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【コミカライズ】鉄仮面のマリア ※続編完結!  作者: 春志乃
第3話 味気ないコンビニおにぎり
47/60

3-3

※本日は2回更新です!

※夜19時にも更新します。


 真理愛は、ベッドに突っ伏して花音の手を握ったまま寝落ちしてしまった結弦に毛布を掛ける。

 時刻は二十一時。いつもだったら余裕で起きている時間だが、さすがに結弦も疲れたのだろう。涙が止まった後、真理愛が着替えなどを取りに帰った際に買って来ていたコンビニのおにぎりを二つ食べて、花音の様子を見ていたのだが、ほどなくして眠ってしまった。

 いつもは美味しいはずのコンビニおにぎりも、なんだか今夜は味気ない。

 花音もぐっすりすやすや眠っている。真理愛は花音の布団も掛けなおし、部屋のあかりを少しだけ落とす。

 ベッドの枕元のオレンジ色の光だけを残して、真理愛はソファに移動する。

 凪咲にメッセージを送り、次に十和子と御影にそれぞれメッセージを送る。

 空港でキャンセル待ちをしていた凪咲は最終便まで粘ったが、不運なことに座席は空かなかったようだ。空港近くのホテルに泊まって、朝一番の飛行機で帰る旨のメッセージが届いた。

 真理愛は、なんだか落ち着かない気持ちのまま、ふうと息を吐く。

 ふと、テーブルの上に置きっぱなしになっている結弦のスマホが着信を知らせる。凪咲かと思って覗き込むと、そこに表示されていた名前は結弦の親友の東条正人のものだった。


「……ストーカーのことかな。緊急だったら、どうしよう……」


 少し逡巡した後、真理愛はおそるおそる通話ボタンを押して、スマホを耳に当てた。


『おう、結弦。お前、明日暇か』


「も、もしもし……」


『…………間違えたか? ん? 結弦の番号……あ、真理愛さんか』


 正人は、結弦の影響で真理愛のことを「真理愛さん」と呼ぶ。結弦とは違う少し粗野な口調と彼の体格と強面が苦手な真理愛だが、彼のことを嫌いなわけではない。ちょっと、本当にちょっとだけ怖いだけだ。


「結弦さん、色々あって眠ってしまっていて、急ぎなら起こします」


『え? もう? 風邪でも引いたか?』


 正人が不思議そうに言った。


「実は、花音ちゃんが怪我をしてしまって、病院にいるんです。怪我自体は、たんこぶが残るだけで大丈夫なんですが、一応念のため今夜は入院になったんです」


『マジか? 交通事故か?』


「いえ、体育の授業で跳び箱に失敗してしまったみたいで」


『なるほど…………あいつ、大丈夫か?』


 正人の声が心配の色に染まる。

 正人と結弦は、小学生の頃からの親友だと聞いている。きっと結弦の複雑な家庭の事情も正人は承知している。


「大分、取り乱していました。会社で私のところに飛び込んで来てしまうくらい。……お母さんの時のことを思い出してしまったって」


 微かに息を呑んだ音がスマホの向こうから聞こえた。


『……結弦、話してくれたのか、あいつの母親――美結さんのこと』


「はい。聞いてほしいと言われて……」


『そう、か。話せたんだな、真理愛さんにちゃんと』


 なんとなく正人が安心しているのが伝わって来た。警察官でもあり、面倒見の良い彼は心配していてくれたのだろう。


『……なんでもない平日の授業中だったんだ。俺だって覚えてる』


 正人がぽつぽつと喋り出す。


『国語の授業中だった。……教頭先生が緊迫した顔で教室に飛び込んできたんだ。それで結弦に『お母さんが交通事故に遭って病院に運ばれた。すぐに先生と一緒に行こう』って告げて連れ出した。担任の先生も一緒に行って、代わりに保健の先生と校長先生が俺たちの教室に来たのは覚えてる。その後、校長先生がなんの話をしたかは覚えてねえけど』


 真理愛は、黙って耳を傾ける。


『俺、結弦と仲良かったし、家も近所だからお袋に連れられて、葬式行ったんだ。空気が重くて、当時の俺が知ってたひいじいさんの葬式と全然違くて、子ども心に怖かった。……んでさ、結弦、なんでか怪我してたんだよ。頬にでっかいガーゼが貼られてた。……親父さんに殴られたんだって、後から知った』


「うそ……」


『聞いてるだろ? お前のせいで美結は死んだんだって殴られたらしい。確かに美結さんは結弦の誕生日プレゼントを買いに行って、そして事故に遭った。だが、んなの結弦のせいじゃないだろ? ……でも、それからだよ、親父さん。結弦に辛く当たるようになって、美結さんが死んでから五年は酒に入り浸りだった。時々、怪我して学校に来ることもあった。あいつは絶対に口を割らなかったけど、子どもだった俺にだって、それが親父さんの仕業だってことくらい分かってたよ。夏休みとかの長期休みは、あいつんちの家政婦さんと協力して無理矢理うちに泊めてた……だから、あいつ、酒が嫌いなんだよ』


「そう、だったんですね」


 初めて食事に行った時から、結弦は徹底してお酒を飲まなかった。弱いのかな、と思っていたが、本当の理由は、真理愛には想像さえできないものだった。


『美結さんの両親、結弦にとっちゃ、じいさんとばあさんが見かねて引き取ろうとしたらしいんだが、鷹野の家はデカイ家で、跡取りとかその辺がややこしくて……何より、あんなに嫌ってるのに親父さんが手放そうとしなかった。でも……再婚して、呆気なく結弦を捨てた』


 正人が吐き捨てるように言った。


『涼真が産まれてすぐだったよ。結弦が家を追い出されて、あのマンションに移ったのは。結弦のじいさんたちは、それも予想してたみたいで、すぐに入居できるようになってた。んでさ、俺の伝手でジャスティンを結弦に会わせたら、お互い相性が良かったみたいで今に至る』


「そう、だったんですね。ジャスティンくんのおかげで、あの広い家に結弦さんが、ひとりぼっちにならなくてよかったです」


 優しくて勇敢な愛犬の姿が瞼の裏に浮かび上がる。


『ジャスティンもいるけど、今は真理愛さんもいるだろ』


 そう言って正人がくすくすと笑った。


『本当に安心したんだぜ。最初、好きな人ができたって聞いた時、めちゃくちゃ驚いたけど、嬉しかった。大事なものを作ろうとしない結弦が、真理愛さんっていう大事なものを見つけられたこと。まあ、会うたびに真理愛さんが、真理愛さんで、真理愛さんは、ってうるさかったけどな』


 ははっと正人が笑う。


「私にだって、ことあるごとに正人が、正人はね、正人とね、と正人さんの話をしてくれますよ」


『……ほ、ほー』


「ふふ、ちょっと照れてます?」


『べ、別に照れてねぇよ。ちょっと呆れてただけだ!』


 正人が取り繕うように言った。


『つーか、なんで花音の連絡が結弦にいったんだ?』


 わざとらしく変えられた話題に真理愛は素直に付き合う。花音が家出して来たことと両親と連絡がつかなかったことを掻い摘んで説明した。


『なるほどなぁ。まあ、何事もなかったならそれが一番だよ。明日、結弦を呑みに誘おうと思ってたんだが、こりゃだめそうだな』


「もう少ししたら落ち着……落ち着かないかもしれません。会社の問題がこれからでした」


 真理愛は片手で顔を覆う。

 明日は花音に付き合うつもりで、真理愛も結弦も既に有給を申請している。だが、明後日の金曜日には会社に行かなければならないのだ。


「会社の入り口という入り口、埋まらないかしら……」


『埋まらねぇなあ。ま、頑張れ』


 他人事だと思って、とスマホを睨むが、正人にしてみればまさしく他人事なのである。


「また、結弦さんが起きたら連絡するように言います」


『おう。頼むわ。でもよ、マジで困ったことがあれば、いつでも言えよ? こー見えて俺はおまわりさんだからな』


「……はい、ありがとうございます。あの、その内……」


『お、悪い。連絡入った、切るな』


 一気に声が真剣さを帯びて、真理愛が何か言う前に電話が切れる。彼はいつもせっかちだ。だが、様子からしてお仕事のほうで何かあったのかもしれない。


「結弦さん、あなたはやっぱり優しい人に囲まれているのよ」


 彼のスマホを撫でてテーブルの上に戻す。

 真理愛は、ベッドのほうを見る。

 毛布をかぶった大きな背中はゆっくり上下している。花音の寝顔も変わりない。


「……編みかけのレース、持ってくればよかったな」


 まだ眠れそうにないな、と苦笑しながら真理愛はソファに身を沈めたのだった。


 


 幸い、花音はスムーズに退院することができた。

 後頭部にぽっこりとたんこぶはあるが、大事に至らなくて本当に良かった。本人も元気そうで、今朝は病院で出された朝ご飯もぺろりと完食していた。


「本当に何事もなくてよかった」


 真理愛はソファに腰かけて、隣に座る花音の頬を撫でる。


「お姉さま、一緒にいてくれてありがとう。今日もお仕事だったのに」


「ううん。いいのよ。花音ちゃんのほうが大事ですもの」


 真理愛の返事に花音は、照れくさそうに目を細めて「ありがとう」とまた小さな声で呟いた。

 結弦は、退院の手続きと車の手配に行った。一度、会社に行って愛車をとってくると言っていたが、大分前に出かけたので、もうそろそろ戻って来るだろう。


「ねえ、お姉さま。もうそろそろ下に行きましょ? お兄さまも戻って来る頃合いだし、このままだと私、お兄さまに抱っこされて退院しなきゃならないことになりそうだもの。お兄さまのことは大好きだけど、それは恥ずかしいもの」


 そう言って花音が、ひょいと立ち上がった。

 結弦は、花音が目覚めてからずっと過保護だった。朝ご飯も食べさせようとし、トイレにまで抱っこして連れて行こうとするものだから、花音が羞恥で怒りだし、真理愛が間に入って真理愛がトイレには付き添うということで納得してもらったのだ。

 真理愛は、自分が一月に入院した時、まさにそれをやられそうになって必死に抵抗したのを思い出していた。あの時は、左手に荷物を持ってもらい、右手を繋ぐ、という両手ふさぎ作戦でなんとかやり過ごした。


「……やりますよ、あの人は、やります」


「お姉さま?」


「あ、あら、ごめんなさい。じゃあ、行きましょうか」


 真理愛は、キャリーケースの取っ手を長くして歩き出す。昨日、とっさに納戸のすぐ入り口にあったこれに荷物を詰めてきたのだが、結弦のキャリーケースは大きいので、彼のスーツもきちんと仕舞えてよかった。

 忘れ物がないか確認して、病室をあとにする。

 ナースステーションに顔を出して、それから、とこの後の予定を考えながら花音と手を繋ぎ、ナースステーションを目指して廊下を進んでいく。花音は、物珍しそうに周囲をきょろきょろと見回していた。

 ナースステーションに着いて、看護師に声をかける。


「809号室の鷹野です。準備が整いましたので、これから帰ります」


「了解しました。花音さん、何事もなくてよかったね。今度は気をつけてね。お姉さん、花音さんの再診の予約票、渡しま」


「花音!」


 看護師の言葉を遮る声に続いて、ばたばたと足音がして、凪咲がやってきた。結弦が後からやってくる。


「ママ……」


 花音は小さく呟いてたじろいだが、凪咲が花音をぎゅうと抱き締める。凪咲の背中には、涼真と思われる男の子がいた。まあるい目が、周囲を見回している。


「大丈夫? ごめんね、すぐに来られなくて」


「ママ、痛い! 痛いわ!」


「な、凪咲さん、花音ちゃん、後頭部にたんこぶが……!」


「え、あ、ご、ごめん、ごめんね、花音!」


 凪咲が慌てて手を放す。花音は「ママのばかぁ」と恨めしげに睨みながら、一歩離れた。


「いつもそそっかしいのよ、ママは」


「ごめんなさい……」


 凪咲がしゅんとうなだれる。

 花音は、真理愛のデニムに包まれた脚の後ろに隠れるように移動する。


「……ママは、一番に私じゃなくて、涼真を迎えにいったのね」


 凪咲が言葉を詰まらせる。花音の目が寂しそうに母の抱っこ紐を見つめていた。


「ち、ちがうの。涼真を迎えに行けば、あとはずっと花音と一緒にいられると思って」


「赤の他人なのに、真理愛お姉さまは、お兄さまを連れてすぐに来てくれたし、今日だって会社をお休みしてくれたの」


「こ、今回はパパにどうしてもって頼まれただけよ。お仕事に復帰したわけじゃ」


「だって、ママ、私の時は私が赤ちゃんのころからお仕事に戻ったわ。私の面倒をみてくれたのは、ママじゃなくてお兄さまと棚橋さんだもの。幼稚園の送り迎えだって、小学校の授業参観だって来てくれたのは、家を出るまで、ずっとお兄さまだった。でも……涼真のそばにはずっといるのね」


 母子の間に挟まれた真理愛は、目で結弦に助けを求めるが、結弦もおろおろしている。なんとなく、看護師に目を向けると、看護師ははっと我に返った様子で口を開いた。


「お、お話の途中ですみません。花音さんの再診の予約票、お姉さんに渡しましたっけ?」


「は、はい! 受け取りました。来週の土曜日です」


「でしたら、予約時間の十五分前には一階の受付専用の機械で、受付を済ませて下さいね。花音さん、昨日の今日だから、今日はゆっくり休んでください。お兄さん、担当の先生から注意点は聞いていたと思いますが、何かあったらすぐに連絡してください」


「はい。分かりました。花音、凪咲さん、ここじゃ迷惑になるから一旦、その辺のカフェにでも」


「行かないわ。ジャスティンが待っているから、お兄さまのお家に帰るの」


 真理愛の脚に花音がぎゅうとしがみつく。


「今は、花音さんが心身ともにゆっくり休める環境を整えてあげてくださいね」


 看護師の助け舟に真理愛は、のっかることにした。


「結弦さん。私、花音ちゃんと一緒に先に車に行っていますね」


「うん、分かった。荷物は僕が持っていくよ」


 結弦が真理愛の手から、キャリーケースを受け取る。真理愛は、結弦から車の鍵を受け取った。結弦が駐車した大体の場所を教えてくれる。


「……ママ、気を付けて帰ってね。涼真も良い子でね、またね」


 花音は、俯いたままの母親に声をかけ、真理愛の手を取ると歩き出した。真理愛は慌ててその小さな背についていくべく、足を踏み出したのだった。




「私、嫌な子ね」


 先に車に乗った花音の隣へ乗り込んで、落ち着いてすぐに隣から聞こえてきた声は、しょんぼりと元気がなかった。


「やっぱり、八つ当たりしちゃったわ」


 真理愛は、小さな背を抱き寄せるように腕を回す。こてん、と花音は抵抗なく真理愛に寄りかかる。


「…………でも、いちばんにきてほしかったんだもん」


 小さな、小さな呟きは静かな車の中じゃなかったら、きっと聞こえなかった。

 真理愛は、抱き寄せた腕をさすりながら、そのこめかみにキスをする。


「Après la pluie, le beau temps.」


 柔らかい頬を濡らすそれをもう片方の手で拭いながら真理愛は、囁くように告げる。

 濡れた丸い大きな目が、不思議そうに真理愛を見上げる。


「フランス語で、雨が止んだ後はいいことがあるっていう意味です。雨が上がると綺麗な虹が空に架かるように、辛いことがあっても、その後、良いことが訪れるんですよ」


「……でも、ひどいことを言ってしまったわ」


「そう思えるのは、花音ちゃんが良い子の証です。大丈夫。あとで心が落ち着いたら、ごめんなさい、のお手紙でも書きましょう? 口で言いづらいことも、お手紙にすると心の整理ができるから、もっとまあるい言葉になりますよ」


 ね?と真理愛が微笑むと、花音は「うん」と頷いて、小さな手で涙を拭った。



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