初テスト
「それでは、いくつか質問をさせていただきます! ……私はリンゴを五つ持っていました。そのうち、三つを食べました。さて、リンゴはいくつ残っていますか?」
「にぃっ」
「正解です。では次の問題です。リンゴ、バナナ、ブドウ、オレンジ。アーサー様はそれぞれの色を言い当てることができますか?」
アーサーは両手をバタバタさせて、懸命に開いた口で答える。
「あ、か、きぃろ、むりゃしゃき、おれ、んじ」
「では、私が先ほど申したフルーツを順番通り覚えていますか?」
「りぅお、ぶゃなな、ぶお、おれ、んぃ」
クラークは節目になって、深い思考の迷宮へと入り込んだ。
……どうして生まれたばかりの子が、記憶に優れ、そして、色の概念を言語化できるのであろうか。
一分ほど経っても、静寂は続いた。
ローレンスが言葉をかけようとする。
その瞬間、クラークはもう一度語りだした。
「では、次の問題に参りましょう。町には八十個の油灯があります。そして町の兵士が二人、松明をもって、油灯に点火します。兵士は一人一時間でおよそ四十個に点火することができます。油灯は六時間で自然消火し、兵士がその都度、油を注がなければなりません。では、始まりを午前零時とし、終わりを次の日の午前零時とします。始まりに、油がすべて満杯だったとして、一日で必要な油の交換回数はどれほどでしょうか」
「…………」
傍に立ち尽くしていた二人は、急激に上がった問題の難易度に口を閉ざす。
「さ、さすがに、アーサーには」
思わず、エレナは突っ込んだ。
「ふむ、なるほどな」
ローレンスは納得したようで、一笑し、椅子に座った。
「エレナも考えてみるといい」
「え、はい、分かりました……」
エレナも座り、顎に片手を添えて、思考を始める。
「……まず一時間をかけて二人の兵士が火をつけますよね。それから六時間がたって、また一時間をかけて八十個の油灯に油を注ぎますよね? これを繰り返すわけですから……」
エレナは答えが出たようで、
「わかったわ! ずばり、答えは」
「答えは?」と、ローレンス。
「三回分に八十個で、二百四十回ね!」
ローレンスは微笑した。
クラークはというと、ずっと真顔で、アーサーを見つめている。
「あいっちゅっ!」
クラークは、「まさか」と呟いて「それは八十回、つまり一個につき一回しか油の交換をしないという訳ですか?」
「あう!」
「ど、どうしてそうお思いになったのでしょうか?」
アーサーは黙って、腕を窓の方に向けた。
「……光、そうだよな、アーサー」
「あっ、盲点だったわ! 朝と昼の間は油灯がいらないもの、一日の始まりに火をつけ、午後の六時に油を注ぐと同時に火をつける。それがこの問題の答えなのね」
ローレンスは頷いた。クラークはわなわなと体を震わせ、紙に記録を残していく。書き終えると、クラークは座る二人の前で正座した。
「……これは今年度の初等部選抜試験に出題された問題でした。国語の文章理解としてです。それをたった生まれて半年でアーサー様は解かれてしまいました。私は気になって仕方がない……一体、どんな教育をしたというんですかっ!」
クラークは興奮のあまり感情の赴くまま、ローレンスに怒鳴った。
エレナはローレンスの左腕に手を回し、二人、アーサーを見つめた。
「……この子は特別だ。私でさえ、才覚を表し始めたのは一歳と半年ほどの時からだ。厳しい訓練が始まったのが、その時期からであるから間違いないだろう」
「私たちは、アーサーにたくさんの絵本を読んできました。最近では、歴史書や小説を読み聞かせているのです」
「はっ」
落ち着いた二人の前に、怒鳴り散らかした己を顧みたクラークは頭を下げた。
「も、申し訳ございません。お二人に向かって声を荒げるなど、失礼の極みと存じます!」
ローレンスとエレナは口端を微かに上げた。
「承知した。それでは、アーサーの健康状態を、もう一度診てくれないだろうか」
「勿論でございます……心から、感謝いたします」
クラークは立ち直り、アーサーに一声かけ、検査をしていく。
その間に、ローレンスはルイ王の子供として生まれてきた第二児のことについて尋ねた。しかしクラークは未だ一度もあったことがなく、噂話程度のことを語った。
「……そうか、その子はアルバート王子というのだな」
「はい。あまり泣かないだとか、アルバート王子もよく絵本をご所望になるらしいです」
「それは中々、興味深い話だな」
ふぅ、とクラークは額の汗を袖で拭った。
「アーサー様、ローレンス様、エレナ様。これで健康診断は終了です。誰一人として、異常はありません」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
「いえ、私は医者として当然のことをしたのです。こちらこそ、貴重な機会を設けて下さり、感激で一杯です」
ローレンスは声を出して笑った。
「いやはや、王室御用達というのは皆等しく言葉がうまい。謁見の際、私はいつも笑いを我慢していたものだ。聞き馴染みのない言葉が乱立するからな」
立ち話も、そろそろ、終わりが見えてきた。
ローレンスは立ち上がり、座したままでいるエレナを一瞥した。
「私はアーサーと一緒に、しばらくここに居りますね」
「ああ、よろしく頼んだ、エレナ」
ローレンスはエレナの額にキスをした。
「はい」
「では、クラーク博士、行こうか……なにか、言いたいことでも?」
クラークはローレンスの手指示に従わず、じっと立っている。
「はい、一つだけ、意見を申してもよろしいでしょうか?」
「勿論だ」
「では……ルイ王はハートランド家の特別な能力をご自身の代で終わらせようとお考えになっております。ハートランド家の能力は、あまりに特異で、エルデリオン王国にとって、優位なことかは我々もご承知の通りです。ですが、もしハートランドが国の力を越えてしまったら、と、ルイ王は懸念しておられます。なので、子供が生まれ、ある程度成長するまではお二人だけでアーサー様の成長を見守るのは、正しい判断だと私も思います。生まれたばかりでは、逃げることもままならないでしょうから。しかし、いずれは露見すべき時期にて、アーサー様の存在は明るみに出るでしょう。それが第三者からの情報であるか、もしくはハートランド様ご自身からの申告であるか。どちらがルイ王の体面を保ち、対話を設けることができるのかを鑑みていただけないでしょうか」
クラークは直立不動にして目を逸らさず申す。
しかし足は微かに震えていた。
いかに、自分が愚かな申し出をしているのかを、自覚していたからだ。
「正直に申しますと、この意見には私自身の保身も含まれております。ですので、期限を設けては如何でしょうか」
「うむ……その意見は理解できる。そして我々も概ねクラーク博士と同じ考えでいる。さらに、我々の意思決定が補強された形となったようだな」
「あ……わ! 私はなんと余計なことをっ!」
ローレンスとエレナは顔を仰向けて、笑った。
二人は腹を抱えながら、
「いやあ、クラーク博士。私はとても君のことが気に入ってしまった」
「ええ、私もよ」
頬を真っ赤に染めるクラークは、「お恥ずかしい限りです」蚊の鳴くような声で、そう呟いた。