13.その鉢を、誰のために預かるのか
週末の昼下がり、公爵邸の門前に、一台の馬車が滑り込んだ。
深紅の飾り布と金の縁取りを施した、カルディナート家の紋章入りの馬車。私が使用人に命じて、学園寮まで迎えに行かせたものだ。
扉が開くと、最初に姿を現したのはグレンだった。
制服の襟元をきっちりと整え、少しだけ前髪を指先で払ってから、足下に注意して静かに降り立つ。
「ようこそ、グレン。乗り心地は悪くなかったかしら?」
「いえ。とても快適でした。……本日は、お招きいただきありがとうございます、ノエリアさま」
深々と頭を下げるその所作に、私は自然と口元をほころばせた。
続いてもう一人、小柄な少女が両腕で鉢を抱えながら、慎重に馬車から降りてくる。
ミアだった。両手のひらで鉢の底を支え、胸の前にそっと寄せて、大切そうにしている。
「ありがとうございます……その……ご迷惑じゃなかったでしょうか」
「迷惑なわけがないでしょう。来てくれて嬉しいわ。さあ、温室の方へ案内するわね」
二人を連れて、私は邸の奥へと歩き出す。
途中、廊下をすれ違った使用人が、ちらりとこちらを見てわずかに目を見張った。
……まあ、無理もないかもしれない。
お茶会や式典の客を迎えることには慣れている。
けれど、こうして私的に人を招くのは……たぶん、初めてだ。
学園で出会った二人。
黙々と育成に取り組む少年と、まっすぐな目で鉢を抱えてくる少女。
気づけば私は、彼らと過ごす時間を楽しみにしていた。
ただの社交でも、政略でもない。
誰かと並んで、同じものを育てて、同じ変化を見つめる。
それがこんなに楽しみなことだったなんて。
二人の足音を聞きながら、私は自分でも驚くくらい穏やかな気持ちになっていた。
邸の一角にある温室の扉を開けると、静かな空気が流れ込んできた。
外界からの魔力の影響を遮断するための結界が張られた空間だが、必要以上に特別な設備はなく、観察と世話に集中するにはちょうどいい。
中央の育成台の上には、昨日から預かっていた鉢がある。
土の中からまっすぐに伸びた緑の芽。
葉の縁にうっすらと宿った魔力の光が、規則正しく脈打っていた。
「発芽したのは三日目だったわね。昨日から魔力の流れもだいぶ安定してきたわ」
私がそう言いながら、鉢のそばにしゃがみこむと、グレンも隣に膝をついた。
「確かに……今は、かなり落ち着いていますね。注入の反応も素直です」
彼の指先が、そっと土の表面に触れる。淡い光が小さく脈打ち、波紋のように広がった。
その傍らで、ミアが自分の鉢を抱えてうろうろと視線をさまよわせている。
「ごめんなさいね、ミア。そちらの台を使って」
私たちの鉢の載った育成台の向かいにある台を指す。
少し離したほうがよいかと思い、用意していたのだ。
「あ、はい……」
遠慮がちに、そっと鉢を置くミア。
けれど、その指先は少し震えていて──どうやら、彼女の様子は昨日よりも固い。
「大切にしているのね、その鉢」
そう声をかけると、ミアははっとして顔を上げた。
少し戸惑ったように目を伏せ、やがて、ぽつりとこぼす。
「……だって、これは……王太子殿下が買ってくださった土なんです。購買部で一番高級なもので……」
その声音には、感謝よりも、引け目がにじんでいた。
「私なんて、本当は手が届くはずのないものなんです。それを、あんなふうに、簡単に……お金で手に入れてしまうのって、なんだか……ズルしてるみたいで……」
「……お金で労力を買うことは、悪いことではないわ」
ゆっくりと、けれどはっきりと言葉を紡ぐ。
「限られた時間や手間を、別のことに使えるなら、それは立派な選択。責められるようなことじゃない」
「でも、自分で全部やらないと、ちゃんと向き合ったことにならない気がして……」
「全部を一人で抱えようとすると、潰れてしまうわよ。私は、それを痛いほど知っているから」
その言葉に、ミアの目がわずかに見開かれた。
「……それなら。私は、他の部分で、もっと頑張ります」
きゅっと拳を握るその姿は、芯の強さと、無理を重ねる予兆の両方を帯びていた。
──この子、頑張りすぎてしまわないかしら。
週末に自分が鉢を預かると申し出たのも、きっと、そうやって『自分でやらなきゃ』と思い詰めたから。
責任感の強さは尊いけれど、本当に必要なのは一人で頑張ることではない。
もっとパートナーに頼ってもいい。ペアなんだから。
──でも、あの王太子が相手では、それも難しいのかもしれない。
「よし、こちらは水量も十分。魔力の流れも悪くないです」
そんな空気を察したのか、グレンがてきぱきと温室の作業棚から道具を取り出し、雰囲気を切り替えるように声を発した。
それが合図となって、温室内の空気がすっと動き出す。
と、そのとき。
「ねえねえ、姉さま〜!」
軽快な声とともに、義弟エミリオが温室に姿を現した。
腕には、見慣れない鉢植えが一つ。
「あっ、グレンくんに……ミアさん? こんにちは〜」
手をひらひらと振りながら、調子のいい笑顔を見せる。
「お二人も来てるなんて、にぎやかでいいね。さすが姉さま、育成に気合入ってる!」
その言葉にノエリアが少しだけ眉をひそめた瞬間──
「でね姉さま、僕たちの鉢なんだけど……」
エミリオは手早く鉢を差し出し、ノエリアの腕に抱えさせるように押しつけた。
「僕、ちょっと予定が立て込んでるんだ。ペアの子に良いところ見せたくて、持って帰ってきたんだけどさ。ほら、頼れる男って思ってもらえたらな〜って!」
「……まさか、それを私に押しつけようとしてるの?」
「いやいや! 姉さまのほうが育成うまいし、一つも二つも変わらないでしょ? それに、グレンくんもミアさんも来てるなら、にぎやかでちょうどいいじゃない?」
エミリオは軽く手を振り、踵を返す。
「じゃ、お願いね~!」
「……ちょっと待ちなさい」
呼び止める間もなく、軽快な足取りで屋敷の奥に消えていった。
「……あの子は、本当に……」
私は深くため息をつき、押しつけられた鉢に目を落とす。
魔力の波は、不自然な偏りを見せていた。
おそらく、急ごしらえの魔力注入か、途中で放棄した結果だろう。
「放っておいたら、この子が枯れてしまうかも……」
最低限だけ、と心に決めて、私は静かに魔力を指先に乗せた。
──まったく、無責任にもほどがある。
ふと視線を横に向けると、黙って掃除用具を片付けていたグレンが、そっと私の方を見ていた。
姿勢を崩さず、控えめながら、整った礼儀の動き。
──どうして、こうも違うのかしら。
義弟とは似ても似つかないその誠実さに、思わずため息が漏れた。




