表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/43

13.その鉢を、誰のために預かるのか

 週末の昼下がり、公爵邸の門前に、一台の馬車が滑り込んだ。

 深紅の飾り布と金の縁取りを施した、カルディナート家の紋章入りの馬車。私が使用人に命じて、学園寮まで迎えに行かせたものだ。


 扉が開くと、最初に姿を現したのはグレンだった。

 制服の襟元をきっちりと整え、少しだけ前髪を指先で払ってから、足下に注意して静かに降り立つ。


「ようこそ、グレン。乗り心地は悪くなかったかしら?」


「いえ。とても快適でした。……本日は、お招きいただきありがとうございます、ノエリアさま」


 深々と頭を下げるその所作に、私は自然と口元をほころばせた。


 続いてもう一人、小柄な少女が両腕で鉢を抱えながら、慎重に馬車から降りてくる。

 ミアだった。両手のひらで鉢の底を支え、胸の前にそっと寄せて、大切そうにしている。


「ありがとうございます……その……ご迷惑じゃなかったでしょうか」


「迷惑なわけがないでしょう。来てくれて嬉しいわ。さあ、温室の方へ案内するわね」


 二人を連れて、私は邸の奥へと歩き出す。


 途中、廊下をすれ違った使用人が、ちらりとこちらを見てわずかに目を見張った。

 ……まあ、無理もないかもしれない。


 お茶会や式典の客を迎えることには慣れている。

 けれど、こうして私的に人を招くのは……たぶん、初めてだ。


 学園で出会った二人。

 黙々と育成に取り組む少年と、まっすぐな目で鉢を抱えてくる少女。

 気づけば私は、彼らと過ごす時間を楽しみにしていた。


 ただの社交でも、政略でもない。

 誰かと並んで、同じものを育てて、同じ変化を見つめる。

 それがこんなに楽しみなことだったなんて。


 二人の足音を聞きながら、私は自分でも驚くくらい穏やかな気持ちになっていた。


 邸の一角にある温室の扉を開けると、静かな空気が流れ込んできた。

 外界からの魔力の影響を遮断するための結界が張られた空間だが、必要以上に特別な設備はなく、観察と世話に集中するにはちょうどいい。


 中央の育成台の上には、昨日から預かっていた鉢がある。

 土の中からまっすぐに伸びた緑の芽。

 葉の縁にうっすらと宿った魔力の光が、規則正しく脈打っていた。


「発芽したのは三日目だったわね。昨日から魔力の流れもだいぶ安定してきたわ」


 私がそう言いながら、鉢のそばにしゃがみこむと、グレンも隣に膝をついた。


「確かに……今は、かなり落ち着いていますね。注入の反応も素直です」


 彼の指先が、そっと土の表面に触れる。淡い光が小さく脈打ち、波紋のように広がった。

 その傍らで、ミアが自分の鉢を抱えてうろうろと視線をさまよわせている。


「ごめんなさいね、ミア。そちらの台を使って」


 私たちの鉢の載った育成台の向かいにある台を指す。

 少し離したほうがよいかと思い、用意していたのだ。


「あ、はい……」


 遠慮がちに、そっと鉢を置くミア。

 けれど、その指先は少し震えていて──どうやら、彼女の様子は昨日よりも固い。


「大切にしているのね、その鉢」


 そう声をかけると、ミアははっとして顔を上げた。

 少し戸惑ったように目を伏せ、やがて、ぽつりとこぼす。


「……だって、これは……王太子殿下が買ってくださった土なんです。購買部で一番高級なもので……」


 その声音には、感謝よりも、引け目がにじんでいた。


「私なんて、本当は手が届くはずのないものなんです。それを、あんなふうに、簡単に……お金で手に入れてしまうのって、なんだか……ズルしてるみたいで……」


「……お金で労力を買うことは、悪いことではないわ」


 ゆっくりと、けれどはっきりと言葉を紡ぐ。


「限られた時間や手間を、別のことに使えるなら、それは立派な選択。責められるようなことじゃない」


「でも、自分で全部やらないと、ちゃんと向き合ったことにならない気がして……」


「全部を一人で抱えようとすると、潰れてしまうわよ。私は、それを痛いほど知っているから」


 その言葉に、ミアの目がわずかに見開かれた。


「……それなら。私は、他の部分で、もっと頑張ります」


 きゅっと拳を握るその姿は、芯の強さと、無理を重ねる予兆の両方を帯びていた。


 ──この子、頑張りすぎてしまわないかしら。


 週末に自分が鉢を預かると申し出たのも、きっと、そうやって『自分でやらなきゃ』と思い詰めたから。

 責任感の強さは尊いけれど、本当に必要なのは一人で頑張ることではない。

 もっとパートナーに頼ってもいい。ペアなんだから。


 ──でも、あの王太子が相手では、それも難しいのかもしれない。


「よし、こちらは水量も十分。魔力の流れも悪くないです」


 そんな空気を察したのか、グレンがてきぱきと温室の作業棚から道具を取り出し、雰囲気を切り替えるように声を発した。

 それが合図となって、温室内の空気がすっと動き出す。


 と、そのとき。


「ねえねえ、姉さま〜!」


 軽快な声とともに、義弟エミリオが温室に姿を現した。

 腕には、見慣れない鉢植えが一つ。


「あっ、グレンくんに……ミアさん? こんにちは〜」


 手をひらひらと振りながら、調子のいい笑顔を見せる。


「お二人も来てるなんて、にぎやかでいいね。さすが姉さま、育成に気合入ってる!」


 その言葉にノエリアが少しだけ眉をひそめた瞬間──


「でね姉さま、僕たちの鉢なんだけど……」


 エミリオは手早く鉢を差し出し、ノエリアの腕に抱えさせるように押しつけた。


「僕、ちょっと予定が立て込んでるんだ。ペアの子に良いところ見せたくて、持って帰ってきたんだけどさ。ほら、頼れる男って思ってもらえたらな〜って!」


「……まさか、それを私に押しつけようとしてるの?」


「いやいや! 姉さまのほうが育成うまいし、一つも二つも変わらないでしょ? それに、グレンくんもミアさんも来てるなら、にぎやかでちょうどいいじゃない?」


 エミリオは軽く手を振り、踵を返す。


「じゃ、お願いね~!」


「……ちょっと待ちなさい」


 呼び止める間もなく、軽快な足取りで屋敷の奥に消えていった。


「……あの子は、本当に……」


 私は深くため息をつき、押しつけられた鉢に目を落とす。

 魔力の波は、不自然な偏りを見せていた。

 おそらく、急ごしらえの魔力注入か、途中で放棄した結果だろう。


「放っておいたら、この子が枯れてしまうかも……」


 最低限だけ、と心に決めて、私は静かに魔力を指先に乗せた。


 ──まったく、無責任にもほどがある。


 ふと視線を横に向けると、黙って掃除用具を片付けていたグレンが、そっと私の方を見ていた。

 姿勢を崩さず、控えめながら、整った礼儀の動き。


 ──どうして、こうも違うのかしら。


 義弟とは似ても似つかないその誠実さに、思わずため息が漏れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ