表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化・コミカライズ決定】ワンオペ母が悪役令嬢になったら、攻略対象が地雷にしか見えない件  作者: 葵 すみれ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/43

18.声にならない痛みを、見つめられる人に

 ──違う。

 本当に悪いのは、こんな状態を当たり前にしてきた側のはずなのに。


「あなたは、ヴァルドレイン家の……」


 私が問いかけると、女子生徒はかすかに頷いた。


「男爵家です。ヴァルドレイン家の、分家にあたります」


 やはり、そうか。

 本家に楯突けば、何が起きるか分からない。

 だからこそ、どれだけ不当な扱いを受けても、声を上げることすらできない。


「──ユリウス・ヴァルドレイン」


 私は静かに名を呼ぶ。


「今、彼女の体調について、『魔術師に診せるといい』と言っていたけれど……あなたは、それが誰にとっても当然のことだと思ってるの?」


 問いかけに、ユリウスは目を瞬かせた。


「……貴族なら、それが普通だろう? 魔術師に頼れば済む話じゃないか」


 その瞬間だった。


「……そうとは、限りません」


 かすかな声で割って入ったのは、ユリウスの隣に立つ女子生徒だった。

 彼女はうつむいたまま、けれど確かな声音で言葉を続ける。


「うちの領地では、魔術師に診てもらうなんて、そうそうできることじゃありません。田舎ですし、費用も……」


 その言葉に、ユリウスがわずかに眉をひそめた。

 私は彼女に軽く頷き返してから、ユリウスの方へと視線を戻す。


「普通……ね」


 私は、喉の奥で短く笑った。


「あなたにとっては普通でも、誰にとっても同じとは限らないわ。治療の術もなく、苦しみながら生きている人がどれだけいるか──考えたことはある?」


「下々の話をされても……僕は宰相の家の人間だ。国家の仕組みを考えるのが役目であって、個々の貧しい民にまで目を配るのは──」


「それが、あなたの宰相の息子としての意識なのね」


 私は、ぴしゃりと言い放った。


「国全体の仕組みを作る立場の人間こそ、見なければならないはずよ。声を上げられない人々の痛みを知らなければならないの。誰が、どこで、何に苦しんでいるのかを」


 ユリウスが、初めて真正面から私を見つめ返した。


「治療の行き届かない病──紅魔病のようなものも、魔術が届かない人たちにとっては呪いに等しいのよ。それでも、あなたは目を逸らすの?」


 ユリウスは、私の言葉にわずかに視線を落とした。


「紅魔病なら、知っているよ。僕も子供の頃に一度かかったことがある。魔力の流れが乱れる厄介な病気だけど、これは貴族の病だ。治療を受けられる貴族にとっては大したことじゃない」


 それが、一般的な貴族の認識なのね。

 ……でも、私も人のことは言えない。つい先日まで、ろくに意識したことがなかったのだから。


「紅魔病は貴族の病だとよく言われるわね。強い魔力を持つ者ほどかかりやすい。でもそれって、本当に貴族だけの病なのかしら?」


 ユリウスが不思議そうに私を見返す。


「平民で発症する例はほとんどないだろう? あったとしても、極めて稀な例で──」


「見えていないだけよ」


 私は、静かに、けれどはっきりと告げた。


「魔術師に診てもらえなければ、病気とすら気づかれない。魔力の暴走が原因の症状なら、『変な熱を出して亡くなった』で片づけられることもあるでしょうね。記録にも残らず、声にもならず。見えないまま、失われていく命があるのよ」


 教室の空気が、ほんの少し張り詰めた。


「領地を治めるというのは、見えているものに対応するだけじゃ足りないわ。見えていないものに目を向けること。気づかれていない問題を、拾い上げること。それが、為政者の責任じゃないの?」


 ユリウスは視線を伏せ、珍しく言葉を継がなかった。


 この子も、決して悪意で見下しているわけじゃない。

 けれど──知らないことに、想像が及ばないだけ。


 私は、そっと息をついた。


「あなたは宰相の息子でしょう? だからこそ、当然の範囲の外側を想像してみる価値があるはずよ」


 私の言葉に、ユリウスはしばらく沈黙したまま、視線をさまよわせていた。


 教室の空気が、いつの間にか静まり返っている。

 魔力の注入を終えた生徒たちが、誰ともなくこちらに注意を向けていた。


 その中で、ユリウスはようやく、傍らの女子生徒に目を向けた。

 彼女はまだうつむいたままだったが──ふと気配に気づいたのか、そっと顔を上げる。


 視線が重なった、その一瞬。


 ユリウスの表情が、ごくわずかに変わった。

 驚きと、戸惑いと……そして、かすかな後悔の色。


「……君、その……すまなかった」


 それは、たどたどしくも、確かな謝罪の言葉だった。

 女子生徒は、目を見開き──すぐに、かぶりを振って首を横に振る。


「ち、違うんです。私が……ちゃんと、ちゃんとできなかっただけで……!」


 声は震え、必死に絞り出すようだった。

 けれどその姿に、私は小さく息を吐く。


 ──誰かが自分のせいだと抱え込んでしまう、その構造こそが問題なのに。


「……誰も、あなたを責めてはいないわ」


 私はそっと言葉を差し挟んだ。


「あなたは、自分にできることをしようとしてきた。ただ、それだけのこと。でも──無理をし続けていたら、いつか本当に倒れてしまうわ」


 女子生徒は、目に涙を浮かべたまま、小さく頷いた。

 私がそっと背に手を添えようとしたとき──グレンの声が、静かに響いた。


「ノエリアさま……すみません。僕、教師を呼んできます」


 私は驚いて彼を見た。

 けれどグレンは、すでに扉のほうへと歩き出していた。


 その背中に、小さく「ありがとう」と告げる。

 彼は振り返らず、軽く手を上げて応えた。


 やがて教師がやってきて、女子生徒は一時的に教室を離れることになった。

 ユリウスも、少しだけ表情を曇らせたまま、黙ってそれを見送った。


 ──その様子を見届けてから、私は席へと戻る。


 どこか張りつめていた空気が、少しずつ緩んでいくのを感じながら、私は鉢の前に立ち直った。

 シュプラウトの芽が、そよ風に揺れる草木のように、小さく身じろぎする。


 ──まっすぐに伸びるその姿が、ふと目に沁みた。


 私は、ゆっくりと息を吐く。

 あれだけユリウスを糾弾しておいて、よくよく考えれば──私も、最近になってようやく「後継者」としての自覚を持ち始めたばかりだった。


 人の上に立つ責任や、領地を守る重み。

 教科書で習っただけでは分からなかったことを、今ようやく実感として噛みしめ始めたところなのだ。


 彼の視野が狭いと責めたけれど、それはきっと、かつての私にもあった鈍さ。

 むしろ、同じ立場だからこそ、どうしても見過ごせなかったのかもしれない。


「……私も、まだまだだわ」


 誰に言うでもなくつぶやいたその声は、シュプラウトの葉先に吸い込まれていった。

 すると──すぐ隣で、そっと気配が動いた。


「……ノエリアさまは、すごいと思います」


 グレンの低く穏やかな声が、耳元に落ちてくる。

 顔を見ることはできなかったけれど、まっすぐこちらを見ている気配だけが伝わってきた。


「さっきの言葉……僕、胸に刺さりました。僕も、もっと見ようとしないといけないんだと思いました」


 その声音に、押しつけがましさはまるでなかった。

 ただ、共に考えようとしてくれる、静かな真心だけがあった。


 私は、少しだけ視線を伏せる。


「……ありがとう。でもね、グレン。私、きっとあなたが思うほど、立派じゃないのよ」


 そう返すと、グレンはすぐには答えなかった。

 けれど数秒後、まるで何かを噛みしめるように──


「……そうかもしれません。でも、それでも……今のノエリアさまは、とても素敵だと思います」


 ぽつりと、そんな言葉が落ちた。

 不意に鼓動が跳ねたのは、気のせいだったのだろうか。


 私はそっと顔を逸らして、手のひらを鉢の上に重ねた。

 指先から流れる魔力に意識を集中しながら、なるべく自然な声でつぶやく。


「……ありがとう。育成、続けましょうか」


「はい」


 グレンの返事は、いつものように真面目で──けれど、どこか嬉しそうでもあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ