5-2
「と、いうわけなんです。日曜日、十和子さんたちを招待してもいいですか? 十和子さんたちには、この姿のこともちゃんとお話ししておきたくて」
「……真理愛さん」
「はい。やっぱり急すぎま、きゃっ」
「僕の恋人がこんなに可愛い上に格好いい!!」
ぎゅうっと抱きしめられる。ソファに並んで座っているのだが、ちょっとぎゅうぎゅうされすぎて苦しい。
すぐそばのテーブルで床に座って宿題をしていた花音が「お兄さま、ちゃんとお話聞きなさい!」とたしなめてくれて、腕の力が緩む。
花音の向こうでは、ジャスティンがおなかを見せて彼用のベッドから大分はみ出しながら寝ている。
「それでなんだっけ? 日曜日、日野さんたちを招待したいの?」
「そうです。だめ?」
「全然いいよ。……ただ、もし真理愛さんが良ければ、城嶋さんと池田君も追加していいかなぁ」
結弦が困り顔で眉を下げた。
「二人も噂を知って、めちゃくちゃ詰め寄られてさぁ。花音のことは、二人も知っているから誤解はされなかったんだけど……」
「あらまあ」
「真理愛さんがいるのに、どういうことだって怒られちゃってさ……」
「城嶋さんと池田さんでしたら、かまいませんよ。ストーカーになるような人たちじゃないですもの」
真理愛はよしよしと結弦の頭を撫でる。
「お兄さまとお姉さまの会社のひとが来るの?」
花音が首を傾げる。
「はい。大丈夫でしょうか?」
「ええ、もちろん! ふふっ、おしゃれをしないといけないわね……それにお兄さまがお世話になってます、ってあいさつしないと!」
花音が鉛筆を握りしめて気合いを入れる。結弦が「ほんと、お世話になってるんだ」とぽわぽわしている。
「でも、城嶋さんたち、予定は大丈夫でしょうか? 十和子さんたちは大丈夫という確認が取れているんですが……」
「独身男性で恋人もいなければ、暇だよ」
そいうものなのかしら、と真理愛は首をかしげる。
「それより真理愛さん、そのボイスレコーダーのデータ、僕にも送っておいてね。こういうデータは色んなところに保存しておかないと」
「はい……どうやるんです?」
頷いたはいいが機械に疎い自覚はあるので、スマホを前に首を傾げる。このボイスレコーダーのアプリを入れてくれたのは結弦なので、真理愛はよく分からない。
潔く「どうぞ」とスマホを渡すと「苦手だよねぇ」と苦笑しながら、結弦が自分で自分のスマホにデータを送ってくれる。
「それにしても見られてたのは、気づかなかったな……」
「私だってバレてないからいいですけどね」
「お姉さまと鉄仮面のお姉さまは、びっくりするぐらいちがうもの。……今日の宿題、かんせい! お兄さま、かくにんして」
「はいはい」
結弦が差し出された算数ドリルを受け取る。指定されたページをやってあるか、全問、解けているかの確認だ。
「お姉さま、私よりスマホの操作が苦手よね」
花音もすでにスマホを持っているのだ。
「だって難しいんですもの。この間、花音ちゃんにゲームのアプリを入れてもらったんですよ。ファンタジックで可愛い生き物のお世話ができるし、おしゃれもできるんです」
「僕、聞いてない!」
「私とお姉さまはフレンドなのよ。ゲームの中のお互いのお家に行ったり来たりするんだから!」
ふふんと花音が自慢げに胸を張る。
「花音ちゃんのお部屋、とっても可愛いですよね」
「お姉さまのお部屋もこれから可愛くできるわ」
「僕もやる、花音、どのアプリ?」
スマホを握りしめる結弦に花音が「もー、しょうがないですわねぇ」と言いながら、真理愛のスマホを指さす。
「招待してあげると、特別なアイテムがもらえるのよ。私はお姉さまを招待してもらったから、今度はお姉さまがもらうといいわ」
「じゃあ、はい」
真理愛は画面のロックを外し、アプリを起動してから再び潔く、今度は花音に渡した。花音は「お姉さまったら」と言いながらも頼られて嬉しそうに操作してくれる。
ピコンと結弦のスマホが鳴って、招待状を受け取った結弦がアプリをインストールする。
「お姉さま、一人で住んでいた時は、Wi-Fiの設定とかどうしていたの?」
「パパが得意なので、パパにしてもらったり、日本の従姉妹が遊びに来た時に頼んだりしてました」
ここで暮らすようになってからは、結弦が全部やってくれるので有難い。
「そっか。お姉さまのお父さまは、日本人だものね。どこの出身なの?」
「山梨県ですよ。おばあちゃんとおじいちゃんが何言ってるかは分かんないことが多いですけど、方言って難しいですよね」
「そうなのね。私はパパもママも東京出身だから方言って身近じゃないから……テレビで見る関西弁くらいかしら?」
「真理愛さんの従姉妹は皆、山梨に?」
「三人いますけど、一番上のお兄ちゃんは神奈川、一番下の次女が東京にいます。真ん中のお姉ちゃんは、農業が好きすぎて山梨で桃とか葡萄を作ってるんです。一番下の真澄ちゃんは私と同い年で一番仲が良い従姉妹なんです。絵が上手で、その関係のお仕事をしているって聞いてますけど……」
「すごいね、真理愛さんの友達のリタさんも絵の関係だろう?」
「リタは画家なんですけど、真澄ちゃんはイラストレーターでちょっと職種が違うのかも? 恥ずかしがって教えてくれないから詳しくは分かんないですけど……」
「私も絵は得意よ」
傍らに置いたランドセルから自由帳を取り出して花音が見せてくれる。
可愛らしい女の子のイラストが描かれていて、素敵なワンピースを着ている。確かにとても上手だ。
「私ね、お洋服を作る人になりたいの。だから、今からたくさん描くのよ」
「なら、今度、従姉妹の真澄ちゃんやリタが遊びに来るときは、花音ちゃんも誘いますね。二人ともお洋服のプロではないけれど、絵のプロですから」
「本当? ぜひお願いしたいわ! 色の使い方とか教わりたいの!」
「でも、花音、前に四年生になったら絵画教室に行くって言ってなかった?」
結弦の問いに花音が苦笑を零して、肩をすくめた。
「パパは、そういう現実的じゃない習い事は好きじゃないから。英語とかピアノとか、そういうのは許してくれるけど……絵画教室は見学に行っただけで、怒られちゃったから諦めたの」
真理愛の中でまた結弦の父の好感度が下がってしまった。結弦の過去を聞いてから、地を這っている好感度だが、この分だとその内、地面を潜って行ってしまうかもしれない。
そもそもピアニストになるわけでもないのに、ピアノは良くて、画家になるわけではないのに絵画教室がダメなのか、真理愛にはさっぱりと分からなかった。
「僕は習い事なんてしなかったからな……精々、家庭教師に勉強を教わるくらいだったんだよね。それも小学生までだったし……あ、今はオンラインだけどフランス語講座を受講してるよ。真理愛さんとフランス語で話したいから」
「聞くだけだとすてきな理由だけど、お兄さまのことだから、お姉さまのどんな言葉も理解したいっていう重い愛がありそうで嫌だわ」
花音がすっぱりと言い切って、結弦が「花音~~」と情けない声を上げた。
だが真理愛も習いだした理由を聞いた時「真理愛さんの何気ない独り言を理解したいから」と頬を染めながら教えられて、聞いたのを後悔したのでフォローはできなかった。
「そ、そうでした。日曜日、皆さんを招く許可が出たので、どんなお料理にするか考えないと!」
「まあ、すてきだわ! お姉さま、私もお手伝いしていい?」
落ち込む兄をさっさと見捨てて花音が顔を輝かせた。
「ふふっ、もちろん。お部屋の掃除もして、飾りつけもしないと……」
「私ね、お姉さまのつくるキッシュを皆に食べてもらいたいわ」
「なら、フランスの家庭料理をメインにしましょうか。私の故郷の味を知ってほしいから」
「とってもすてき! 私も食べたい」
「じゃあ、今夜は寝るまで、メニューを考えましょうか」
「紙とペンはここにあるわ」
「僕を仲間外れにしないで! スープはガスパッチョにしよう!」
落ち込むのをやめたらしい結弦が割り込んでくる。その様子に真理愛と花音は、くすくすと笑い合う。
真理愛たちは、あーでもないこーでもないと悩みながら、真理愛のレシピノートやフランスのレシピ本を参考に日曜日の献立を決めるのだった。
花音の寝息が穏やかに静かになって、深く眠ったのを確認し、真理愛は体を起こす。
花音の向こうでは、すっかりこの部屋で寝るのが当たり前になったジャスティンがいる。
「ジャスティン、お願いね」
目を開けて一度、真理愛を見たジャスティンの頭を撫でて、真理愛は寝室を出る。
リビングに行くと結弦がぼんやりとテレビを見ていて「何か飲みますか?」と声をかける。はっとしたように結弦が振り返る。
「花音は寝たの?」
「ええ。寝つきがいいですよね。ホットミルクでいいですか?」
「うん。ありがとう」
待っててね、と声をかけて真理愛はキッチンへ行き、小鍋で牛乳を沸かして、はちみつを垂らしてマグカップに注ぐ。
ほんのり甘いホットミルクを手に結弦の下へいき、その隣りに腰かけた。
マグカップを受け取った結弦が、ふーふーと息を吹きかけて、一口飲む。優しい甘さのホットミルクに、彼の頬がわずかに緩んだ。
「……真理愛さん」
「はい?」
「噂、本当に大丈夫? 日曜日、皆に秘密を話すのも」
「大丈夫ですよ」
真理愛はマグカップをテーブルに置いて、結弦に向き直る。
「でも、きっと結弦さんがいなかったら大丈夫じゃなかった」
結弦がぱちりと瞬きをした。
「絶対の味方がいるって結弦さんが教えてくれたから。十和子さんたちのことも、心から信じられるようになったんです。噂の発生源の女性たちに挑むときも、結弦さんがいるから怖くなかったし……何より、貴方のことを王子様だってきゃーきゃー言う口で、浮気する軽薄な男って言うのに腹が立って仕方がなかったの」
「僕も……正直言うと、藤原さんの時も、今日も、真理愛さんが僕のために立ち向かってくれたこと、嬉しかったよ。でも、危ないことでもあるから」
優しい人だな、と真理愛は結弦に寄りかかり、その肩にこてんと頭を乗せる。
「私ね、これまで全然、私を大事にできていなかったの」
真理愛は前に手を伸ばして自分の両手を見る。左手の薬指でエメラルドがキラキラと輝いている。
「私のこの見た目のせいで、私自身も怖い思いをしたし、傷ついた。それだけじゃなくて、パパやママに怪我もさせちゃって、結弦さんたちにも……でも、それでも結弦さんが私を愛してくれるから、私、もっと私のことを大事にしようって思えるようになったの。今まで私は私を守っているように見せかけて、私を殺していただけだから。鉄仮面は、本当の真理愛をずっと殺していたの。そうしないと生きていけなかったから」
結弦は黙って真理愛の言葉に耳を傾けてくれている。
「でも、結弦さんが言ってくれたでしょ。『僕が傍にいる時は、真理愛さんは、何も偽らなくていいよ。好きなように笑って、怒って、泣いて、気ままでいいよ』って。私、そう言われた時、本当に心が軽くなって、あれが救われたってことなんだって後から気づきました」
真理愛は顔を上げて、結弦を見上げた。黒い瞳はじっと真理愛を見つめている。
「私、私を大事にするようになって、結弦さんだけじゃなくて、たくさんの人が私を大事にしてくれているんだって気づくことができたんです。十和子さんや橋本さん、佐藤さん、経理課の皆に、正人さんや御影さんも」
「皆、真理愛さんの味方だよ。……城嶋さんと池田くんだって、僕の味方じゃないんだから」
ちょっと拗ねたように言う結弦にキスをすれば、ころっと彼の表情はご機嫌へと転がっていく。
「私の大事な人がたくさん増えて、だから、その大事な人に『本当の私』も知ってほしいって思ったの。正直、会社で鉄仮面を辞めるつもりはないんです。経理課の皆のことは信じているけれど、世の中は良い人ばかりではないから」
「僕は鉄仮面継続に大賛成だよ。自分勝手な人って言うのは、都合の良い部分しか見ないから」
大きな手が真理愛の手を包み込む。
「ふふっ、私はね、私を大事にできるようになったから、結弦さんのことも大事にするの。だって隠れていた真理愛を見つけてくれたから」
真理愛や花音を大切にするのは得意なのに、結弦は過去の出来事のせいで、自分を大切にするのはどうも下手くそだから、真理愛がその分、大切にしてあげるのだ。
「……やっぱり、真理愛さんには敵わないなぁ」
どこか悔しそうに言いながら、彼の目は嬉しそうに細められた。
「でも、無茶はしないように」
「はーい」
軽い返事だなぁ、と眉を下げる結弦に「気を付けるから」と言いながらキスをすれば、やっぱり単純な彼は機嫌を良くして真理愛を抱きしめてくれた。
その腕の中には安心しかなくて、真理愛も結弦の背中に腕を回したのだった。