表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/43

14.不器用な優しさが、芽を育てる

 温室の中には、育成用の台が三つ並んでいた。

 それぞれの台に、私たちの鉢、ミアの鉢、そしてエミリオが押しつけていった鉢を置いてある。


 まず、私たちの鉢を確認する。

 芽は真っすぐに立ち上がり、葉は瑞々しく広がっている。

 淡く緑がかった魔力の光が、呼吸のように規則正しく脈打っていた。

 魔力の循環も、注入の際の反応も、日に日に素直になってきている。

 育成の手応えを感じさせる姿だった。


 次に、ミアの鉢へと目を移す。

 その芽はやや白みがかっており、茎も葉も繊細な印象を受ける。

 淡い光の色も、私たちの鉢よりもずっと柔らかく、どこか澄んだ質を帯びていた。

 ──これは、もしかして。

 ミアが聖属性を持つことと関連しているのかもしれない。土の質だけではなさそうだ。


「芽、すごくきれいに立っていますね」


 グレンがぽつりと呟きながら、彼女の鉢をじっと見つめる。


「……よくわからないんですが、元気に育ってくれてて」


 ミアは少し戸惑ったように眉を動かし、はにかんだような笑みを浮かべる。


 そして、最後にエミリオの鉢へ視線を向ける。

 ……これは、ひどい。

 芽はいちおう出ていたが、傾いていた。

 葉はまだ開ききらず、魔力の光は濁り、波打つように不安定だ。

 たった今押しつけられたばかりのこの鉢に、誠実な育成の痕跡は感じられない。

 注入は一応されているが、かなり雑な方法で、魔力の流れがあちこちで滞っている。


「昨日の夜に注入したとしても、これは……」


 私はそっと土の表面に指を添え、流れを感じ取った。

 瞬間、胸の奥にざらついた違和感が広がる。

 ──この偏り。何か、過去に似た感触を知っている。けれど、すぐには思い出せない。


「ミア、どう思う?」


 問いかけると、彼女は少し困ったように目を伏せた。


「……なんだか、苦しそうに見えます」


 それは、まさに私が感じたことと同じだった。


 全員での観察と記録がひと段落したあと、私はグレンと並んで、温室の脇に設けられた休憩用の小さなベンチに腰を下ろしていた。

 ミアはその向かい側で、ノートに一生懸命観察結果を書き留めている。


 ふと隣に目をやると、グレンの前髪が深く額を覆っていた。

 伏せられたその髪の奥に、何かを隠しているような気がする。


「……前髪、長いのね」


 思わず口をついた言葉に、グレンの指先がぴくりと反応した。


「視界の邪魔にならないかしら?」


 私がそう続けると、彼は少しのあいだ黙ってから、静かに答えた。


「……隠しているんです。額に、紅魔病の痕が残っていて」


「紅魔病の……」


「はい。数年前にかかったのですが、その……治療が少し遅れてしまって」


 声音は淡々としていたが、わずかに緊張がにじんでいた。

 もしかしたら、彼が庶子であることと関係があるのかもしれない。

 彼が子爵家に迎えられたのは数年前だと聞いた。直感だが、何か繋がりがあるような気がする。


「父には、みっともないから隠せと言われました。貴族なら、本来は痕が残らないものなので……」


 そこまで語って、彼ははっとしたように口をつぐんだ。


「申し訳ありません。余計な話を……」


 うつむくように言った彼に、私はそっと首を振った。


「余計なんかじゃないわ。理由を教えてくれて、ありがとう」


 できるだけやわらかく、真っ直ぐに伝える。

 彼の額に残る痕も、そこに至るまでの過去も、今この瞬間にいる彼の一部なのだから。


「でも……隠す必要なんて、きっとないわよ。私は、そう思う」


 私の言葉に、グレンは驚いたように一瞬だけ目を見開き、そして静かに視線を落とした。


「……ノエリアさまなら、否定なさらないと思っていました。ありがとうございます」


 淡く笑ったその横顔に、ほんのかすかな影が差している気がした。


「ただ……実は、それだけではなくて……ご覧になってもらったほうが早いですね」


 そう言って、グレンは前髪をそっと掻き上げた。

 額の中心──そこに浮かぶのは、剣のような形を基軸に、両側から翼が広がったような痕。

 淡いピンク色で、皮膚の表面に柔らかく滲んでいるそれは、まるで意匠のようにも見えた。


「これは……」


 言葉を失う私に、グレンは苦笑する。


「……なんだか、御大層な紋章っぽく見えません? だから、嫌だなあっていうのもあって……」


「たしかに……勇者の証、みたいね」


 思わず口にすると、グレンが少しだけ目を伏せた。


「ですよね……。見られると、変に期待されそうで……そういうの、あまり得意じゃなくて」


 その笑みに滲むのは、諦めとも、照れ隠しともつかない色だった。


「それに……これを見ると、いろいろ思い出すんです。あまり、好きではなくて」


 ごく短い一言だったが、その奥には何か、本人なりに整理のつかない記憶があるのだと察せられた。


「そう……無理に見せなくていいわ。あなたのものなんだから」


 私がそう言うと、グレンはほっとしたように頷き、前髪を指先で整えた。

 かすかに微笑んだその横顔は、いつもより少しだけ穏やかに見える。


 グレンが前髪を直し終えたところで、ミアがノートを抱えてベンチに小走りで近づいてきた。


「お待たせしましたっ。えっと、観察記録、まとめてみたんですけど……」


 その声に、私もグレンも自然と顔を上げる。


「ありがとう、ミア。あとで一緒に見ましょう」


「はいっ!」


 ぱっと明るく笑うその姿に、ほんのりと空気が和らいだ気がした。

 私の隣で、グレンもわずかに表情を緩める。


「ミアさんの鉢、魔力の色が少し柔らかくて……綺麗でしたね」


「あ……ありがとうございます。でも、毎日ドキドキしながら話しかけてて……たまたま機嫌がよかっただけかもです。何が正しいのかわからなくて……」


「いえ。育て方に正解はないと思います。きっと、いろいろな魔力の形があるだけです」


 不器用ながらも真摯なグレンの言葉に、ミアは目を丸くし、ややあってふわりと微笑んだ。


「……それ、なんだか、安心します」


 三人で並んで過ごす穏やかな時間。

 ……きっと、この鉢だけじゃない。少しずつ、私たちの間にも、芽が育っている──そんな気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ