club BLUEwide
17時。
轟々と鳴り響くアラームを止めて身体を起こす。洗面台で歯を磨き髭を剃る。スーツに着替えて家を出た。
電車に揺られてC町に到着した。東京でも有名な繁華街の灯りに照らされながら目的地へと歩を進める。待ち行く人々は酒に酔った者や気性の荒い者が溢れていた。見慣れぬ光景に戦慄しながら目的地に着いた。
先程より比にならない程の煌びやかな灯り。自分の職場になるとは思えない外観に心が躍っていた。
「club BLUEwide」 いわゆるキャバクラというやつだ。
階段を上がると店の扉が出迎えるように佇んでいた。扉の真ん中には「CLOSE」という看板がかかっている。意を決して扉を開けると黒服の男性の姿があった。
「いらっしゃいませ。バイトの子だよね?私店長の飯島です。どうぞよろしく。」
スラッとした身長にシワひとつないスーツ。セットされた黒髪や整った眉毛。俳優の西島秀俊のような風貌だ。
「はい。今日からお世話になります。橋宮瑠夏と申します。」
緊張から震え気味の声で店長に自己紹介をした。上手く話せているだろうか。
「橋宮君ね。じゃ、奥行こうか。店のルールとかを説明しないとだから。」
「はい。よろしくお願いします。」
店長に案内されて薄暗い店内を進んでいく。客席が目に入るとドレスを着た女性が電子タバコを吸って携帯を見ていた。人生初の本物のキャバクラ嬢を前に思わず見入ってしまっていた。
すると女性がこちらに気づき目が合った。(まずい、ついガン見してしまった)と驚いた俺に女性は笑顔を見せて手を振ってくれた。人差し指の高級そうなリングがライトを反射して輝いていた。
ホッとした自分はぎこちない笑顔で軽く会釈をした。女性はまた気だるそうに携帯に視線を向けた。すると店長が口を開いた。
「もしかして緊張してるかな?」
やはり顔に出てしまっていたか。図星を突かれた俺は即答で「は、はい。こんな店初めてなんで。すみません。」と答えた。
「大丈夫大丈夫。最初は覚えること多いけど慣れれば上手くいくさ。」
スタッフルームのドアノブを捻りながら俺にそう言ってくれた。心が安心しているのを感じた。
「まぁまぁ座って座って。あ、ちょっと資料忘れちゃったから待っててね。」
小走りで店長は部屋を出ていった。スタッフルームは店内に比べると簡素で事務室の倉庫といった印象の部屋だった。そんな場所にそぐわない高級な見た目の椅子と小机。きっと店内の家具の余りだろう。
すると勢いよくドアが空いた。店長かと思えばその姿は違う若々しい男だった。
「うおっ!?ビックリした…ってどちら様ですか…」
リュックサックにサブカル系のTシャツを着た自分よりも幼い顔の男が尋ねた。
「あ、今日から働かせていただく橋宮です…」
年下なのだろうが念の為敬語で挨拶した。すると男は納得したような顔をした。
「あぁ〜バイトの人か!店長から聞いてます!よろしくお願いします。」
挨拶する姿は爽やかな好青年だった。
遅れてガチャガチャとドアノブの音と共に店長が入ってきた。
「おぉーおはよう萬田君。紹介するよ、今日から働く橋宮君。君の方が歴は長いけど年上だから敬語使わないとダメだぞー?」
店長はテンション高くそう紹介した。続けて萬田が話しかけてきた。
「あ、はい。初めまして、萬田秋人です。よろしくお願いします。」
萬田は礼儀正しくそう言った。
「ど、どうも。お世話になります。」そう言うと萬田は奥の更衣室に入っていった。
店長が椅子に腰掛け、資料をざっと手渡してくる。
「んじゃ、説明するね。橋宮君にはいわゆるボーイっていう仕事をしてもらいます。主に客席の片付けとか注文取って運んだりとかかな。」
店長は仕事のマニュアルを見せながら全てを説明してくれた。
「それでここが他店とはちょっと違う仕事なんだけど、うちのボーイには閉店したら女の子を家の近くまで付き添いをしてもらってるんだ。」
一瞬戸惑った。俺は嬢と2人きりになる時間が来るのか。店としてどうなのかと思ったがそういうシステムなのだろうか。思い切って聞くことにした。
「あんまり聞いた事ないですけど、女の子と2人きりになるのって大丈夫なんですか?」
「まぁあんまり良くないんだけど、最近この辺り治安が悪いからね。この店始まった当初からも嬢が刺されたりとかの事件が多くてね。まぁボディガードみたいなことでボーイがいた方がいいかっていう結論になってね。」
聞いてみれば理由はご最もに感じなくもなかった。
「そしたら、この店で働くにあたってのご法度を教えておくね。」
声のトーンが若干低くなる。相当な注意喚起なのだろう。
「大きく分けて3つ。1つが女の子の印象を下げる行為。2つ目が仕事に私情を挟まないこと。そして3つ目。女の子とボーイが交際しないこと。良いかな?」
「はい。わかりました。」
まぁ今の自分とはほとんど関係の無いことだった。その説明を終えると制服に着替え、開店の挨拶があると説明されスタッフルームを出ようとした。ドアをガチャりと開けると目の前に先程いた電子タバコの女性が立っていた。
「すみません邪魔でしたか。」急いで横にそれて道を開けた。するとまさかの女性は話しかけてきた。
「あ!さっきの子!今日から入る子でしょ?」
「あ、はい。橋宮って言います。よろしくお願いします。」
「ふふ、あたし天音。ここで働いてもう6年くらいかな。よろしくね。」
天音さんは分かりやすく年上の女性という印象だった。胸元まで伸びた樺色の髪は綺麗にカールがかかっていた。
「橋宮くんってさ!いくつなの?大学生とか?」
タバコを吸ってた時とは打って変わって高いテンションでそう聞いてきた。学生時代相当明るい性格で人気だったんだろうなと勝手に思いを馳せていた。
「そうです。今年21になります。大学は行ってないですけど」
「やっぱりね!あたし今年27なんだ〜ってどうでもいいか」
少し気まずそうに笑いながら天音さんはそう言って、一緒に挨拶のため店内の方に向かった。
店長が皆に聞こえる声で話す。
「はい皆さん注目〜!今日から新しく入るボーイの子を紹介するね〜。」
店長が俺を見てこちらに手招きしてきたので、店長の横に小走りで並んで何度目かの自己紹介をした。
「はい、みんな仲良くしてあげてね〜。じゃあ今日もお客さん第一で仕事してくださいね!」
慣れたように店長が挨拶を終えると隣に居る俺に小声で話してきた。
「あの橋宮くん、さっき言った閉店後に女の子を家に送るって言ったじゃない?君が担当してもらう子を紹介したいんだけど、ちょっとまだ来てなくてね…」
「あぁ、そうなんですね。まぁまた来られた時に…」
そう言い切ろうと思った時、入口のドアが空いた。
「すいませーん、遅刻しました。」
「あ、来た来た。涼香ちゃん、最近遅刻目立ってるよ?気をつけてね。橋宮くん、この子。涼香ちゃんの担当になってもらうからよろしくね。」
「あ、あぁはい。よろしくお願いします。」
「…ん。よろしく。」
涼香さんはぶっきらぼうにそう言った。後ろで結われた黒髪に、右耳たぶにはオシャレなピアスが3つついている。幼げにもクールにも見える顔立ちであった。左目元の泣きぼくろがそう思わせる要因だろう。
俺は分かりやすく、見た瞬間に心が打たれる音がしたような気がした。