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Elysium Crater  作者: 崚我
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第1章

挿絵(By みてみん)



 エイドが目蓋を開けると、少女が覗き込んでいた。

うおぁあ!(ひやぁぁあ!)

 2人は、同時に叫び後ろ向きに倒れる。少女は床に、エイドは固めのマットレスに背中をぶつける。

「は、え?」

「(だ、誰だ?というかここはどこなんだ)」

 エイドは、ゆっくりと起き上がる。木製の一般的な家屋に家具、木枠で囲われたガラス窓、外には土の道と草花が見えた。

 尻餅をついていた少女は彼を睨みつける。

「起きるなら、先に言ってよ!ビックリしたじゃない!」

「そんな無茶な」

「ふん!」

 少女はそっぽを向く。その傍若無人ぶりにエイドは困惑した。

「……痛っ」

  ――ズキリ。

 頭痛がエイドを襲う。

「(そうだオレは、方舟でヒサメに殴られて、気絶させられた。その前に彼が人を殺した。方舟は燃えて……みんなが、死んだ)」

 フラッシュが焚かれたように、鮮明な景色が脳裏に浮かぶ。

「ちょっと、大丈夫?」

 少女が言う。それにエイドは、首を振りながら「大丈夫」とだけ答えた。

「……オレに、何があったんだ……?」

「知らないよ。海岸に流れ着いていたカプセル?を開けたら、血塗れの君が入っていたんだもん」

「(カプセル……脱出ポッドのことだろうか?だとすると、オレは逃がされたのか)」

 口元に手を当てて考え込んでいると、少女は疑念が籠った眼でエイドを見ている。

「ところで、服の血の割には怪我がなかったみたいだけど……。君、殺人鬼とかじゃないでしょうね?」

「それは断じて違う! ……ぐっ!」

 痛みに叫ぶ。しかしそれが頭に響き、頭痛を酷くさせる。

「あーもう、無理しないで!頭に打撲した怪我があるってお医者さんが言っていたんだから!」

「……ふ、う。つまり、君がオレを助けてくれたってことか?」

「まあ、そうね。そう、なるのかな?」

「……ありがとう」

 エイドがそう言うと少女は、ニッコリと笑い立ち上がる。

「じゃ早速、私を手伝って貰うよ」

「え?」

「等価交換、私が君を助けた。なら何かをして貰っても当然でしょ」

「怪我人なんだが……」

「もちろん、お医者さんの許可をとってからだよ。それに、これだけ受け答え出来ているし、見た感じ元気そうじゃない」

「そ……そうでもないが……うん?」

そこで、それに若干違和感を覚えながらもエイドは気がつく。

「言葉が分かる?」

 一言溢すと、少女は不思議そうに彼を見た。

「何言ってるの?世界共通語を使っているんだから当たり前でしょ?」

「世界共通語?」

「うん。シナル語。それ以外に言葉なんて無いでしょ? ……ねぇ、本当に大丈夫なの?」

 エイドは、その常識に困惑した。彼が暮らしていた世界での言語は複数あり、方舟内においてもスマートフォンなどの端末を通した同時翻訳が行われていた。すなわち、世界の言語が単一であるはずがなかった。

「(そもそも、シナル語なんてあったか……?)」

 自身の知識を探るが、やはりそんな物はなかった。

「(……単にオレの知識不足なのだろうか?)」

「……おーい、聞こえてる?」

「あぁ、ゴメン。考え事をしていた」

「聞き忘れていたんだけど、名前は何て言うの?いい加減、呼びにくくなってきちゃった」

「それもそうだな。オレはエイド。エイド・ラムリオだ」

「エイドね。私はリア・トゥール!よろしくね。助手君」

「……助手君?」

「それじゃ私、エイドが起きたことを先生に伝えてくるね!この部屋で待ってて」

 リアという少女は椅子をガタリと鳴らしたかと思えば、部屋の戸から出ていきバタンと閉めた。エイドは「嵐のようだったな」と思った。

 エイドは改めて現状を見直すと、次のようにまとめられた。

 

 1つ目、エイドは方舟から脱出した。

 2つ目、現在いる世界は、全ての人類が同じ言語を使うこと。これは、エイドが現在いる場所は方舟や元の世界とは、異なることを指す。

 3つ目、リアという少女に助けられた。脱出ポッドから、この部屋まで運ばれた。


「(方舟が通った情報記録帯は、時間と歴史でできた筒状の道だったはず ……。それならここは“過去”の世界。でも、なんだ?この違和感は……)」

 エイドは布団から出る。窓の外からは、日の光と鳥の囀り、そして人が活動する音が聞こえる。そこは平和だった頃の元の世界と同じであった。

「(そういえば、服が変わってる)」

 リアが言っていた血塗れた身体などは無く、血は拭き取られ、包帯が巻かれた身体の上には真新しい服があった。これを見たエイドはあることに気がつき首から胸元の辺りを触る。

「……あの時か」

 エイドは首を振り、意識を自身の着ている服に移した。それは現代のソレと形が似ているのと同時に独特の雰囲気を纏っている。

「(過去にいるはずだけれど、地域も時間も何処にいるのか見当もつかないな……)」

 アレコレと考えたが堂々巡りしはじめ、遂にエイドは諦めた。そして彼は布団に倒れた。まだうっすらと波のように押し寄せる頭痛が寝転がることで楽になれた。

「(帰る術も家もない。なら、世界(ここ)に慣れるしかない、か……)」

「……」


「エイド、お医者の先生連れてきたよ!」

 勢い良く開け放れたドアの向こう側には、リアと腰が曲がった老齢の男が立っていた。男は白衣を着ており、明らかに“医者”を想起させる出で立ちであった。医者は、震えながらペコリと頭を下げる。

「この島で医師をしているキナーと申しますじゃ」

「どうも、エイドです」

 エイドは頭を下げた。ベッド横にある椅子にキナーとリアは腰を掛けた。キナーは立派な髭を撫でて話し出す。

「ふむ、元気そうで何よりですじゃ。さて、早速じゃが頭部の打撲痕があったけれど、めまい等はありませぬじゃ?」

「……特には」

「……うむ。では外傷については問題無さそうですじゃ。さて、次の質問じゃが……出血に至る傷がなかったが、血塗れだった理由は?」

 少し考え込んでから答える。

「ここに来る途中で事故に巻き込まれて、その時に付着したのかと。事故で気絶してしまったようで、その後のことは生憎と記憶にはありません」

「……嘘では無さそうですじゃな。気分を害したのなら申し訳ありませぬじゃ。少し疑問があったのですじゃ」

 再びキナーは、頭を下げた。

「いえ。大丈夫です」

 頭を上げたキナーは、にこやかに笑っていた。そして、手に持っていたファイルをエイドに向ける。それに視線を落とす。リアもそれを覗き込んだ。

「(検査結果表……)」

 現代の時と変わらないそれがそこにあったが、電子媒体ではない、紙媒体のそれをエイドは初めて目にした。

「結果はこの通りですじゃ。頭部の打撲による脳への影響は無し。そして、簡易的なものじゃが“魔素”への影響もありませぬじゃ」

「ん?」

 エイドは、聞きなれない言葉を手元の紙を見る。そこには、見慣れない項目があった。



『体内魔素濃度 正常

体内魔素異常 無

魔素適正値 98 %

体外放出量 0.78 (正常値0.6~0.9』



「魔素?」

「え、もしかして魔素のことも覚えていないの?」

 驚きのあまり身を引くリアを見てエイドは困惑した。そして必死に現代を思い返すが、やはりその様な単語は無かった。

「ふむ、もしかすると頭部外傷への記憶障害ですかな」

「どう……なんでしょう」

「…………。まあ、大丈夫でしょうじゃ。混乱もしておるじゃろうし、時間が経てばいずれ思い出すでしょうじゃ」

 キナーは、検査表をエイドから回収して立ち上がる。

「それでは儂はこれで。2、3日は、過度な運動は避けるようにしてくだされじゃ」

 キナーは、部屋から出ていきパタリと扉を閉めた。再びエイドとリアの2人だけの空間となった。

「……ほんと驚いた。魔素のことを忘れる人がいるなんて」

「その魔素っていうのは、結局何なんだ?」

「うん、そうね……。例えば水とか火を生み出す素材ね。基本的なものは、熱、水、風、土の4つの属性からなる『第1魔素』。そしてその発展形の『第2魔素』。例えば“熱”が第1だとすると、“火”とか第1に追随するものが第2魔素よ。第2魔素の分類とか他の魔素の種類とかは、もっとあるみたいだけどね」

 つらつらと語られる解説を聞き、エイドは困惑する。

「(何を言っているのか分からないな……)」

「平たく言えば、世界にある万物の素よ。まあ一般的に魔素は、結晶化しない限りは目に見えないけどね。でも、みんなこれを使って生活しているんだから」

 そう言うとリアは、卓上のランプをエイドに渡す。

「……なるほど」

 ランプの電球部分には黄色く透き通る石が嵌め込まれている。そしてランプにはコンセントは無く、スイッチを押すと水晶は光を灯す。それは完全に独立した物となっていた。

「これは、第2魔素“雷”の水晶ね。あとは……」


「外の方が分かりやすいか」

 そう言ったリアにエイドは、キナー診療所の外へと連れ出された。そして、村の中のあらゆる場所を案内しながら魔水晶と魔素について饒舌に話す。一方のエイドは何とか、その事柄について大まかに理解した。

「(様々な属性を持つ魔素は、人々の生活に使われている。魔素は魔水晶という石に含まれていて、電灯、水や空気の浄化、コンロ、農作業などの機械に嵌め込まれていたから……生活を築く道具のエネルギー、現代ならガソリンやガスに近いか)」

 2人は村を散策する。エイドは改めて村中を見回す。家は木造ながらも魔水晶が嵌め込まれた機械によって、生活水準はエイドの知る“現代”と同様のものとなっていた。しかし様々な色の魔水晶が村中で輝いていることが彼の目を惹く。

「(本当に……異世界みたいだ)」

 現代との時間的に陸続きであるが、知識にある歴史とは異なる世界。そしてやはり、エイドの知る現代と同じ水準でありながらも、生活基盤となるエネルギーでさえも異なるこの世界は、まさしく“異世界”であった。現代の名残はほとんど無に等しい。

「ところで、魔素は使っても無くならないのか?」

「もちろん有限だよ。ほらあそこ」

 リアが指し示した先には電灯があり、薄灰色にくすんだ水晶があった。やがて村人が現れ、それを取り替えると真新しい水晶に光が灯る。

「魔素が使われた(から)の魔水晶は、風化したあとに土に帰って次の魔水晶の構成物質の一部になるの。魔素の方は、魔素未満の微粒子になって空気中を漂って長い年月をかけてまた魔水晶になるのよ」

「へぇ、果てしないなぁ。でもなんだか(から)の魔水晶が勿体無くないか?折角結晶があるんだからアクセサリーとかに加工すればいいのにな」

「色は濁っているし、とっても脆いから(から)の魔水晶は加工品には向かないのよ。ま、大昔は(から)の魔水晶に空気中の魔素を注入してリサイクルしていたみたいなんだけど、500年前くらいに爆発的に増えた魔素と魔水晶でその能力を持った人も必要なくなって、ほとんどいなくなっちゃったからねー」

 リアは得意気に笑う。

「詳しいな。……ところで、リア。さっきから解説に熱が籠っていないか?」

「そりゃあ、私、遊学してますんで!学校には通ってはいないけど」

「研究者……いやオタクか?」

「オタクじゃないわよ!ちょっと、ちょーっと、この島にある遺跡に興味があるだけ!大昔に使われた魔素っていうのがあって、その形跡がここにあるらしいの!」

「つまり……魔素オタク?」

「せめて研究者って言って?! ……コホン。ともかく、魔素は世界にありふれているけれど、その起源は謎なのよ。だから、それだけで調べる価値があるってことよ」

「へぇ」

「少しは興味を持ちなさいよ!……あ、そういえば!」

「どうした?」

「言い忘れていたのだけれど、君が入っていたカプセル?に色んな荷物が入っていたわよ。何なのか分からないから置いてきちゃったけど」

「(あの時、何か持っていた記憶はないんだが……)」

「とりあえず、そこに行ってみる?まだ陽も高いし」

「それじゃあ行こうかな。案内を頼めるか?」

「了解!」


 森の中にある村を出て、人工の道を外れた獣道を暫く歩く。草木を掻き分けて進むとやがて、左右が岩に囲まれた砂浜に出た。熱帯特有の透明な海が砂浜に波打つ。

「ほら、あそこ」

 彼女が指差すその先に、豊かな自然には分不相応な人工物がそこにはあった。焼け跡と乾いた血で黒くなり、その入り口がひしゃげて開いている脱出ポッド。淡く輝く自然の中にある黒色が異質さを放っていた。その物体を見てエイドは茫然とした。「実は自分は死んでいて、ここが天国なのかもしれない」そんな考えと、あの地獄での出来事が頭に過った。

「早く来なよー」

 リアの声にエイドはハッとする。リアは臆せずに横倒しのポッドの上に乗っていた。エイドは彼女の元へと走る。


「何なのか分からないって言っていたものに、よく簡単に触れるなぁ」

「占星で『退屈じゃなくなる』って出たからね。なんでもアタックするようにしているのよ」

「アタックして砕けたら意味はないけどな……っと、何も起こらないと思うけど」

 エイドはポッドの扉に触れる。ガコンと扉が外れて砂浜に落ちた。

「あー、もうダメみたいね」

 リアが扉を見ながら言う傍らで、エイドは中を覗き込む。光が差し込み明瞭となったその中には、幾つかの物が入っていた。エイドは中へと飛び込む。

「(そういえば()はいつだろうか)」

 エイドには情報記録帯での航海の記憶があった。その確証を得るために救援時のアンカー用に取り付けられていたビーコンを起動する。 ピコンという音とともに【 B.C.90✕✕】と表示された。

「(……1万年以上前?!それにしては栄えすぎている。やっぱりビーコンも壊れたのか?)」

「エイド?」

 ポッドの入り口からリアが呼び掛ける。これを聞いたエイドはポッドに入っていた物をかき集めて外に戻った。

「よいしょっと」

 砂浜にそれらを広げる。備え付けの食料や飲料、救急キットが入った箱。スマートフォンや筆記用具などの学校で使っていたエイドの私物。そして、布に巻かれた何か。

「結構色んな物が入っていたね。あ、スマートフォン何て持ってたんだ」

「知っているのか?」

「うん、私も持ってるよ」

 リアは、ポケットからスマートフォンを取り出し、それは確かにエイドのものと同じ形をしていた。ディスプレイにもしっかりと写し出されている。

「それ、電源入るの?」

「ん……入るけど、あまり使えなさそうだな」

 アプリやインターネットサービスは全て息をしていなかった。

「(ただ、保存している写真とかは無事なようだな……)」

 エイドはその事を知り、安心した。自身が知っている物事との唯一の繋がりだったからだ。

「ところで、その布の塊は何?」

「俺も分からないんだよな」

 エイドはそう言いながら布を剥がしていく。何重にも巻かれたそれは、次第に細くなっていき、やがて中身が現れる。 ―― 警棒と赤い石のネックレス。あの時に関するもの。エイドの手は小さく震えた。

「……ヒサ兄ぃ」

「エイド?」

「何でもない。村に戻ろう」

 ポットにあった荷物を持って村へと歩きだした。来た道を辿る。ただそれだけのことではあったが、エイドの足取りは重い。鬱屈とした暑さも身体に粘りつく。

「――ストップ!」

 リアがエイドを静止させる。虫がさざめく中、鳥が羽ばたく音が響く。そしてその中に茂みが揺れる音が鳴る。

  ガサッ ガサッ

   ドスッ ドスッ

 エイド達に段々とそれは近づく。茂みが揺れる音と重なるように足音が響く。リアは腰に提げていた刺突用の短剣(ジャマダハル)を構えた。それを見てエイドも手に持っていた警棒をつられて構える。

  グルルルル

 ――唸り声。それが聞こえたのと同時に影がエイドを捕らえる。

「(豹……?いや違う)」

 エイドが持つ警棒を押さえたその前足は爬虫類のような鱗を纏っている。

「なんだコイツは!」

 押し返すと獣は、翻り着地する。それと同時に2匹目の獣が現れた。方舟での獣との遭遇がエイドの頭を過るが、このような生物は見聞きしたこともなかった。

「スラグトカスっていう魔獣!魔素を纏っているから気をつけて!」

 リアが短剣をスラグトカスに向けて持ち手を強く握ると剣先から風の刃が放たれ、1匹の魔獣の首を捉える。魔獣は鮮血を吹き出して倒れた。

「うっ……」

 生物から溢れ出す生々しい血を見て、エイドはとっさに口を押さえた。その隙をついた魔獣は風の鎧を纏い、エイドに飛びかかる。

「エイド!」

 疾風の如く動く獣の爪がエイドの身体を掠める。スラグトカスは身体を翻してリアに飛びかかった。彼女は短剣でそれをいなして獣の猛攻を捌き、隙をついて突き立てようとするが、刃がその身体に弾かれる。

「こうなったら……!!」

 リアは飛んで魔獣から離れ、短剣を地面に突き立てて持ち手の引き金を引く。

「弾けて!」

 錨のようになった短剣の刃が槍のように尖った岩と共に、魔獣の足元から飛び出す。しかし、風をまとった魔獣の速さには追いつかなかった。

「っ……!これ、私の短剣(これ)じゃダメっぽい!エイド、隙を作るからソレで殴って、風を解いて!」

 改めて生物と対峙したエイドは、生き物を殴ることを躊躇する。戦闘訓練を受けていたとはいえ、抵抗感を感じていた。方舟では、非常事態であり咄嗟にとった行動だったからできたことでもあった。

「殺らなきゃ殺られるだけよ!」

 リアが叫ぶ。

「(リアの言う通りだ。やらなければ、この世界(ここ)では、生きていけない……!)」

「いくわよ!」

 リアは突き立てた短剣を鍵のように回すと、刃先とチェーンは地面を縫うように跳ねた。そして彼女は短剣を勢いよく引くと、土は耕され、魔獣は柔らかくなった土に足を取られた。その瞬間、魔獣の風の鎧が揺らいだ。

「ダアァッ」

 警棒が、魔獣の頭に直撃する。ガンッと鈍い音と共に、獣の短い悲痛な鳴き声が響き渡る。

「ナイス!」

 そう言うとリアは、地面から引き抜いた刺突短剣を魔獣へと向け、持ち手の引き金を引く。刃先は風の鎧が解けたスラグトカスの頚部を抉った。断末魔は無く、獣はそのまま地面に崩れ落ちた。

「はぁ……はぁ……」

 エイドは慣れないソレに疲れを感じた。殴った感覚が、悲痛な鳴き声が頭の中にこびりついていた。

「大丈夫?」

「うん……なんとか」

「それなら、いいけど。慣れていないんだね。こういうの」

「獣に襲われるなんてことが無かったから」

「そうなの?もしかして君、帝都出身?」

「……帝都出身ではないよ」

「ふぅん、よっぽど平穏で大きい都市にいたのね」

「そう言うリアは慣れているみたいだが……」

「ま、旅をしているしね。実家も帝都から離れていたし」

 そう言いながらリアは獣が倒れた場所で屈み、動きを止めて暫く何かを待つ。

「どうした?」

「待ってるのよ。あ、ほら。()()()()()

 スラグトカスの死骸が毛先の方から黒い塵となって空へと霧散しはじめ、やがて10センチほどの紫色の鉱石だけが残った。

「消えた……」

「魔獣はね、私たちが普段使っている魔素とは違う、純粋魔素っていう特別な魔素で構成されている生物なの。だから死ぬと身体は霧散して、心臓部分の魔水晶だけが残る」

 獣の消滅を見届けたリアは紫の魔水晶を拾い上げた。

「で、旅人は主にこれを売って資金源に当てるの。純粋魔素は色んな魔素に加工できるんだって。帝国ってすごいよね」

 魔水晶はエイドに手渡された。輪郭に近づくほど透明感が増す。それを、エイドは様々な角度から眺め、感嘆の息を溢した。

「それ、君の取り分ね。村にも買い取り屋があるから、換金して宿代にでも当てなさい」

「おお、それは助かる!」

「でしょ?そうと決まれば、早速村に戻りましょ」

2人は、茂みを掻き分けながら村へと戻った。


「はぇー、結構な金になるんだな……」

「今回のは大きめだったからね。ま、魔素の需要は高いし、討伐も命懸けだからね」

「まぁ、そうなるのか」

 エイドに渡された魔水晶は、5万()()()となり、その金は島にある唯一の宿の1室を借りるのには十分だった。余った硬貨の入ったずだ袋を持ち、エイドはその重さを堪能する。

「さて……エイド。診療所で話したこと覚えてる?」

「……。なんのことだ?」

「むっ、とぼけないでよ。私を手伝ってよね」

「……はぁ、わかった。それで?何をすればいいんだ」

「私の研究調査なんだけど……うーん、詳しくは後で!」

「なんでさ」

「いいでしょ!それよりも今は装備を整えなきゃ!被服屋さんに雑貨屋さん、行くところは沢山。行くよ」

「あ、おい」

 エイド達は村の奥へと歩みを進めた。住居の他にもあらゆる店が建ち、離島の村にしてはやや広く、足元には整理された土の道がある。そしてその視界の中に自分が着ている服が入った。

「そうだ、そういえばリア。この服のことなんだけど」

「あぁ、それね。君をここに運んだ時に村の被服屋の店主さんがくれたの。『余った布地で作った試作品だから』って。あ、着替えはキナー先生がやったよ!私は何もしていないから!」

「お、おう。そうか、うん。そう言うことなら、その服屋の店主にお礼を伝えたいな」

「それもそうね。……と、丁度そのお店についたよ!失礼しまーす。おばちゃんいる?」

 店のドアを開けるとカランコロンと鈴が鳴る。すると、店の奥から女店主が現れた。彼女はにっかりと口を広げた。

「あら、リアちゃん!今朝ぶりねぇ。そっちの男の子は……もしかして朝の?目が覚めたの?」

「うん、そうそう。ほらエイド。こっちに来なよ」

「こんにちは。えっとリアから聞きました。エイドと言います。この服、ありがとうございます」

「あらぁ、良いのよぉ。サイズがピッタリで良かったわ。それよりも身体は大丈夫かしら?」

「はい、大丈夫です。ところで服のお代ですが」

「いいの、いいの!試作品だから。あ、着心地はどうかしら?感想だけ教えて?」

「軽くて動きやすいかなと。あとは……そうですね、結構丈夫なような?」

「そう?それならよかった!最近、男衆が軽くて動きやすいのがいい、って言うから試作してみたの」

「そ、そうですか」

 衣服屋の女将のとめどなく流れるトークに、エイドは思わず1歩引く。女将はデザインについても語りはじめた。

「それでね、とりあえず若い男の子用につくったんだけど、老若男女それぞれのデザインも閃いちゃって」

「あ、おばさん!今は買い物に来たの。エイド……彼のトレジャーバックなんだけど、あるかな」

「あら、そうなの?冒険者旅人用のものならあるわ。ちょっと待っててね」

 店主はカウンター裏の棚を漁り、奥から1つの小さなバックを取り出す。ベルトがついた腰に巻くタイプのものだった。

「ゴメンなさいねぇ。めったに旅人なんて来ないから、古い型のしか無かったわ」

「いえいえ、これでいいですよ。それじゃエイド。これ必要だから買ってね」

「う、分かった」

 急な購入を促されることに、困惑しながらもそれを購入した。

「はい、お代はいただいたわ。お買い上げありがとう」

「いえ、ありがとうございます。ところでコレ、今つけても?」

「もちろんよ」

 エイドはトレジャーバックを腰に巻きながらベルトを調節する。一方のリアは、カウンターの裏におかれる布地を見ていた。

「ねえ、ね。おばさん。この布は何に使うの?売り物じゃないみたいだけど」

「それ?5日後のお祭りに婦人会で人形とその服を売るのよ」

 その声は、小さな店内では十分すぎる声だった。

「もしよかったら、寄っていってね。オマケするから」

 店主は大声で笑う。とても楽しそうなその姿にエイドとリアは微笑んだ。

「ん、これでよし」

 エイドはバックを身につけるとリアに合図した。

「また来るね!」

 店を後にしたエイド達は、村の中心へとやって来た。円形に開かれた広場は、人々で賑わっていた。さらに簡易的な吊りランタンが飾られ、中央には丸太が組まれている。

「さっきの店主(ひと)も言っていたけど……結構大きい祭りなんだな」

「うん。レスリコ村に来る前に調べたんだけど、島にある遺跡に関係した祭りみたい」

「遺跡か。……なあ、もしかして『普段は入れないけど祭の時だけ入れる』ってやつじゃないだろうな」

 リアの『ビンゴ』と言わんばかりの表情に、エイドは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「あのな、手伝うって言ったが流石に盗掘はモゴッ」

 リアはエイドの口を力強げ手で塞ぐ。

「何を言ってるのかなぁ?そんなことしないって。さ、今日のところはお開きにして、明日は山方向に行くよ」

「……もご、モゴッガ(わかった)

「よろしい。では解散」


 翌日、天気は晴れ。乾いた暑さがエイドらの肌を焼く。リアはエイドの腕を引きながら村を出て、海へと続く道とは逆方向の森の奥地へと歩く。獣道ほどではないが、整備された土の道の形が辛うじて分かる程度のものだった。

「確か、この方角よね……」

 リアは地図を片手に歩く。

「なあリア。そろそろ何をするのか教えてくれないか?それにどこに向かっているんだよ」

 パッとエイドの腕は離された。リアはキョロキョロと辺りを見回す。

「うん。村から大分離れたし、大丈夫でしょう。歩きながら説明するから着いてきて」

 リアは奥へ歩き出しエイドも彼女の後を追う。土の道を被う草花の中をひたすらに進んだ。

「私はね、魔素について研究してるの。具体的には惑星(ほし)と魔素の研究ね。魔素は今となっては当たり前のもので組成も解明されているけど、()()()()()()()()()()()()。それでね、父さんが旅をしていた時のことを話してくれたんだ。地球(ほし)を創っている、今ある魔素の大元となる魔水晶が暴走を起こして、それを止める話。明らかに作り話なんだけどさ、それでも、身近なのに遠い存在なのが不思議で、面白くて。だから私はコレを研究しよう思ったんだ」

「星と魔素、ね。……それでこれから行くところは、その研究に役立つのか?」

「うん。基本4分類の魔素の起源について語られている壁画があるみたいなの。でも伝承によると、ここは全く関係の無い土地なんだけど、管理している()()も立ち入り禁止にしている。これって絶対何かあると思わない?」

「だから、侵入するって?」

「うん。そしてもう1つ」

 リアはレンズを取り出した。硬貨サイズのがある二枚貝のような特徴的な形だ。

「レンズ?」

「ううん、どちらかというと望遠鏡。変な形だけど、昔から私の家にあったものだよ。……ねぇ、エイドは星読みって知ってる?」

「占星術みたいな?」

「正確には星を観て何となく言葉が視えるって感じだから少し違うかな。それで『近いうちに厄災で地球が滅びる』ってものだったの。それも私が研究と旅をするきっかけなんだ」

「それって当たるのか?占いなんて五分五分くらいだろ?」

「まあ、確率は10分の1くらいだけど、何となくこれは当たるって分かることがあって、君が流れ着いたときも『変革』って出たから気がついたんだけど……。そうだ、昨日の結果は確か……」

 その時、風が吹き抜け、木々がざわめき、木葉の隙間から鳥達が一斉に羽ばたいた。

「頭上の果実に注意!」

「頭上の果実ってなん痛ダッ!」

 リアが「危ない」と言うには遅すぎた。エイドの頭にココナッツが当たった。幸いとして比較的高くない位置から落ちたのだろう、軽傷で済んだ。

「これで信じる?」

「……外れてほしかったよ。というか占いというよりも予言じゃないか。……それで、それをどうするんだ?」

「丁度4日後のお祭りの日に動くと吉と出たわ。その時に遺跡が開かれるというのも調査済み」

「なるほど、絶好のチャンスってことね。ちなみにその吉とやらは確実の方?」

「うん……細かいのは靄で見えなかったんだけど……あ、見てあそこ!」

 彼女が指す先には、開けた空間とその中に鎮座する遺跡があった。岩で造られた巨大な遺跡は、周囲を木々で囲い隠されるように、さりとて権威を誇示するような、まるで自然が奉られている風貌をしている。

「思った以上に大きいわね」

「おい、リア」

「ん?どしたの?」

「何でここに連れてきた?」

「何でって、侵入して調査をするための下見よ。どこが入り口かとかする必要あるでしょ?」

「勝手に入るのはマズイんじゃ……?」

「なんか言った?」

「……コホン、いやなんでもナイデース。それにしても、なんだかピラミッドを思い出すな」

「ぴらみ……?」

「ん?あ、あぁ、気にしないでくれ(ピラミッドというものは無い…のか)」

「そう?気になるけど、まあ良いわ。それじゃ早速、入り口を探してみますか!」

 リアは足元の茂みを踏み込み、遺跡がある開けた土地へと足を伸ばした。

「っ……ちょっと待て!」

 エイドは小さい声で叫び、リアの腕を引っ張る。リアは茂みの中へと倒れた。

「痛いじゃない!」

「伏せろ。石柱のところに誰かいるぞ」

「えぇ?……あ、ホントだ」

 遺跡の前にそびえる石柱の下に人が数人立っている。

「(ここからあそこまでは遠い。幸いリアには気がつかなかったみたいだな)」

 エイドは内心ホッとした。エイドにとって推定立ち入り禁止の場所であったため、人と出くわす訳にはいかないためだ。

「流石に遠いわね……どれどれ?」

リアは茂みの中からレンズを覗く。

「それ、用途合っているのか?」

「うーんまあ望遠鏡だし……え、なんでキナー先生がいるの」

「ちょっと借りてもいいか?」

 エイドはリアから手渡されたレンズを手に取り、覗くと武装をした兵士2人と黒髪の男が見えた。彼らはキナーと何やら会話をしている。そして、キナーと相対する2人の白い服の上に纏う武装に“マイアトス”のロゴマークが見えた。

「……確かにキナーさんだな。マイアトスの連中と繋がっていたのか」

「帝国の人もいるの!?これはかなり興味深いことになったわね」

「!」

 その時だった。マイアトスの2人の間に立つ者が、エイド達のいる方向に振り返ったのだ。顔を向けたのはその一瞬だったが見知った顔を理解するには十分だった。ヒュッとエイドの喉が鳴る。十数年の付き合いである彼の顔を間違えるはずがない。そしてそうであることは方舟での事件で分かりきっていた。それでも、方舟を沈めた敵対組織の中に彼がいることを否定したい気持ちがあった。

「あ、ヤバいこっちに来る」

 リアはエイドを茂みの奥へと追いやり、木の裏へと隠れた。マイアトスの兵士達はエイド達がいた場所へと近づいてくる。

 黒髪の男の顔を間近で見たことで、エイドは確信した。

「なんで……ヒサ兄ぃがマイアトスにいるんだよ」

 ボソリと空に消え入るその声に、男は立ち止まり振り返った。

「どうかなさいましたか?ディアプレペス様」

 彼の横を歩いていた兵士風の男が、肩越しに覗く。

「……はぁ、その名前は慣れないな。公の場じゃなければ“時定(トキサダ)”で良い」

「は、かしこまりました。トキサダ様」

「……ただの野生動物だろう。行くぞ」

「はい!」

 3人は、村へと続く道を歩き去っていく。彼らが見えなくなったことを確認するのと同時に息を吐いた。

「危なかったぁ」

「……すまん」

「ホントよ……」

「あ、待て。キナーさんがまだ」

 2人は遺跡の方に視線を向ける。しかしそこには、草原と遺跡があるばかりで、人影は無かった。

「いったい何処に……。帝国の人とここで何をしていたんだろう」

「その、帝国ってのは何だ?」

「マイアトス帝国だよ。最も豊かで、魔素研究の中枢。世界を牛耳っているといってもいいわね。そんなことも覚えていないの?」

「(やっぱり、話しておくべきだな……)」

「オレは記憶喪失というわけではないんだ。……信じられないと思うが聞いてくれ」

 エイドは、リアに自身に起こった事を掻いつまみながら話した。その話を聞きながらリアは、考え込むように口元に手を当てる。

「信じられない、よな。未来から来たなんて」

「……ううん、信じるよ」

「え?」

 考えもしなかったその解答にエイドは驚きと共に拍子抜けた。自身でも飲み込めていないこの状況を彼女は、真っ直ぐな瞳で見つめ返す。戸惑う彼にリアは言った。

「時間移動なんて話は世界の何処にでもあるし、もちろん私の故郷にもある。それに、その方が今日のエイドの行動と辻褄が合うもの」

「リア……」

「それになにより、その方が面白いからね!」

「おい」

「それじゃ遺跡をちょっと調査して戻りましょ」

「――あぁ、そうだな」

 遺跡の入口は石柱の立つ面にあり、そこはやはり固く閉ざされていた。扉を開ける術も現段階では、彼等に無い。調査を終えた2人は、魔獣を討伐しながら村へと戻った。


 祭りの日が訪れた。

 それはいつ始まったかは不明だが、伝統のある祭りだと島の住民は言う。村の中心にある円形の広場には吊るされた電灯の下に屋台が建つ。人々は豊穣と安寧を祝い騒ぐ。それがこの祭りでの規則だった。

「あら、エイドちゃん!」

「(ちゃん……?)」

 その言葉に振り返ったエイドの視線の先にいたのは、被服屋の女店主だった。彼女は自身の露店から手を振っていた。

「どうしたんですか?」

「ごめんなさいね。目に入ったからつい声をかけちゃったわぁ!」

 店主は大きく笑った。

「まあまあ、とりあえず何かの縁ってことで見ていって」

 店先にはぬいぐるみとそれ用の衣服がある。その他にも小さなアクセサリーなども並べられていた。

「う、ん。色々あるんですね」

「(参ったな……服はヒサ兄ぃのお下がりがほとんどだったから、よく分からない)」

 エイドは愛想笑いをしていると、店主が口を開いた。

「ところで1人?リアちゃんはどうしたの?」

「そうですね。そんなところです」

「あらぁ、そうなの。あの()の元気な姿を見て、張り切ってつくったから見て欲しかったのだけれど……」

「!」

 残念そうに言う店主からホロリと涙が溢れた。突然の出来事に彼女は戸惑う。

「あ、あら?どうしたのかしら。いやぁね歳かしら。なんだかここ数年、心にポッカリと穴が空いた感じがしてね……」

「……」

 エイドは胸が締め付けられるように感じた。もちろん、島や店主の過去を知らない彼だが、似たような感覚をつい最近覚えたためである。その時、固まってしまった空気を割くように鼓の音が1回、2回と鳴る。それは、村の中央に人々の注目を集めた。

「エイドちゃん。丁度演舞がはじまるわ。見てらっしゃい。本当にごめんなさいね、お構いできなくて」

「……いえ、大丈夫です。……お大事に」

 去る瞬間も店主が涙を溢していることを感じながらもエイドは太鼓が鳴る中央の広場へと足を向けた。

 中央では演舞が行われ、大蛇と牡牛を各々模した衣装を纏う者がその戦を顕す。エイドは屋台で売りに出ていた串焼きを食べながら、それを観た。

「(なんで蛇と牛なんだろう……?後でリアでも聞いてみるか)」

 大蛇が噛みつき、牛は徐々に動きを鈍らせる。やがて倒れた牛に蛇は巻き付き、その巨躯を飲み込もうと蛇は口を開く。そして演舞に当てられていた電灯の光が消え、光が戻ると舞台上には蛇だけが残っていた。その瞬間、拍手が起こる。

「(蛇が生き残るのか)」

 エイドは、その演舞を(つい)に理解することができなかった。演舞の余韻に浸っていると村の鐘がなり、午後9時となったことが告げられる。鐘の音と共にエイドは、遺跡へと繋がる村の門へと向かった。

「(リアと別行動をして2時間か……。)」


 時は遡り、同日の朝のこと。エイドはリアに叩き起こされた。

「朝……早い」

「この時間じゃないと、村の人に聞かれるかもしれないからね!」

 時間にして朝の4時半だった。寝ぼけ眼を擦り、まだ起動したばかりの脳で聴覚情報を処理をする。

「今日、お祭りなのは伝えたよね?ざっくり言うと私の作戦は【祭の騒ぎに乗じて遺跡に乗り込もう作戦】!」

「そのままだな」

「いいじゃない、分かりやすくて!……コホン。祭の終盤に祭司と付人だけが捧げ物を持って遺跡に入る。それに乗じた作戦ね」

「なるほどな。だが、遺跡方面の入り口は1つだ。直ぐに見つかるんじゃないか?」

「そうね。祭の終盤……夜9時の鐘を合図に島の神様に祈りを行って、その後に運ぶ。そこは下調べしたから安心して」

「つまり、鐘が鳴ったらオレたちは遺跡方向の門の外側で隠れて、祭司達が来たらその後をつけながら侵入するってことか?」

「そゆこと。でも私達は別行動にしよう。1人の方が目立ちにくいし」

「分かった。じゃあ9時の鐘が鳴ったら門で待ち合わせということで」



 遺跡方向の道へと繋がる門へとエイドはたどり着いた。しかし、そこには祭のために開け放たれた門と暗い森だけがあった。

「まだ来てないのか?」

 辺りを見回すが、やはり人の気配など無く、風が門を吹き抜ける。

 ソワソワと落ち着かない様子のエイドを余所に、リアは一向に姿を見せなかった。そんな時、風の音に混じって遠くから笛と太鼓の音がエイドの元へとやってきた。

「ッチ……先に来たか」

 エイドは、門を出た直ぐ側の茂みへと身を隠した。祭り囃子と土を踏む音が、松明の光が徐々に近づいてくることが空気を通してエイドへと伝わり、不安と緊張から彼の心音が高鳴る。やがて、顔を布で隠した伝統衣装の人々が門から現れ、エイドの前を横切る。彼らは松明や楽器の他に、白い布で覆われた荷物が乗る御輿を担いで、ゆっくりと遺跡の方向へと進んでいった。

 エイドは彼らが離れたところで気づかれないように、こっそりと茂みから這い出る。

「リア……何かあったのか……?」

 エイドには、リアが約束の時間に遅れてくるような性格には見えなかった。ましてや彼女にとって遺跡調査とは重要なことであると知っていたからだ。

「(村に戻るべきか……)」

 そう考えた時、月明かりのみが照らす森の道でキラリとエイドの足元で光る。エイドはそれを拾い上げた。

「これは……」

 リアが持っていたレンズだった。二枚貝のように重なったレンズをスライドして覗く。空を見上げれば、とても遠い星々が普通のルーペとは比較にならないほどはっきりとレンズに写る。

「何でこんなところに……いや、まさか」

 エイドはレンズを閉じてバッグへとしまい、遺跡の方へと去った一向の後を追った。



***                    ***



 月の光さえ届かない遺跡の内部。松明の光が切石で造られた牢屋の前に佇む1人の男を照らす。

「もうすぐですじゃ。もうすぐで満たされる……」

 島にある村で唯一の医師であるナティオ・キナーは、空の牢屋の前で傷んだ本をめくる。そこに白い布で包まれた物体を担いだ数人が歩いてくる。キナーは彼らを一瞥して、牢屋の戸を開けた。白い布の物体は牢屋の中に放り込まれる。布越しに「ぐふっ」と女の声がする。

「目が覚めたようじゃな?リア・トゥール」

 キナーが布を剥がすと、手足が拘束され猿轡を噛まされたリアが顕になった。リアが鋭く睨むとキナーは嘲笑した。

「んぐぐ!」

「はっ、なんて滑稽なのでしょうですじゃ!どれ、その喚きを聞いておこうか」

 キナーが猿轡を弛めるとリアは激昂した。

「あんた、こんなことをして許されるとでも思ってるの!!」

「ハハハ、今さらですじゃ。許されるとでも思っておらぬ。だが、その心配はない。ホレ」

 キナーは、布で顔を覆った者達に指で合図を送る。すると、彼らはゆっくりと布を捲った。

「なんで……」

 そこには、リアの見知った顔があった。宿屋のオーナー、青果店の女性、漁師の青年、そして服屋の女店主がそこに立っていた。彼らは、リアが村に訪れた時から仲良くなった者達でもあった。

「なんで、こんなことを……!」

「……」

 ――無言だった。彼らは無表情で、生気の無い濁った目でリアを見つめる。

 リアは奥歯を噛み締めた。

「カハハ、憎いでしょう?悔しいでしょう?信じていた人々から裏切られた気分はどうですじゃ?」

「……したの」

「はて?」

「この人達に何をしたの!」

「何を?ただ協力していただいているだけですじゃ」

 リアの目が刹那的に、村人たちが纏う瘴気を捉える。

「毒……いえ、洗脳の魔素ね」

「ふぅむ、貴様は魔素の流れが見えるのか。ふふ……クカカ!良い!魔利きの眼の小娘か!贄として申し分ないですじゃ!」

 笑いが落ち着くとキナーは村人達に合図を送った。村人達は布を下ろし、廊下を歩き去って行く。キナーは牢屋を出てその戸に鍵をかけた。

「儀式までおとなしくしておるのじゃ」

「……」

 歩き去るキナーの背中をリアは睨み続け、彼の姿が見えなくなったところで、半身を起こし、辺りを見回す。

「窓も抜け道もない、か。……!」

 視界の端で対面する牢屋の中で何かが動いた。しかし松明の光は乏しく、対面する房内であっても、何者かが分からなかった。

 パチリ、と静かな廊下に松明の火の粉が弾ける。

「……ほ……いよ」

 か細い声がリアの耳に入る。その声は弱々しくて消え入りそうな、声変わり前の少年の声だった。

「君、大丈夫?!」

「あき、ら……めたほう、が、いい……よ」

 廊下に風が通り、火が揺らめいた。

 目を凝らしてようやく、対面する声の主をリアは見ることができた。少年の身体と服は、檻で隔てられても分かるほど傷だらけだった。彼は両膝を立て抱え込み、目線だけを上げながら光の無い、ひたすらに黒い目でリアを見つめている。

「君は?」

「ウルル、だよ。でも、ここでは、名前の、意味なんて、ない。お姉さんも、諦めた方がいいよ。みんな、生贄。でも死んでいない。生きているけど、死んでる」

 少年は彼の隣の牢屋を指した。そちらにリアが視線を向けると、やはり暗がりに誰かがいるようだった。辛うじて見える顔と腕は骨と皮だけになっており、髪の毛はボサボサで、目はやはり虚ろ。そんな年端もいかない子供が見える。それも1人2人ではない。10人もの様々な年齢の若者が捕らえられていた。

「ひどい……」

「僕は、去年来た。最初の人は5年前。その人は、もう寝たきり。……ぼく、も、あんな風に、なるのかな」

 少年は声を抑えながら泣く。年端もいかない少年が恐れ戦くのも無理はない。リアでさえ、この状況は異様で得体の知れない恐怖を感じていた。

「(こんな時、どうしたら良いの……)」

「……きっと、大丈夫。星の巡りは良い方向に向かってるから。お姉さんを信じて」

 少年はリアを見た。涙はまだ流れていたが、一時的にでも止まりそうになっていたのを見て、リアは微笑んだ。



***                     ***



「(あれからどれくらい経っただろう。何をしても拘束が解けない。脱出の糸口がない……。そうだ、短剣(ナイフ)!……もないか。さすがに取られちゃっているわよね……)」

 リアは対面する牢を見る。ウルルは俯いてブルブルと震えている。

「(早く、早くなんとかしないと)」


「元気かのぅ。リア・トゥール」

「……戻ってきたのね」

 鉄格子を隔てて嗤うキナーをリアは睨みつける。

「さっきの……あの人達はどうしたの」

「んー?あぁ、さっきの奴らか。生きたまま村に返したですじゃ。手駒を壊すなぞありえんだろう。まあ、お前さんを自分達が連れてきたことに気がつかないまま忘れる。お前さんの存在ごとな」

「……。(はじめから、いなかったことにするつもりなの?)」

「これは、その子の方が良く分かっとるじゃろうよ。のう?ウルル」

 ウルルはその言葉にビクリと肩を揺らした。そして、抱えていた膝を一層力強く抱え、顔を埋める。

「こやつは、活発で、母を慕い、時には店を手伝う。年齢の垣根を越えた友も多い。そんな子供じゃった。

 キナーの口角が上がり、歪む。

「そんな子供を実の母と此奴のお友達が、貴様を連れてきた。そして無情にもウルルにさえ気がつかぬまま、村に戻った。あぁ、なんて酷い方々なのじゃろう!」

「……なんてことを」

「くくっ……ハハハハハ!」

 キナーの高笑いが遺跡中に響き渡る。そして彼は、リアの牢へと顔を寄せた。

「ここに身よりの無い生け贄(きさま)が来て手間が省けて助かっておりますじゃ。そして、孤独の中で、生を、自由を諦めるのじゃ」

「……」

 キッとリアはキナーを睨んだ。

「おおぅ、怖い怖い。最近の若者は怖いですじゃ」

「……」

 リアは、ゆっくりと立ち上がり、1歩、2歩とキナーへと近づく。

 その時、キナーは再び口角を上げて、杖で地面をつついた。

「……!」

 2メートルを越える茨が牢の床から生える。

  バシィィン

 リアの背中に鈍痛と引き裂かれるような刺痛が襲い、鮮血が飛ぶ。

「ア、アぁ、うぐぅ」

 さらに口角を上げたキナーの顔は、元の顔の形が分からなくなるほど歪んでいた。

「すまんのぅ。ある程度、心も身体も弱らせる必要があるのですじゃ。あぁ、若者にこんな苦痛を味あわせるなど、つらいのぅ」

 ヨヨヨと袖で口元を隠す。そして、もう一撃リアの身体に鞭のような茨が打たれた。

「うぁっ、ぐぅ」

  バシン バシンと乾いた音がフロア中に響き渡る。音が鳴り響く度に身を屈め震わせるウルルを見ながらキナーは言う。

「貴様もこうなりたくなかったら、大人しく言うことを聞くですじゃ」

 リアの体には生傷が増えていく。やがて彼女は痛みで朦朧としていく意識の中でラッパのような1輪の花を見た。



 動かなくなった彼女を見てキナーは叫ぶ。

「やっとこの時が来た!ククク、我が願いは成就されるじゃ。……さて、祭壇へと向かうとするかのぅ。生け贄はその使命を全うしているですじゃ」

 軽い足取りで去っていく靴音が響き渡る。甲高い耳鳴りの中でウルルの微かなすすり泣く声を聞いたリアは、口を強く結んだ。

「(ウルル、ごめん……)」



***                     ***



「痛ってぇ!」

 遺跡の天井から、瓦礫と共にエイドは落下した。古い遺跡は祭で奉られている割には脆く、床や壁の隙間から生える草花を崩れた天井から覗く月だけがそれらを照らしている。

 エイドは、脱出ポットから持ってきていた工具ポーチを弄り、小型の懐中電灯を取り出す。本来は舟の作業で使うものだ。舟の技術者を任命されて良かったと彼はこの時に初めて感じた。スイッチを入れると細長い光が溢れる。

「(よかった。電池は生きているな)」

 エイドは月以外の光源の無い廊下を壁と懐中電灯の細い光を頼りに足を進めた。遺跡に反響する1つの足音が、寝静まっているためか近くに生き物がいないことを告げる。植物だけが生きる廊下に少し不気味さを感じていた。

「(それにしても、思ったより暑いな……)」

 脱出ポットが打ち上げられた海岸に続く道中で感じたことを思い出す。やはりここは熱帯の地域なのだ。だから蒸し暑い。そのように正当化して納得することで、これを和らげようとした。漂う湿気が冷や汗と共に彼の身体を這い、足取りを重くする。しかし、彼の連れ去られたリアを助けなければならないという意志が足を進める。そして、下の階へと繋がる階段を見つけた。

 エイドは息を飲み、階段へと踏み入れる。階段に生えた苔に足をとられそうになりながらも、地下の階層の床へと足を置き、額の汗を拭った。

「それにしても……」

 エイドは辺りを見回す。

「草が多いな」

 天井からは壁を這うように青々とした蔦と花が、床の割れ目からは低木や草が生い茂る。地上の階層よりも多く、異様な光景に陽の光が通らないこの空間で植物が育つだろうか。と考えながら暑さでぼぅっとしながらも腰ほどの背丈の草を、取り出した警棒で掻き分ける。

「うわ、なんだこれ」

 拳ほどの大きさの蕾をもつ植物が草の中に佇んでいる。どことなく気味の悪さを感じたエイドはそれに触れないように草を避けて先を急いだ。


 その後ろで貝のように開いた蕾から彼の背中を追う目がギョロリと1輪開いていた。



「ふぅ……ようやく抜けたか」

 “ようやく”というほどの道ではないが、それほどエイドは体力を削られていた。

「(おっと……道が)」

 草の道は土の道へと変わった。エイドは足音に注意をはらいながらも警棒を持つ手に力を込め、神経を尖らせる。そして曲がり角へと辿り着き背中を壁に押し付ける。

 1人の老いた男の声が聞こえる。

「そろそろ頃合いですな……」

 いくつもの錠が開く音とともに「ついてきなされ」と男は言う。そして土を踏みしめる音が廊下に反響しながら遠ざかっていく。それを確認したエイドは、角からその方向を覗いた。

「(あいつは…キナー……!それに……)」

 エイドは奥歯を噛み締める。ボロボロの服を着た痩せこけた子供たちが、そして満身創痍のリアがキナーの後をついていく。

「(なんで、なんで着いていくんだ。……いや、様子がおかしい)」

 キナーの後に続く者たちは、操り人形のように不確かな足取りで、しかし確かにキナーの後ろを歩んでいる。彼らがさらに奥にある曲がり角に姿を消したところで、エイドは隠れていた場所から身を出した。

 開け放たれた空の牢屋に目をやると、やはりそこにも植物が茂っていた。床に、壁に、天井に生える蔦と白いラッパ状の花。生い茂る青々とした葉に赤くて丸い木の実。これに知識が疎いエイドでも多種多様な植物が入り乱れていることが一目で分かった。そして、彼は1つのことに気がついた。

「(土の廊下には植物は生えていないのに、牢屋の中だけなんでこんなことになっているんだ……?日光の無いこんな地下で……)」

「……」

 エイドは首を横に振り、考え込むことを止めた。

「今はこんなことをしている場合じゃない。何か嫌な予感がする」

 静かな廊下の床を踏みしめて、エイドはキナー達が向かった牢の続く静かな廊下を抜けて階段を下る。そして、下った先の重々しい鉄扉を開けた。


 ――そこはあまりにも“遺跡”というイメージからはかけ離れた場所だった。

 壁画が残る壁と土の天井、そして中央には大量の水が張られた貯水槽、古より遺されたものの中で、異質にも新しい、山のように積み上がった(から)の魔水晶や、鉄板で雑に舗装された床、その上に鎮座する機械とそこから伸びるケーブルで繋がれた10個の簡素な檻がそこにはあった。それぞれの檻の中にはキナーの後を追っていた者たちが力なく倒れており、その中には傷だらけでグッタリとしたリアもいた。

 エイドは駆け出した。

「リア!」

「ん……うん……」

 呼び声に応えるかのようなリアの小さな声を聞き、エイドは胸を撫で下ろす。


「探しものは見つかりましたかのぅ?」


 エイドは身を躱す。彼が立っていた場所の隣にはキナーが立っており、微笑みをエイドへと向けている。その笑みにエイドは鳥肌が立った。

「儂はこの古の跡を見回りに来ただけですじゃ。どうやら虫が1匹入り込んだようで……」

 エイドはキナーを睨む。

「ふむ。なぜお主は、しがない村医者1人になにを怖がっているのですじゃ?」

 キナーはエイドに指先を向けてクンッと曲げると、彼の指輪に嵌まる緑の石が煌めいた。

「――っ」

 エイドは後方へと飛び退く。彼が先ほどまで立っていたところには、鋭く尖った木の根のようなものが針山のように飛び出していた。

「……やはりただのガキではない、か」

 キナーが手を振り下ろす。根っこが地面へと潜り、そして床を穿ちながら、エイドの方へと伸びる。硬い根に見えたそれは、しなやかな鞭のようになり、エイドを襲う。

「フッ、ハァッ!……ウグッ」

 エイドは下げていた警棒を取り出してこれを払うも、1つ1つが重い打撃を放つ根に、腕がしびれを起こす。しかし、一瞬の猶予すら与えず2撃目、3撃目とエイドを襲う。


 脇腹に一撃、根が薙いだ。

「ハッ、ハァッハッ……ウガァッ」

 エイドは軽々と飛ばされ、壁に背中から打ち付けられる。

「なるほど……戦闘能力はそれなりだが、実経験はなしってところですかな」

 ゆっくりと、キナーはエイドに歩み寄る。キヒヒと声を漏らしながら。衝撃で身体が怯んでしまったエイドの指先に色のついた石の破片が転げ落ちた。視線だけ横に向けると、壁に描かれた絵の一部が写った。

「その壁画に興味がおありで?よろしい。最期に聞かせてやるですじゃ」

 キナーは言った。歯を強く噛み締め睨むエイドを他所にキナーは語る。

「――太陽の遺跡。それがこの遺跡の呼び名ですじゃ」


 昔々、とはいってもたかが600年ほど前のこと。世界に『ニンゲン』という生き物が出現して間もないころ。世界は4つの魔水晶に支配されていた。

 生命の源であり大いなる母である水の大魔水晶(ティアマト)

 生命を育み、生活圏を創る地の大魔水晶(タイタン)

 生命のエネルギーで荒々しくも見守る火の大魔水晶(ロキ)

 生命を包み、大気を循環させ毒気を分散する風の大魔水晶(スサノオ)

 それら大魔水晶は均衡し、あらゆる生物に秩序をもたらしたことから、神と崇められるようになった。――しかし、だ。悲しきかな機構(システム)とは予想外の出来事で狂ってしまうものだ。海は荒れ、火は猛り、大地は不毛となり、大気は濁り、イキモノも凶暴なものへと変わっていったそうな。

 ニンゲンも独自の進化を遂げ、道具や技術を生み出すが、やはり自然には敵わないもので徐々に端へと追いやられた。そのニンゲン達の中でも何とか抗おうとした青年がいた。

 彼は特異だった。神と同じく魔素を操ることができたのだから。そんな青年は仲間からは忌避されていたとされている。

 ある日のこと。時の彼方から現れた来訪者と現地の青年は出会う。彼らは世界を元に戻すべく旅に出たその先で、聖なる星の魂を見つけた。彼らはそれを“陽”と呼び、浄化の力を借り得て機構を正し、機構を狂わせた元凶を封印した。英雄となった彼らは再度このようなことの無いよう、各地の地表に星の分御霊(わけみたま)を置いた。それは太陽石と呼ばれ今も世界を均衡に保っている。そしてこの旅の始まりの地に建てられた太陽の遺跡には、少年が浄化と封印する際に使った“太陽の剣”が納められた。


「――というのがこの壁画と、そして儂の研究結果(こたえ)ですじゃ」

 恍惚の表情を浮かべたキナーは、壁画に指を這わせた。

「……それで、お前は何で子供達を……リアを痛めつけた」

「世界を救うため、と言ったらどうですじゃ?」

「世界を……救う?」

元凶(あくま)の封印が解けてきている――それが帝国研究機関の出した答えですじゃ。解き放たれてしまったら……分かるじゃろ?そのために帝国は太陽石(星の魂)太陽の剣(封印の鍵)を集めるために、研究者であった儂を派遣した」

「帝国……(あの時のキナーは、見間違いじゃなかったのか)」

「……しかし、厄介なことに太陽の剣は遺跡の下、水の大魔水晶(ティアマト)の中にあるのですじゃ。その封印を解くためには多くの魔素が必要なのじゃよ」

「魔素が必要?それなら魔獣や大気中から採取する方法があるだろ、生贄は必要ないはずだ!」

「必要だとも!」

 キナーの荒々しい声が反響すると同時に床に亀裂が走り、隆起する。亀裂からは新たな植物が生え、鞭のようにしなる幹がエイドの横腹を抉るように薙ぐ。

「ぐぁああっ!」

「儂は貴様と同じ未来から来た。滅亡の前日の世界、儂の全てを奪い去った世界、あぁ、憎い、憎い!」

 怒号に呼応するように蔓が、根が、葉が、エイドを襲う。

「それに比べてこの世界は、素晴らしい。エネルギーが循環していて無駄がない。完璧な永久機関だ。『時を遡りあの滅亡の根元を切除する』。……ただの夢物語しか思えない帝国の計画に儂は乗って正解でしたじゃ。偶々派遣されたこの遺跡で、世界に魔素の流れを、永久機構を創った歴史を知った」

 キナーはエイドの前に立ち、見下す。

「だがしかし!この島の連中はどうだ!剣の保管の責務を怠り、遺跡は荒れ、歴史を忘れ去る!……これではまた壁画にある厄災が降りかかるじゃろうて」

 キナーは腕を上げる。

「剣への道に必要な魔素は十分ですじゃ。貴様はいらぬ」

彼の腕が下ろされた。凶器となった植物が一斉にエイドに襲いかかる。

「がぁぁぁぁ!」

 鞭に打たれるような乾いた音とともに警棒が宙を舞い、エイドは膝をつく。

「おやぁ、もう終わりですかな」

 巨大な植物の葉に乗ったキナーは、人差し指と中指を上に向ける。 蔦はゆっくりとエイドの手足を捕らえ、持ち上げた。

「困るのぅ。最近の若者は元気が過ぎるわい。まずは大人しくしてもらおう」

 エイドの眼前に1輪の花が咲く。花はエイドを見つめ、粉を撒いた。

「ぐふっ、げほっ……うぅ」

 それを吸い込んだエイドは脱力し、操り人形のように吊るされた。

「安心せい。貴様も有効に使ってやろう。ただ、あの小僧らより前に、直接贄になってもらうがな」

 蔦がエイドを水場の真上に運ぶ。

「なぁに、身体が魔素となって溶けていくだけじゃよ。安らかに、ゆっくりとな」

 エイドの身体は中央の水場に軽々と放り投げられた。身体の自由が奪われた彼はなす術もなく、人形のように背面から床下へと落ちる。水飛沫が上がり、暗く冷たい水に沈む。霞む視界で葉の上で嗤いながら見下ろすキナーの姿を見ながら。


***                     ***


 暗い、暗い海の中。光が遥か遠くに遠ざかる。しかし怖さを感じない。冷たいのに暖かい。コポコポと口から溢れる泡が昇って弾ける。いや、口からだけではない。身体中から気泡が流れていく。じわりじわりと身体が細かく、泡となって溶けていく。彼に痛みは無く、むしろ安堵感があった。そしてキナーとの戦いで傷付いた重い体が、水が、弾ける泡の音が彼を眠りに誘う「あぁ、オレは死ぬのか」と唇を動かした。焦りはなく身を委ねる。

 目蓋を閉じ、開き、閉じる。これを繰り返した時、小さく光る泡が彼の目の前に現れた。


『――ト』


 エイドの頭の中に誰かの響く。

『ティアマト、これを頼む』

 若々しい男の声。鯨の鳴き声ように重くて、泡のように消え行く儚い声。不思議と騒々しくなく、子守唄のように彼を包み込む。やがてエイドの目の前に光る泡が溢れ、ぼんやりとした像を写し出した。像の中の男は、両手で剣を差し出している。

『これ、は?』

 今度は女のような高い声。“ティアマト”という者だろうか。彼女の姿は霧のようにぼんやりとして、エイドには分からなかった。

『太陽の剣。いずれ来るだろう常闇を晴らす生命の星。だから、破壊されるわけにはいかないんだ』

『――なぜワタシなのです』

『終わりとはじまりの船の話を知っているか?』

『いいえ』

『……1つの昔話だ。世界が混沌に包まれたとき、地は割け、大気が渦巻き、炎はあらゆる命を焼いて、やがて世界は荒れる海に飲まれた』

 男の語りを“ティアマト”は静かに聞いていた。エイドも自然とそれに耳を傾ける。

『しかし、ある助言で巨大な舟をつくり、それに乗り込んだ船乗りの青年が家族と番の動物たちだけが、嵐の中生き延びた。7日が経ち水が引いて太陽が現れ、新たな生き物の時代がはじまった――という話』

『……よくわかりません』

『だよな、俺にもわからん!……けどな。遥か未来から来た奴らが目の前に現れて、一緒に旅をして、知ったんだ。それはこれから起きるんだって』

『その者が未来から来たのなら、生物の滅亡はないのでは?』

『――いいや、そうじゃない。本当の意味での全滅ってやつだ。さっきの物語のように生き残りなんていりゃしない。この星に生きた者がいたって痕跡すら残らない未来』

『……』

『だから、せめてもその物語のような滅亡を避けなければならない』

『……わかりました。大海の女神、ここに誓いましょう。世界に翳りが見え、貴方のような英雄が現れる時までこれを守り続けましょう』

『ありがとう。よろしく頼むよ』

 男は剣を高く掲げた。


  ――ぐにゃり


「――っ!」

 船の上で酔ったような感覚がエイドを襲い、視界が歪む。まるで渦を巻くように世界が回った。徐々にその光景は遠ざかっていき、エイドを包んでいた光も弱くなっていく。彼は暗くて冷たい海の底へと放り出された。そして彼は、すがるように離れていく光にてを伸ばして、太陽のように暖かく、明るい“ソレ”を掴んだ。


「ふん……呆気ない」

 エイドが沈んでから1分が経過していた。キナーは水場を背にし、広い空間で1つの足音が響く中で、不適に笑う。

「これで……これで、ようやく我が願望が叶う」

 キナーは、その喜びに身を震わせた。そしてエイドの乱入によりオフにしていた機械のスイッチに手を掛ける。


 ――その時だった。ザパンと、高く水飛沫があがったのは。



***                     ***



 突然高くあがった水飛沫の音。それにキナーは振り返る。ーー遺跡の中央の水場。確かに彼は生き物を溶かす海の底へと落ちていった。それなのに――

「なぜ……なぜ貴様は生きている!」

 水の大魔水晶(ティアマト)をも研究し尽くした彼にとっては予想外のことだった。大海(かのじょ)は魔素を吸収するという特性を持ち、封印にはその魔素を利用している。一方で大海に触れることで生き物を魔素に変換させるという特性も併せ持っていた。自然にまかせたままでは封印が解かれることはないが、大海の一度の許容量にも限界があり、それが大海の封印を解く鍵となる。

 ――だからこそ、効率よく子供を生かして魔素を取り出し、不要となっていた魔水晶を利用した蓄電池へと保管していた。

「それにその剣は、……おのれぇ」

 エイドは()()()()()()()を床に突き、ゆらりと立ち上がった。そして構える。キナーはフンと鼻を鳴らし、手を前に挙げ、再び巨大な蔓を呼び寄せた。

 エイドは“剣”を知らなかった。精々メンダプラで警棒術を修得した程度でむしろ銃器の扱いの方が慣れていた。しかし彼が手にする剣が、身体の運びを促す。

 駆け出し、襲いくる蔓を錐のような根を切り伏せる。

「チィッ……相性が悪いか、なれば!」

 キナーが腕を振るうと地面の隙間から枝が伸びる。その先から花が咲き乱れ、胞子が走るエイドの身体を包んだ。

「邪、魔、だぁああ!!」

 エイドが剣を握る手に力を込めると彼のネックレスの小さな石が光を放ち、光は彼の身体を伝って剣へと宿る。剣先から太陽のように猛る炎を帯びて枝葉ごと胞子を焼き払った。

「貴様、その首飾りは……!太陽石か……!!」


 ついにキナーの前に踏み込む。

「だぁぁぁぁあ!!!!」


 燃え盛る剣を振り下ろしたエイドの背後でキナーが倒れる。


 ――やがて炎は消え、ただの剣へと戻った。


「フゥー」


 エイドはふらつく足を剣を杖代わりにして支え、リアがいる牢の扉の南京錠を剣の柄で叩くと、ゴトッと鈍く重い音とともにそれは床に落下した。焦点が合わない目でそれを確認



 エイドは目を開けた。眼前には夜明けの淡い青空が広がっていた。するとリアの顔が彼を覗き込んだ。

「起きた!エイド聞こえる?大丈夫?!」

「……あぁ」

「はぁ良かった……このまま目を覚まさなかったらどうしようかと思ったよ」

「オレはなんで外に……、あ……うぐっ」

 全身にズキリと鋭い痛みが走る。意識がはっきりしたことで思い出したことがあった。

「あの後……キナーは、皆はどうなった」

「キナーは分からない。私が起きた時にはもう……。でも、ほらあそこ」

 リアの指が差す方向には、地面に布が敷かれた簡易的なキャンプが設けられていた。収容されていた子ども達が大人に付き添われながら、キナーとは別の白衣を着た人物が彼らの世話をしていた。

「子ども達は全員無事よ」

「よかった……」

「それよりもビックリしたんだから。目を覚ましたら君は意識無いしボロボロだし、遺跡も瓦礫だらけ。私も力が入らなくてどうすればいいか分からなくて怖かったんだから」

「それは……ゴメン」

 リアの身体には処置を受けた跡があった。エイドの脳裏に彼女が遺跡の奥底へと連れられる情景が過り、視線を落とす。

「そうだ!それでね、途方に暮れていたんだけど、あの時……偵察に来た時にいた帝国の人達が来て、皆を外まで運んでくれたんだ」

「あの時……ヒサ兄ぃ?……っ」

 エイドは飛び起き、再び鋭い痛みが走る。

「あ、ダメだよ。手当てしてもらったばかりなんだから。あの人達なら、村の人と入れ違いに撤退したみたい。知り合い……なんだっけ?腰に片刃の剣?みたいなを差した黒髪の人。統率を取っていたみたいだけど」

「うん……オレの兄みたいな人で、そしてメンダプラ(かぞく)を裏切って壊した奴だ」

「……」

 リアの手は空を彷徨う。

「アイツ……何をしたいんだよ。オレを殺そうとしたり、助けたり」

「……どう、なんだろうね」


 日が登る午前8時頃。村からやってきた農作物の収穫用の馬車に怪我人を乗せて、村へと運んだ。村に着くと、囚われていた子ども達は、新たにやって来た医者によって精密検査が行われた。最低限の食事による栄養失調、いくつかのすり傷や打撲痕、長期に渡る幽閉による精神喪失、そして機微の記憶喪失があり、しばらくの療養生活を言い渡された。幸いにもどの症状も今後の生活に支障はなく、記憶喪失に至っては些細な記憶に加えて幽閉されていた時の一部の記憶が欠如しているのみであった。

 やがて子ども達は、療養所で家族達と再会をした。ウルルも枯れきった涙を流し、被服屋の店主(ははおや)と抱擁を交わした。これを見てエイドとリアはキナーの毒から快復したことを知り、胸を撫で下ろした。

 その日から1週間、祭りが続いたことは言うまでもない。



***                     ***



 遺跡を脱して1週間が過ぎた昼下がりの宿屋にて、食事処のテーブルをエイドとリアは囲んでいた。

「あ、そうだ。はいこれ」

 エイドは机上に二枚貝のようなレンズを置く。リアが連れ去られた日に拾ったものだ。リアの目が輝く。

「これ、無くしたと思ってた!……はぁ、よかった。どこにあったの?」

()()()拾って、少し壊れていたから修理したんだ。返すのを遅れて悪かった」

 リアは確かめるように、レンズをいじる。

「……何か特別ものなのか?」

「ううん。パパから貰ったんだけど、どこにでも売ってるものって聞いたよ。あ、でも自分用にカスタムしているからそういう意味だと特別なもの、かも?」

「自分用に、調整」

「うん。本来は望遠レンズなんだけど、私は占いに使っているんだ。なんでか得意なんだよね、昔から」

「望遠レンズで占いを?」

 本来とは異なる使い方に、エイドは不思議がった。

「そ。星読みについては前も言ってたよね。このレンズを通して星を視ると、私にはギューンって感じになった後に、何があったかとか何が起こるとかが分かるんだよね。もちろん不鮮明のときとかもあるけど」

「それは前にも言っていたな。そうだ、遺跡に入るのは吉ってのは外れていたけど」

「あれは靄もあって……うぅ、ごめんなさい、危ない目に合わせて。何なのかなぁ、前は外れることはなかったのに……」

「ま、気にするな、捕まってた全員助けることができたし」

2人が話していると、宿屋のオーナーがトーストサンドイッチとそれぞれが注文した飲料を彼らの前に置く。エイドは腹の虫を抑えながらサンドイッチを手に持った。

「……ねぇ、エイドはこれからどうするの?」

「んぇ、どうした急に」

 突然のリアの発言に昼食のサンドイッチを頬張っていたエイドは噎せながら答える。

「君と会ってから1週間、色々あったけれど……君は行く宛も帰る所もないじゃない?だからどうするのかなって」

「うーん、まだ決まっていない……正直、まだ整理がついていないんだ。そういうリアは?」

「私?私は明日経つつもり。遺跡もあーなっちゃったし、そろそろ次のところに行かないとね」

「あー」

 遺跡は崩落や、キナーが残した魔素植物と機械の危険性から、暫くは立ち入り禁止となった。しかし、ことの顛末を知った村人達は遺跡の内部を修復をはじめた。エイド達の後ろで、島へとやってきた学者達が古い資料とノートを広げながら唸っている。診療所に残されていたキナーの研究ノートを見て、早速遺跡調査に向かった学者たちによって、隠し部屋が発見されたようだった。そこにも古い資料や文献、そしてリアのナイフが置かれており、はじめは考古資料として回収されたが後日、リアが直談判をして返却された。この一方でカラル島民は村の観光資源にしようと躍起になった。今後は古い習わしを研究し現代風に再現する研究をはじめたと村長からエイド達は聞いていた。

 コーヒーや紅茶の匂いに混じり、インクの匂いが彼らの鼻をくすぐる。

「……なぁ、リア。オレも旅に着いていっていいか?」

「え、なんで」

「研究テーマは魔素の起源だったよな」

「うーん、魔素全体って感じだけど……大体はそうね」

「キナーが言っていたんだ『大昔に暴走した4つ大魔水晶を封じた力があった。それが“陽”の魔素』って」

 キナーの語った話と遺跡での出来事、そして太陽石と剣について。リアは終始静かに聞いていた。

「キナーの反応から、このネックレスの石が太陽石みたいだ……リア?」

「……4つの大魔水晶に、陽の魔素、か。おとぎ話の中でしか聞いたことがない」

 エイドは口を結ぶ。彼の話が夢物語のようなものであることは彼自身分かっていた。そもそもこの世界(時代)にやって来て間もない人間の言うことなぞ信じられるものでもない。しかし、リアは口角を上げた。

「……でも最高。そんなおとぎ話を現実のものとして研究できるだけでも良いじゃない!いいわ、一緒に旅をしよう。この世界案内してあげる!」

「よかった……。ありがとう」


「いいの、いいの。癪だけどキナーの研究は本物みたいだし、夢物語の力を持った人(研究対象)が現にいるんだから研究しないわけにいかないでしょ」

「待て。研究対象ってなんだ」

「あはは、冗談よ冗談。ほら早速、船の予約に行きましょ」

「お、おい」

「そうだ、さっきの『祭りの日に遺跡に潜入すると吉』ってやつ、やっぱり正しかったみたい!」

 リアはエイドの腕を引っ張り宿屋の外へと連れ出す。コーヒーやお茶、インクの匂いがかき混ぜられ、再びロビーはそれらに包まれた。



***                     ***



 エイド達が遺跡を脱してから5日後。


 ――マイアトス帝国 城内


 白磁の巨大な長テーブルを囲む14の席。水晶が置かれる1つの席を除き、マイアトスの重役が座っていた。そして羊の席に座る女が言う。

「――については以上。次にカラル島、ウトゥ遺跡の一件について報告なさい」

「では、まずは俺から」

魚の席(ディアプレペス)のヒサメ・トキサダが口を開いた。

「現地調査の結果、ウトゥ遺跡の管理、研究に当たっていたキナー博士の独断の行動により、遺跡の一部が倒壊、納められていた太陽の剣は行方知れずとなっております。また、博士の太陽石と水の大魔水晶に関する研究資料は回収し、国内研究班に回しております」

「うん、ご苦労様。あらかた理解したわ。キナー博士は……科学省生物研究科所属……管轄はカネス姉弟ね」

「アタシじゃないでーす」

「はァい、ボクでェす」

 双子の席の片方に座る白衣の青年が手を上げる。

「ほんともォ、マジ疲れたよ。何で勝手にコウドウするのかなァ」

「……ロトス、要点を早急に」

 双子の第1席(ガデイロス)が淡々と述べ、ロトスと呼ばれた青年双子の第2席(エウメロス)は「ヘイヘイ」と返し続ける。

「えー結論から言いますとォ、生死不明、行方不明、分からないことだらけ。調査官によると遺跡の地下にキナーとかいうヤツの血液があったみたい。なので殉職という形にしましたァ」

「双子の第2席、エウメロス。適当すぎでは?指揮下にある者であれば徹底的に対処することを推奨します」

 機械人形、天秤の席(アンペレス)は問う。

「いいんだよ。どうでもいい奴はソレで。それよりもボクにはオモシロイ研究があるんだから、そっち優先」

「……」

 それ以上のことを天秤の席(アンペレス)は何も言わなかった。彼女は彼に何をいっても無駄であるという結果を算出したためである。

「フム……今回の一件、大方承知した。では次、現在の魔素研究の進捗はどうなっている」

 大男の牛の席(エウエノル)が乙女の席にある水晶を見ながら話す。30秒の沈黙が議場に広まった。しかし水晶は何ら変化も起こらない。

「ふん、今回も欠席かい。しかも今回は皇帝陛下の言葉にも応えないときた。だらしがないねぇ。ペットは来ていると言うのに」

 と老婆の蠍の席(アトラウス)

「誰がペットだ。誰かさんの小言がウルセェから今回は連絡用水晶を持ってきてやったろ。あの人は研究で忙しい()っていたから、出られなくても仕方ねぇだろ」

 獣の耳と尻尾を持つ男、獅子の席(ムネセウス)が吠える。

「フゥ……仔犬の頃から知っているが飼い主に似るもんだ」

「ハ、テメェこそ、その陰湿さが優秀なお弟子様に移ったんじゃねーの?……おっと」

(やじり)獅子の席(ムネセウス)の首に突きつけられる。

 彼の背後に矢を握った青年が構えていた。

「それ以上は言わないでください。手が滑ってしまう」

獅子の席(ムネセウス)は「な?」と言うような顔で蠍の席(アトラウス)を見るが、何も言わない彼女の反応を見て、つまらなそうに鼻をならして振り返り、青年に言う。

「神殺しの毒、悪くはない。が、俺にはそれは効かねぇし、そんな貧相な武器じゃあ傷つけることさえ不可能だ」

「ッチ」

 射手の席(アウトクトン)は矢を下ろして自身の席へと戻った。それを見て獅子の席(ムネセウス)はニヤニヤと笑う。

『……はぁ、フォ……いいえ、獅子の席(ムネセウス)。面倒ごとを増やさないでちょうだい』

「!」

 乙女の席の水晶から女の声が発せられた。獅子の席(ムネセウス)は「お前が言うのか」と言うように顔をしかめた。

『遅れて悪かったわね、陛下。乙女の席(エウアイモン)、ここに参上したわ。大方そちらの状況は把握済みよ。さて、魔素の方だけど……そうね……1週間ほど前の時間の揺らぎから、大気濃度は数十倍、地中の魔水晶に含む魔素も以前の数百倍の含有量になった。ふふ、まるで歴史が置き換わったみたい』

「フム、なるほど」

『陛下が知りたいのはこっちかしらね。その1、今回の減少による生命や世界そのものへの影響は理論通り皆無。その2、従来からある魔素に加えて純粋魔素からの変換分と此度の分で、少なくとも5,000年分のエネルギー資産は保証されている――以上よ。これで陛下は満足したかしら?』

「……」

『そう、それじゃ失礼』

  プツリ

 水晶の声は音とともに消えた。議場の誰かが「はぁ」とため息をつく。

「ふふ、相変わらず彼女は流れる水のようですね」

「いつもどおり、ですな」

 乙女の席(魔女)が現れた後の緊張した空気の中で水瓶の席(アザエス)山羊の席(ネプトゥヌス)が口を開いた。そして無関心そうに皇帝は息を吐く。

「他には……無いようだな。それでは此度は以上とする。みな、集まってくれたことを感謝する」

「……それでは、次回は1月後に。それから獅子の席(ムネセウス)、次は乙女の席(エウアイモン)に出席するようにと伝えておきなさい」

 羊の席の女が言うと獅子の席(ムネセウス)は生返事で応えた。これを皮切りに、次々と参加者は議場を後にした。


「あ、そうだ。ヒサミン、ヒサミン」

 他の者達と同様に議場を出ようとしたヒサメに蟹の席にいた少女が呼び止めた。

「なんだ、蟹の席(エラシッポス)

「異称なんて、つれな~い。……まァ、いいけど。ふと思ったの、()()()()()はどうだった?はじめてだったよね、見るの」

「――あまり気持ちのいいものではない、というのが率直な感想だ。新しい世界というが、潰した果物みたいなもんだろ、アレ」

「あっはは!ズバッと言うね。うんうん、君にとっては知らない世界だけど知っているものがうっすらとあって絶妙な違和感がある感じになるよね。でも大丈夫、時間が解決してくれるよ」

 すると、通りがかった蛇の席(メストール)がボソリと呟く。

「ヒヒ、それは僕も。異世界転生(タイムトラベル)して俺ツエー展開!とはならなかったんだよね……ハァ、現実ツラ……」

「蛇君のは何か違うかな」

「ヒェッ急に冷静にならないで」

 蛇の席(メストール)はさらにフードを深く被ってそそくさと去っていった。

「ま、あまり思いを馳せない方がいいよー。無くなった世界を考えても仕方のないことだから」

 蟹の席(エラシッポス)はケラケラと笑いながら、少年の後を追うように議場を出ていく。

「ああ」

 ヒサメは彼女らの背中に返答をした。閉まる扉にその声が遮られたかどうかは彼には分からない。


「……チッ」


 誰もいなくなった議場の壁をドンと殴りつける音だけが響いた。

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