第十三話 スタンピード(魔嘯)の前兆
「網の中に沖の魚が入ってたのはそういう事か。お前ら! すぐに魚波がくる。お前らついてこい、急いで帰り支度だ!」
砂を蹴り網に向かってかけ出す三人をあわてて追いかける。
海の向こうにそびえる魔物は、緑色の蛇の様な身体だ。
頭と身体の半分は長い毛で覆われている。長毛過ぎて前が見えない大型犬のようだ。
「何ですかククルカって? 海には詳しくないんですが、そんなにヤバい魔物なんですか?」
みんなを代表してゴルトさんが尋ねてくれた。
「あいつ自身は沖で暴れ回るだけだ。だがその後にくる魚波がまずい。かき回された海から海棲の魔物がざくざく陸にあがってくる!」
「魔嘯の一種か! それはまずいですね」
アルさんが叫ぶ。
首を捻っていたらムルルがボードを出してきた。ああ、スタンピードのことね、ふーん、普通にやばいね!
「魔物の群れから逃げきれるんですか?」
ゴルトさんが尋ねる。
そこなのよ知りたいのは。まさかジッレの街まで走らなければいけないなんてことになれば私は絶望する。
「それは大丈夫だ。陸に揚がった魔物のほとんどの足はおせえ。五百ジィも離れればもう安全だ。とにかく道具を全部手押し車にのせてずらかるぞ」
ニヤリと頼もしく笑ってくれるシゲさん。頼もしいです。
現場についた私とゴルトさんは網を陸に揚げ、ぐるぐる巻いて手押し車にドボン。
シゲさんは船についている風の魔道具を回収していた。あれだけ回収すれば船はこわれてもいいらしい。けっこう豪快だよね。船を新造するのだってお金がかかるだろうに。
「ちょっと待ってください、サユカさん、ピアさんはどこですか?」
手押し車を動かそうと力んでいたら、置きっぱなしの桶など細かい漁具を拾って回っていたアルさんが慌てた様子でこちらに駆けてきた。
「え、ピアちゃんならそこのあたりに……いないぃ!」
網を引き上げるのに夢中で気付かなかったけど、海岸のどこにもピアちゃんの姿はなかった。一瞬で顔面からサッと血が引く。まさか魔物に水に引き込まれたり?
まっず、ミッション失敗……じゃなくて、人命救助しなきゃ!
「あ、あそこにいるぞ!」
シゲさんの太い指が指さす先には、遠くの波打ち際にいる小さな人影が。
ピアちゃん遠い遠い! 1デジィ以上離れてない⁉ 探索能力高すぎでしょ!
「おいサユカ! 行って連れ戻してこい!」
「え、わたし⁉」
神珠杯窃盗の件は切り抜けたけど、ピアちゃんの私への印象は多分よくない。
ここにきてさらに神珠杯探しを止められるなら関係は悪化するだろう。
どこまでが”仲良く”なのかわからないけど、これで神々の試練が失敗するのは避けたいんだけど。
「私は手押し車をおさなきゃいけないので、アルさんはどうでしょう?」
「い、いや僕はあの距離を往復するのはちょっと……」
魔力なさすぎ!
じゃあゴルトさんは?
そう考えて顔を向けるが、即座にため息をつかれ、鎧をゴンゴンとされた。
いつのまに着たのよ……でもたしかに不利ではある。
「つーことだ。グリムガードには互助の精神があんだろ? 適性無しって書類にかくぞ?」
シゲさんからもダメ押しの脅しをかけられた。
「あーもうっ、わかりましたよ! 行ってきます!」
自棄気味に砂浜を蹴る私をムルルが追いかける。
ボードを見ると、いくつかのコメントが止まっていた。
:欲深ピアちゃん見捨ててもよくない?
:なんてこというんだ、貴重なロリ巨乳だろ!
「これ、もしかしなくても走りながら実況しろってこと? キツくない?」
「なにいってんだお前、【身体活性】もせずに走って全然息切れてないだろー」
ムルルのツッコミに組員達が反応する。
:え、サユ姐元社会人だったよね?
:アスリート採用だったとか?
「まあ、そういう選択肢もありましたけど、仕事のストレスを解消するためにたまに走っていただけですよ!」
:選択肢あったんかい……
:たまに走る(四十二・一九五キロ)
:どれだけ脳筋なのこの子
:互助の精神ってなに?
「体力があるからって脳筋呼びは止めてくれません⁉ スポーツだって頭使うんですから! まあそれはいいです。それより互助の精神ですね」
空を見あげると暗雲がたれこめ、空を黒くおおっている。今にも雨が降ってきそうな感じだ。もう少しペースあげるか。
「グリムガードには互助の精神をもつべし、という規約があって、一緒に仕事をする以上極力助け合わなければいけないんです。違反すれば大幅減点。資格剥奪に近づきます。戦闘で傷ついた人を置いていったりすれば、下手すれば一発アウトです。仮にも神に奉仕する存在ですから!」
:ええ……さっきピアさんを騙くらかしてたくせに
:互助の精神(さっき傷なおしたったやろ? 神珠杯くれや)
:どっちもどっち
まあ、思う所はあるけれど、いったんそれは横に置いとこ?
「とにかく、神珠杯とクエストクリア報酬の両取りを目指しますので、これからピアちゃんを言いくるめて連れ帰ります!」
————ッ!
視界の端にあったククルカからなにかが放たれた。
瞬間——
「あぶなっ!」
先ほどよりも大きな轟雷。
砂に飛び込み伏せていた頭を上げると、海面におびただしい魚が浮いていた。
海中を強い衝撃が貫いたのだろう。
あいつホントに無害? めちゃくちゃ強くない?
遠くの海でぐねんぐねんと身をよじらせるククルカの姿を見る。
そしてまだ遠い先の波打ち際にいるピアさん。さすがに水中にはいないか。
さていこうか、と思ったところでムルルのボードがまた何か点滅している。
え? 解説続けろって? この状況でって無茶じゃないかな!
そんな叫びを胸に押し込め、わたしはピアちゃんに向かって走りながらボードを見て解説をはじめた。
「えーと、今組員の皆がみてるククルカですが、海棲魔物の中でも最強格らしいです。長く伸びた角以外の上半身を覆っている毛皮は……え、ひげなの? ククルカの上半身を覆っている白い毛みたいなものはひげくじらと同じ歯が変化したひげらしいです。配信第三回目にしてあれが見られるなんて、わたしも皆さんもラッキーですねー」
そういって見た先では、蛇のような身体を柱のようにたてたククルカが頭を大きく回転させた。
確かに、この大迫力な映像は配信しなければ損!
「みてください、あの巨体をまるでシャンプーのCMのようにグルグルと——」
——ドゥ! ザッ、ザン!
言い切らないうちに空気のかたまりと海水の雨がわたしを襲った。
私は一気に濡れネズミだ。
うん、異世界のマイナスイオンってちょっと生臭い。