16.恋路の邪魔をする気はないけれど、邪魔してる気がする
「つまり……私がミアさんを公爵邸に招いたのは、あなたの気を引くためだったと?」
問い返すと、ローレンスはさも当たり前といった様子で肩をすくめた。
「そう解釈するのが自然だと思うけど? 君が平民を公に招くなんて、前例があるわけでもないし」
「……王太子殿下」
私は、ゆっくりと一歩踏み出す。
「もしかして、周囲の誰もが、常にあなたを中心に動いていると……そう、お考えで?」
ローレンスの表情が、ほんのわずかに揺れた。
「私は、他人の意志で動く人形ではありません。誰かのために誰かを招いたり、避けたりする理由にはなりませんわ。私がミアさんを公爵邸にお招きしたのは、友人として、学友として、共に育成を学ぼうと思ったからです」
言葉を選びながらも、明瞭に。
その場にいた誰にでも伝わるように、静かに、けれど確かに告げた。
「……そうした行動すら、あなたを中心とした策略だと見なされるのなら。それは、貴族としてではなく──人として、少し寂しい思考ではありませんか?」
ローレンスの目がわずかに見開かれ、唇が結ばれる。
その瞳に、はっきりとした悔しさがにじんだ。
だが──そこで私は、声の調子を和らげた。
「思い違いをなさったのは、致し方のないことかもしれません。……でも、私はあなたのお言葉を信じて、行動しましたのよ?」
ローレンスがまばたきをする。
戸惑いの色がその表情に広がる。
「『貴族も平民も関係ない。実力と誠実さを重んじる。それが僕の望む学園のあり方だ』──そう、あなたは仰いました。私は、そのお言葉に感銘を受けたのです」
言い終えた瞬間、空気が変わった。
落とされたと思っていた評価が、逆に持ち上げられたことに、ローレンスは戸惑いの中で立ち尽くす。
視線を宙に泳がせ、それでもなんとか言葉を探すように唇を開いた。
「……それは……そうだな。僕が言ったことだ。まさか、そんなふうに受け止められていたとは思わなかったが……」
そこまで口にして、彼は周囲の空気に気づく。
静まり返った教室、視線を注ぐ生徒たち。
ローレンスは私をじっと見つめたまま、わずかに唇を結び──そして一歩、前に出る。
まるで舞台の幕を引くような動作で、彼は深く頭を下げた。
「誤解をしていた。君の行動を、浅はかに決めつけたことを謝る……すまなかった」
その瞬間、教室内にざわめきが走った。
王太子が、公の場でこのように頭を下げる。それは、異例中の異例だ。
けれど私は、彼がなぜそれを選んだのか、すぐに理解した。
民の前に立つ王太子として、『真摯である自分』を演出するための、極めて計算された一手。
人心掌握術。そういうものに長けているのだ、この人は。
それでも──。
たとえ取り繕ったのだとしても、それを選べるというのは、やはり一つの強さだ。
世の中には、どれほど自分が悪くても、形だけの謝罪すらできない人種がいる。
私は、ほんの少しだけ息を吐き、頭を下げ返した。
「謝罪の意は、確かに受け取りましたわ、王太子殿下」
穏やかにそう告げながら、自分の胸の内に浮かぶ感情を言葉にはしなかった。
この行動の裏にある意図がどれほど計算づくであろうと──それでも、真摯に謝罪するという行動を選んだ彼を見て、少しだけ成長を信じたくなってしまった。
それがたとえ、自分の甘さだとしても。
教室の空気がようやく落ち着きを取り戻し始めたとき──
「ノエリアさまっ!」
駆け寄ってきたミアが、両手を胸元で握りしめて、うるんだ瞳でこちらを見上げてきた。
「もう……言葉が出ません。すごく、すっごく……かっこよかったです!」
「……え?」
さすがの私も、ぽかんとした。
「あんな風に、誰にも怯まないで、堂々と自分の信念を語って……! ああいうの、本物の令嬢っていうんですよね。素敵すぎます!」
「え、いや、そんな大したことは……」
その熱量に押されて、少し怯んだ私は、つい口にしてしまう。
「王太子殿下も、ちゃんと謝ってくださったでしょう? あれはあれで……立派だったと思うわ」
──なんで私がモラハラ気味の王太子を庇ってるのよ。
内心のツッコミを抑えつつ言い添えれば、ミアは首を振った。
そして、少し声を潜めて、そっと言う。
「でも、あれって、ノエリアさまが道筋を描いてあげたからですよね」
「……道筋?」
「はい。ノエリアさまが、最初にこうあるべきって姿を見せてあげたから、王太子殿下もそれをなぞれたんです。もちろん、殿下も立派でしたけれど……ノエリアさまは、もっと凄いです」
真っ直ぐな眼差し。
尊敬と憧れを惜しみなく注がれた視線に、私は思わず言葉を失った。
「それに……私のこと、『友人』だって言ってくださいましたよね。あの……すごく、嬉しかったんです……」
ミアはもじもじしながら言い、そっと視線を伏せた。
頬まで赤らめて……え、これは恋する乙女の反応じゃない? 私に対して?
──ちょっと待って。
これ、ヒロインの恋愛ルートを潰してない?
王太子との間にイベントが起きて、ミアが励まして、そこから少しずつ恋が始まる……って流れだったのでは?
なのにその王太子は、私を気にしているような顔をして。
そしてミアは、私を見てうるうると目を輝かせている。
どうしてこうなった……。
悪役令嬢の役からは降りたはずだった。
それなのに、気がつけば攻略対象とヒロインの間に立ちはだかっている。
「……まさか、これって……」
呟きかけた言葉を、私はそっと飲み込んだ。
地雷回避のつもりが、ルート制圧。
自覚のない悪役令嬢っぷりに、少しだけ頭を抱えたくなった。
……せめて、恋路を邪魔する気はないとだけは言っておきたい。
 




