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※本日2度目の更新です
コンビニへ入ると城嶋は、真っ先に酒のコーナーへ行った。
「畠中さんの料理が美味しすぎて酒が先になくなっちまった……由々しき事態だ」
「城嶋さん、本当よく飲みますよね」
結弦は自分自身が酒は好まないので、ただただ感心してしまう。
「九州男児だからな、俺は」
「関係あります、それ?」
酒を吟味しながら適当なことを言う城嶋に結弦は、けらけらと笑う。
「つかよー、まじであんな美人だとは思わんかったわ。何、あの美しさに一目惚れ?」
ワインのボトルを手に城嶋が首を傾げた。
「違いますよ。……ずっと昔、喫煙室で煙草吸ってた時に、口さがない奴らが大きな声で彼女の悪口言ってたんです。彼女、聞こえていたはずなのに、ふっと微笑んだんですよ。それで背筋をぴんと伸ばして、ヒールのかかとを鳴らして颯爽と去って行って……それが格好良くて惚れちゃったんですよね」
「……確かに彼女、どんだけ鉄仮面だとか、ブスだとか、言われても動じないもんな」
「そうですね。彼女自身、男性に対する恐怖はこれまでの経験からあるようですが、鉄仮面に関する悪口はあまり気にならないみたいですね。彼女自身が進んで鉄仮面でいるっていうのも理由でしょうし、昔からあれこれ言われすぎて、もう気にならなくなっているみたいで……」
「あー、畠中さんの性格が積極的なほうじゃない分、ただそこにいるだけで惚れられて、それが余計、女たちにやっかまれんだろうな」
「お互い、同じ苦労があるので共感し合えますよ」
苦笑交じりに言えば「可哀そうに」と憐れまれた。べしっと肩を小突くが、城嶋はおかまないしに笑った。
「だがよ、お前と畠中さん、別に親しくはなかったのに、なんでストーカー対策で一緒に暮らすことになったんだ? いや、お前が不器用ながらに畠中さんに頑張ってアピってんのは知ってたけどよ」
そう結弦に問いかけながら、今度はおつまみのコーナーへ城嶋が体を向けた。おつまみコーナーは酒コーナーの真後ろだ。
「……知ってたんです?」
「知ってたよ、そりゃ、お前の先輩だもーん」
ニタニタ笑いながら城嶋はピスタチオとカシューナッツの袋を手に取った。
自分が目立つ自覚があるので、真理愛に迷惑をかけないためにも、控えめにしていたつもりだが、最も親しい関係にある先輩にはバレていたようだ。
「……僕が水原さんのおかげで真理愛さんにカレーうどん掛けちゃったの覚えてます?」
「おう」
「それでそのお詫びに食事に誘うことに成功して、そのまま彼女を送って行ったんです。さっき、話してくれたように真理愛さん、過去にストーカーに襲われたのは、帰宅した時だったんだそうです。その時、家が真っ暗だったのがトラウマで、今も出かける時は必ず部屋の電気をつけていくんですよ。でもあの日、寝坊したとかで電気を点け忘れたみたいで、僕が一緒に行くよってことでついてったんです」
「……まさか、その時に限って部屋の前にストーカーがいたとか?」
眉を寄せた城嶋に結弦は頷いた。城嶋がかすかに息を呑んだ音が賑やかな店内放送に交じって聞こえた。
「彼女のマンションもオートロックではあったんですけど……他の住人と一緒に入って来たみたいで。それで急遽、僕の部屋に避難してもらって、今に至ります」
「うわぁ、マジか……神様の導きってやつか?」
「僕も普段、神様なんて信じてないのに、あの時ばかりは神様に感謝しましたよ。……決まりました? 僕、アイス見て来ていいですか?」
真理愛からのお願いは他を差し置いても叶えないといけないので、結弦は冷凍庫を指さして首を傾げた。
「おう。つか、お茶のボトル買ってくか? 冷たいお茶、ちょっと飲みたい」
「真理愛さんが麦茶作ってくれてますよ」
「じゃあ、それでいいか」
ぞろぞろと冷凍庫の前に移動する。
真理愛の好きなアイスの新商品を見つけて手に取り、カゴに入れる。花音が好きなアイスも忘れない。
レジで城嶋の酒とおつまみも含めて会計を済ませ、店の外で大人しく待っていてくれたジャスティンを連れて、マンションへと歩き出そうとしたところで城嶋が足を止める。
「お、悪い。母ちゃんからだ、ちょっと返事させて」
「はい」
城嶋がスマホを操作している間、結弦もスマホを取り出し、真理愛に「今から帰るよ」と送る。少しして可愛い猫のスタンプが返って来た。この間、花音に教えてもらったキャラクターだそうで、最近のお気に入りだ。
「よし、オッケー。行こうぜ」
「お母さん、何かあったんですか?」
「時々、東京のなんたらのお店のアレが食べたい、これが食べたいって言うから、俺もあっちにしか売ってないインスタント麺とか送ってほしいから、物々交換で送ってんだよ。んで、今回のお願いリストが来たから、とりあえず了解の返事した」
「九州からだと遠いですもんね」
「最近、送料も高いからな。まとめて送ったほうが安上がりだから……はぁ? ここ二時間並ぶの確定じゃんか……だが、俺にはもううま〇っちゃんがないんだ」
「……僕も付き合いましょうか? ここ、真理愛さんが食べたいって言ってたんですよ」
横からのぞき込んだ店のリストにある名前には覚えがあった。
「言ったな。よし、次の休みはここ集合な」
「了解です」
結弦はさっそくスマホのスケジュールアプリに予定を入れた。喜ぶ姿が目に浮かんで、自然と頬が緩む。
「あーあ……俺も恋人欲しいなぁ。イチャコラしてぇ」
にやにやしながら言われて、ごほんと咳ばらいをして誤魔化す。
「……城嶋さんは、どんな人がタイプなんですか?」
「そうさなぁ……酒が好きだといいよな。んで、料理も好き。畠中さんみたいなシェフ級の腕じゃなくていいんだよ。ただ一緒に料理作ってさ、お互いの一押しの酒を飲んだり出来たら最高だよな」
「同じ趣味があるのっていいですよね。僕も真理愛さんも食べるのが好きで、好みも似てるから食事が楽しいです。……真理愛さんってすごいんですよ。どんな食材も魔法みたいに美味しくしてくれて、それで一緒に食べるとより美味しい。……僕には、もったいないような、素晴らしい人です」
「はいはい、惚気で俺ぁ、お腹いっぱいだよ、な、ジャスティン」
城嶋に同意を求められたジャスティンが振り返って首を傾げた。話しかけられたのが嬉しいのか尻尾がぶんぶんはち切れそうだ。
「惚気って言うか、真理愛さんは僕の幸せの女神様なんで、もはや宗教、つまり布教活動です」
「真顔で言うなよ、こえーな……同担拒否のくせに」
なぜか本気でドン引きしている城嶋に首を傾げながら、マンションのエントランスホールへ入る。
「ただいま。何か変わったことはあるかい?」
コンシェルジュの佐々木に声をかける。
「おかえりなさいませ。ありがとうございます。今のところ、平和でございます。それとは別に畠中様に先日の差し入れもとても美味しく、奪い合いでしたとお伝えください」
「ははっ、了解。じゃあ、お仕事頑張ってね」
ひらひらと手を振って、エレベーターホールに入り、エレベーターに乗り込む。
最上階に到着して降りて、我が家に帰宅する。
中へ入り、城嶋が先に「アイス、しまってもらってくる。……畠中さん、アイスしまってくれ~」とリビングへ行き、結弦はジャスティンのリードを片付け、彼の足を拭いて綺麗にする。
「よし、行こうか。……なんかやけに静かだな」
首を傾げながら、大勢いるはずなのに妙に静かなリビングへと向かう。
リビングのドアを開けて中に入り、息を呑む。
パンパンパンっと乾いた小さな爆発音がして、キラキラしたテープがそこから飛び出した。
「「「お誕生日、おめでとう!!」」」
賑やかな掛け声に続いて、拍手が送られる。
「え? え、え?」
「はい、俺からのプレゼントだ」
ほらよ、と肩にかけられたのは「本日の主役!」とポップなフォントで書かれた金色の縁取りのタスキだった。
「え?」
「あらあら、王子ったら全く状況を理解できてないわぁ」
十和子が苦笑交じりに言った。
「ほら、結弦さん、こっち来て」
笑う真理愛に手を取られてダイニングテーブルへ連れて行かれる。すると花音がキッチンから橋本と一緒に大きなケーキを運んで来て、そっとテーブルの上に置いた。
真っ白なショートケーキは、ふちにイチゴが飾られて、真ん中にチョコレートのプレートがある、絵に描いたような誕生日ケーキだった。
そのチョコのプレートに『ゆづるくん HAPPY BIRTHDAY』と白い文字で書かれていた。
「……これ、僕の、名前」
「ねえ、結弦さん」
真理愛に手を取られ、彼女に向き直る。
「私と結弦さんが、死がふたりを別つまで……つまりあと何十年も一緒にいるでしょう?」
「もちろん」
それは間違いないのでこくこくと頷いた。
「だから、私もね、貴方のこれから先、何十回と訪れるお誕生日を何十回と、一緒にお祝いしたいの」
懇願するような言葉に視線を逸らす。その先で花音を筆頭に、城嶋や十和子や皆が心配そうにこちらを見ているのに気が付いた。
優しい人たちだと思う。真理愛も、彼らも結弦にはもったいないくらいの、優しい人たちなのだ。
でも、だから、余計に心が頑なになる。母も優しい人だった。優しい人がいつだって、損をするのだ。
「……僕の、誕生日なんて、そんな」
祝うようなものじゃ、と続けようとした言葉はキスで遮られてしまった。
『私ね、結弦さんが生まれて来てくれて、本当に幸せ』
結弦にだけ分かるように囁かれた愛の国の言葉が柔らかな微笑みと一緒に結弦の心を包み込む。
『……貴方がこの世に居なかったら、私はきっと今、幸せじゃなかった』
細い手が結弦の手を離して、結弦の頬に触れた。
いつもよりゆっくりで発音が丁寧なのは、きっとまだまだフランス語が未熟な結弦への心遣いだ。それだって、愛だ。
『何度でも言うわ。貴方が生まれて来てくれて、本当に良かった、本当に幸せ。誰がなんと言おうと、私の言葉を信じて。この世で一番、小鳥遊結弦を愛する畠中真理愛の言葉を、信じて』
ふわりと唇にキスが贈られる。
『永遠に愛してるわ』
ああ、きっと、愛が目に見えるなら、目の前の彼女と同じ形をして、優しく笑うに違いない。
結弦は何も言えなくて、ただ自分の中にある愛が彼女に伝わるように、真理愛を強く抱きしめた。細い腕が結弦の背を抱き締め返してくれる。
体格の差だって、力の差だってあって、抱きしめているのは結弦のはずなのに、どうしてだろうか。
今、なんだか自分は母を喪った時の幼い子どものような気分で真理愛の腕の中にいた。
―――……ゆーちゃん、大好きよ。
柔らかな日差しような母の声が記憶の奥底で静かによみがえる。
「……ぼくが、しあわせに、としをかさねていったら、ぼくが、ときをとめしまったおかあさんも、よろこんで、くれるかな……ゆるして、くれるかな……っ?」
みっともなく震えてしまう声に真理愛の腕の力が強くなる。
「当たり前です」
躊躇いの一つもなく、返された言葉に結弦はその細い肩に顔を埋めた。こぼれ出る涙を止めるすべが分からなくて、ただ真理愛を抱き締める。
「……事情なんて、なーんにも知らないけどね、小鳥遊くん」
十和子のやわらかい声と一緒に背中に優しい手が降れる。
「私もお母さんだから分かるの。……色んな心配も不安もあるけど、でも、あの子たちが、私の可愛い息子たちが、幸せであればいいって、何が有ろうとこの願いだけは絶えないの。たとえ、私が棺の中に入って、炎の中で骨になって、お墓の中で眠ることになっても、ずっと、ずーっと永久に続く願いなのよ」
「許すとか、許さないとか、そんなもん関係ないのよ。むしろ、我が子が幸せじゃないことのほうが許せないわよ」
佐藤が言った。
「お兄さま、私もお兄さまが大好きよ」
ぽすんと腰のあたりに花音が抱き着いてくる。結弦は腕の力を緩めて、妹を見下ろす。
「本当の本当に、お兄さまが、私のお兄さまで良かった。お兄さまのお母さまが、お兄さまを産んでくれて、本当にありがとうって思うの」
「……花音」
ほら、と真理愛に促されて、結弦はその場に膝をついてしゃがみ妹と視線を合わせる。
丸い大きな目から、ぽろぽろ綺麗な涙を零しながら、花音が抱き着いてくるのを抱きしめる。真理愛の背よりさらに細くて、小さくて怖いくらいに華奢な体だ。
「大好きよ、お兄さま」
うふふと笑う声が耳元でする。
「……うん、僕も、僕も花音が大好きだよ。あの家で花音は僕の光だったんだよ」
あの息苦しい鷹野の家で暮らしていた時、花音は間違いなく結弦の光だった。
「お前はさ、なんでもできて、人望もあって、大体の望みは自力でも他力でも叶えられるくせに、どこかいつも一歩引いてて、なーんか空っぽなとこもあったからよ」
城嶋の呆れたような、けれど、そこに確かに情の宿る声が降って来る。
「これでも俺が初めて教育した可愛い後輩だから、心配してたんだ。んだが、畠中さんに惚れてから、だんだん人間らしくなってきて、付き合い始めてからは惚気しか言わないようになって、ああ、よかったな、って思ったんだよ。お前を人間にしてくれた恋人が祝いたいって言うんだ。ちゃんと『おめでとう』を受け取れよ? 先輩からの教えだからな、これも」
「……はい」
「良い返事だ」
わしゃわしゃと頭を撫でられた。新人の頃は、そうしてよく撫でられたものだった。
結弦は花音を片腕で抱きしめたままもう片方の手で涙をぬぐって、笑った。
「た、小鳥遊さん! 事情はほんと何も分かんないですけど、俺だって、小鳥遊さんが俺の教育係になってくれて良かったって配属されてからずっと思ってます! だから、誕生日、おめでとうございます!」
池田がびしっと頭を下げた。
「僕も池田君を後輩に持てて嬉しいよ」
「ありがとうございます!」
顔を上げて池田が人懐こい笑顔をニカッと浮かべた。
「王子先輩。私は課は別ですし、あまり接点もないですが、私の大好きな先輩を幸せにできるのは王子先輩だと確信しています。そもそも私の先輩は美人で綺麗で料理上手で、その上、私の推しを具現化したような方ですが、誰より格好いい人でもあるんです! だから、王子先輩を幸せにしてくれるのも確実なので、安心してください! ええと、だから何が言いたいかと言いますと、そう、お誕生日、おめでとうございます!」
「あははっ、ありがとう、橋本さん」
結弦は花音を抱っこしたまま立ち上がる。
「皆さん、本当に……ありがとうございます」
結弦は花音が落ちないようにしながら頭を下げる。
「……僕の誕生日は小学生の時に亡くなった母の命日でもあって、ずっとお祝いする気になれなかったんです」
かすかに息を呑む音がいくつか聞こえた。
「でも、本当に許されるなら、お母さんは僕をいつも愛してくれていたから、だから、幸せになれるよう、頑張ります」
「あら、頑張る必要なんてあるかしら?」
「それね。だって王子ってば、畠中さんにキスされたらそれだけで世界一の果報者みたいな顔してるんだもの」
十和子が茶化して、佐藤がけらけらと笑った。
「そうよ。お兄さまったら、お姉さまのことずーっと見つめてるし、隙あらばかまってもらおうと頑張ってるし、成功するとおやつをもらったジャスティンみたいに喜んでるじゃない。ね、お姉さま」
ニシシ、と腕の中で花音が告げ口する。
「ふふっ、そうですね。時々、私にも結弦さんとジャスティンが重なって見えます」
真理愛が笑いながら、結弦と花音の濡れた頬をハンカチで拭ってくれる。
「僕は真理愛さんが望むなら犬にもなるよ!」
「犬はジャスティンだけでいいです」
ジャスティンが「呼んだ?」とこちらにやって来て、真理愛に撫でられていたのだった。
いよいよ明日の更新(朝7時、夜19時の2回)で続編は完結となります!
最後までお付き合いいただけますと幸いです。