Case2―Scene9 警察
〝やつ〟を追いかけて地下への階段を降りるため、最後の道路を渡ろうとしたときだった。大量のパトカーが荒木の道を塞ぐようにつめかけた。マイクロバスのような大型車もある。
それらの車から大勢の警察官がわらわらと降りてきた。盾の後ろから拳銃を構えている。機動隊もいるようだ。
『手を上げろ! 両手を見えるようにして頭の後ろに!』
警官達が周りの一般人を急いで退避させようとしている。ここまでの異常事態なのでさすがの日本人でも怯えた様子で従っているが、その目には恐怖というよりむしろ、好奇の色が爛爛と宿っていた。
辺りには騒然とした空気が漂っていたが、昔のような武骨なジュラルミンではなく、透明なポリカーボネート製の盾なので、どことなく間抜けな光景だった。
大体警察官の立ち振る舞いもなっていない。さっきの声の主はまだマシだったが、警官一人一人を見ても、本気で命のやり取りをしようという覚悟を持ったものはほとんどいなかった。
内心は、荒木は一切慌てていなかった。こんなイベント、かつては週に一度は経験していた。しかしそんなことは、今ひけらかしてもしょうがない。
「いやいやいやいや! 何ですか、一体! 僕が何したっていうんですか! 怖い怖い!」
その言葉を発するとともに、荒木は一気に腰の位置を下げた。足も軽く内股にする。両手を目の前でブンブンと振るいながら警察官の大群を見渡した。
警官もすぐには警戒を解かなかった。しかし、危険人物のオーラを完全に消していた荒木に次第に毒気を抜かれていき、お互いを目を見合わせはじめた。盾を構えた暴徒鎮圧体制を解いて、徐々に立ち上がる。
十数秒前に荒木に武装解除を勧告した男が荒木に近寄ってきた。拳銃はしまっていた。
「失礼。銃を所持しているという不審者の目撃情報があったので。申し訳ないが、身体検査をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「ああ、それならさっきそこを降りていった男かもしれないですね。随分慌てた様子でしたよ。あなた方はもしかしたら、一歩遅かったかもしれない」
それを聞いた後ろの警察官たちが、指示を受けて階段を降りていく。だが、その男は荒木から目を離そうとはしなかった。
「すみません。じゃあ、失礼しますね」
そのまま荒木の胴を検めようとする。
荒木はその手首を素早く掴んで捻り、ねじ伏せた。そのまま腕を反対に押し倒し、骨を真っ二つに折る。
その警官は悲鳴を上げることはしなかった。人間の中には、そういうタイプもいる。荒木はよくわかっていた。そういう人間は、咄嗟に唇を噛み締め、低くうなる。
そのおかげで、周りの警察官が異変に気付くまで少し間があった。荒木は腕を組み込んだまま半回転し、その勢いのまま、顔面が蒼白になっているその男を一番近くの警官に向かって投げ飛ばした。
バインダー片手に調書に記入している警官数人がもつれこんで一緒に倒れた。他の警察官達が慌てて近寄ってくる。
荒木は決して銃を抜くことはしなかった。日本では、こっちが武器を持たない限り、警察官に撃たれることはまずない。奴らは、荒木の肉体が並みの兵器以上の危険物であることを知らない。
「公務執行妨害だぞ!」
まるで独り言のような、こちらに対する勧告には一切聞こえない、とある警官の怒声を皮切りに数人の警官が盾をかざして突っ込んできた。
荒木は闘牛士のように素早く身体をひねって最初の一人をギリギリのタイミングで避けた。その警官の後ろに回り込み、あばらを狙ってボディーブローを打つ。一発だけなのに、骨が砕ける音がした。
「うがああーーー!」
その警官は、さっきの男とは対照的に大袈裟なまでの野太い悲鳴を上げて倒れた。
荒木は止まることなく、即座に後ろ回し蹴りを放って次に迫る警官の盾ごと押し倒した。荒木の長い脚が伸びる。後ろに続いていた警官ごと、ものの見事に吹き飛ばされた。
「やっぱりこいつだ! 間違いない!」
地下に降りていったはずの警官達も応援のために再び階段を駆け上がってきた。
ふん。〝やつ〟には思わぬ餞別になったがまあ良いだろう。最後にあいつの片を付けるのは警察じゃない。俺だ。
警官達は今度は荒木をぐるりと囲み、一気に押し寄せてきた。特殊警棒を持っている者もいる。凶悪犯を抑え込むための常套手段だ。
だが、荒木にはそんなものは通じない。蹴りで遠ざけておいて、一人ずつ確実に対処する。警棒を突き出してきた相手には盾を押しのけて頭に容赦ないハイキックを打ち込んでやった。
時間が経つにつれ、パトカーのサイレン音がどんどんと聞こえるようになった。荒木を囲む警察官の数もどんどん増えていく。
これだ。数の暴力。しかし荒木に特に焦りはなかった。今までずっと命のやり取りをしてきたのだ。銃を抜いていない人間がいくらいようと恐れるに足りない。
三十人ほどをそれぞれほぼ一撃で沈めてから、荒木は走り出した。あまりの勢いに、警官達が一斉に後ずさる。
荒木は一人の警官の盾を両手で掴んだ。地面を勢いよく蹴ってそのまま側転の要領で足を大きく上に振り上げる。
警察官の人垣を飛び越えて、荒木は一番近くのパトカーの側で着地した。
慌てたせいかエンジンがかかりっぱなしのその車に乗り込む。ドアなど閉める暇もなく、荒木はアクセルを踏み込んだ。
「あ、待て!」
警察官たちが必死の形相で車の前に立ちふさがる。だが荒木はアクセルをベタ踏みしたままだ。多くの男たちが下敷きになっていく。
車体をぼこぼこにへこませながら何台ものパトカーの隙間をこじ開けて、荒木の乗る車は東京の街並みに繰り出した。
***
甲高いサイレンの爆音が、後ろからいくつも聞こえてくる。
前を走る車を何台も避けながら、それでもスピードを落とさずにとばしていたが、最近めっきりバイクに慣れていたせいで、苛立ちが募る。
交差点で十数台のパトカーが左右から現れて、荒木の進行方法を塞いだ。もう二十メートルもない。
車を降りた警察官たちは拳銃を抜き、銃口を荒木の方に向けていた。
荒木はブレーキを踏もうとはしなかった。ギリギリまでアクセルを踏みながら、一瞬の間に扉を開け、車外に飛び出る。
受け身をとって転がったが、革ジャンを脱いだままだったので、むき出しの腕がずる剥けになった。しかしこんなことは慣れっこだった。
荒木はその程度で済んだが、荒木が乗っていたパトカーはもっとひどかった。
元々荒木と警官達のパトカーの間には車が一台走っていた。一般的な東京都内の道路を平均的な速度で走っていたその車は、目の前の警察官たちに驚いてその場に停車していたが、荒木の乗っていたパトカーがスピードを落とさないままその車に激突し、当たった側が跳ね上がった。
ドリルのように回転しながら、警官達の方に、荒木の乗っていたパトカーが飛んでいく。警察官たちは泡を食ったように逃げていった。
パトカーの群れの真ん中に車が落ちていき、巻き起こった爆発と、その後の火事の様子を見ることもなく荒木はその場を去った。