5-3
「日曜日、OKが出ました」
食堂の片隅で真理愛は、十和子たちにそう告げた。
「本当? 真理愛ちゃんち、楽しみだわぁ」
「私もなんだかんだ、コンシェルジュ付きの家、行ってみたかったのよね」
「コ、コンシェルジュ……今後の資料の匂いがしますね」
周囲に配慮した小声での三者三様の感想だが、橋本は時折、何かの資料を求めているが、一体、何の資料なのだろうと首を傾げる。
「お、経理課の皆さん。ここいいっすか?」
顔を上げれば、城嶋がトレーを手に立っていた。佐藤は、どうぞ、と椅子を引いて城嶋がそこに腰かける。
「王子は今日はお外?」
十和子が首を傾げる。
「池田連れて、得意先のとこに出かけてますよ。あ、畠中さん、日曜日はお邪魔します」
「は、はい」
突然、話しかけられて上ずった声の返事になってしまった。
「まあ、でもね、あのー、小鳥遊はうるさいくらい、ってか、うるさいほど畠中さんにべた惚れで、あんまり心配は必要ないっていうか」
がりがりと頭を掻きながら城嶋が言った。
結弦は城嶋さんが味方じゃなかったと拗ねていたけれど、やっぱり城嶋は彼の味方なのだと真理愛は、くすくすと笑いながら口を開く。
「ふふっ、知ってます。毎月、結婚情報誌買って来る人ですから」
「相変わらず重いな……」
城嶋が頬を引きつらせた。
「ところで、皆さん、日曜日は私がお料理を作らせていただこうと思ってるんですが……」
「マジで!? 小鳥遊、絶対におかずとか譲ってくれないから、一度、食べてみたかったんだよ!」
「うわぁ、嬉しい! 私、先輩のごはん、だいすきです!」
城嶋と橋本が嬉しそうに声を上げた。そして、結弦がさりげなく大人げない。
「ありがとうございます。大事なことなんですけど、アレルギーとかありますか? 苦手なものとか」
「私はなーんにもないし、なーんでも食べるわよ」
「私もです」
「私も何でも食べるよ」
十和子、橋本、佐藤と元気な返事だ。
「俺も。池田のは知らないけど、あいつは肉が好きだよ。アレルギーについては、小鳥遊に言うように言っとくな」
「ありがとうございます。腕によりをかけて作りますね。……それで、あの、皆さんにもう一つだけ、ご相談があって……」
「相談?」
きょとんと皆が首を傾げた。
「もうすぐ、あの人の誕生日なんですが」
「三十日だろ? うちの社員なら皆、知ってるもんな」
城嶋の言葉に皆が頷く。鉄仮面と称されている真理愛でさえ知っていたので、当然と言えば当然かもしれないが。
「実は結弦さん、過去にお誕生日に悲しいことが重なって、あまり自分の誕生日が好きじゃないんです。私のこと、過剰すぎるくらいに大事にしてくれる人なのに、自分のことを大事にするの、下手なんです」
「なんとなく、それは分かるかもなぁ」
城嶋が定食のアジフライをつつきながら言った。
この中では最も近くにいる城嶋だから、分かることなのかもしれない。結弦との付き合いだけで言えば、城嶋が一番、長いのだ。
「あいつさ、バレンタインとかの贈り物は受け取るんだけど、誕生日だけはなんにも受け取らねえし、なーんか元気もないし、何かあんのかなとは思ってたんだよ」
「詳しくは言えませんけど……悲しいことがあったんです。だけど、私は結弦さんが生まれて来てくれたこと、本当に嬉しいから……せめて、それだけは知っていてほしいんです。だから、その誕生日のケーキ、用意して頂けないでしょうか?」
「全然いいけど、王子のことだから畠中さんの手作りがいいんじゃない?」
「それは当日に用意するつもりです。リクエストをもらっているので」
なるほど、と皆が揃って頷いた。
「じゃあ、申し訳ないけど私が代表でもいいかな? 知り合いにケーキ屋さんがいるから、急な頼みでも聞いてくれると思うんだけど……」
佐藤が言った。
「あ、そうですよね。急なことで、どうしよう」
真理愛は期限というものを失念していた。ホールケーキは大体が一週間ほど前の予約が必要なのだ。
「大丈夫よ。凝ったケーキはさすがに無理だけど、ごく普通のショートケーキなら融通利かせてくれるから。ええとうちらが三人、城嶋さんと池田くん、畠中さんと王子と……」
「結弦さんの妹もお願いします」
「りょーかい。じゃあ、八人分ね。ちょっと今すぐ電話してくるわ」
そう言って佐藤は席を立ち、すこし離れた場所で電話をかけ始めた。
「サプライズなんて楽しみだわ。私たちからの差し入れってことで持って行けばいいわよね」
「サプライズ! なら私、クラッカー用意しますね! 誕生日のお祝いには必須です!」
「お、いいね。じゃあ、俺は主役タスキを用意してやろ」
橋本の提案に城嶋が乗る。
「畠中さん、あいつは酒、飲まねえけど、俺は飲みたいから持ってってもいい? 電車で行くから飲酒運転にはならないし」
「もちろんです。料理の内容は楽しみにしておいてほしいので内緒ですけど……ワインが合うと思います」
「おお、いいねぇ。俺は、酒なら何でも好きなんだよね」
「お待たせ。余裕でOKだって。私が受け取っていくわね」
佐藤が戻って来て席に着いた。
「それで、お酒がなんだって? お酒持って行っていいの?」
「佐藤ちゃんは、経理課一の酒豪なのよ」
十和子からの情報に真理愛と橋本は「へえ」と感心する。
「畠中さんによれば、ワインがおすすめらしいっすよ」
城嶋の言葉に佐藤が「任せて」と胸を叩いた。
「俄然、楽しみになってきたわ!」
拳を握りしめ、爛々と目を輝かせる佐藤に真理愛たちは笑い合い、真理愛は相談できてよかった、してよかったと心から安堵した。
残るはあとひとり、結弦の可愛い妹の花音にもちゃんと相談しなければいけない。帰ってから結弦が返って来るまでの間に話そうと決めるのだった。
運の良いことに結弦は今日、いつもより遅い帰りになるそうだ。メッセージにその旨が悲しそうにつづられていたので、運が良いと言ったら拗ねちゃうかもしれない。
「花音ちゃん、相談があるんですけど、いいですか?」
ダイニングのテーブルで誕生日のプレゼントのビーズで遊んでいた花音が「いいわよ」と顔を上げた。
真理愛は向かいの席に座る。
「今度の日曜日、お客様が来るでしょう? その時、サプライズで結弦さんのお誕生日をお祝いしようと思うんです」
「……お兄さまの、お誕生日? お姉さま、知ってるの?」
花音が身を乗り出して、その勢いに数個のビーズが転がって床に落ち、カツン、カツンと軽い音を立てた。
「花音ちゃん、知らないんですか?」
そのビーズを追いかけるのも忘れて、真理愛が問い返すと、花音は眉を下げて頷いた。
「お兄さま、絶対に教えてくれなかったの。ママもお兄さまに口止めされているみたいで、教えてくれなくて。お兄さまったら『僕に誕生日なんて無いよ』って言うの。たとえ、お兄さまが妖怪とか宇宙人でも、生まれた日はあるのに、悲しそうなお顔で言うから、効けなかったの」
「そうだったんですね」
きっと大切な大切な花音だから、結弦は余計に言えなかったのだと思う。凪咲もその想いを汲んでくれていたのだろう。
「結弦さんは、お誕生日にとても悲しいことがあって……それで、言えなかったんですよ」
「お兄さまのお母さまが、死んでしまった日だから?」
静かな問いかけに真理愛は一瞬、息を呑んで、そして、頷いた。
生まれた時から昨年まで、一緒に暮らしていたのだ。何も知らないわけがない。
「……やっぱりそうなのね」
花音がゆっくりと椅子に座り直す。
「誰かに聞いたんですか?」
「棚橋さんが教えてくれたの。前にパパの書斎に綺麗な女の人の写真があるのを見ちゃって、浮気かと思って、でも、ママには言えないでしょ? だから棚橋さんに相談したら、お兄さまのお母さまだって教えてくれたの。お兄さまの誕生日に交通事故で亡くなったって……だから、お兄さまは自分のお誕生日が嫌いなんだって」
「そう、ですね。その通りだと思います。結弦さんのお母さまは、結弦さんへの誕生日のプレゼントを買いに行く途中で、事故で亡くなったんだそうです。だから、誰かに誕生日をお祝いしてもらうこと、誰かから――特に大事な人からプレゼントをもらうことが、怖いみたいです」
「お兄さまが悪いわけじゃないのに、そんなの悲しいわ」
真理愛は立ち上がり、鼻をするる花音の隣の椅子に腰かけ、小さな背中に手を添える。
「だから、今年から幸せな思い出を増やそうと思うんです。協力してくれますか?」
「……できるかしら」
不安そうに花音が顔を上げる。涙が零れそうな瞼にキスをすれば、ぽろりと綺麗なそれがまろい頬を伝って落ちる。
真理愛は濡れた頬をぬぐって微笑む。
「できるはずです。……でも、きっと誕生日プレゼントを買いに行った、なんて知ったら取り乱してしまうから、お家にあるもので準備しましょう」
「お家にあるもの?」
「そうお家にあるものです。私も今年は買いに行くのはやめようと思っていて、花音ちゃんに協力してほしいんです」
「私にできることなら、なんでもするわ! 私の大好きなお兄さまのお誕生日だもの!」
「ふふっ、心強いです。私と花音ちゃんからのプレゼントは、日曜日じゃなくて当日にしたいので、今から作戦会議をしましょう?」
「それは良いアイデアだわ! お姉さまは、たくさんすてきなことを思いついて、すごいわ!」
「そうでしょうか? でも、その素敵を増やしてくれるのは、花音ちゃんなんですよ」
「なら私たち、とっても相性のいい相棒ね」
「結弦さんがやきもち妬いちゃうそうですねえ」
僕も仲間に入れて、と言い出す結弦が簡単に想像できてしまい、真理愛は声を上げて笑ってしまった。
「お兄さまは、すぐなんでもやきもち妬くから、一個一個相手にしちゃだめよ。それに今回はお兄さまにこそ、内緒にしなきゃ! さあ、お姉さま、時間が足りないわ! 作戦会議、開始よ! あ、その前にビーズを拾わなきゃ!」
せわしなく動き出した花音に真理愛は笑いながら立ち上がり、床に転がって行ったビーズを探してしゃがみこんだのだった。
明日、明後日は1日2回更新です!
日曜には最終回になりますので、最後までお付き合いいただけますと幸いです。