11.言葉にできなかった想いと、静かに芽吹いた優しさと
私は、木陰にそっと歩み寄った。
そこに佇む一年生の少女は、明らかに顔色が悪い。額には汗がにじみ、呼吸も浅い。身体を支えるのがやっとの様子だった。
「少し……座りましょうか」
そう声をかけながら、私は少女の耳元にそっと口を寄せる。
「……月のもの、でしょう?」
小声で囁くと、彼女の肩がびくりと震える。
そして小さく俯きながら、かすかに頷いた。気まずさと安堵がないまぜになったような、複雑な表情だった。
「大丈夫。我慢しすぎると、もっとつらくなるわ。あなたの責任ではないの。……でも、伝えなければならないのよ。自分の状態を、相手に」
私は膝を曲げ、彼女の目線に合わせる。
「あなたたちはペアなのだから」
「……でも、迷惑をかけたくなくて」
しゅんとした声に、私はそっと彼女の腹部へ手をかざした。
「少しだけ、温めるわね」
火属性の魔力を、ごく弱く、慎重に流す。
芯からじんわりと熱が広がり、冷えを和らげてくれるはずだ。
「これは応急処置みたいなものだけど……少しは楽になると思うわ」
数秒後、少女の表情がわずかにやわらいだ。こわばっていた肩がすっと落ち、息が深くなる。
「……あったかい……」
小さく、安心したような声が漏れたのを確認して、私はそっと手を引いた。
「体調が悪いことを伝えるのは、迷惑なんかじゃないの。むしろ、伝えなければいけないのよ。あなたたちはペアなんだから」
優しく言い聞かせたそのとき──
「そ、そうだよ! だったらちゃんと言えばよかったんだよ! 俺だって、聞いてたらそこまで無理させなかったって!」
唐突に割って入るように、背後からオズワルドの大きな声が飛んできた。
驚いた少女が身をすくませ、私はゆっくりと立ち上がる。
「……それを言わせなかったのは、あなたよ」
「えっ……?」
「あなたが一人で突っ走って、彼女に何も言わせない空気を作っていた。それがどれほど無責任なことかわかってる?」
「そ、そんなつもりは……!」
「だったら、なぜ顔色ひとつ見ていないの? 目の前に立っていた彼女が、どれほど苦しそうだったか……ほんの少しでも視線を向けていれば、すぐにわかったはずよ」
私は語調を抑えながらも、はっきりと言った。
「自分のことで精一杯で、相手の状態すら気に留めない。そんなのは、ペアとは呼べないわ」
オズワルドの口が、止まる。
そのまま、彼は何も言えなくなった。拳を握りしめたまま、目を伏せて、唇をかむ。
……ようやく、少しは自分の振る舞いに気づいたらしい。
私はもう一度、静かに少女のそばへ膝をつく。近くの倒木に腰掛けさせ、水筒を差し出す。
「まずは、しっかり休みましょう。体調が整ってから、次のことを考えればいいのよ」
少女が水を口にし、ようやく少しだけ表情が落ち着いたのを確認すると、私はゆっくりと立ち上がった。
「……では、私たちはこれで」
その言葉にグレンも静かに頷き、歩き出そうとした。
そのときだった。
「……悪かった」
不意に、後ろから掠れた声が届いた。
振り返ると、オズワルドが俯いたまま拳を握っている。
琥珀色の瞳は土を見つめたまま、それでもわずかに震えていた。
「俺……自分のことで頭がいっぱいで、周りが見えてなかった。調子が悪そうだって、今思えば……わかってたはずなのに」
彼は唇を噛んだまま、言葉を絞り出す。
「……何も言わなかったの、俺のせいだよな。うるさくて、突っ走って……そりゃ言いにくいわな」
少女は驚いたように彼を見上げていた。
何かを言いかけて、けれど言葉にできず、ただ小さく首を振る。
「これから気をつける。でも、俺……バカだから、気づかないこともあると思う……いや、絶対ある。そのときは、はっきり言ってくれ。絶対に怒ったりしないから!」
精一杯の誠意がにじんだ声だった。
私はそっと視線を伏せる。
謝罪があったからといって、すぐに全てが変わるわけではない。
けれど、自分の非を口にするのは、意外と難しいことだ。
それができたということは、ほんの少しでも、自分と相手を見つめようという意思が芽生えたのだろう。
「……少しは学んだようね」
そう呟くと、私は彼らに背を向ける。
私は、無意識のうちに彼らは「変わらない」と決めつけてしまっていたかもしれない。
確かに、人は簡単には変わらない。
でも、オズワルドはまだ十代半ば。
未熟で、傲慢で、けれど……だからこそ、変われる可能性がある。
ペアとして相手を見ること。自分の意志だけで突き進まないこと。
それを学んでいけば、いつか彼も──。
そう、ほんの少しだけ、希望を抱いてしまった自分に気づき、私は胸の内で苦笑した。
「……さて、私たちも本来の目的に戻りましょうか。シュプラウトのための、土選びよ」
「はい」
グレンの返事を聞きながら、私は木々の合間に差す光を見上げた。
すると、その時だった。
「……あの」
背後から、小さな声が追いかけてきた。
振り返ると、先ほどの一年生の少女が、少し顔色を戻しながら立っていた。手には、何かを包んだ布のようなものを抱えている。
「さっき……私が休んでいた場所なんですけど……その根元、土がすごく柔らかくて、少しだけ……変な香りがしたんです」
「変な香り?」
「うん……ちょっと甘い、ような……湿ってるのに、嫌なにおいじゃなくて……」
私は一瞬だけ視線を交わし、グレンとともにそちらへと足を運ぶ。
彼女が示した場所は、日陰になった倒木の根元。
周囲よりわずかに湿り気を帯び、ふわりとした手触りの土だった。
私はしゃがみこみ、そっと指で土をすくってみる。
「……なるほど。魔力の粒子が偏って集まっているわね。表層の葉や枝に反応して、自然由来の魔素が蓄積してる。甘い香りは、その魔素がわずかに揮発している証拠よ」
「つまり……魔力の循環が、いいってことですか?」
グレンが問いかける。
私はそっと土をすくい、指の上で感触を確かめながら頷いた。
「ええ。ただ、購買部で売られているような、綺麗に整えられた土とは違うわ。ここには、自然のままの力強さがある。養分も魔素も豊富だけれど、そのぶん扱いが難しい可能性もある」
そっと土の香りを確かめる。
「調整には注意が必要ね。でも……うまく扱えれば、きっと大きく育つ可能性を秘めている。そんな気配がするの」
私は少女のほうを振り返る。
「教えてくれて、ありがとう」
「い、いえっ……その……少しでも、お役に立てたなら……」
頬を赤らめながら縮こまる彼女に、小さく笑みを返して立ち上がった。
「さっきまで、ここで苦しんでいた子が、結果的に導いてくれたのね」
その言葉に、グレンもわずかに笑う。
「運というより……巡り合わせ、ですかね」
「ええ。優しさが、呼んでくれたのかもしれないわね」
私は、指先についた土をそっと払った。
──この鉢に、芽吹かせる命のために。
きっと、この土が助けになる。




