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※本日は2回更新です!
※夜19時にも更新します。
真理愛は朝から大忙しだった。結弦と花音にももちろん手伝ってもらい、昨日から仕込んでいる料理を次々を仕上げていく。皆で楽しみたいので、できれば出すだけ、にしておきたかった。
花音はダイニングテーブルを拭いて、せっせとランチョンマットを敷き、八人分のカトラリーを並べ、結弦はワイングラスを用意してくれている。
ジャスティンも朝から飼い主たちがせわしないので、そわそわしている。今日の彼もおしゃれをしていて、真理愛お手製の赤い蝶ネクタイをつけていた。
真理愛も結弦も花音も、固すぎずカジュアルながらもおしゃれをして、真理愛はウィッグもカラコンもつけず、化粧もいつもより丁寧に施した。
「あ、そろそろ集合時間だね。僕、お迎えに行ってくるよ」
「お願いします。下に着いたら、教えてくださいね」
「りょーかーい」
ひらひらと手を振って「僕も行く!」とジャスティンがついて行った。玄関で「しょうがないな」と言いながらも愛犬を甘やかす結弦の声が聞こえた。
「……ふー、緊張するわ」
真理愛は完成したカナッペをテーブルに運ぶ。バケットを薄くスライスしてトーストし、にんにくを塗ったものにサーモン、イクラ、各種ハーブにツナマヨ、カッテージチーズ、キャロットラペ、トマト、生ハムなど、様々な具材を彩り華やかに乗せた前菜だ。
「美味しそう……!」
「ふふっ、ありがとうございます」
大皿二枚に用意して、好きなものを取れるようにしてみた。あくまで今日は家庭料理なので堅苦しいコースの雰囲気が出ないようにしたかった。
キッチンへ戻ってオーブンの中身を確認する。生クリームを使った特製のキッシュの中身は、ベーコンとトマト、ブロッコリーにしてみた。
タイミングよく焼きあがったそれを取り出して八等分に切り分けて、冷めないように温度は下がってもまだ温かいオーブンの中に入れておく。
冷蔵庫を開けて、二つの大きなガラスの器に盛りつけたラタトゥイユもとりわけ用の大きなスプーンと一緒にカナッペの隣に置いて行く。ラタトゥイユは夏野菜をたっぷり使い、暑い季節はこうして冷やしてサラダ代わりにもするのだ。
スープは鮮やかな緑色が綺麗なグリンピースのポタージュにした。グリンピースが苦手な花音は最初、顔をしかめていたが、味見をすると「おいしい!」と驚いていて可愛らしかった。
「お姉さま、お兄さま、下に到着したって! 上がって来るわ!」
花音がスマホを手に教えてくれる。
「お出迎えの、時間ですね」
緊張に心臓がドキドキする。真理愛はエプロンを外して、花音とともに玄関へと向かう。玄関の鏡で身だしなみをチェックする。
「花音ちゃん、変じゃないでしょうか?」
「今日もとっても美人よ!」
「ふふっ、花音ちゃんも可愛いですよ」
お互いを褒め合い、真理愛は花音の嬉しそうな顔に緊張がわずかに緩むのを感じた。
「ワンフロアぶち抜きなんで、騒いでも平気ですよ」
ドアの向こうで結弦の声がした。
真理愛は緊張にドキドキする心臓を右手で押さえる。ふと温かなものが左手に触れて顔を向ければ、花音が「大丈夫よ」と真理愛の手を握ってくれていた。
ガチャとドアが開いて、まず真っ黒な鼻が出て来て、ジャスティンが顔を出した。嬉しそうに尻尾を振りながら中へ入って来ると真理愛の下へやって来る。
まるで「お客さん、つれてきたよ!」と言いたげな愛犬の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「お邪魔しま……す?」
「わあ、広い……え?」
次に入って来たのは、城嶋と池田だった。
だが二人とも真理愛と目が合うと、びしりと石のように固まってしまった。
「は、は、は」
「は?」
わなわなしている城嶋に真理愛と花音は首を傾げる。
「は、ハロー!」
「え? ハロー? ハローでいいんですか?」
ハローと叫んだ城嶋の横で池田がおろおろしている。
「もう、何言ってんの? 早く入って……!」
「真理愛ちゃんち、玄関から素敵」
「ここが先輩のお家……!」
城嶋と池田を押しのけて、女性陣が中に入って来る。
三人と目が合うと、やっぱり彼女らも目を見開いて固まった。彼らの背後で結弦が「どうしたんです?」と言うのが聞こえた。
「だ、誰だよ、聞いてねえよ。俺、英語は苦手だって言ったろ!」
城嶋が振り返って結弦に文句を言っている。事態を飲み込めていない結弦が「英語?」と聞き返し、池田が「習ったはずの英文が何も出て来ない」と頭を抱え、佐藤は顎を撫でながら真理愛をじっと見つめ、橋本は「アイム、クルミ!」と自己紹介をしてくれた。
真理愛は、悪いと思いながら、突然外国人に遭遇した時の日本人らしい彼らの反応にくすくすと笑ってしまう。
「……貴女、真理愛ちゃんね!」
だが、十和子だけは、ぱぁっと顔を輝かせるとぱたぱたと駆け寄って来て、真理愛の手を取った。
「よく、分かりましたね」
真理愛が肯定すると、えぇぇぇぇええ、と絶叫が玄関に響き渡った。その絶叫の後に結弦が「あ。分かんなかったのか」と今頃、納得している。
「分かるわよぉ! だって、ずーっと隣の席にいた可愛い後輩だものぉ! まあまあまあ、なんて美人さんかしら!」
「やっぱり! 絶対に畠中さんは美女だと思ってたのよ!」
佐藤も駆け寄って来て真理愛の顔をのぞき込む。
「リュ、リュディヴィーヌ・デ・メノーシェお姉様は、ほ、ほんとうの本当に、存在したんだぁ……っ」
橋本が両手で口元を押さえて目を潤ませている。なんだかよくわからないが、普段の姿じゃなくても彼女の推しに真理愛は似ているようだ。
「ほら、皆さん、とりあえずダイニングへ行きません? 真理愛さんが腕によりをかけて、フランス流のおもてなしを準備してくれたんですから」
「そうね、そうね、積もるお話は、真理愛ちゃんの美味しいご飯を食べながらにしましょ!」
「いやぁ、本当に美女だわぁ。あ、これ、お土産のケーキよ」
はい、と佐藤が渡してくれた箱はずしりと重い。ぱちりと意味深なウィンクにこれが結弦のバースデーケーキだと気づいて、落とさないように慎重に抱える。
「この子が王子の妹さんね?」
「はい。初めまして、花音です。いつもお兄さまがお世話になっています!」
あえて鷹野は名乗らない思慮深さに真理愛は感心してしまう。
皆が「しっかりしてるわね」と褒めれば、照れくさそうに花音は笑った。
いまだ信じられないらしい城嶋と池田を結弦が、むせび泣く橋本を佐藤が連れて、ダイニングへ行く。
真理愛は大事なケーキを冷蔵庫にしまって、準備にとりかかる。
「お酒を飲まない人もいるだろうから、炭酸水とジュースを用意してありますよ」
「私はちゃんとお酒を持参したわ! この美味しそうな料理には白ね! ちゃんとコルク抜きも持参したわよ」
「あ、小鳥遊、これは冷蔵庫に入れといてくれ。ぎりぎりまで冷やして保冷剤くっつけてあるけど、冷たいほうが美味いんだよ」
結弦が城嶋から渡されたスパークリングワインを冷蔵庫にしまいに来たので、キッシュを運んでもらう。真理愛は花音に手伝ってもらい、スープをそれぞれに配る。各々、飲み物は自分の飲みたいものをグラスに注いだ。
「ええと、じゃあ、まずは乾杯してからにしましょ!」
「何に対して乾杯します?」
「じゃあ、真理愛ちゃんの美味しいご飯に、かんぱーい!」
十和子の掛け声に皆がグラスを掲げて、楽しい食事会が始まる。
とりあえず、食べたい!という皆の要望で、話をするまえに皆が各々、カナッペやキッシュ、ラタトゥイユ、スープとそれぞれが一番食べたいものに手を伸ばす。
「お、おいひい!」
スープを飲んだ橋本が頬を押さえて顔をとろけさせた。池田はラタトゥイユを食べて「うまっ」とこぼす。
城嶋は生ハムの乗ったカナッペ、佐藤はサーモンといくらの乗ったカナッペをそれぞれ口に運び、追いかけるように白ワインを呑む。
「「最高!!」」
そろった叫びに皆がくすくすと笑う。
「私、真理愛ちゃんのキッシュ、大好きなの! 焼き立てが食べられるなんて夢みたいだわぁ」
十和子は目をキラキラさせながら、キッシュを頬張っていた。時折、十和子にはキッシュもおすそ分けしていたのだ。
「ふふっ、皆さんのお口に合ってよかった。メインディッシュもありますから、楽しみにしていてくださいね。ちなみに肉料理です」
「楽しみです!」
池田が元気よく返事をしてくれた。城嶋も言っていたが、お肉が好きです、と結弦経由で自己申告してくれた通り、本当に肉が好きらしい。
「先輩、あの、本当に、次に実家からの海鮮が来たら絶対に先輩のところに持ってきますね。美味しくしてください」
橋本が神妙な顔でお願いしてくるので、真理愛はついつい笑ってしまった。
「城嶋さん、僕の真理愛さんの笑顔はとびきり可愛いですけど、見惚れないでください。減ります」
「お兄さま、恥ずかしいから、そういうこと言うのやめて」
花音にバッサリ切られるが、そこは譲れないらしく聞こえないふりをしている。城嶋が「妹ちゃん、強いなぁ」と笑う。
「いや、だってよ、あの鉄仮面の下に、こんな美女がいるとは……なんつーか、無粋なあだ名だと思ってたけど、あながち間違いじゃなかったんだなって」
「そうねぇ。本来の鉄仮面って、身分を隠していた謎の人物のことだものね。真理愛ちゃんの場合、身分と言うか美貌だけど」
十和子の言葉に佐藤と橋本が「へぇ」とこぼす。
「……その、自分で言うのは難ですが、この姿だとナンパとか、やっかみとかも酷くて……その中で何人かこじらせてストーカーになってしまって」
真理愛はナイフとフォークを置いて、口を開く。
「それで大学進学で地元を離れるに当たって、あの鉄仮面スタイルを選んだんです。おかげさまで、年末年始のストーカー事件が起こるまでは平和で」
「あいつも、たまたま体調が悪くてこの姿でコンビニに行った真理愛さんを見かけて、ストーカーになっちゃったんだよ」
テーブルの上にあった手に結弦の手が重ねられ、彼が真理愛の言葉を補足してくれる。
「これからはどうするの?」
「鉄仮面スタイルは出来る限り、維持するつもりです。やっぱり怖いので……」
「そうよね、それがいいわ」
十和子が真剣な顔で頷き、皆もうんうんと頷いてくれた。
「じゃあ、水族館デートの謎の外国人美女は、どうしてか畠中さんのお友だちってことで落ち着いてますが、畠中さん本人ってことですよね?」
池田が言った。
「はい。ええと、この間の水曜日、トイレでその水族館デートを目撃した総務課の女性たち、つまり噂の発生源の方たちに、そう言うようにお願いしたんです」
真理愛の言葉に結弦がスマホを操作して、例の音源を皆に聞かせた。
平たく言えば「名誉棄損で訴えますよ?」という真理愛の説得に三人が確かに頷く声が録音されている。
「そういうことだったのね」
「急に火消されるから変だとは思ったのよ」
「だって、結弦さんのこと、酷い言われようだったから頭に来ちゃって」
「愛の力ねぇ」
十和子がしみじみ言った。
「僕、愛されてるんで」
結弦がふふんと胸を張るのが可愛くて、真理愛は隣に座る彼の頬にキスをした。結弦もちゅっとキスを返してくれる。
「ひゅー……え、いつもこんなん?」
「ここはフランスだと思ったほうがいいですわ」
城嶋の問いに花音が答えた。
皆の緊張もほぐれて、料理も、一部はお酒も進む。そろそろかしら、とあらかた、前菜が片付いたのを確認し、真理愛はメインディッシュの準備をする。
花音がついてきて、お皿を出したりして手伝ってくれ、メインディッシュをテーブルへと運ぶ。
「お待たせしました、牛頬肉の赤ワイン煮込みです」
「うぉぉぉ!」
お肉をとても楽しみにしていた池田は、まるで少年のように目を輝かせている。
「おいしそう!」
「これは赤ね、赤!」
佐藤は嬉々として赤ワインのボトルを開ける。
「と、とろける……っ!」
「お店の味だわ、それも名店の味!」
美味しいと言ってもらえるのが作り手としては一番嬉しくて、真理愛はにこにこその様子を眺める。
結弦も花音も楽しそうで、真理愛も幸せを噛みしめる。
牛頬肉の赤ワイン煮込みは、とても好評で十和子には作り方を聞かれ、結弦と池田は二回もおかわりをしてくれた。
「なあ、小鳥遊。コンビニって近くにあるか?」
メインディッシュもあらかた食べ終えて、そろそろデザートかな、という時間。城嶋が問いかける。
「ありますよ。駅のほうに」
「じゃあ、ちょっと案内してくれ」
「いいですよ。ジャスティンも行くかい?」
犬用の頬肉の煮込みを食べてご満悦で昼寝をしていたジャスティンが起き上がって、とことこやって来た。
「真理愛さん、ちょっと行ってくるよ。何か買ってくるものある?」
「んー、あ! いつものアイス、新作が出てたらお願いします」
「はいはい」
くすくすと笑って結弦が城嶋と出かけていく。部屋を出る寸前、城嶋が振り返ってウィンクした。真理愛たちは頷いて返す。
バタンと玄関のドアが閉まり、池田が確認に行き、すぐに戻って来る。
「出かけました!」
とりあえずテーブルの上の食器をキッチンへと一斉に片づける。
「私、クラッカー持ってきました!」
「俺は趣味のカメラを持ってきたので、写真撮れます!」
橋本と池田が足元に置かれていたカバンからそれぞれ取り出す。
「飾りを持って来るわ!」
花音が真理愛の寝室から、大きな段ボールを引きずって来た。そこには飾り付け用の風船や紙の花がたくさん入っている。それを急ぎ、部屋の壁に飾っていく。
結弦にとっては不運だったが、真理愛と花音にとっては幸運なことに、この作戦を立ててから結弦はしばし残業が続いていて、彼のいない間に膨らませたり、作ったりすることができた。
金色と白を基調としたそれらを飾り、会場を作っていく。ちなみにこれは運転手を務めてくれた御影が「私からのプレゼントです」と買ってくれたものだった。
「さあ、皆、急いで仕度よ!」
十和子がパンパンと手を叩き、皆で「はーい」と返事をする。
結弦のための内緒の誕生日パーティーの準備がせわしなく進められていくのだった。