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2-4


 近くで待機していたらしい車で凪咲が帰って行ったのを見送ってエントランスで二人と一匹を待つ。

 落ち着かなくて、うろうろしながらドアの向こうを見つめていると、ようやく待ち望んだ人影が見えてきた。

 花音は、結弦におんぶされていて、ジャスティンが心配そうに、何度も花音を見上げながらやってくる。


「花音ちゃん!」


 真理愛は思わず駆けだす。


「転んでしまって……」


 結弦が困ったように眉を下げた。

 その言葉通り、花音の膝は両方とも血が滲んでいる。そして、痛くて泣いたのか、帰らないと泣いたのか、結弦の背に顔をうずめたまま花音からは、鼻を啜る音が聞こえて来る。

 真理愛は、ジャスティンのリードを受け取る。


「とりあえず、家に帰って手当てをしなきゃ」


 真理愛の提案に結弦も頷いて、心配そうなコンシェルジュに見送られて家へと戻る。

 中へ入り、真理愛は大急ぎで風呂場に花音を連れて行き、花音を椅子に座らせて、靴下を脱がせ、膝にシャワーをかけて砂を洗い流す。

 その間、結弦にはジャスティンの足を拭いて、救急箱の用意をするように頼んだ。


「他に痛いところは?」


 真理愛の問いに花音は、ひっくひっくと鼻を啜りながら首を横に振った。手も見せてもらったが砂がついていただけで、怪我はなかった。

 それからバスタオルで花音の濡れた脚を拭いて結弦を呼ぶ。


「結弦さーん」


「今行くよー」


 すぐに返事があって、結弦がやって来る。

 結弦が花音をひょいと抱き上げて、リビングへと行くのに真理愛もついて行く。

 ソファに座った花音の前に膝をつき、真理愛は救急箱からちょっとお高いばんそうこうを取り出す。


「これを貼っておけばすぐに治りますからね」


 血のにじむ膝小僧にばんそうこうをそれぞれ貼る。その内、白くぷくっとなってくるはずだ。


「花音、他に痛いところは?」


 結弦の問いかけに花音は首を横に振った。

 細い足首も腫れてはいないから、ひねってはいなさそうだ。

 真理愛は、その場を結弦に任せて、キッチンへ行く。

 牛乳を取り出して、棚からココアも取り出す。

 結弦が花音の隣に腰かけて、細い肩を抱き寄せ、何か声をかけている。

 真理愛はミルクパンで丁寧に作ったココアをマグカップに移して、マシュマロを浮かべる。ピンク色のハートのマシュマロは、最近のお気に入りだ。

 リビングへ戻って、花音の隣に腰かける。


「はい、どうぞ」


「……これ」


「ココアですよ。熱いから気を付けて下さいね」


 花音は泣き過ぎて赤くなった目でじっとココアを見つめていたが、マグカップを小さな両手で受け取って、ふーふーと息を吹きかけ、ちびちびと飲み始めた。


「……あまい」


 ぽつりと呟かれた言葉には、深い安堵が混じっていた。


「さて、花音ちゃん。ココアを飲んだら、明日と今日の夕飯の支度をしましょうか」


「……花音、ここにいていいの?」


 不安そうに問いかけて来る花音の頬を撫でて、もちろん、と頷く。


「だって、一緒にケーキを作るって約束したじゃないですか。それに手芸を教える約束も。だから、いいんですよ。ね、結弦さん」


「そうだよ、僕だって花音と一緒に過ごすのを楽しみにしているんだ。こんなに長く過ごすのは、久しぶりだろう?」


 結弦が、ぽんぽんと花音の頭を撫でた。

 花音は、大きな瞳を潤ませたが、ぶんぶんと首を横に振って、ココアをひと口飲んで、顔を上げた。


「そ、そうよね、お約束をやぶるのは、いけないことだものね! 待っててね、お姉さま、すぐ飲むから!」


「熱いからゆっくりでいいですよ。実は、私と結弦さんの分もあるので、三人でココアタイムにしましょう」


 真理愛の提案に花音は「うん」と嬉しそうに頷いてくれたのだった。




「見て、お兄さま! ふくらんできたわ!」


「わ、本当だ……すごいね。本当にケーキって家で作れるんだ!」


 オーブンレンジを覗き込む兄妹に自然と顔が緩んでしまうのを自覚しながら、真理愛は食洗器から洗い終わった食器を取り出してしまっていく。

 明日のケーキのためのスポンジを焼くことにしたのだ。スポンジも数日置いた方が本当はより美味しいのだが、今回は一日で我慢だ。

 今日の夕ご飯は、甘口カレーということですでに出来上がっている。あとは夕食の時にサラダを作ればいいだけだ。結弦はそれだけだと足りないだろうから、冷凍庫にあるとんかつでも揚げようか。


「お姉さま、ちゃんとふくらんできたわ!」


 真理愛のスカートの裾を引っ張る小さな手に振り返り、花音の隣にしゃがみこむ。

 オーブンの中のオレンジ色の光の中で、型の中に入れられた生地は、ゆっくりと膨らんでいる。


「ふふっ、良かったですね。明日はデコレーション、頑張りましょうね」


「うん! あのね、可愛いケーキがいいわ。お姫様のドレスみたいなの!」


「いいですね。ならクリームたっぷりにしましょうか」


 こくこくと花音が頷く。

 元気になったようで良かった、と安堵しながら真理愛は立ち上がる。


「さて、じゃあ、少し休憩しましょうか」


「ねえ、お兄さま。誕生日は明日だけど、もうビーズをやりたいの」


 甘える妹に結弦が相好を崩して「いいよ」と頷いた。


「じゃあ、リビングでやろうか。持って来るから待ってて」


「はーい」


「ならお茶でも淹れますね」


 花音はジャスティンとともにリビングに行き、結弦はプレゼントをとりに行く。真理愛は、紅茶の仕度をしようとして、手を止める。


「花音ちゃん、何が飲みたいですか?」


「さっきみたいな、フルーツの香りがする紅茶がいいわ!」


「了解です」


 なら、ピーチティーにしようと真理愛はティーポットを用意する。

 真理愛が紅茶の仕度を終えてリビングに行くと花音が「お姉さま、早く早く!」と興奮した様子で手招きをした。


「開けるの、待っていてくれたんですね」


 テーブルの上には、綺麗にラッピングされたプレゼントがリボンも解かれずに置いてあった。


「こういうのは、みんなで開けるから、楽しいの!」


 そう言ってにこにこしている花音の隣に腰を下ろす。


「お兄さま、プレゼントありがとう!」


「どういたしまして。お祝いの言葉は、明日贈るよ」


「うん!」


 花音は、嬉しそうにプレゼントのリボンを解いて、丁寧に包装紙を開ける。

 自分で選んだのだから何が包まれているは、分かっているはずなのに、大きなビーズセットの箱を持ち上げて、花音は嬉しそうな溜め息をうっとりと零した。


「そうだ。花音ちゃん、せっかくの誕生日プレゼントですから記念撮影しましょう」


 真理愛がそう提案すると花音は「いいわよ」と言って、前髪を撫でつけた。

 真理愛は、スマホを取り出して立ち上がり、花音の正面に向かう。花音が箱を持ち結弦が花音の肩を抱き寄せるようにして身を寄せる。


「はーい、cui cui」


 ぽちっと撮影ボタンを押したのだが、何でか二人はきょとんとしている。


「待って、待って真理愛さん。今のなに?」


「きゅいきゅい?」


 兄妹が同じ仕草で首を傾げている。


「え? cui cuiですよ?」


「それは、もしやフランスの撮影時の掛け声?」


「そうですけど……え、日本はなんていうんです?」


 基本的に一人でいることの多かった真理愛は、そういえば誰かの写真を日本では撮ったことがないことに今頃気が付いた。下手に写真を許すと売りさばかれる可能性があったので、家族や親友との写真(あとストーカーの盗撮写真)はともかく、学校での集合写真と証明写真以外を撮ったことがない。


「日本だと『はい、チーズ』とかかな」


「あとね『一たす一は二』とか? 幼稚園のときは『コアラの?』って先生が言うから『マーチ』ってお返事してたの」


 結弦と花音が教えてくれる。


「なるほど……じゃあ、『はい』」


「「チーズ!」」


 今度は、良い笑顔だ。


「でも、お姉さまの国では、きゅいきゅいなのね? 覚えたから、そっちでも大丈夫よ! ふふっ、また賢くなっちゃったわ」


 花音が、くふくふと笑った。

 結弦にそっくりの優しい子だなぁ、と真理愛は胸が温かくなった。


「さあ、お姉さま、こっちに来て! 一緒にやりましょう!」


「ふふっ、はーい」


 真理愛は、花音に呼ばれて隣に戻る。

 それから、真理愛と結弦は花音と一緒に夕飯まで、ビーズを楽しんだ。おしゃれが好きだと言う花音は、色彩のセンスが抜群で、真理愛は感心しきりだった。色の選び方や並べ方が上手なのだ。

 ブレスレットを二つと水でくっつくビーズでキーホルダーを一つ作ると、夕ご飯の時間になった。花音は、カレーをおかわりしてくれ、結弦からとんかつも二切れもらっていた。

 そして、お風呂の時間になる。


「お姉さま、一緒におふろにはいりましょ!」


「ずるい!」


「はいはい、行きましょ!」


 ずるいとソファで騒ぐ兄をいなす花音に手を引かれて、真理愛はお風呂へ向かった。

 服を脱いで、先に頭と体を洗ってから、お風呂に入る。

 結弦が毎日、ぴかぴかにしてくれる広いお風呂は花音と真理愛が一緒に入ってもゆったりできる。


「お兄さまの家のお風呂は、大きくて丸いのが好き」


 そう言って花音がぴちゃぴちゃとお湯を撫でるように手を動かした。


「ねえ、お姉さまは、お兄さまのどこが好きなの?」


 花音が急にそんな質問をしてくるので「へっ」と間抜けな声が漏れてしまった。花音は大きな目をキラキラさせて、真理愛の答えを待っている。


「お兄さまって、仕事はできるし、優しいけど割とポンコツでしょ? 涼真が産まれるまでは一緒に住んでたから、彼女にも二、三人会ったこともあるんだけど、のきなみ最悪だったわ。厚化粧だし、服もセンスがないし、無理矢理人の家におしかけてきて、勝手に姉面をして迷惑ったらなかったわ」


 花音が小学四年生とは思えない辛口コメントを述べた。


「そ、そうなんですか」


「ダントツでお姉さまが一番だから、安心して! わたし、他のひとたち、お姉さまって呼んだことないもの」


 ふふんと花音が胸を張った。

 結弦さん、女運本当にないんだなぁ、と自分のことは棚に上げ真理愛は苦笑を零す。


「わたし、お兄さまのこと大好きなの。半分しか同じじゃないけど、お兄さまは私のお兄さまだもの。だから、お姉さまみたいな素敵なひとと恋人になれて、本当に良かったって思っているの。それは多分、ママも同じよ」


「私のほうこそ、結弦さんみたいな素敵な人の恋人になれて、幸せです」


 真理愛の言葉に、花音がぱちりと瞬きを一つした。大きな黒い瞳が、じっと真理愛を見上げている。


「私が困っている時に、ヒーローみたいに現れて守ってくれたんです。……実は、私は男の人が苦手なんです。でも、結弦さんだけは大丈夫」


 頬に落ちた髪を耳に掛けて、真理愛は自然と笑みを零す。


「好きなところは、言い出したらきりがないけど……一番は、私の心を大事にしてくれるところです」


 真理愛は、まだ結弦と肌を重ねたことはない。

 どうしても性欲というものがちらつくと、怖くてたまらなくなるのだ。それは、いつだって真理愛を傷つけて、恐怖させてきたものだ。だから相手が結弦であっても怖かった。それが、申し訳なくて、情けなくて、泣きだした真理愛を結弦は優しく抱き締めてくれた。


『真理愛さんの心の準備ができるのを待つし、何なら手伝うよ。ゆっくり、ゆっくりでいいからさ』


 そう言ってくれた結弦の言葉は、真理愛の心を優しく包み込んでくれた。


「だから、まあ……優しいところを、愛してるの」


 ふふっと真理愛は笑った。

 何でか、花音は頬を赤くして「お姉さま、綺麗」と呟いた。


「花音ちゃん、大丈夫ですか? 顔真っ赤ですよ。のぼせちゃったのかしら……大変、もう出ましょう」


 真理愛は慌てて花音とともにお風呂を後にしたのだった。

 そして、それから水を飲ませて、うちわであおいでとしている間に、花音は船をこぎ出して、あっという間に眠ってしまった。

 結弦がベッドに運び、真理愛は布団をかけてベッドに腰かける。結弦が妹の寝顔を覗き込んで、目にかかっていた髪を優しくはらう。


「一日、色々あったから疲れたんだろうね」


「ですね。ふふっ、可愛い」


 あどけない寝顔に真理愛は笑みを零す。


「そうだ、結弦さん」


「ん?」


 見上げた先で結弦が首を傾げる。


「凪咲さんとメッセージアプリの連絡先を交換したんです」


 と言っても、提案したはいいがお互いにやり方が分からず、コンシェルジュの佐々木が最終的にやってくれたのだが。

 結弦は、驚きを表すようにゆっくりと瞬きを二回した。


「ええと、何で?」


「花音ちゃんのこと、心配だと思うんです。だから、せめてその日の様子や写真を送れば、お母様も安心するんじゃないかと思って、結弦さんの許可を得てからと思って連絡はしていないんですが……ごめんなさい、勝手に」


「いや、そっか、そうだよね。僕、そこまで気が回らなくて……僕が凪咲さんに連絡すると父が良い顔をしないんだ。だから、真理愛さんに頼んでもいいかな? 凪咲さん、本当に心配していたから」


 申し訳なさそうに眉を下げて結弦が言った。


「じゃあ、今日の分をあとで送るんですけど、日本語チェックしてくださいね。読み書きが難しすぎるんですよ、日本語は」


 顔をしかめた真理愛に結弦は苦笑を零しながら頷いた。


「もちろん、いくらでも。……真理愛さん、色々と迷惑かけるけど、本当に大丈夫?」


「迷惑だなんて、怒りますよ? 花音ちゃん、とてもいい子です」


 めっと叱ると結弦は、困ったような、安堵したような顔で「ごめん」と零す。


「僕、一年前までは一緒に暮らしてたから、花音とまた少しの間だけど暮らせるのは、嬉しいんだ」


「素直でよろしい」


 偉そうに頭を撫でた真理愛に、結弦はキスをしてくれる。


「しばらく、よろしくね」


「はい。こちらこそよろしくです」


 お返しのキスに、結弦は照れくさそうに笑う。

 こうして、にぎやかな同居生活は幕を開けたのだった。



本日より、コミカライズ連載開始となりました!!

LINEマンガさんとeBookさんで先行配信となります(◜‿◝)♡

ぜひぜひご一読頂けますと幸いですm(_ _)m

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