第4話「幻のパンのレシピ」
広場の朝の賑わいはすぐに静けさへと変わった。人々が畑や家へと散っていき、昼が近づく頃には、町の中央に残るのは老人たちと数人の子どもだけになった。
直人はミアと並んで噴水の縁に腰かけていた。パンを分け合いながら、小さな声で他愛もない話をする。
ミアの頬は少し赤みを帯びていた。パンの一欠片を大切そうに両手で持ち、「あったかいね」と呟いた。
「なおと、今日は……どこか行くの?」
「特に予定はないよ。町の暮らしを少しでも知りたくて、できるだけ歩いてみてるんだ」
「……そっか。じゃあ、あたしが町を案内する」
ミアは意外としっかりした口調でそう言うと、すっと立ち上がった。
その小さな背中に、何となく頼もしさと誇りを感じた。
「ほんとに? でも、無理はしなくていいよ」
「ううん。あたし、町のことならみんなより知ってる自信あるから。……とくに裏の道とか、隅っことか」
ミアは少しだけ照れ笑いを浮かべる。
「小さい頃はね、お父さんと一緒にここでパンをもらったんだ。町のみんなが集まる場所だった。
でも、お父さんとお母さんがいなくなってからは、余り物があるかもしれないって、一人でこっそり調理場や倉庫に来るようになったんだ。
誰も使わなくなってからも、あそこなら人目を気にせずいられるから……。誰にも見つからないように、いつの間にか抜け道も覚えちゃった」
直人はミアの瞳の奥に、少しだけ誇らしげな光と、やりきれない孤独の影を感じていた。
「ミア……今まで、ひとりで頑張ってきたんだね」
「……だって、誰もいない方が楽なときもあるから。でも、おじさんとなら……少し平気かも」
ミアは小さくうなずき、噴水の縁を軽やかに降りて、裏通りの方へと歩き出した。
直人はその後を静かについていった。
*
町の石畳は日差しを浴びてあたたかく、家々の影はまだ涼しい。ミアは迷いなく路地を抜け、やがて小さな倉庫の前にたどり着いた。
「ここが町の倉庫。……ほら、あそこ」
ミアが指差す先には、重そうな木の扉。その横の小さな窓から、こっそり中を覗く。
「ここ……昔はみんなの配給場所だった。お祭りや大きな行事の時には、町の人がパンやスープを作ってたの。
あたし、たまに残り物がないか覗きに来るの。今は誰も使ってないけど、道具や古いものがいっぱいあるんだ」
扉を押すと、ギギギと鈍い音がして開いた。
埃っぽい空気が一気に流れ出す。棚には使い古された鍋や瓶、調理器具、見慣れない道具も並ぶ。
奥には石造りの大きなオーブンが、ひっそりと佇んでいた。
「これ、すごいな……」
「このオーブン、昔は町で一番の自慢だったんだって。でも壊れてからは、誰も使ってない」
ミアは誇らしげに語るが、その声に少しだけ寂しさが混じる。
「それに……あたし、ここの奥で紙を見つけたことがあるの」
ミアは埃まみれの木箱を開け、中から数枚の紙片を取り出す。
インクが滲み、文字もかすれているが、「小麦、塩、水」と材料が列記され、端には小さな文字で「リュシアンナ」とサインがあった。
「これ……パンの作り方?」
「たぶん。おじさん、読める?」
「うん。たぶんね……。でも、手順はすごくざっくりだな。“心を込めて捏ねる”とか、“焼く前に歌をうたう”とか……昔のレシピってこんなもんかな」
「夢の中のお姉さんも、“歌ってごらん”って言ってた気がする……」
「やってみようか?」
「うん!」
ミアは、いつもより明るい声を出した。
*
道具を集めるのも大変だった。
鍋は埃まみれ、ボウルのかわりに古い壺。粉をこぼし、計量も目分量。
小麦粉と塩、水を混ぜるが、最初は水を入れすぎてぐしゃぐしゃ。あわてて粉を足すと今度はカチカチになってしまう。
「うーん……むずかしいね」
「大丈夫、最初はみんなこんなもんだよ。俺も家で料理はほとんどしなかったからな」
二人は苦笑いしながら、必死に生地をこねた。
ミアの小さな手が白くなり、額にうっすら汗を浮かべる。
直人も腕がだるくなるが、不思議と楽しかった。
「ねえ、歌……歌ってみようか?」
「……え?」
「夢の中のお姉さんが、“歌ってから焼くと、うまくいく”って。変かな?」
「いや、大事なことだよ。リュシアンナさんのレシピなら、やってみないと」
二人は恥ずかしそうに顔を見合わせ、パンを捏ねながら小さな声で童謡のような歌を口ずさんだ。
「……♪パン パン ふしぎなパン だれかに届く あたたかなパン……」
なんだかぎこちない歌だったが、それでもふたりには心地よいひとときだった。
*
やがて、生地を丸めて石造りのオーブンに並べる。
直人は扉やヒンジを簡単に修理し、煙突の煤を取り除くのに手間取ったが、なんとか火を起こすことができた。
「火、ちゃんとついたね……でも、焼けるかな」
「やってみるしかないさ」
火の管理は難しかった。煙が舞い上がり、何度も火が消えかかる。
ミアが手をふいて扉の前に座りこみ、じっと焼き加減を見つめる。
「いい匂い……」
やがて、焦げたような香ばしさと、ほんのり甘い香りが調理場に漂い始めた。
焼き上がったパンは、ごつごつと不恰好で、ところどころ焦げた部分もある。大きさもばらばら、見た目は決してきれいとは言えなかった。
「……うまくできたのかな?」
「うーん、どうだろう……でも、いい匂いはするよ」
二人は恐る恐るパンを割ってみた。外はパリパリ、中はもちもちしていた。
「一口、食べてみて」
ミアが小さくちぎって口に入れる。直人も真似をした。
次の瞬間、ミアの瞳がぱっと輝いた。
「……おいしい!」
「ほんとだ。……こんなパン、食べたことないかも。見た目はアレだけど……すごく優しい味だな」
二人で顔を見合わせ、思わず笑ってしまう。
*
焼きたてのパンの匂いに誘われて、広場の端からぽつりぽつりと子どもたちが近寄ってきた。
五人ほどの子どもたちが調理場の入り口で、じっと中を覗いている。
「なにしてるの……?」
ミアは少し迷ったあと、焼けたパンを差し出した。
「よかったら、食べてみる?」
子どもたちは最初こそ警戒していたが、一人がそっとパンを受け取り、ちいさく頷いた。
「……あったかい。美味しい」
「なんだか、元気が出る味……」
他の子も少しずつ手を伸ばし、輪になってパンを分け合った。
誰かが小さく「ありがと」と呟いた。
その様子を見ていた老人も、「昔のパンみたいだな」と懐かしそうに呟く。
「不思議だな、こんなパン、久しぶりに食べたよ」
*
そのとき、調理場の奥に置かれた古びた魔道具のランプが、かすかに淡い光を放った。
まるで、誰かが「よくやった」と見守っているような気がした。
(リュシアンナ……これが、あなたのレシピだったのかな)
直人はそっと空気に感謝し、ミアと微笑み合う。
「また作ろうね」
「うん。また、みんなと一緒に」
町の輪の外にいたはずの二人が、不恰好なパンをきっかけに、小さな輪の中心に立っていた。
優しい味と香りが、町の空気を少しずつ変えていく――直人はそんな予感を強く感じていた。




