第十二話 神珠杯をめぐる攻防とその理由
:仲良く帰還?
:あとは後片付けして帰るだけだろ?
組員達がボードで騒ぐのをみつつ、私は瞬時に頭に浮かんだ仮説を検証していた。
——仲良く帰還できない、ということは何か争い事のタネが生まれるということだ。
——そして私の手の中には、ついさっき手に入れた神珠杯がある。
「ぜったいこいつ争いの種でしょ! そのものでしょ!」
神珠杯が見つかれば絶対取り合いになる。仲良く帰還になんてなるはずがない。
つまり、誰にも見つかってはならない。
いっそ投げ捨てる? いや、無理無理、貴重品すぎる。
「サーユちゃん?」
「う”ぉあ!」
背後からささやかれた桃のように甘い声。振り向くと、そこには笑顔のピアちゃんが立っていた。
右手のアミハズシ用ナイフがやたら光っているのは白浜の陽ざしのせい?
なんて現実逃避をしてみるが、目の前のピアちゃんは笑顔で圧をかけてらっしゃる。
「今なんか隠したよね? なんか見つけたの?」
とっさに背中に隠した神珠杯がはいった貝の箱をのぞこうと、ピアちゃんが首を伸ばす。完全にロックオンされている。
ここでシラを切れば、私とピアちゃんの間にはなんらかの溝ができてしまう。ミッション失敗の可能性大だ。
なるほど、これが神々の試練。神珠杯というレアアイテムを他人にわたせるか、が鍵となる。
ふと、そこで気付いて冷静になった。
〈……いや、それならこの神の試練、パスでもよくない?〉
試練をクリアして得られるスキルが神珠杯以上だという保証なんてない。
それならここであえてシラを切って、ピアちゃんと気まずくなっても手堅く神珠杯を手に入れた方がいい……?
『良いのかー、今回の試練の報酬はけっこうレアだぞー?』
ムルルが私にしか聞こえない声で悪魔の如くささやいてくる。そしてその背後ではレーア、レーア、レーア、とコールが小さく響いている。……ぜったい神界の観客席の音声流しているよね。
煽ってくれるじゃない、神様達も、ムルルも。
だけど私は——。
「いやー、実はこんな変なものを見つけちゃって、高く売れるかな?」
陽差しの下、私がおずおずと出した箱形の貝をみると、ピアちゃんの目の色が一瞬変わった。
でもそれは歓喜と落胆が入り混じったもの。そしてその色はすぐに消えてしまった。
「ふぅん? 変わった貝だねー」
ピアちゃんはなんでもないかのように箱をもてあそぶ。
「ね、サユちゃん。私、お礼は晩ご飯よりこの貝の中身の方がよくなっちゃったぁ」
「え? ピアちゃんこの貝の中身がなにか知っているの?」
「んーん? 知らなーい。だから二人で開けよ?」
ちょっとしたゲームみたいなふりをして交渉を持ちかけてくる、ただの甘ふわ少女では無い模様。
笑顔のまま首をコテンと傾げるピアちゃんに、思わずゾクッとした。
だって右手のナイフをキュッて持ち直すんだもの。いつのまにか刃先がこっちに向いているんだもの。
無意識の脅迫だよね?
:やべぇ、絶対確信してるじゃん
:サユ姐あけちゃうのか⁉
「しかたない、助けられちゃったものね。じゃ、開けるよ?」
初めて開ける雰囲気を出しつつ、緑色をした箱の口に指をかけ、ゆっくりとじらすように開けていく。
:あげちゃうかぁ
:ま、しゃーない。ここでピアちゃんの機嫌をそこねたらミッションクリアは無理だ
:試練の報酬に期待だな
パカッと開けた貝の中は——無。
ピアちゃんが目を見開く。
:無い?
:そうか【ストレージ】か! でもいつの間に⁉
:振りかえる前、箱を閉める一瞬で収納していたな
:きたない、さすがサユ姐、さす姐!
「あれ、空っぽだったかぁー」
しょぼんと肩を落としてピアちゃんに残念感をアピール。
私は神珠杯もミッションクリア報酬も両方手に入れるのだ。
だってピアちゃんに渡しても、それでミッションクリアになるとは限らないじゃない?
例えばピアちゃんが他のメンバーに見せびらかせばそれでアウトだ。
両取りを目指す。そうでなければ配信者として”面白くない”。
ごめんねピアちゃん、と心の中でわびつつ、悪い私はしらじらしい演技をつづけた。
が、ここで予想外。
「ってピアちゃんなにを⁉」
ピアちゃんが抱きつくように突進してきて、私の全身をまさぐりはじめた。
ショートパンツのポケットやシャツのすそ……って谷間をのぞくのはやめなさい!
砂まみれの手を剥がして距離を取り、二人で息をあらげてにらみ合う。
来た時は一瞬刺されるかと思ったよ!
「どこに隠したの神珠杯」
髪を額に張り付かせたピアちゃんがきいてくる。
「神珠杯?」
「魔力杯の代わりになる珠だよ、あと残っているのは……」
ピアちゃんの鋭い視線が私の太ももの付け根にむけられる。
そこに可能性を見いだすのはさすがに見境ないでしょう⁉
「ちょっといい加減にしてよ、貝の中身は盗んでないって!」
神珠杯は貴重品だけど、そこまで執着する⁉
私はこの神珠杯が神界から用意された特別製だと知っているけど、世間一般の神珠杯はそこまで大層なものではない。元々の魔力杯が大きい人にとってはあれば便利、くらいのものだ。たとえばピアちゃんのように……ん?
こちらを睨んでいたピアちゃんが急に波打ち際に視線を走らせ、私をおきざりにして駆けていった。
そしてチュニカが濡れるのも構わず足で砂浜をまさぐり始めた。神珠杯が落ちている可能性か。
あーもう、そんなにしても無駄なのに。
たまらず私はピアちゃんの近くまで駆けていった。
「ピアちゃん、神珠杯が貝から落ちたとしてもこの近くとは限らないよ、探し出すのは無理だって! そもそもなんで——」
「わかってるよ、でもアルさんにあげたいんだもん!」
海の飛沫をまとい、こちらを振りかえるピアちゃん。目尻にたまったその雫で、あまりにも単純な理由を理解してしまう。
そうか、さっきのやり取りで忘れてたけど、この子、恋する乙女だったね。
同時にいくつもの推測が頭に浮かぶ。
アルさんは多分魔力杯が小さい。だからさっき網を引いた時にピアちゃんよりはやくに倒れたのだ。
多分駆け出しの二人は私がジッレに来る前からの知り合いだったんだろう。
アルさんが魔法使いとして苦労している姿を見ていたからこそ、かけらでも可能性があるならこのチャンスを逃したくない、といった所か。んー。
「じゃあ、タイムリミットはこの仕事が終わるまでね。網の方は私がやっとくから」
「ありがとうサユちゃん!」
無垢な笑顔でこちらに笑いかけるピアちゃんに笑顔で手を振りながら、私は貝類がはいった手押し車とともにその場を去った。
:恩着せがましいw
:なにいい顔してんのサユ姐?
:こんな顔して純粋な女の子騙してますからね
:ピアちゃーん、神珠杯はこっちー
組員達が先ほどの対応にブーイングしてくるので手押し車を押しながら言い返す。
「ちょっと酷くないです? あの子の背中を押すことで私とピアちゃんは仲直り。これでミッションクリアできるんですから良いでしょう⁉」
:無駄骨おるピアちゃんが可哀想でしょうが!
:実は腹黒か、と思ったけど一周回ってピュアだった
:サユ姐に わけてあげたい ピュア成分
「私だって十分ピュアですが? 帰りの馬車ではアルさんとピアちゃんの中をとりもってあげるつもりですし」
:は? そんな絵面みたくねーんだが?
:てかサユ姐がキューピッド役なんてできんの?
「無理すんなー。派手に事故る未来しかみえんぞー」
「ぐぅ……」
ムルルや組員とやり取りしながら砂浜の上にある石垣をのぼり、シゲさんの馬車に到着した。
入口ではアルさんが魔法で氷をつくっている。なるほど、魚を冷やして運ぶのか。
アルさんはこれ要員だったのね。ついでにちょっと休んでいく。
日陰で氷からの冷気に当たるのめちゃくちゃ気持ちいいー。
「はぁぁぁ……で、シゲさんとゴルトさんはどこですか?」
「奥の荷台で魚を締めているよ」
見れば傍らにはゴルトさんの鎧が。魚を締めるにはさすがに邪魔だったのね。
などと考えながら先に進むと、そこには白いエプロンをつけた二人のマッチョが。
「おう、お疲れ。そいつらはそこのトロ箱にぶっこんどいてくれや」
「はーい、了解でーす」
:っじゃねぇよ!
:ムルルおま、ふざけんな!
:漢のっw裸エプロンwww
:エプロンって大事なんだなとおもいました
:うーん、なんでアル君はここに混じらなかったのかしら
チャットの阿鼻叫喚に、私は密かな喜びを感じていた。これを画面に収めるためにちょっと遠回りしたかいがあったというもの。
私の意図を理解して作業している私の奥でシゲさんとゴルトさんが見切れるようにしているムルルも共犯だ。
調子にのりがちな組員へのささやかなお仕置き……と思ったけど、積極的に楽しんでいる人達もいる。
性別を問わない、最近の地球の多様性を感じるね。
とはいえ彼らへのサービスは積極的にはしない。
BANの恐れはないけど、そういう下ネタは基本NGなのが私のチャンネルの方針。
ささっとムルルに合図してこのイベントを切り上げさせ、そのまま箱詰めと、その箱を馬車に積み込む作業に入る。
「さて、これで終わり」
トロ箱を縦に積み上げて荷台の上で一息つくと、海側から駆け足の音がしてきた。
振り返るとアルさんが走ってくるところだった。
「ちょ、ちょっと来て下さいシゲさん!」
「なんだ、どうした?」
「海からなにか変な物が……!」
————ッ!
アルさんが叫んでいる刹那、落雷のような轟音が当たりに響いた。
空気がたしかに質量をもつ存在であることをしめす衝撃が身体を貫く。
瞬時に異変を悟ったシゲさんとゴルトさんが海へと向かうのを慌てて追いかける。
「な、なにあれ……」
林を抜けた眼前の光景に言葉を失う。
真上の空は先ほどとさほど変わらない目が眩むような青空。
けれど、海の色がかわるあたり、その上空には嵐の気配を孕んだ黒い雲が浮かんでいた。
そして、
「海から……なにか伸びている?」
なにか、巨大で長い生き物が空に向かって伸びていた。
そりゃ陸にいるなら海にだって魔物はいる。でもあれはない。
百ジィくらいの巨体が空に向かってそびえたっちゃってるもの。
しかもまだまだ海中から伸びて出てきているもの。
でも問題はそこじゃないのよ。
「ククルカだ……」
シゲさんのため息ともとれる真剣な声から状況の深刻さがうかがえた。
ただ幸いなのはあの長い生き物が今のところ、空に向かって伸びているだけなところだ。
だから私の問題はもうちょっと別な所にある。
:うぉぉぉ
:やべぇ、シェン○ンじゃん
:生成AI……は無理だよな、このレベル
空を向いたムルルの映像をみている組員達も、この光景に呆気にとられている。
グリムガード達も、組員達も、皆一様に無言。
うん、だから、ただ、言わせてもらえれば、
「今のうちにエプロンとってくれないかなぁ……」
シゲさんとゴルトさんの後姿を見て、思わず漏れた配信者としての私の本音は、再び襲った轟音に掻き消されたのだった。