3-1
※本日は2回更新しています!
※朝7時に幕間を更新しています。
花音との暮らしは、賑やかで楽しい。
花音は、素直な良い子なので、ストレートに感情を表してくれるのも、真理愛にとってはありがたいことだった。何より「お姉さま」と真理愛を心底慕ってくれているのだから、うっかり甘やかしがちになってしまうのは、許してほしい。
誕生日も、花音は目いっぱい楽しんでくれて、良い笑顔の写真を凪咲に送れたと思う。あれから早三日が経って、やっと今週も折り返し地点だ。
「真理愛ちゃん、今週はなんだか楽しそうねぇ」
一緒に午後の休憩をとっていた十和子が言った。シュエットでは午後三時に休憩を十五分から三十分ほど取ることになっているのだ。真理愛は、休憩室で十和子とコーヒーを飲んでいた。休憩室は、半個室仕様になっているスペースもあり、真理愛たちはそこにいる。
「そうですか?」
「うん。十和子先輩にはお見通しよぉ」
真理愛は自分の頬を撫でる。相変わらず鉄仮面と呼ばれている真理愛であったが、十和子にはいつも感情が駄々洩れな気がする。
ちなみに花音は、月曜日に真理愛のこの「鉄仮面スタイル」に大層驚いていたが、結弦が「虫よけだよ」というと、何故か納得していた。真理愛は別に防虫はしていないのだが、どういうことだろうか。
「実は、彼の妹さんがしばらく遊びに来ているんです。小学四年生なんですけど、私をとても慕ってくれて、可愛くて、可愛くて」
「そうなんだ。やっぱり美少女?」
「はい。すごく可愛い子です。彼はお父さん似らしくて、妹さんはお母さん似なので似てはいないですけど、仕草とか言動がよく似ています」
「なになに、コイバナ?」
顔を上げれば、佐藤と橋本がやって来た。
隣いい?と聞かれて頷く。十和子の隣に佐藤、真理愛の隣に橋本が座った。二人も手に紙コップを持っていて、それぞれ飲み物を確保してきたようだ。
「橋本さんは、どう? 慣れた?」
「はい。まだまだ分からないこともありますが、先輩方が優しい人たちばっかりなので、やっていけそうです!」
にこにことうなずく橋本は、やっぱりリスみたいに可愛くて真理愛は、バッグを漁って、昨日、花音と作り、小分けにしたクッキーを取り出して二人に渡す。
「手作りが嫌でなければ、どうぞ。今日のおやつにと思って持ってきたんです」
「やった。畠中さんのお菓子、美味しいのよね」
佐藤が嬉々として受け取り、さっそく食べ始めた。前から時折、十和子にお菓子をあげたのをきっかけに、作り過ぎてしまった時などに会社に持って来ていた。
「いいんですか⁉ ありがとうございます! 推しからおやつもらっちゃった!」
橋本がスマホを取り出してクッキーの写真を撮る。
「ふふっ、真理愛ちゃんのお菓子は最高なのよ。うちの次男なんか、真理愛ちゃんの作ったチョコレートタルトが大好き過ぎて、誕生日のケーキはそれじゃなきゃ嫌だってだだこねて大変だったんだから」
十和子が誇らしげに胸を張る。佐藤が「だからなんで日野ちゃんが自慢げなのよ」と苦笑を零す。
「でも、喜んでもらえるのは嬉しいです。可愛いお手紙もいただきましたし」
真理愛は、その時のことを思い出す。たまたまチョコレートタルトを作ったのだが、分量を間違えて大きなタルトが二つできてしまったのだ。一つは冷凍しながら、真理愛が食べることにしたが、冷凍しても風味はどんどん落ちていくし、そう長く持つものでもない。その時、十和子が貰ってくれると言うので、彼女に引き取ってもらったのだ。
すると十和子の次男が、真理愛のチョコレートタルトをいたく気に入ってくれた。
誕生日はそれじゃなきゃ嫌だって聞かないの、お金を払うから頼める?と十和子に相談されて、一も二もなく頷いた。
そして、後日、お礼のお手紙を貰ったのだ。嬉しくて今でも大事にとってある。
「先輩、いつも美味しそうなお弁当、食べてますもんね。私、料理は勉強中なので、よければ今度、簡単なレシピ、教えて欲しいです」
「私で良ければ。橋本さんは、一人暮らしなんですか?」
「はい。高校までは実家暮らしで、大学は寮だったんです。でも、社会人になって一人暮らしが始まって、困ったのが料理でした。掃除とか洗濯は、寮の時に自分でやっていたから慣れてるんですけど、寮には食堂があったので」
へへっと橋本が苦笑する。
「なるほど。だったら今度、よく使う食材を教えて下さい。それを参考にレシピを用意しておきます」
「いいんですか!? ありがとうございます、先輩大好きです!」
にぱっと笑う橋本は、花音に通ずる可愛さがある。可愛い後輩ができてよかったなぁ、と真理愛は思わず橋本の頭を撫でた。
「ご、ごめんなさい、私ったら……」
「いえ! 推しに撫でられるなんて光栄です!」
そう言って頭を差し出して来る橋本は、ジャスティンにも似ているかもしれないと真理愛は、ふっと笑いながら、ぽんぽんと髪を撫でた。
「私の後輩が今日も可愛いわぁ」
「同感~」
のほほんとした空気が流れ、じゃあそろそろ仕事に戻ろうか、という空気になった時だった
やけに焦った様子の結弦が休憩室に飛び込んで来た。
「真理愛さん!」
きょろきょろと部屋の中を見回していた結弦と目が合うと、彼は長い脚を最大限利用して、すぐにこちらにやって来た。彼の後から、池田もやってきた。
「ど、どうしたの? 王子、顔真っ青じゃん」
佐藤が目をぱちくりさせている。
「真理愛さん、本当に申し訳ないんだけど……この後、早退できる? 僕も行くんだけど、どうしたらいいか分からなくて、それで」
「結弦さん、まず落ち着いて?」
真理愛は、橋本と席を変わってもらい結弦の手を取る。大きな手が、ぎゅっと真理愛の手を握り返した。
こんなに取り乱す結弦を見たのは、初めてだった。真理愛は、出来る限り優しい声で「大丈夫だから」と声をかけて、彼を落ち着かせる。
「それで、どうしたんです?」
「か、花音の小学校の担任から連絡があって、花音が体育の授業で怪我をして、救急車で運ばれて、そ、それで、それで今、病院にいるって」
「え、嘘、本当ですか? 花音ちゃんの容体は?」
「分からない。意識がないって連絡があって、だから……」
握りしめた結弦の手が震えている。
真理愛は、その腕を引いて結弦を抱き締めた。子どもあやすように広い背を撫でる。
「分かりました。私も一緒に行きます。今の結弦さんの運転は危なそうだから、御影さんに連絡しましょ? ね、大丈夫、大丈夫だから。……十和子さん、御影さんに連絡お願いしてもいいですか?」
「もちろん」
十和子は子育ての先輩として御影と仲良くなり、連絡先を交換しているのだ。ちなみに御影の奥さんともいつの間にか十和子は連絡先を交換していた。よく分からないが十和子の夫も入れて、四人のグループがあるそうだ。
「真理愛ちゃん、仕事のことは心配しないで? 私たちがちゃんと片付けておくから」
「そうよ、任せといて。それより早く行きなさいよ」
佐藤が力強く頷いた。
「先輩、微力ながら私も頑張りますので!」
「ありがとございます、佐藤さん、橋本さん。池田さん、すみませんが結弦さんのほう、早退とかその辺、どうなってます?」
「多分、城嶋さんがその場にいたので、なんとかしてくれていると思います。小鳥遊さん、電話が来てから取り乱してしまって、小鳥遊さんの仕事のフォローは城嶋さんと課長と、やっぱり俺も微力ですけどなんとかしておきます!」
池田が敬礼してみせると同時に結弦の鞄を持って城嶋が飛び込んできた。
「ほら、鞄。畠中さん、あと頼むな。池田、あとは任せて戻れ。こいつの仕事の穴を埋めるのは、大仕事だぞ! 小鳥遊、妹ちゃんは絶対、大丈夫だから、な!」
城嶋はばしんと結弦の背を叩くと、池田を連れて休憩室を出て行った。
「真理愛ちゃん、御影さん、すぐに来てくれるって! 課長には言っておくから、さっさと行きなさいな。子どものお迎えは、早ければ早いほうが良いのよ」
「ありがとうございます。ほら、結弦さん、私も荷物を取りに行きますから……十和子さん、佐藤さん、橋本さん、あとはお願いします」
真理愛は三人に頭を下げて、結弦の手を引き経理課へ急ぐ。
偶然、課長が廊下を歩いていたので、掻い摘んで説明し、急いで鞄を手にロビーへ降りる。この間、結弦と手を繋いだままだったので、驚愕や好奇心に満ち溢れた目が無数に向けられていたのには、気づいていたが、今はもうどうだってよかった。
タイミングよく御影の車がやってきて、真理愛は結弦を先に乗せて、その隣に乗り込んだ。
「日野さんから大体の事情は聞きました。結弦様、どこの病院ですか?」
「……〇×総合病院だって、言ってた」
結弦が辛うじて答えると「分かりました」と御影が頷いて、車は緩やかに走り出した。
真理愛は、膝の上で結弦の手を握りしめ、もう片方の腕は彼の背中を抱き締めるようにして「大丈夫ですからね」と声をかけ続けたのだった。