表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/61

その2 推しを生み出した人



「お姉さま、これ、次はいつ新刊が出るのかしら?」


 夕食も後片付けも、明日の準備も、ついでにお風呂も終えて、のんびりと過ごす夜。

 花音が橋本から借りている「花園のエトランゼ」を手に問いかけて来る。


「うーん、私はそういうことは詳しくないので、橋本さんに聞いてみますね」


「とっても面白かったってことも、伝えてくれる? 本当に素敵なお話しだったから!」


 真理愛は読むのが遅いので、花音が先に読み始めたのだが、よほど気に入ったのか、あっという間に花音は既刊七冊を読破してしまった。

 余談だが仲間外れは嫌だと花音に続いて読み始めた結弦も「これ面白ね」と気に入って読んでいる。

 真理愛は分からない言葉をスマホで調べたり、花音や結弦に聞いたりして読み進めているので、二人より大分遅れてしまっているがなんとか三巻までは読み終えていた。今はようやく四巻を手にしてる。


「ふふっ、ちゃんと伝えておきますね」


「あ! そうだ、感想をお手紙にしたらいいんだわ!」


 そう言って花音はソファを降りると部屋に行き、レターセットを持って帰って来た。テーブルの傍にぺたんと座り、真剣な顔で感想を書き始めた。

 それを横目に真理愛も漫画に視線を落とす。ちなみに結弦は恒例の長風呂だ。

 橋本が貸してくれた花園のエトランゼは、今流行りの異世界転生ものだ。

 どこにでもいる女子高校生の榎本百合が、聖女として異世界に呼び出されてしまう。現実世界の百合は病弱で、十七歳で病気のために他界してしまうのだが、その魂が聖女として異世界に呼び出されたのだ。

 百合は、リリーと名乗り、王家に保護されて王立の学園に通うことになる。病弱でほとんどを病院のベッドの上で過ごしていたリリーにとっては、なにもかもが新鮮で彼女は学園生活を謳歌する。

 リリーがヒロインなら、ヒーローは第一王子のカインで正統派のイケメン(と花音が言っていた)。正確はクールで物静かだが、胸の内には情熱を秘めている。

 カインは、王家主催の狩猟で訪れた花畑に突然現れたリリーに一目惚れしていて、保護した後も心を砕き、聖女と分かった後も不器用ながら彼女を支えている。リリーは心優しく純粋な少女で、周囲の期待に応えるべく、頑張っている。

 だが、それを面白く思わないのが、リリーが来るまでカインの婚約者候補だった令嬢たちだ(聖女が来たことで白紙に戻ったらしい)。リリーは彼女たちからの嫌がらせや意地悪を、今、私は健康体だし!という思考と数多の治療を乗り越えた持ち前の根性で跳ねのけて行くのだ。

 橋本が心酔しているリュディヴィーヌ・デ・メノーシェお姉様は、リリーたちより二つ上の最終学年の先輩だ。

 異国からの留学生で、確かに真理愛によく似ているのだ。

 すらりと背が高く、黒髪のロングヘアで分厚い前髪で顔はよく分からない。

 二人はリュディヴィーヌがリリーを助けたことで交流が始まる。非常に優秀な成績を収める彼女にリリーは勉強を教えてもらい、リュディヴィーヌもリリーを妹のように可愛がる、いわゆる姉妹のような関係になる。

 リュディヴィーヌは謎多き女性であまり他人と深く関わろうとはしない。それゆえ、周囲からは少し浮いているが、ある意味、異国の人間であるリリーとは仲良くなるのだ。

 そして彼女も真理愛と同じで男性に苦手意識があるらしい。


「…………ん?」


 真理愛は、ページをめくる手を止める。

 それは、リリーが偶然、リュディヴィーヌの秘密を知ってしまうシーンなのだが、なんと彼女も黒髪は魔法(があるファンタジー世界の設定だ)で、本来は輝く金髪に、菫色の瞳の美女だというのだ。


「……んんー?」


「どうしたの、お姉さま」


 唸る真理愛に花音が顔を上げた。


「……橋本さんが私のこの姿を知った時、泣きくずれていたの、覚えてますか?」


「ええ。お姉さまは実在したとかなんとか……でも、これを見ると確かに、お姉さまにそっくりよね! 色も大体同じだもの。こんな偶然ってあるのかしら?」


「それは僕も思ったよ」


 ドアの音や足音は聞こえていたので、上から降ってきた声に驚きはしない。結弦がソファの背もたれ側からこちらをのぞき込んでいた。


「真理愛さんに設定がよく似てるよね。さすがに鉄仮面とは呼ばれていないけど、氷雪(アイス)レディだし」


 結弦が隣にやって来て腰を下ろしながら言った。


「色も似てるもんね」


 結弦の言葉に真理愛は表紙を見る。

 作者の名前は「棚浜かすみ」と書かれている。


「……まさか、真澄ちゃん?」


「真澄って、真理愛さんの従姉妹さんだよね?」


「ますみとかすみって似てるけど……これってペンネームってやつだものね」


 花音の言葉に真理愛は「やっぱり勘違いかも」とスマホに伸ばした手を止める。


「花音は何してるの?」


「あのね、これを貸してくれたくるみお姉さまに、お手紙を書いて感想をお伝えするのよ!」


「なるほど。……でも、感想ってもらって嬉しいのかな? 作者じゃないのに」


「そういえば……」


 花音の表情が曇る。


「ご心配は不要ですよ。めちゃくちゃ喜びますから」


 真理愛は苦笑交じりに告げる。


「私が面白かったです、と言っただけで、休憩時間、ずっと喜んでましたから。なんでも、好きなものの感想を人から聞くことで得られる栄養があるとかなんとか」


「どういうこと?」


「それは私にも……」


 困惑する結弦に真理愛も首を横に振る。橋本の言葉は時々、とても難しいのだ。


「ならたくさん書かなきゃ!」


 顔を輝かせた花音が、うきうきした様子で再び鉛筆を動かし始めた。それを眺めながら、真理愛は一握りの疑念が残る漫画の続きを読むため、再び本に視線を落としたのだった。




「わぁぁ、し、新鮮な感想だ……!」


 昼休み、真理愛は橋本を誘って食堂に来ていた。橋本がランチを手に戻ってきたところで、花音からの感想の手紙を渡すと案の定、とても嬉しそうに顔を輝かせた。

 新鮮な感想ってなんだろう。感想には鮮度があるのだろうか、と思いながら真理愛もお弁当の蓋を開ける。今日は、焼き鮭弁当だ。食べやすいように骨を取り除いて、ほぐした焼き鮭をご飯の上に乗せてある。おかずはきんぴらごぼうとお漬物とスイートポテトた。冷凍食品でハート形のそれを見つけて、可愛くて買ってしまったのだが、これが美味しくて、最近のお気に入りだった。


「花音ちゃんもとても面白かったみたいで、新刊はいつ出るのか聞いてきてほしいって頼まれたんです」


「花音ちゃんとぜひ、語り合いたいですね! 新刊は今のペースだと秋、九月か十月に出ると思います。Webサイトで連載してるので、続きも読めますよ!」


 そう言って橋本が自分のスマホを取り出して操作し、画面を見せてくれた。確かに花園のエトランゼが載っているが、家でこれを真理愛が花音に教えられるだろうか。


「私、こういうの疎くて、なんて言えば花音ちゃん、分かりますかね」


「じゃあ、メッセージにリンクを送っておくので、それを花音ちゃんに見せれば大丈夫です!」


 そう言って橋本がささっとスマホを操作した。真理愛のポケットでスマホが震えたので、取り出して確認する。


「これを見せればいいんですね?」


「はい」


「……橋本さん、やっぱりこのリュディヴィーヌ・デ・メノーシェお姉様というキャラクター、私に似てますか?」


「よく似ていると思います。漫画ですけど、顔立ちも、先輩を漫画にするとこうなるのかなって感じですし、設定がそっくりなんですよね」


 橋本が真剣な面持ちで答える。

 真理愛はその言葉に「やっぱり」と呟き、スマホの電話帳を開き、従姉妹の畠中真澄をタップし、その場で電話を掛ける。突然、電話をかけ始めた真理愛に橋本が不思議そうに首をかしげている。


『もしもーし、真理愛? どったの? この間言ってた彼氏となんかあった?』


 のんきな声が数回のコールの後に聞こえて来た。


「真澄ちゃん、花園のエトランゼ、すごく面白いわ」


『ふぎっ!』


 奇怪な鳴き声の直後、ツーツーツーと通話の終了が知らされる。

 聞こえていたのだろう、橋本が丸い目をより丸くして驚いている。


「……今の、どう思います? ちなみに相手は畠中真澄っていって、私の従姉妹でイラストレーターをしているんです」


「ますみ……こっちの先生はかすみ……」


 橋本が漫画と真理愛を交互に見た後、あ!と声を上げると、ポケットから仕事で使っているメモ帳を取り出してペンを走らせる。


『はたなか ますみ


 たなはま かすみ』


「先輩、アナグラムって知ってますか?」


「アナグラム?」


「はい。言葉遊びの一つで、文字を並べ替えて別の名前を作ることを言うんです……これ、はたなかますみと並べ替えると、たなはまかすみになるんです!」


 橋本がメモに書いた文字を矢印で分かりやすくして並べ替えると、確かに畠中真澄は棚浜かすみになった。


「客観的に見て、どう思います? 本人だと思いますか?」


「そう、ですね。様子からしてご本人かと……」


 橋本が気づかわしげに言った。


「……もう一度、電話をしてもいいですか?」


「はい、どうぞ! 頑張ってください!」


 ぐっと拳を握りこんだ橋本に応援され真理愛はスマホを操作し、もう一度、従姉妹にかける。

 数回のコールの後、ようやく繋がる。


「真澄ちゃん」


『……はい』


「土曜日●×駅、十時、OK? 心当たりはあるわね?」


『OKです、はい』


「じゃあ、土曜日に」


 そう告げて通話を切った。


「先輩……やはり、黒でしょうか」


「それを土曜日に確かめて来ます」


 真理愛の静かな決意に橋本は「頑張ってください」と力強いエールを送ってくれたのだった。






「結弦さん、あれ、帰りに買いましょうね。今日の夜、ガーリックトーストにしたいの」


「はいはい」


「お姉さま、私はバターだけにしてね」


「ふふ、はい」


 結弦の前を花音と手を繋いで歩いて行く。行きつけのパン屋さんの前を通りながら約束を交わす。ここはバケットがとにかく美味しくて、真理愛のお気に入りだ。家からもとても近いので、時折、会社帰りに御影にお願いして寄ってもらうこともある。御影も気に入って、奥さんと娘ちゃんにと真理愛と来た時以外でもよく買っていくのだそうだ。

 真澄を呼び出した駅は、もちろん真理愛たちの自宅の最寄り駅だ。


「真理愛さんの親族に直接会うのは初めてだから、ドキドキするなぁ」


「イラストレーターさんなのよね? 楽しみだわ!」


 るんるんと聞こえてきそうな足取りで花音は進んでいく。

 駅前に到着し、中から真澄が出て来るのを街路樹の下で待つ。先ほどまでうっすらと曇っていたのに日差しが出て来て、その眩しさに真理愛はサングラスをかけた。


「真澄お姉さまは、お姉さまに似てるのかしら?」


「似てはないですかねぇ。私はママにそっくりですし、真澄ちゃんはパパのお姉さんの娘ですから」


「真理愛!」


 聞こえて来た声に顔を向ければ、黒髪の女性がこちらに駆け寄って来た。

 シンプルなTシャツにカーディガン、デニムという彼女らしいいつもの格好だ。黒いトートバッグを肩にかけている。

 真澄は、真理愛と同じくらい背が高い。緩いウェーブがかかった長い黒髪を今日はポニーテールにしている。顔は伯母にそっくりで強そうな美女だと評判だ。


「真澄ちゃん!」


 駆け寄って来た真澄とハグを交わし、頬にキス――フランスで言うBise――を交わす。


『久しぶり、元気だった?』


『もちろん。真澄ちゃんは? ちゃんとご飯食べて、ちゃんと寝てる?』


 流ちょうなフランス語につられて真理愛も自然とフランス語になる。


『お母さんたちに怒られるから、ちゃんと食べて、寝てるわよ。担当さんにも怒られるし』


『だって倒れたのが一回や二回じゃないし、お掃除だってちゃんとしてるの? 最近、私呼ばれてないけど……』


『おかげさまで、ハウスキーピング頼んでる』


「お姉さま、この人が真澄お姉さま?」


 くいっと花音に袖を引かれて真理愛ははっと我に返る。


「そうだったわ。そうです、この人が従姉妹の真澄です。真澄ちゃん、こちらは花音ちゃんで私の恋人の妹。それでこっちが恋人の結弦さん」


「初めまして小鳥遊結弦です。いつも真理愛さんにはお世話になっています」


『美しい! 写真で見るより美しいわね! 後でスケッチしていいですか!?』


「真澄ちゃん」


「あ、ごめんなさい」


 あははとあっけらかんと笑って、真澄は居住まいを正した。


「フランス語、お上手ですね」


「ありがとうございます」


「真澄ちゃんは、フランスの大学に留学したりもしていたんですよ」


「すごーい!」


 花音がぱちぱちと拍手を贈る。真澄は照れくさそうに笑いながらも「Merci」とお礼を言った。


「真理愛が日本に来た時、日本語がほとんど喋れなくて、だったら私がフランス語喋ればいいやって覚えたら、楽しくなっちゃって。大学は真理愛の実家から通わせてもらっちゃいました」


「おばあちゃんが、たまには顔見せに来てって」


「行きたいんだけど、仕事がねぇ」


「そう、お仕事で思い出したわ。立ち話で済ませるわけにもいかないから、マンションへ行きましょ。あ、パン屋さんだけ寄らせてね」


「……は、はい」


 途端に連行される犯人みたいに大人しくなった真澄に結弦が苦笑を零した。花音は不思議そうに首を傾げた。


「さあ、行くわよ、真澄ちゃん」


「……はい」


 しょげる真澄と腕を組み、真理愛は意気揚々とパン屋に向かって歩き出したのだった。




 真理愛の従姉妹の真澄は、確かに真理愛とは似ていないが、背格好はよく似ていて、どちらも美女なので、従姉妹と言われるととても納得できる。

 もしかすると真理愛の一族は皆、美男美女なのかもしれない。その集大成がきっと真理愛なのだ。

 マンションに到着すると再び真澄が元気になって「資料! 資料にしたい!」と言いながら、写真の許可を求めてきた。結弦がオーナーなので「いいですよ」と答えるとスマホでエントランスやシャンデリアの写真を撮っていた。

 それからエレベーターで最上階へ行き、我が家へと帰る。


「君がジャスティンね! おっきくて、かわいい!」


「わん!」


 ジャスティンが秒でお腹を見せて、真澄の足下に寝ころんだ。わしゃわしゃと撫でられて、ジャスティンは嬉しそうだ。そういえば、真理愛にも秒でお腹を見せていたなぁ、としみじみする。


「ほら、真澄ちゃん、手を洗って。リビングに行きましょ。真澄ちゃんの好きなオレンジのクラフティ作ったのよ」


「本当!? 早く食べなきゃ、花音ちゃん、どこで手を洗えばいい?」


「こっちよ」


 真澄はしゅたっと立ち上がり、花音と一緒に洗面所へ消えた。取り残されたジャスティンがちょっとふてくされていたが、真理愛が「ジャスティンのおやつもあるわよ」と言うとご機嫌に起き上がり、ぶんぶん尻尾を振りながら戻って行った。

 結弦も真澄たちと入違うように洗面所で手洗い、うがいを済ませて、リビングへと行く。


「私、これ大好きなのよね」


 真理愛が柔らかい黄色の生地にオレンジがたくさん入った焼き菓子を皿に乗せて、リビングに用意してくれる。花音がカップの仕度をしてくれ、真理愛が紅茶を入れてくれたので、結弦が運ぶ。

 全員が席に着いたタイミングで真理愛が口を開いた。


「まどろっこしいのは好きじゃないから、はっきり聞くけど……これ、私?」


 真理愛がテーブルに置いてあった花園のエトランゼのリュディヴィーヌ・デ・メノーシェの登場ページを開いて問いかけた。

 にこにこしていた真澄の笑顔がぴきっと固まり、そして、数秒の間を置いて「……はい」と頷いた。


「真理愛がイメージモデルです……」


 お姉さまが、と花音が目をぱちくりさせている。


「どうりでそっくりなわけだわ」


「ごめんなさい! 許可を取らなきゃと思ったんだけど、描いてるうちにのめり込んで忘れちゃって……」


 真澄がうなだれる。


「私は別にモデルになったことは怒ってません」


「え? そうなの?」


 真澄が勢いよく顔を上げた。


「私のこの姿を知っている人なんて一握りだし、真澄ちゃんのこと大好きだから、応援したいし……私が怒っているとすれば、ちゃんとコミックスを出しているということを教えてくれなかったことです」


「ご、ごめん! なんか、その、気恥ずかしくて……!」


 真澄ががばりと頭を下げた。


「イラストはいつも見せてくれたのに」


 真理愛が頬を膨らませて真澄を睨む。むくれている真理愛さん、可愛すぎて大変だな、と結弦は隣で息を呑んだ。花音がなぜか呆れた視線でこっちを見ている気がする。


「イラストはさぁ、あれなんだけど、漫画ってストーリーがあるでしょ? なんか、そのストーリーって作者の、つまり私の性癖とか考え方とか諸々が赤裸々に出るわけ」


「せきらら?」


「全部隠さず丸見えってことよ」


 首を傾げた真理愛に花音がすかさず教えてくれる。結弦の妹はとっても賢いのだ。


「なんかこー、読者にね、見られるってか読まれるのはいいの。私を、棚橋かすみとしてしか知らないからさ、でも、真理愛は私を畠中真澄として知ってるわけじゃん? あえて言うなら日記を見られるような恥ずかしさがあるっていうか」


「まさか、伯母さんたちにも言ってないの?」


「それとなく濁してはある……ほら、母さんたちは、私が元気に働いてればよし!って感じだからさぁ」


「おばあちゃんとか心配してると思うけど?」


「おばあちゃんたちには、内緒だよって言って、教えてあるよ。おばあちゃんは『すみちゃん、絵が上手だねぇ』ぐらいの感想だからさ」


「じゃあ、美沙ちゃんとかにも言ってないわけ?」


「……うん」


 美沙は真澄の姉のことだ。きっと美女なんだろうなぁ、と結弦は思っている。

 むくれている真理愛に真澄が、ごめん、と顔の前で両手を合わせた。


「今度からちゃんと教えるからぁ」


「本当?」


「本当!」


「じゃあ、今回だけだからね。次は許さないから」


「真理愛ぁ!」


 顔を上げた真澄が、心底、ほっとしたように表情を緩め、むくれていた真理愛も、ふふっと笑った。緩んだ空気に花音が、ほっと息を吐き、結弦も「仲直りだね」とそれぞれのカップに紅茶を注ぐ。


「ありがとうございます。……、ふふふ、真理愛のクラフティ、大好きなのよね。写真撮って良い?」


「どうぞ」


 真理愛の許可を得ると真澄はクラフティを写真に収めて、それからフォークを手に取り切り分けて、頬張った。


「オレンジが爽やかで、美味しいぃぃぃ……!」


 うっとりと食べる真澄に真理愛も満足げだ。


「お姉さま、私、クラフティって初めて食べるけど、とっても美味しいわ。カスタードクリームってオレンジにこんなに合うのね」


「ありがとう。フランスのおばあちゃん直伝のレシピなんですよ」


「でも、真理愛、漫画とか読まないのにどうして知ったの?」


「私の後輩がリュディヴィーヌ・デ・メノーシェお姉様の大ファンで、花園のエトランゼを貸してくれたの」


「くるみちゃん、本当に大好きで、お姉さまのこの姿を見た時は、玄関で感動のあまり泣きくずれてたのよ。ね、お兄さま」


「そうだね。この間も、ぬいぐるみのぬい活とやらで藤原さんと楽しそうにしていたし、生き甲斐なんだろうね、リュディヴィーヌ・デ・メノーシェお姉様が」


 うんうんと結弦も頷く。

 結弦の推しは、真理愛なのでその気持ちは非常によく分かる。推し活はとっても楽しいことなのだ。


「え? 会社の人に話したの? この姿のこと……」


 だが真澄は少々違うところに驚いているようだった。


「信頼できる人たちなの。鉄仮面のことも大切にしてくれて、私のために怒って、笑って、泣いてくれる人たちだから、だから話せたの」


「そっかぁ、なんかちょーっと寂しいけど、めっちゃ嬉しい!」


 真澄が泣きそうな顔を誤魔化すように笑った。

 仲の良い従姉妹で、真理愛の辛い過去もあれこれ知っているからこその言葉だろうなと結弦は胸が温かくなる。


「ありがとね、真澄ちゃん」


「ふふ、真理愛が幸せならそれが一番。ね、おかわり、ある?」


 空になったお皿を手に真澄が首を傾げた。


「もちろん、あ、フィナンシェも焼いたから、帰る時に忘れないで持って帰ってね。おやつに食べてね」


「本当!? やった!」

 無邪気に喜ぶ真澄に真理愛がくすくす笑いながら、空のお皿を受け取り、キッチンへ行く。花音が「お姉さま、私も!」と自分のお皿を手について行った。


「結弦さん」


 僕もおかわりもらおうかな、なんて考えていたら真澄に呼ばれて顔を上げる。


「真理愛、すごく幸せそうです。……本当に色々と辛いことが多かったから、彼氏ができたって聞いた時、驚いて、でも、真理愛の声がすごく幸せそうで。それにストーカーからも助けてくれたって聞いて」


 真澄がキッチンで花音と楽しそうに何かを話している真理愛を見て目を細めた。ジャスティンもちゃっかりおやつのおかわりに参加しようとしている。


「……僕は真理愛さんを助けたつもりだったけど、僕も、真理愛さんにたくさん助けてもらっているんだよ。僕は彼女を幸せにすると言ったけど……僕は僕に自信がなくてね。幼い頃からの父との確執で、愛し方は分かっていても、愛され方が分からなかった。でも、真理愛さんはそんな僕を抱きしめて、笑ってくれる。僕はそれだけで幸せになれるんだよ。彼女は本当にすごい人だね」


 真澄がぱちりと瞬きを一つして、ふふふっと笑った。


「真理愛も似たようなこと、言ってました。ならきっと、お互いに幸せなんですね」


「そりゃあもう」


 力強く頷いた結弦に真澄は嬉しそうに笑った。

 いとこ同士仲が良いんだなぁ、と結弦がほのぼのしていると真理愛がおかわりを手に花音とジャスティンを引き連れ戻って来た。ジャスティンは、何かジャーキーをもらったようで、いそいそと自分のベッドに行った。


「ありがと、もういくらでも食べられちゃう」


 真澄が嬉しそうにお皿を受け取る。

 花音も「おかわり、少し大きいのにしたの」とるんるんでお皿を自分の席に置いて椅子に座った。

 それから和気あいあいとお茶の時間を楽しんでいると花園エトランゼの話になり、花音が興奮した様子で真澄に感想を語っていた。


「えへへ、ありがとー」


 真澄は照れくさそうにしながらも嬉しそうに感想を受け止めている。


「真理愛も頑張って読んでくれてるんでしょ?」


 花音の感想が一区切りついたところで真澄が言った。

 真理愛が日本語の読み書きが苦手なことを知っているのだろう。


「面白いもの。結弦さんと花音ちゃんとスマホのお世話になりながら読んでるのよ」


「ねえ、真澄お姉さま、リュディヴィーヌ・デ・メノーシェお姉様は自分の国に婚約者がいるってほのめかしているでしょ? いつか出て来る?」


「それがねぇ、いや、出したいんだけどさぁ」


 花音の問いかけに真澄が唇を尖らせた。


「リュディが私の可愛い真理愛がモデルだから、なかなかその婚約者の選定に厳しくなちゃって……私がね」


「なるほど……真澄お姉さまは、どんな人が真理愛お姉さまの恋人として合格なの?」


 花音の鋭い質問に結弦はドキドキしながら耳を澄ませる。


「私ってか、私たちきょうだいの共通認識として、まず優しくて、真理愛の意思を大事にしてくれて、真理愛を尊重してくれるってことが一番重要だと思ってたの」


「なら結弦さんは合格ね」


「真理愛さん……!!」


 うふふっととろける笑みを浮かべた真理愛に結弦は顔を輝かせ、思わず肩を抱き寄せキスをする。真理愛も「大好きよ」とキスを返してくれた。


「仲が良くて何より。でも、確かに結弦さんはパーフェクトよね。スタイルも顔も真理愛に釣り合ってるし、お金持ちだからその辺も安心して真理愛を任せられるし、こんな可愛い妹と犬までいる……あれじゃない? リュディの婚約者、結弦さんをイメージモデルにしたい!」


 名案だと言わんばかりに真澄の表情が晴れた。


「真理愛から話は聞いてたけど、あまりに出来過ぎた人間過ぎて実感がわかなかったんだけど、実在している結弦さんを見てたらアイデアが湧いてきたわ!」


「真澄ちゃん、私はいいけど、結弦さんにちゃんと許可取ってね」


 真理愛が釘を刺すと、はっと我に返った真澄が結弦に顔を向けた。


「結弦さん! いいですか?」


「いいよ。だって、リュディお姉様は真理愛さんがモデルなんだから、むしろその婚約者は僕がモデルじゃないと、僕は続きを読めなくなる、嫉妬で」


「その愛が重いところもいい!! ねえ、結弦さん、ちょっとスケッチさせて頂いても!?」


「いいよー」


「もう、なんでもいいよって言うんだから」


 真理愛が呆れたように肩をすくめるが、真澄は足元に置いてあったトートバッグからスケッチブックとペンケースを取り出すと鉛筆でざかざか書き始めた。花音が横で見ていいか聞けば「どうぞ」と椅子を引いてくれ、花音が移動する。


「結弦さん、好きにしてていいから。むしろ真理愛とイチャイチャしててもいいからね!」


「得意だよ、任せて!」


「もう!」


 ぎゅっと真理愛を抱きしめて、髪に鼻先を埋めれば真理愛が「くすぐったいわ」と身をよじる。可愛いので逃がさないよう、優しくさらに抱き寄せる。

 そうしてイチャイチャしている間、真澄がひたすらに鉛筆をざかざか動かし、花音が「すごい」と彼女のスケッチに感動している間、結弦は思う存分、真理愛とイチャイチャした。

 結弦をモデルとしたリュディヴィーヌ・デ・メノーシェお姉様の婚約者が登場するのはもう少し先だが、彼もまた人気キャラクターになるのは、まだ誰も知らない未来のお話。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ