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【コミカライズ】鉄仮面のマリア ※続編完結!  作者: 春志乃
第5話 おやすみの前のホットミルク
53/60

5-1



 異変を感じたのは、水曜日に入ってからだった。

 週末、三人で出かけた水族館はとても楽しい思い出になった。やはりイルカショーの後、花音は遊園地ではなくお土産ショップを優先して、なんとそこで一時間ほど、お土産に悩んでいた。

 最終的に花音は、一番のお友だちとお揃いのイルカのキーホルダーとやってみたいと言ったハズレなしのくじで、引いたイルカのぬいぐるみを腕に抱えてご満悦の様子だった。

 真理愛と結弦もそれぞれ職場にクッキーをお土産に買って、帰りに出来上がった真珠のアクセサリーを受け取って、帰路に就いた。

 帰り道でレストランに立ち寄り、次に出かけるなら今度はジャスティン(今日はコンシェルジュに頼んである)も行けるところにしようね、と話しながら家に帰った後はお風呂を済ませて、三人とも疲れ果ててあっという間に眠ってしまった。

 月曜日は三人とも少し疲れを残しながらも楽しかった水族館の話をしながら、朝の仕度をしてそれぞれ会社と学校へ行った。

 月曜日に藤原がまた突撃してくるかと警戒していたが、真理愛のところにも、結弦のところにも姿は見せなかった。

 だが、火曜日、そして、水曜日、何故だか妙に視線を感じるのだ。それは他の社員からもだが、隣の十和子や他の同僚たちからもなのである。

 最近は結弦との交際がバレたおかげで視線を向けられることは多かったが、まさか経理課内でも向けられるとは思っておらず、キーボードを打ちながら首を傾げる。

 ようやく昼休憩の時間になって、一気に課内の空気が和らぐ。真理愛もぐーっと伸びをして、一息ついた。眼鏡をずらして、眉間を指でぐりぐりする。


「ねえ、真理愛ちゃん」


「はい」


 真理愛は眼鏡を元に戻して振り返る。


「あのー、もし、よければなんだけど……お昼、一緒に食べない?」


 妙に十和子の歯切れが悪い。


「いいですけど……どうかしましたか?」


「OK取れたわ!」


 十和子が勢いよく立ち上がり、さらに佐藤と橋本も立ち上がった。


「さあ、行くわよ!」


「え?」


 がしりと腕を掴まれ、真理愛は慌ててランチバッグを手に取る。そしてそのまま十和子に連行されるようにしてオフィスを後にした。



 連れて来られたのは、会社から少し離れたところにあるカラオケボックスだった。ドリンクさえ頼めばフードは持ち込み可能ということで、真理愛はオレンジジュースを頼んで、U字型の席に十和子と真理愛、佐藤と橋本でそれぞれ向かい合うようにして座る。


「まずは腹ごしらえよ」


 十和子がそう宣言し、お弁当を食べる。いつもは食堂で食べている佐藤と橋本も今日はお弁当持参のようで、橋本はとても大きなおにぎりを頬張っていた。

 真理愛も首を傾げなら、小鯵の南蛮漬けをメインにしたお弁当を食べる。橋本がよだれを垂らして見ていたので(彼女の大きなおむすびは、まさかの具なしだった)、南蛮漬けを一つ上げると「美味しいです!」と嬉しそうに食べていた。ついつい餌付けしたくなってしまう可愛さだ。十和子と佐藤も「お食べ」と自分のおかずをおにぎりに乗せてあげていた。


「……さて、皆、食べ終わったわね」


 十和子が口元をハンカチでぬぐって言った。向かいに座る佐藤と橋本が頷く。


「橋本ちゃん、口端にご飯粒ついてるわ」


「すみません!」


 橋本が慌てて口元をぬぐった。


「気合を入れ直して本題よ。……真理愛ちゃん」


 ぐるんと振り返った十和子にストローでオレンジジュースを飲んでいた真理愛は目を丸くする。


「王子、浮気してるの!?」


「ぶふっ」


 オレンジジュースが器官に入ってむせる。十和子が慌てて背中をさすってくれる。


「す、すみませ、ごほっ、あの、なんです、それ?」


「噂になってるんです!」


 橋本が身を乗り出した。


「噂?」


「先週末、王子が水族館でとんでもない外国人美女と水族館デートしてたって。その上、隠し子まで居るらしいって」


 佐藤が眉間に皺を寄せたまま言った。


「まあ、私たちはその子どもってのは妹ちゃんかなって思ったんだけど……」


 十和子が補足し、橋本と佐藤は頷く。


「私たち、水族館はてっきり真理愛ちゃんと行くんだと思っていたから、その外国人美女は王子のご親戚?」


「えーっと……」


 真理愛はなんと答えたものかと言葉に詰まる。


「……まずお聞きしたいんですが、そのお話はどこから?」


「真理愛ちゃんの二個上の入社同期組で水族館に行ったらしいわ。それで王子を見かけたらしいの」


「しかも現場には藤原舞香がいたっていうじゃない」


「王子先輩のストーカーですね!」


 佐藤の言葉に橋本がうんうんと頷く。

 多分だが間違いなく、あのナンパされていた場面を目撃されていたようだ。


「もしかして王子が藤原さんを撃退するために雇った女優とか?」


「王子ならその人脈ありそうねぇ」


 佐藤と十和子が勝手に結論を出そうとしている。もうそれでいいかなぁ、と真理愛が思い始めた時、橋本が唇をかみしめて泣きそうなのに気づいた。


「ど、どうしたんです、橋本さん……っ?」


 真理愛は慌てて橋本の隣に移動してハンカチを差し出す。

「あ、ありがと、ござまず……っ」


 真理愛のハンカチを握りしめて橋本がぽろぽろと涙をこぼす。


「どうしたの、橋本ちゃん」


 佐藤も心配そうに小さな背を撫でる。


「だって、先輩が、とっても幸せそうにっ、王子先輩のこと、好きになって、よか、よかったて、言ってたのにぃ、うわ、浮気だなんてぇ……っ!」


「橋本さん……」


 真理愛のために涙を流してくれているのだとその言葉から彼女の優しい想いが伝わって来る。

 それと同時に十和子と佐藤も、真理愛を心配して今日、ここにいるのだと気づかされた。きっと彼女たちは会社で大人気で人望も厚い営業部の王子様ではなくて、煙たがられている経理課の鉄仮面の味方なのだ。

 でも、ストーカー事件のときだって、皆、真理愛の味方でいてくれた。他の社員があからさまな悪口を叩いていたときだって、経理課の皆だけは真理愛の味方で、真理愛を護ろとしてくれた。

 あの時、入社前なので橋本はいなかったが、橋本は先輩、先輩と真理愛を慕ってくれる可愛い後輩だ。その上、真理愛のためにこうして涙を流してくれる。


「大丈夫ですよ、橋本さん。浮気なんかじゃありませんから」


「で、でもぉ……めちゃくちゃイチャイチャしてたって……っ」


 そんなにイチャイチャしてたかしら、と真理愛は記憶を振り返ってみるが、スキンシップの感覚が違う真理愛にはさっぱりと心当たりはなかった。


「……あの、もしよろしければ、彼女のことを皆さんに紹介します。今度の日曜日、結弦さんに今から許可をもらうんですが、我が家でランチでもいかがですか?」


「え? 真理愛ちゃんち? あの高級マンション、一度行ってみたかったのー!」


「日野ちゃん、目的が変わってる!」


 佐藤のツッコミに十和子が慌てて口を押えた。

 真理愛はいつもの十和子と佐藤に「掃除しないとですね」とくすくすと笑う。


「あ、でも、いきなり今週末って言うのは難しいですかね」


「全然、平気です!」


 橋本が力強く答えた。


「私も昼なら平気」


「私も平気よ。今週末はお家で映画でも見るかぁってぐらいの予定だったしねぇ」


 佐藤が頷き、十和子からもOKが出る。


「なら結弦さんに相談してみますね。私だけのお家じゃないので……あ、皆さん、わんちゃん平気ですか? シェパードで大きいんですが」


 三人とも「平気」と返事が返って来る。橋本は実家で雑種犬を佐藤は柴犬を飼っているそうで楽しみが増えたと喜ぶ。


「ねえ、皆、楽しそうな雰囲気のところ悪いんだけどぉ、あのね、もう時間がないわぁ」


 十和子が見せてきたスマホの画面に表示された時間に三人は「「「あ」」」とそろって声を漏らした。


「急ぎ、撤収!!」


「「「はい!」」」


 佐藤の掛け声に慌ててテーブルの上を軽く片付け、忘れ物がないか確認し、急いでカラオケボックスを後にする。

 会社への道を急ぎ足で駆け抜けて、なんとか午後の始業時間に間に合った。


「はぁー、運動、しない、と、ですね」


「すごいわねぇ、あの二人……」


 疲労困憊の真理愛と十和子とは対照的にフットサルが趣味の佐藤と運動が大好きと常々言っている橋本は平気な顔をしている。

 真理愛は今度からもう少しジャスティンのお散歩に付き合おう、とひそかに決意しながら午後の仕事に取り掛かるのだった。




 しばらく集中して仕事を進めていたが、ふとトイレに行きたくなり席を立つ。十和子が顔を上げたので「お手洗いに」と小さく告げて、同僚たちがキーボードを打つ音を背に経理課を後にする。

 トイレで用を済ませて個室を出ようとしたところで、話し声が聞こえて鍵を開けようとした手が止まる。


「ねえ、知ってる? 王子の恋人、めちゃくちゃ美人の外国人なのよ」


 これ見よがしに大きな声でしゃべり出した女性社員の声には聞き覚えがあった。総務課の女性で、真理愛を敵視している人でもわりとあからさまに悪意を向けて来る人だ。


「確か、同期の皆で水族館行ってたのよね」


「そうそう。それで、ね、あたしたち、偶然、見かけたんだけど、まあ、美女も美女だったわ。しかも子どもまでいてさ」


 どうやら水族館に居合わせた人が二人、そして、もうひとり聞き手がいるようだ。

 十和子たちの心配の種となった噂の発生源はここのようだ。


「ってかさ、王子の恋人ってあのクソブス鉄仮面じゃなかったってこと?」


 あまりに酷い言われように噴き出しそうになるのを真理愛はぐっとこらえる。悪口が潔すぎて、いっそ清々しい。


「あれじゃないの? 隠れ蓑って感じ? だってさ、とっつきがたい鉄仮面を会社で矢面に立たせておけばいいじゃない?」


「そうそう。そりゃあ、綺麗な人だったんだから。モデルって言われても納得の美女。しかもさ、その美女が着てた服、エ〇メスの今年の春夏の新作で七十万とかするやつでさ。子どもも小学生くらいの女の子なんだけど、そりゃあ美少女で王子の血縁を感じたわ」


 真理愛は「はぁぁ?」と声が漏れそうになるをぐっとこらえた。

 水族館で来ていた黒のワンピース、靴は同じブランドであるのを知っていたが、あの男、「こっちは三万くらいだよ」とかあのワンピースに対してほざいていたというのに。帰ったら要取り調べだ、と真理愛は決意を固める。素敵なワンピースに浮かれてよく見なかったのがいけない。証拠となる何かが必ずどこかにあるはずだ。


「お金持ちの外国人美女は、もう間違いなく本命でしょ。ってか、あれ、隠し子かな? そっちも気になるんだけど」


 そのお金は、弊社の王子様のお財布から出ているのよ、私は買おうと思わないわよ、と心の中でぶつくさ文句を言う。


「浮気に隠し子って鉄仮面、カワイソー。ウケるんだけど」


「ってか、鉄仮面のほうが浮気相手でしょ。王子、えげつなくない?」


 言葉は憐れんでいるが、声はあざ笑っているのだから、器用なものである。

 真理愛は当事者であるのだから、結弦が真理愛に一途(過ぎる)のは身を持って知っているのでなんとも思わないのだが、結弦が悪く言われるのは、非常に腹が立つ。

 勝手に王子だなんだと持ち上げておいて、そもそも結弦が浮気をしたり、恋人に対してそんな不義理を働く男だと思っているのがムカつく。

 あんなに一途で重い男は早々いないというのに。

 真理愛はスマホのボイスレコーダーを起動させてから、止まっていた手を動かして鍵を開けた。出てきた真理愛に三人がぎょっとした顔で鏡に映っていて、真理愛はふっと笑って、空いている手洗い場へ行く。

 ハンカチを取り出して小脇に抱えてから、手を洗う。

 ジャーっと水が流れる音が沈黙で覆われた女子トイレでのんきに響く。


「あ、あら、いたの」


「ごめんなさい、うるさかったかしら」


 頬を引きつらせながらも器用に目の奥に嘲りを宿している彼女らを一瞥し、真理愛はハンカチで手を拭く。


「まさか、元気なお声で何よりです」


 二人の頬が引きつり、聞き役の女子社員が眉を寄せた。

 真理愛はハンカチをしまい、リップを取り出して鏡の中の自分を見つめながら、結弦が選んでくれたその色を唇に乗せる。


「でも、ありがとうございます」


 真理愛はゆっくりと視線を三人へと向けた。

 急にお礼を言われた三人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。


「結弦さんがそんな酷い噂を立てられているなんて、私、ちっとも知らなくて。優しい人だからきっと気に病んでしまうんじゃないでしょうか……」


 真理愛はあえて左手を頬に充てて溜息を零した。

 薬指でエメラルドがきらりと輝く。


「根も葉もない噂を立てられて、名誉棄損になりかねませんもの」


「め、めいよ、きそん? は?」


「そうでしょう? 貴女たち、言っていたじゃやないですか。結弦さんが、私という婚約者がいながら、外国人美女に浮気する上、隠し子までいる軽薄な人だって。婚約って破談になると慰謝料が発生するんですよ? 恋人とは違うんです。ご存知ですか?」


「いや、あの、わたしたちそんなふうには……」


「だって可哀そうっておっしゃったじゃないですか、私のこと。結弦さんが酷い男だから、同情してくださったんでしょう?」


 真理愛は胸ポケットから一本のペンを取り出す。


「水原さんの件があってから、心配性な彼に言われて持ち歩いているんです。ボイスレコーダー」


 こっちはただのペンだが思わせぶりにカチッと押してみる。芯が出るだけなのに、三人は一歩、後ずさった。

 水原の弁当ぶちまけ事件は社内で知らない人はいない有名な事件だ。いくら相手が嫌われ者の鉄仮面でも、いきなり人の弁当を取り上げぶちまけ、踏みつけたうえで罵詈雑言を吐くというあまりにもな奇行であるし、その後、情報漏洩で懲戒解雇されているのでなおのことだ。


「結弦さん、営業職ですもの。そんな不名誉な噂を流されて、評判を傷つけられたら彼の今後に係わりますよね。外国の方ですからスキンシップが多かっただけ、無礼なナンパから彼を助けただけかもしれないのに、それに女の子は彼の実の妹さんなのに、そこまで想像できるなんて」


 もう一度、カチッと鳴らしてそれをポケットに戻す。


「でも、皆さん、嫌われ者の私を心配してくださる優しい方ですもの。彼女は私の友人で日本に遊びに来てくれて、一緒に水族館に行ったんです。誤解をしている方々に教えて頂けますか? あ、証拠の写真もありますよ」


 真理愛はスマホを操作して、三人で撮った写真を見せる。


「私が撮ったので、私は映ってないですけど」


 結弦は立っているが、真理愛はしゃがんで花音を抱きしめている。スタッフに撮ってもらった写真だ。


「……お願い、できますか?」


 微笑んだ真理愛に三人は、こくこくと青い顔で頷いた。


「ありがとうございます。これで一安心ですね。では、よろしくお願いします」


 真理愛はスマホをポケットに戻し、ひらひらと手を振ってトイレを後にする。

 だが入り口になぜか藤原がいて、脚が止まる。

 秘書課のフロアはここではないのに、どうして藤原がいるのだろうか。まさかまた文句でもつけに来たのだろうか、と身構えるが藤原は、どうしてか――真理愛の気のせいでなければ――うっとりとした顔で真理愛を見上げている。


「お、お姉様」


「は?」


「し、失礼しますわ……!」


 なぜか頬を赤くした藤原が駆け足で去って行った。

 置いてきぼりにされた真理愛は頭に大量の疑問符を浮かべながらも女子トイレを出て、経理課へと戻る。

 だが到着する前に橋本を先頭に十和子と佐藤がこちらにやって来た。


「どうされたんです?」


「橋本ちゃんがおトイレに行ったら、真理愛さんが総務課の子たちに絡まれてるって聞いて」


 どうやら心配してきてくれたらしい。その気持ちがやっぱり嬉しくて、真理愛は小さく笑みを浮かべる。


「ああ、そのことでしたらご心配なく」


 真理愛の背後でトイレから出てきた三人がそそくさと総務課のオフィスに逃げ込んで行く。


「日曜日に全部、お話ししますね」


 そう告げて、真理愛は微笑んだ。

 三人は先ほどの真理愛のように疑問符を浮かべながら盛大に首をかしげていた。




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