17.二人で注ぐ魔力と、一人で背負わされた涙
育成も二週目となった。
教室では、生徒たちが自分たちの鉢を前に、魔力の注入を行っている。
私とグレンの鉢は、先週よりもさらに安定して育っているように見えた。
芽はまっすぐに伸び、葉の色も鮮やかさを増している。注いだ魔力の循環も、呼吸をするように滑らかだった。
「よし……」
私が魔力を注ごうと手をかざしたときだった。
ふと、隣から伸びたグレンの手が、私の手をそっと包み込むように重なった。
「あっ……! す、すみません!」
グレンは慌てて手を引っ込め、視線を泳がせながら縮こまる。
「い、いま、その……注入の感覚を確認しようと思ってたんですけど……っ」
「いいのよ、気にしないで」
私はくすっと笑って答えた。
これまでだって、指先が触れるくらいのことは何度もあったし、魔力の調整中なのだから多少の接触は当然のことだ。
「むしろ、ちょうどいい機会かもしれないわ。手を重ねて、一緒に魔力を注いでみるのはどうかしら?」
そう提案すると、グレンは目を見開き──すぐにおろおろと頷いた。
「えっ、あ、はい。もちろん、その……よろしければ……!」
戸惑いながらも、彼は手を差し出す。
私はその手の上に自分の手をそっと重ねた。
指先が重なり、掌から伝わる体温と魔力の波。
二人の魔力が重なり合うように、鉢の中の魔力の流れも、より滑らかに、均一に整っていく。
「……やっぱり、悪くないわね。呼吸も合ってきてる」
そう口にしたが、グレンはまっすぐ鉢を見つめたまま、小さく頷くだけだった。
その横顔は、どこか緊張を帯びていた。
……やっぱり、まだ遠慮しているのね。
きっと彼は謙虚な人だから、今でも私のような立場の人間とペアを組むことに、多少なりとも戸惑いがあるのだろう。
実際、私は相手に強く出ることも多いし、不本意ながら悪役令嬢らしき言動も散々見せてきた。
怖がられても、無理はないわよね……。
そんなふうに自分を納得させるように思いながら、私は手の下で呼吸を整えるシュプラウトの気配に、もう一度集中した。
──そのまま、他のペアの様子にも目を向けていく。
ふと視線を移した先に、ミアの姿があった。
ローレンスと並んで鉢の前に立ち、黙々と魔力を注いでいる。
その動作に無駄はなく、丁寧さも感じられたけれど……。
なんだか、少し無理をしているような?
ミアの顔にはいつも通りの柔らかな微笑が浮かんでいた。
けれど、口元の緊張と、肩に入った力は、彼女がいつもよりずっと気を張っている証のように思えた。
「はい、これ、魔力測定器です。数値が少し不安定だったので、先に調整しておきました」
そう言ってミアが差し出した器具を、ローレンスはあっさりと受け取る。
「うん、ありがとう。……ところで、君、もう少し後ろに下がってくれる? そこに立たれると集中しづらいんだよね」
「っ……はい、すみません!」
ミアは一瞬だけ動きを止めたが、すぐに小さく頭を下げて後ろへ下がった。
その仕草に、ローレンスはまるで当然といった風に頷く。
──ん?
私は、眉をひそめる。
ローレンスの声音は柔らかで、言葉遣いも丁寧。
けれど、その指示には、どこか一方的な響きがあった。
そしてミアの反応も──どこか、怯えているように見えた。
まさかとは思うけれど……。
彼女は今、あの場で王太子のペアという役割を懸命に果たそうとしているだけなのではないか。
──頑張りすぎている……。
思わず、私は小さく息を吐いた。
ミアは、本来とても素直でまっすぐな子だ。
そしてその真面目さゆえに、必要以上に自分を追い込んでしまうことがある。
ローレンスも、育成に対してそれなりに真剣に取り組んでいるようには見える。
けれど、それ以上にミアが気を張ってしまっているのは、きっと……ローレンスの期待に応えようとしているからだ。
「……ミアさん、少し疲れているみたいですね」
隣でグレンがぽつりと呟いた。
私は思わず彼を見る。
「あなたも、そう思う?」
「はい。週末、公爵邸でお会いしたときよりも……ちょっと無理している感じがします」
その言葉に、私は静かに頷いた。
「……もう少し、肩の力を抜けるようになるといいのだけれど。でも、それを王太子殿下に求めるのは、難しいわね」
グレンは何も言わず、けれど小さく眉をひそめていた。
そっと息をついて、私は教室の中を見回す。
順調に進んでいる鉢もあれば、まだ安定しきらない鉢もある。
そんな中で一つ、違和感を覚えるペアがいた。
──ユリウス・ヴァルドレインと、そのペアの女子生徒。
芽の伸びは悪くない。
けれど、隣に立つ女子生徒の顔色が明らかに悪い。肩で息をして、額にはうっすら汗まで浮かんでいる。
それなのに──当のユリウスは椅子に腰掛けたまま腕を組み、いつも通りの悠然とした態度でいた。
「そろそろ注入の時間だね。ほら、君の魔力の色は若干くすんでるから、意識して調整してくれる? できるよね?」
その口調は優雅で、冷たいものではなかった。
けれど、どこか当然と言わんばかりの響きがあった。
女子生徒は、顔色を変えることもなく、かすかに頷き、両手を鉢にかざした。魔力の光が、震えるように注がれていく。
私は、そっと近づいた。
「……彼女、少し顔色が悪いようだけど。気づいていらっしゃる?」
ユリウスが、ようやく私に気づいたように顔を上げた。
「カルディナート嬢。ああ、大丈夫だよ。もし具合が悪いなら、医療班に診せるといい。僕から、魔術師に声をかけておいてあげる」
その声に、悪意はなかった。
けれど──それでも、私は苛立ちを抑えきれなかった。
「そうじゃなくて……あなたのペアである彼女の今の状態を見て、あなたは何も思わないの?」
ユリウスは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに笑顔に戻る。
「もちろん、気遣ってるつもりだよ? 無理をしないようにとも伝えているし、魔力のバランスも口頭で指導している。下の者を気遣うのも、上に立つ者の責任だろう?」
その言葉に、私はぷつんと何かが切れるのを感じた。
「──違うわ、ユリウス・ヴァルドレイン」
声が、少しだけ震えていた。
「彼女は下の者なんかじゃない。あなたのペアよ。対等な立場で、同じ目標に向かって協力する相手。それを、まるで自分の部下か召使いのように扱って……あなたは、それを『優しさ』だと思ってるの?」
さすがに教室の空気が変わった。
私の声は怒気をはらんでいたけれど、それ以上に静かだった。
だからこそ、周囲にいた生徒たちも息を呑んで聞いている。
ユリウスは、初めてわずかに表情を曇らせる。
「……でも、僕はできる限りのことをしているつもりだ。指示は出しているし、間違いがあれば正して──」
「そうやって、言ったことばかりを数えて、自分はやるべきことを済ませた気になってるのね?」
私は、静かに言い返した。
「あなたがしているのは、彼女に丸投げして、失敗したら叱るだけ。やってみせもせず、寄り添いもせず、ただ言葉を投げるだけ。それが『している』だなんて、片腹痛いわ」
教室の空気がぴんと張りつめる。
「指示を出したから、優しく声をかけたから、それで義務は果たしたって? 違うわ。あなたがしているのは、ただの口先だけの責任逃れよ」
ユリウスが、思わずといったように言葉を飲み込んだ。
「本当に気遣ってるなら、まず彼女の顔を見なさい。彼女がどんな顔で、どんな気持ちであなたの言葉を受け止めているかを、見ようとすらしてない。あなたは優しい自分に酔っているだけで、相手の痛みに背を向けているのよ」
ユリウスが、言葉を失って黙り込んだ。
その横で、女子生徒が小さく唇を噛み、そっと鉢に視線を落とした。けれど、目尻には──確かに涙の跡があった。
「……でも、私が至らないのが悪いんです」
震える声でそう呟いた彼女に、私は思わず言葉を詰まらせた。




