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5.悪戯な魔女の躾


 ホールから出てジェイドが連れて来られたのは、ソファやテーブルが置いてあるだけの殺風景な部屋だった。賑やかなホール会場の音が微かに届く室内は、閉め切られたカーテンの隙間から夜の闇が顔を覗かせている。

 吸血鬼ばかりが集まる屋敷だと聞いたあとでは、所々年季を感じさせる内装に不気味さが漂う。


 ロベリアはゆったりとした動作でソファに腰を下ろすと、ドアの前に佇んでいるジェイドを見て首を傾げた。


「ジェイド、なにをしているの。こっちへ来なさい」


「この部屋、勝手に入っていいのか?」


「大丈夫よ、休憩用に開放されている部屋だから」


「へえ」と気のない返事をして、ジェイドはトラウザーズのポケットに両手を入れたままソファのひじ掛けに軽く腰掛けた。


「手を見せて。治してあげるわ」


「……別にいい。この程度なら舐めてりゃ治る」


 右手の傷を確認して垂れ落ちる血を舐めて見せると、ロベリアは「あら、そう」と含み笑いをして頷いた。


「よかったわ、それなら簡単ね」


 魅惑的に目を細めたロベリアは、訝しげに首を傾けるジェイドの手を掴んで自分の方へと引き寄せる。

 なに、とジェイドが疑問を投げる前に、ロベリアの濡れた舌が指先の傷口から浮き出る血をゆっくりと舐めとった。

 呆気にとられて目を丸くするジェイドにはお構いなしに、ロベリアは躊躇いなくジェイドの指を口に含み、溢れる血をちゅうっと吸い上げる。血を辿る柔らかい舌が手のひらの傷口をなぞると、痺れるような微かな痛みにジェイドは眉を寄せた。


「ロベリア……、なにしてんの……」


「見て分かるでしょ、舐めてるのよ。貴方がこれで治るって言うから」


「……なんか、エロいんだけど」


 伏せた長い睫を見下ろしながらジェイドが呟くと、ロベリアはおかしそうに鼻先で笑った。彼女の赤い舌はジェイドの指の間に付着した血まで丁寧に舐めとり、そっと目をあげる。


「どの辺が?」


 上目での問い掛けに、ジェイドの頬に薄っすら赤みが差した。もしもロベリアが吸血鬼であれば、全身の血を一滴残らず吸い付くされても構わないと思えただろう。

 ロベリアの唇が触れるたびに妙な気分が押し寄せ、ジェイドは空いている左手で目元を覆い隠すと、観念したように顔を伏せた。


「ロベリア、もういい……つから」


 生理現象を素直に口にすれば、ロベリアが小さく笑うのが息遣いで分かった。

 これだけで? と言われているような気がして、ジェイドは左手を口元まで下ろして恨めしげにロベリアを見る。


「ふふ、そんな目で見たって、そっちは舐めてあげないわよ」


「……俺は舐められるより舐めたいんだけど」


 機嫌を損ねて呟くジェイドに、今度はロベリアが目を丸くした。ジェイドの欲の向かう先が自分であることに気付いて、くすくすと肩を揺らして笑い出す。


「貴方のそういう素直なところが、私は好きよ」


 柔らかく微笑んだロベリアは、ジェイドの手を両手で包み込んだ。肌の温度とは違う熱がジェイドの手を温めると、感じていた痛みが消えていく。

 ロベリアが手を離したときには、ジェイドの手のひらにあった傷口は塞がり、血が止まっていた。


「傷を塞いだだけよ。もうわざと怪我をするのはやめなさい。貴方は私のものなんだから、その身体を勝手に傷付けてはだめよ」


 傷口の塞がった手をどこか残念そうに見たジェイドは、小さく息を吐いて頷いた。


「……善処する」



 ● ○ ●



 ロベリアとともにホール会場に戻ったジェイドは、いくつかの好奇に満ちた視線を向けられる以外は会場の空気が正常に戻っていることに気が付いた。先程自分の血の匂いによって充満した捕食者の殺気は、片付けられたグラス片と同様に綺麗に消えている。


 ロベリアが言うように、この会場内にいる吸血鬼は上品で紳士的な人間の皮を上手く被っているようだ。血の香りに誘われて暴れ出すものがいなかったのは、ジェイドにとっては少々期待外れである。騒動に乗じてこのパーティーをぶち壊してやろうと考えていたジェイドは、うんざりしたように息を吐いた。


「なぁ、ロベリア。いつまでここにいるつもりなんだ? 犯人の目ぼしが付いているなら、とっとと捕まえて帰ろう」


「焦らないのよ、ジェイド。せっかく来たんだから、貴方も楽しみなさい」


「楽しむって、なにを……」


 赤ワインの注がれたグラスをロベリアに差し出され、ジェイドは怪訝な顔で眉を顰めた。

 紛れ込んだ吸血鬼が何人もいるこの場所で、呑気に楽しんでいられるわけがない。


 ロベリアは考えるような素振りで視線を彷徨わせると、悪戯な笑みを浮かべた。


「一緒に踊ってみる? きっと楽しいわよ」


「ふざけてんのか、踊れるわけないだろ」


「あら、やだ。きちんと教えておくんだった。明日からダンスの特訓が必要みたいね」


 ロベリアの提案にジェイドは露骨に顔を歪めてみせると、手にしていたグラスのワインを呷った。揶揄われるのはいつものことだ。

 

「冗談よ、ジェイド。貴方、お腹空いているでしょう? あっちのテーブルに食事がたくさんあるわよ。お肉もあるから、好きなだけ食べなさい。飲んでばかりじゃだめよ」


「……全部食ってもいいのか?」


「ええ、もちろん。なくなればすぐに新しいものを用意してもらえるわ。私は少し離れるから、いい子で待っていて」


 飲みかけのワインをボーイに渡すロベリアを見て、ジェイドはすかさず彼女の腕を掴んだ。


「俺も行く」


「お化粧直しにいくだけよ。言わせないで」


 困ったように微笑んだロベリアは腕を掴むジェイドの手に触れる。

 吸血鬼の巣窟のような場所で彼女を一人にしたくはないが、トイレにまでついて行くわけにもいかない。ジェイドはしぶしぶロベリアの腕を離すと、名残惜しげに彼女の指先に触れた。


「なにかあったら呼んでくれ」


「そうするわ。心配性な私の可愛い人」


「……可愛いはやめろよ」


 ふて腐れるジェイドを見てロベリアは楽しそうに声をあげて笑うと、一人ホール会場を後にした。




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