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第3話「町の輪の外で」

 異世界で迎える二日目の朝。

 清水直人は、まだ見慣れぬ石畳の町を歩き、広場の片隅で昨日の少女――ミアの姿を見つけた。

 金色の髪は陽に透け、やせた頬を風にさらして、ミアはひとりで黒パンをかじっている。丸めた背中が、小さな体をさらに小さく見せていた。


 町の広場には、崩れかけた噴水や古い石碑があり、その周囲には老人や婦人たちが小声で語り合っている。

 親子連れの姿もあるが、どのグループも自分たちだけの輪をつくり、誰も外の者には干渉しようとしない。

 子どもたちも数人で固まって走り回っているが、その中心にミアの姿はない。


(身内同士では助け合いが残っている。けど、ミアみたいな“孤児”や俺みたいな“外から来た者”は、輪の外のままだ――)


 直人はそんなことを考えながら、そっとミアに声をかけた。


「おはよう。眠れたか?」


 ミアは一瞬だけ顔を上げるが、すぐに視線を落とした。


「……うん」


 短い返事。でもパンを両手で大切そうに持っている仕草が、言葉より多くを語っていた。


「パン、ちゃんと食べてるか?」


「……これだけだよ」


「もし足りなかったら、言ってくれ。できる範囲で、また分けるよ」


 ミアは一瞬、直人をじっと見つめ、何かを言いかけたが、小さく首を振った。


「……ありがと」


 かすかな声だった。



 広場の一角では、老夫婦が朝市の準備をしていた。

 けれど、並べられる野菜や果物はどれも小ぶりで、数も少ない。

 市場には子どもたちが集まってきては、店先のパンをじっと見つめている。ミアは少し距離をとって、それを眺めているだけだった。


 直人が市場を歩いていると、昨日世話になった老人が近づいてきた。


「少しは町の暮らしに慣れたかい?」


「ええ、まだ戸惑ってばかりですが」


 老人は広場の端に腰を下ろし、直人も隣に座る。


「昔は、町の誰もが困っている人には手を差し伸べたもんだ。今でも顔なじみや身内にはそうするが……ミアのように親を失った子や、あんたのような外から来た人には、どうしても慎重になってしまう。

 それぞれの家も、もう余裕がなくなっているからな」


「ミアちゃんは、この町で生まれ育ったんですね?」


「そうさ。両親は数年前の疫病で亡くなった。あの子は物心つく前から町の輪の外で生きている。昔から知っている者も多いが、今は誰も余計な手は出せないのさ。

 昔は、町に孤児が出れば、みんなで面倒を見たもんだが……」


 老人は遠い目をした。


「町の暮らしもすっかり変わった。今は“自分たちだけで精一杯”という家がほとんどだ」


「それでも、ミアちゃんは生きている」


「うん、あの子はしぶといよ。優しいところもある。こっそり自分より小さな子にパンを分けてやったりな」


 直人はそっと、広場の隅で子どもたちを眺めているミアを見た。

 ミアは他の子どもに話しかけられることもないが、遠くで石を蹴って遊ぶ小さな男の子が転んだとき、すっと駆け寄って手を差し伸べていた。


 その手を取った子どもは、はにかんだ顔で礼を言い、すぐにまた仲間の輪に戻っていった。

 ミアは静かにその様子を見届けると、またぽつんと広場の端に戻った。


(孤児というだけで、町の輪の外に押し出されてしまうのか――

 日本でも、誰にも頼れずに生きるしかない子どもがいた。

 ……俺も、会社で“必要ない存在”になったときのあの孤独を思い出す)



 昼前、老人に誘われて畑仕事を手伝うことになった。

 小さな鍬を手に、柔らかな土を耕す。老人たちは「ありがとう」と声をかけてくれるが、どこか“様子見”するような視線も感じる。

 町の輪の中心は、そう簡単に広がらないらしい。


「若い力があるのはありがたいが、町の人間がすぐに誰かを信じることはない。焦らず、自分のできることを少しずつ探しなさい」


「……はい」


 直人は返事をしつつ、かつて現場で新入りが苦労した日々や、ベテラン同士が自然と助け合う姿を思い出していた。

 町の空気も、それと似ている――“昔からの仲間”には温かいが、“外”にいる者には無言の壁があるのだ。



 夕方、広場に戻ると、ミアがほかの子どもたちに囲まれていた。

 パンを手にしていたが、何人かの子どもたちはミアに石を投げてからかったり、「お前のパンはきたない」「親がいない子は輪に入っちゃだめなんだ」と冷たい声を浴びせる。


 直人は思わず駆け寄った。


「やめなさい!」


 子どもたちは驚いた顔で逃げていった。

 ミアは黙ってパンの袋を拾い、服についた埃を払う。


「平気。いつものことだよ」


「……でも、寂しくないか?」


「……少し、だけ」


 ミアはちらりと直人を見上げた。その瞳の奥には、小さな決意と、まだ捨てきれない夢のかけらが揺れていた。


「ねえ……パンって、もっとおいしくできるの?」


「え?」


「夜、夢で“パンを焼くきれいなお姉さん”が“本物のパンの作り方”を教えてくれるの。……けど、うまく作れない」


 直人ははっとした。


「その“お姉さん”……どんな人?」


「髪が長くて、白い服で、すごくやさしい匂いがする。名前は、わからない。でも……なんだか本当にいる気がするの」


 ちょうどそのとき、老人が近寄ってきた。


「もしかしたら、それが“料理人の精”――リュシアンナかもしれんな。昔、この町には伝説の料理人がいて、今も町のどこかでみんなを見守っているって言い伝えがある。

 子どもたちの夢にも、たまに現れるらしいよ」


 ミアは小さく首をかしげ、「精霊さんなの?」とぽつりと呟く。


「精霊かどうかは分からない。でも、昔のパンや料理には不思議な力が宿っていた――そんな話を、俺も子どものころ聞いたよ」


 直人は、心の奥で何か温かいものが灯るのを感じていた。


(リュシアンナ――この町の“眠れる料理人”。ミアとなら、もしかしたら“夢”を現実にできるかもしれない)


 輪の外で生きる二人。けれど、だからこそ新しい“きっかけ”を作れるかもしれない。

 直人は、そんな小さな希望を胸に、暮れていく町の空を見上げた。

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