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※本日は2回更新です!
※夜19時にも更新します。
「花音ちゃん、具合が悪くなったらすぐに先生に言ってくださいね。我慢しちゃだめですからね」
「分かったわ、お姉さま。……お姉さまも、頑張ってね」
「…………はい」
真理愛は花音に励まされながら、現実を思い出して遠い目をしながら頷く。
御影が「大変そうですねぇ」との苦笑いしながら、ハザードを出して車をいつもの位置に停めた。
「お姉さま、がんばって!」
「頑張ります。私は鉄仮面、私は鉄仮面。今日を乗り切れば、一応、明日は休み!」
真理愛は自分に言い聞かせ、深呼吸をして、心を落ち着ける。
御影がドアを開けてくれたのにお礼を言って、足を先に外に降ろす。
「では、行ってきます」
「行ってらっしゃい!」
力強く送り出されて真理愛は車を降りた。
「今日もご連絡がなければ、いつもの時間でよろしいですか?」
「はい。お願いします。花音ちゃんのお迎えもお願いしますね」
「かしこまりました。それでは、行ってらっしゃいませ」
真理愛は御影にも見送られて、会社へと歩き出す。
自動ドアをくぐり、エントランスへ。心なしか視線を感じるが、いつも通り背筋を伸ばして進んでいく。今日だって結弦がプレゼントしてくれたヒールを履いてきたし、カーディガンは結弦のを借りてきた。これでばっちりだ。
指には、結弦がくれた指輪も輝いている。怖いものなんて、なにもない。
「よし」
小さく呟き、真理愛はいつも通りヒールを鳴らして、社員証を機械にかざし、受付を通過する。そのまま更衣室に行く。
真理愛が更衣室に入ると女子社員の視線が一気に向けられた。
真理愛は、ちょっとたじろぎながらも会釈をして自分のロッカーへ行き、身支度を整える。背中に感じる視線に溜め息をつきそうになるのをこらえていると、元気な声が聞こえてきた。
「あ! 先輩! おはようごいます!」
「橋本さん、おはようございます」
人懐こい笑顔に、真理愛はほっとしながら挨拶を返す。
橋本の身支度が終わるのを待って、更衣室を後にする。
「あの……妹さん、大丈夫でした?」
ひそひそと橋本が尋ねて来る。
「はい。幸い、たんこぶが残っただけで、今日から元気に学校へ」
「よかったぁ。私、運動部だったんで身に染みてるんですよ。怪我の怖さって。だから大丈夫ってことで安心しました」
「心配、ありがとうございます。それにお仕事のほうも……」
「いえいえ、私は先輩方のフォローのフォローが関の山でして、へへっ、むしろ先輩のお仕事の丁寧さと正確さに、私のほうがお勉強になりました!」
橋本の素直なところは、ちょっと眩しいくらいだ。
「でも、ありがとうございます。本当に助かりました」
「えへへ、あ、もし、もしですよ? もしどーしてもお礼をっていうなら、また先輩の作ったお菓子食べたいです! クッキーすっっっごく美味しかったです!」
なんだか犬の尻尾が見える。ジャスティンと同じでぶんぶんと左右に揺れる尻尾が。
最近、気づいたことだが真理愛はこの手のタイプの人間(主に結弦)に弱いのだ。
「私、お菓子作りが好きなので、そう言ってもらえると嬉しいです。好きなお菓子があったら教えて下さいね」
「いいんですか? やったぁ!」
無邪気に喜ぶ橋本とともに真理愛は、経理課へたどり着く。
真理愛は既に席に座っていた課長にお礼を言って、周りの皆にもお礼を言って、自分の席に着く。橋本も「先輩のお菓子~」と鼻歌を歌いながら、自分の席へ着いた。
無事に自席にたどり着いたことを神に感謝しながら、真理愛はパソコンの電源を入れたのだった。
「いやいやいや、でももしや、とは思ってたけど、マジだとはねぇ」
会社近くの和食屋さんで、真理愛は十和子と佐藤、橋本とともに昼食をとっていた。個室を予約していてくれたので、平和なお昼ご飯だ。
昨夜、十和子から昼のお誘いがあったのでお弁当は作っていない。もともと、結弦も取引先と食事の予定があって今日はお弁当がいらなかったのだ。
「リュディヴィーヌ・デ・メノーシェお姉様に恋人……っ、ううっ、でも小鳥遊さんレベルのイケメンなら、ゆる、許せます……むしろ、推せます!」
「橋本ちゃんは、今日も絶好調ねぇ」
サバの味噌煮定食を食べながら、十和子が笑う。真理愛は、銀だらの西京焼き定食、橋本と佐藤は竜田揚げ定食をそれぞれ食べている。とても美味しいので、今度、結弦や花音と来ようと真理愛は心にメモをする。
「じゃあ、王子がストーカーから守ってくれたわけだ。そして、交際開始三日で婚姻届を書かせようとしたわけだ」
佐藤が言った。
「ええ、まあ……そうなりますね」
「毎月、結婚情報誌買ってくるのよ、彼。あの分厚いやつ」
「重……え、それどうしてるの?」
「古紙回収に出すのは可哀想かなと思って、とりあえず納戸にしまってあります。でも付録は可愛いのが多いから使っていますよ」
「確かに、あれの付録って可愛いわよねぇ」
のほほんと十和子が返す。
「でも、凄かったですねぇ。みんなで代わる代わる、先輩を見に来て」
「ねー。それに全く動じない真理愛ちゃんもすごわよねぇ」
「昨日、イメトレしてきました」
真理愛の回答に三人が可笑しそうに笑った。
「ねえねえ、王子と一緒に住んでるんでしょ? 王子って家でも王子?」
佐藤が目を爛々と輝かせながら問いかけて来る。
「おおむね、あのままですよ。いつも優しくて、穏やかで……私、男の人が苦手なので、結弦さんと暮らし始めた時、リラックスしている自分に驚いたんです。……色々なことがありすぎて、男の人が怖くて、だから結婚とか恋愛とか諦めていたんです」
真理愛は手元に視線を落とす。
左手の薬指に輝く指輪は、贈ってくれた彼と同じでいつも優しく真理愛に寄り添ってくれている。
「だから、結弦さんと恋人になれて、奇跡みたいだなって思ったんです。私にも触れられても、近寄られても、怖くない男の人がいたんだなって、一緒にいたいって思えることができる人がいるんだって、すごく幸せです」
頬が勝手に緩んでしまうのを引き締めようとするが、うまくいかない。
だって、真理愛にとって結弦は本当に奇跡のような人なのだ。
「はぁぁぁ……王子は王子だけあって、本物を知っているのねぇ」
「ねぇ」
佐藤と十和子が訳知り顔で頷いている。横の橋本は「うつ、おね、おねえさま……推しがこんなに幸せそうで、私は……っ」と何故かむせび泣いていた。
「そ、そういえば……花園のエトランゼ? でしたっけ? 橋本さんが好きなのは……」
「はい、そうです!」
しゅばっと涙を拭って、橋本が復活する。
「ぜひ、一度読んでみたくて……漫画ですか? 小説ですか?」
「漫画です!」
「そうなんですね。私、日本語の読み書きがあまり得意ではなくて、小説は読むのが苦手で……」
「え! 先輩、日本人じゃないんですか?」
「半分、フランス人なんです」
真理愛の答えに橋本が目を丸くし、佐藤が驚きの声を上げた。
「え!? そうなの!? 日野ちゃんは知って、知ってる顔ね」
十和子は、どや顔で「私、真理愛ちゃんの大好きな先輩なんでぇ」と自慢している。
「せ、先輩……あの、フランス語喋れます?」
「ええ……どちらかと言うと、フランス語のほうが得意なんです」
「だ! だ、だったら、あの、一度、一度でいいんで……『雨が止んだ後はいいことがある』ってフランス語で言って貰っていいですか!? すごく、優しい感じで……!」
橋本が目をキラキラさせながら真理愛を見つめている。
「……Après la pluie, le beau temps.……でいいですか?」
橋本は口を両手で覆って、何でかぷるぷるしている。
「おーい、橋本ちゃん? くるみちゃん? 橋本くるみさーん?」
佐藤が呼ぶが橋本は、いたく感動しているようだった。何に感動しているのかは分からないが、目に涙が滲んでいる。
「わ、私の……リュディヴィーヌ・デ・メノーシェお姉様は、実在したんだ……っ」
「よかった、通常運転だわ」
佐藤がほっと胸を撫でおろし、真理愛と十和子も良かった、良かった、と安堵する。
「先輩、今度……今度、漫画持ってきますね……っ」
「でも私、読むのが遅いので時間がかかってしまうやも」
「大丈夫です。保存用、実用用、布教用ってあるので……好きなだけ時間をかけて読んで下さい」
きりっと決め顔で橋本が親指をぐっと立てた。
「それに、妹さんが読んでも大丈夫ですよ。少女向け漫画なんで」
「そうなんですか? だったら貸してほしいです。花音ちゃんと読みますね」
「じゃあ、来週、持ってきますね!」
「お願いします。楽しみにしていますね」
はい、と橋本は頷いて、竜田揚げを頬張った。もぐもぐとふくらむほっぺが本当にリスみたいで、思わず口元に笑みが浮かぶ。
「……鉄仮面なんて、呼ばれているのが嘘のよう」
「うふふっ、幸せな恋って偉大よねぇ」
佐藤と十和子が、味噌汁を啜りながら何事かを頷き合うのに、真理愛は不思議そうに首を傾げるのだった。