さがあふれている。
──愛想を尽かされていることに気づいてもいないようね。おめでたい性格だわ。
次に目に入ったのは、騎士団長の息子オズワルド。
ペアの女子が鉢を抱えようとすると、彼は眉をひそめた。
「……無理してないか? 本当に平気か?」
心配そうな声音に、相手は少し驚いたように首を振る。
「大丈夫です。それに……オズワルドさまだと、力加減がちょっと……」
「……だよな。ごめん」
「いいんです。その分、得意なところで頑張ってくださっていますから」
柔らかく笑う女子生徒に、私はほっと息をつく。
相性が良いのか、それとも彼女の忍耐強さに支えられているのか……いずれにせよ、私の義弟よりは余程ましね。
続いて、宰相の息子ユリウスが見えた。
ユリウスは、ペアの女子生徒に向かって口を開く。
「今週は僕が持ち帰る」
「え、でも……」
女子生徒が言いかけるが、彼はわずかに視線を逸らして呟く。
「ほら、その……体調の悪い君なんかに任せたら、大変なことになるかもしれないだろう」
……素直じゃないわね。
でも、気遣えるようになったのは大きな進歩だわ。
そして、魔術師団長の息子レオニール。
彼の鉢は、他のどれよりも背丈を伸ばし、葉を茂らせていた。
まるで周囲の空気さえ吸い尽くすように、異様なまでの勢いで成長している。
「今週も、僕が持ち帰る」
当然のように手を伸ばす彼に、ペアの女生徒が恐る恐る口を開いた。
「あの……でも、こんなに早い成長は……」
「余計なことをしようとして煩わせないでくれ」
切り捨てる声は冷ややかで、問答を拒絶する氷壁のようだった。
女生徒は唇を噛みしめ、鉢を抱える腕をすっと下ろす。
……危うい。
彼が見ているのは、ただ自分の理想と結果だけ。
ペアも、シュプラウトさえも、そのための道具にすぎない。
このまま突き進めば、いずれ必ず破綻する。
私は小さく息を吐き、視線を自分たちの鉢へと移した。
深呼吸をするように、芽が淡い光を吐き出している。
真っすぐに伸びた茎と、瑞々しい葉の一枚一枚が、穏やかな脈動に呼応して揺れていた。
「順調ですね」
隣でグレンが囁く。
彼の声には、慎重さと同時に、かすかな安堵が交じっている。
「ええ。今週も私が持ち帰ろうと思うのだけれど……」
私はちらりと彼に視線を向ける。
「グレンも、公爵邸に来ないかしら?」
「……また、お邪魔してよろしいのでしょうか」
遠慮がちに問い返す彼に、私は柔らかく頷いた。
「もちろん。あなたの視点も欲しいもの。それに……」
私は視線をふと別の方向へ移す。
最近のミアは、鉢を抱える腕にぎこちなさがあり、笑顔もこわばっている。
以前よりも、どこか元気がなく見えた。
「……ミアも一緒に誘いたいの。少し様子がおかしいでしょう?」
「……はい。確かに」
グレンも小さく頷き、真剣な表情を見せた。
私は決意した。
このままミアを放ってはおけない。彼女を元気づけるためにも、公爵邸に招いて、一緒に育成を進めよう。
「ミア。今度の週末、よかったら一緒に来ない? グレンと私の鉢を見ながら、情報交換でもしましょう」
ミアに声をかけると、一瞬ぱっと花が咲いたように表情が明るんだ。
……けれど、それは束の間のこと。すぐに陰が差して、唇をきゅっと噛む。
「で、でも……私なんかが行ってしまっては、きっと邪魔ですから……」
その小さな声に、胸が締めつけられる思いがした。
──やはり、おかしい。
二週目の育成の最中から、薄々気づいていた。
魔力を注ぐ手つきは真面目そのものだし、礼儀も欠かさない。
それなのに、かつてのお日様のような笑顔は、もうほとんど見られない。
称賛や感謝の言葉を受けても、どこか所在なさげに俯いてしまう。
ほんの数日前、あんなに眩しいほどに憧れを向けてきた少女と、同じ人とは思えない。
まるで──自分の存在そのものを、否定しはじめているかのように。
……何があったのかしら。
私は心の中で小さく息を吸い込み、決めた。
このまま引き下がるわけにはいかない。むしろ無理にでも、彼女を連れ出さなくては。
「ミア。邪魔だなんて思う人はいないわ」
きっぱりと告げると、ミアははっとして、小さく瞬きを繰り返した。
隣でグレンも、静かな声を添える。
「……ノエリアさまのお考えに、僕も賛成です。ミアさんも、一緒に行きましょう」
ふたりの言葉に押され、ミアは迷いながらも、ようやく視線を上げかけ──。
「ミア、君は行くな」
不意に差し込まれた声に、空気が凍りついた。
振り向けば、王太子ローレンスがそこに立っていた。
いつものように完璧に着こなした制服姿。
だが、その表情には穏やかさではなく、どこか所有物を見るような光が宿っている。
「そんな場に足を運ぶ必要はない。君は僕の傍にいればいいんだ」
さらりとした口ぶりで告げるが、その声音に逆らう余地はなかった。
ミアはびくりと肩を震わせ、先ほどまでの迷いすら吹き飛ぶように口をつぐむ。
彼女の横顔に、はっきりとした怯えが浮かんだ。
台詞だけなら、ヒロインを溺愛する王子様。
でも、そこには支配欲しか見えなかった。
──まさか。
この子の自信を奪っている原因は……殿下、あなたなの?
でも、どうして……。
乙女ゲームなら、ヒロインが持ち前の元気さで、重圧に苦しむ王太子を癒していくというのが定番のはず。
これではまるで、ヒロインを苦しめる悪役のようだわ。
──いえ、待って。
本来なら、悪役令嬢である私がミアをいじめるはず。
それをローレンスが守る……これが乙女ゲームの構造よ。
きっと彼は「高圧的だけど、ヒロインを守る時だけ優しい」キャラだと思われるわ。
それなのに、私が悪役令嬢の役割から降りてしまった。
だから、本来は私に向けるべき攻撃性が、ミアに転嫁されてしまっている……?
本当にそうだとしたら……。
ぞくりとした不安が背筋を走った。




