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大掃除、そして健康診断の日

 ――胸に衝撃が走った。

「っ!」

 ローレンス・ハートランドは全身をぶるりと震わせ、目を覚ます。

 半身を上げ、視線が部屋の全体をまわった。異常はない。

 ローレンスがそう認識した刹那、手元から舌足らずな声が聞こえてきた。

「りょぅれんす、りょぅれんす」

「――⁉」

 アーサーから名前を呼ばれている。ローレンスは感動で鳥肌が立った。

 彼は早速願いが叶い、喜びに身を浸そうとするがアーサーはそれを許さなかった。

「おうおう」

「……おうおう?」 

 ローレンスはしばし熟慮し、

「アーサー、もう一度いいかな?」

 アーサーの言葉が何かを意図するものだという結論に至った。

「おう、あま」

「おう、あま……王様、か」

「んん」

 アーサーは嬉しそうに笑った。

「そうか、ローレンスは王様なのか、って聞いているのだな」

「うぅー」

「いいや、ローレンスは王様ではない。ローレンスはハートランド家の人間だ」

「あーとら、ん、ど」

 発音を真似たいのだろう、アーサーは一音ずつゆっくり、しかし確実に伝えた。

「そうだ。ハートランド家は、王様の守護者の役目を果たしている。代々ハートランド家は王様に仕えることで、その名を世に知らしめてきた」

「……」

「アーサーも経験するはずだ。ハートランドはまるで他の人間とは異なる存在であることを」

「……」

 アーサーはぽかんと首を傾げて、ローレンスの瞳を見つめ続けた。

「難しい話をしたな。今日はさみしい思いをさせるだろう、アーサー。今からでも私に愛情を注がせてくれ」

 ローレンスはアーサーを抱え、抱き着いた。

 時たま頭上に挙げて高いたかいをしたり、瞳を極限まで近づけてみたり、心臓の音を聞いたり、ローレンスは好き放題アーサーを吟味した。

 アーサーはただ不思議そうにするだけで、ローレンスはかまわずもう一度抱きしめた。

「……かわいいなぁ、アーサーは、本当にかわいいよ」

 こほん、という息遣いが響く。

 ローレンスの頬が瞬く間に赤く染まる。

「あなたにそんな一面があるのを知れてよかったです」

 にやにやするエレナに対し、ローレンスはすんと表情を殺し、

「エレナ、これは一種の儀式であるのだ。故に、私がアーサーを愛でていたのは当然で――

「あなた、もう遅いわ」

 ローレンスの頬は紅潮した。アーサーをベッドに置き、顔を背け、立ち上がる。

「さあ! 朝の支度をしようではないか。今日は王城から家政婦長が大群の使用人を引き連れてやってくるのだからな」

 その通り。

 本日は半年に一度の大掃除と、年に一度の健康診断のある日だった。


 館の周りにある城壁の外から、馬の蹄がレンガ床を蹴る爽快な音が響いた。

 ローレンス・ハートランドが両手で門扉を開けた。

 門扉の鉄の関節は重苦しい呻きを発し、全開になる。

 ハートランドは全ての馬車が通り過ぎるのを確認し、門扉を閉めた。館の前まで早足で移動し、館の前に止まる五つの馬車を出迎える。

 内から馬車扉が開かれた。

 コートに身を包まれた使用人がぞろぞろと馬車から降りてくる。

 外はまだ寒い季節だった。

 冬を明けて間もない。

 馬車の中も相当に冷えるだろう。

 しかし、出迎えたローレンスは白シャツ一枚に黒の長ズボンという格好だった。

 シャツからは身長百八十六センチの筋骨隆々とした肉体が薄らと浮かぶ。

 そのお蔭か、見るものに不快感を与えるようなことは一切なかった。

 それどころか、どこか熱源たる焚火のような存在にすら思えた。

「ようこそお越しくださいました。本日もよろしくお願いいたします、ヨハネス家政婦長様」

 直線を描く整列から前に出たヨハネスは、ローレンスの前で、慇懃な一礼を行った。

 そして――ヨハネスのその一礼には様々な感情が含まれていた。

 過去の話だ。

 ヨハネスは男爵の出だった。

 また、彼女は政略結婚の道具にするほどの眉目秀麗さを有していなかった。見た目のお陰か、学校では上級貴族の遊び道具になったこともあった。

 しかし、すぐにその役目は終わった。同じ学年にいたハートランドが、仲裁に入ってくれたからだ。彼女は人生の諦めを感じた。

 ヨハネス家は功績を上げてから久しい。女である彼女が子爵の地位を継げるはずもない。ならば、どう生きようというのだ。

 伏目になった彼女に、現国王ルイ様は言った。

『諦めるほどの人生ならば、私の傍で仕えろ。お前には王城で雑用の任を与えよう』

 それからヨハネスはすぐ学校を辞め、王城の使用人から様々なことを教わった。

 十年間、雑用をこなした。

 その間、時々ハートランドが声をかけてくれた。

 ヨハネスは嬉しかった。

 ルイ王が数々の功績をあげていく中、その陰にはハートランドがいるのを知っていた。

 きっと、ハートランドの鶴の一声もあったのだろう。

 十一年の雑用を経て、ヨハネスは使用人の最高の地位、家政婦長を授かった。

 ヨハネスはハートランドを愛していた。


 そして、それが、叶わぬ恋だということも、知っていた――。


「この度も、丁寧なお出迎えをありがとうございます、ローレンス様」

「礼を言うのはこちらの方だ。助かるよ。しかし妻は今日も体調が優れず、出迎えにはこられない。妻が申し訳ないと、そして私からも謝る、申し訳ない」

「どうか頭をおさげにならず……それではまず、医者に健康状態を診てもらいましょう。その間、私どもは一階のお掃除を行います。許可があるまでは、決して二階には上がりません」

「……ありがとう、ヨハネス」

「どういたしまして、ハートランド」

 当然、二人の会話は後ろの使用人には聞こえない。

「寒いだろうから、さっそく上がってもらおう」

 ハートランドを筆頭に、使用人等が次々と館の中に入っていった。

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