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「うーん、どれがいいかなぁ」
棚の前で花音が、うんうんと唸りながら悩んでいる。
彼女の目の前には、色とりどりの食器が並んでいる。
真理愛たちは、いつもの喫茶店でランチを済ませた後、ショッピングモールに花音の生活必需品を買いに来ていた。
「この際だから、来客用のもいくらか揃えようか。夏に真理愛さんのご両親も来る予定だしね」
「そうですね、でしたらセットのものがいいですけど」
結弦の提案に頷く。
真理愛の大事な先輩である十和子が、いつかお家の中を見ていたいと言っていたので、招待したいと思っていたのだ。十和子には、本当の姿のこともその内、伝えたいとも思っている。
「お兄さま、お姉さま、私、これにするわ!」
花音が選んだのは、白磁に可愛い花の描かれた食器のシリーズだ。彼女の名前にぴったりの食器だと思う。
そのシリーズのものをワンセット、結弦の押すカートのカゴに入れる。
真理愛は、花音と手を繋ぎ、来客用の食器を選ぶ。
それらもカゴに入れていく。とりあえず五人分でいいだろう。
レジで精算して、カートに入れたまま次のお店へと歩き出す。
「明日、花音の誕生日だろう?」
ずらりと並ぶお店にきょろきょろしていた花音が、結弦の言葉に兄を見上げる。
「何か欲しいものある? 誕生日のプレゼント、今年はまだ買ってないんだよ。今日、買って送ろうと思っていたから」
「本当? 良かった! お兄さまったらいつもちょっとずれてるんだもの。プレゼント、欲しいのがあるの!」
またも結弦が妹から無邪気な攻撃を受けているが、小学生女子の心を完璧に理解するのはアラサーの結弦には難しいかもしれない。
「あのね、あのね、アクセサリーをつくれるやつがほしいの。ビーズの!」
「なるほど……なら、おもちゃ屋さんに行ってみましょうか」
真理愛も幼い頃、そういうものを両親にねだったことがあったのを覚えている。
「うん!」
真理愛の提案に花音が嬉しそうに頷く。
おもちゃ屋さんへの道中、花音はどうしてそれが欲しいのかを教えてくれた。
一番仲良しのお友だちが、アクサセリーキットを買ってもらって、花音にもキーホルダーを一つ、作らせてくれたらしい。それがすごく楽しかったのだという。
「……でもね、パパが涼真が小さいビーズとかを食べたら大変だからだめだって……でもでも、お兄さまのおうちでならいいでしょう? 涼真は来られないし、ジャスティンは良い子だから食べないもん」
おもちゃ屋さんが見えてきた頃、花音がおずおずと問いかけて来る。
結弦が一瞬、なんだか悲しそうな顔をしたあと、にっこりと笑って「いいよ」と頷いた。
「真理愛さんは、手芸がすごく得意なんだ。お兄さまのお家なら、優秀な先生付きだよ。ね、真理愛さん」
「ええ。私でよければ」
花音の顔がキラキラと輝く。
「お姉さまもつくったことあるの?」
「子どもの頃はビーズで色々作りましたよ。最近は刺繍とか編み物にはまっていたから作っていなかったけど」
「本当? あのね、私ね、おさいほうもやってみたいの! いつか自分でお洋服を作るのよ! 私、お洋服を選ぶの大好きなの。おしゃれな大人になるの」
「なら、たくさん練習しないといけませんね」
「わぁ、楽しみ! ね、お姉さま、一緒に選んで!」
「ふふっ、光栄です」
花音に手を引かれて、おもちゃ屋さんのコーナーに入る。キラキラとカラフルな売り場を進んで、目当てのコーナーを目指す。
「色々あるんだね」
結弦が圧倒された様子で呟く。
「本当ですね。……私の時はアイロンが主流だったけど、これはお水でくっつくんですね。花音ちゃんが作りたいのは、こういうくっつけるタイプですか? それとも紐に通すタイプ?」
「お友だちのは、お水でくっつくやつだったわ。でも、私はね、ブレスレットとかネックレスが作りたいの」
「じゃあ、こっちですね」
「これなんてどう? いっぱい入ってるみたいだよ」
結弦が差し出したのは、ビーズキットの中でも一番大きな箱だ。紐に通すタイプのビーズと水でくっつくアクアビーズが入っているお得なセットだ。
「色んなのが、いっぱいはいってる!」
真理愛も裏面を見る。一通り必要なものは入っているようだ。何かが足りなくても、真理愛の手持ちでなんとかなりそうだ。
「お兄さま、私、これがいいわ」
「じゃあ、これにしよう」
ありがとう、と花音が嬉しそうに兄の脚に抱き着く。結弦は愛おしそうに妹の小さな頭を撫でた。
真理愛は、仲の良い兄妹をにこにこしながら眺めていたが、ふと視界に入ったそれを花音に贈りたいな、と思った。
『ねえ、結弦さん。相談があるんだけど……』
『どうしたの? 急に英語で……』
英語で話しかけた真理愛に結弦が不思議そうに首を傾げる。足元で花音は目をぱちくりさせていた。
『この、子ども用のやつを私も花音ちゃんに誕生日プレゼントとして贈りたいんです。いいですか?』
真理愛が目だけで示した商品を結弦もちらりと目視で確認する。
『家で使うと怒られそうだから、僕んちだけなら全然いいと思うよ。簡単に落とせるの? 専用の道具とかいるの?』
『本当? これは子ども用だから、そういうのはいらないですよ』
『なら、僕がまとめて買っておくよ。お金だけあとでちょうだい。これは君が花音にプレゼントしたいものだからね』
『ありがとう、結弦さん!』
真理愛はちゅっと結弦の頬にキスを贈る。結弦は嬉しそうに笑うと「花音と一緒なら大丈夫だから、あっちで待ってて」とおもちゃコーナーの前の休憩スペースを指差した。
「花音ちゃん、一緒にあっちで待っていましょう」
花音の手をとり、結弦に見送られて休憩スペースに移動する。小さな子を連れた親子が多いので、さすがにナンパはないだろう。
「急に英語でびっくりしたわ。内緒話?」
「ごめんなさい。日本語は一番苦手な言語で……分からないことがあると日本語より分かる英語で聞いちゃうの」
「日本語、すごく上手なのに?」
ソファに並んで座りながら花音が驚いたように言った。
「私、花音ちゃんくらいの頃はまだ日本語はほとんど話せなかったんですよ。日本人のパパに教えてもらって、なんとか覚えたの。私の半分はフランスだから、実は一番得意なのはフランス語なんです」
「じゃあ、真理愛お姉さまは、日本語と英語とフランス語が話せるの?」
「ええ」
「す、すごーい!」
花音の尊敬のまなざしがくすぐったくて、首を竦める。
「お姉さまはお菓子作りも上手だし、英語もフランス語も喋れるし、美人さんだし、すごいがいっぱいだわ」
「ふふっ、ありがとうございます」
裏表のない賛辞は、なんだか少し気恥ずかしい。
「明日は、花音ちゃんのお誕生日でしょう? だから、花音ちゃんが食べたいものを作りましょう。もちろんケーキも」
「本当? どうしよう、なにがいいかしら! ケーキはね、いちごのやつがいいわ!」
「なら、このモールの青果店さんで買って行きましょう。あそこの果物は新鮮で物がいいんですよ」
「うふふ、楽しみだわ。ねえ、お姉さま、私も一緒にケーキを作ってみたいわ」
「もちろん。私も楽しみになってきました」
「はーい、お待たせ」
顔を上げれば、結弦がカートを押しながらやってきた。カートには食器と一緒におもちゃ屋さんの大きな紙袋にいれられたプレゼントが乗っていた。
「お兄さま、あのね、お姉さまと一緒にケーキを作るの!」
「いいな、僕も参加していい?」
「お兄さま、お料理できないじゃない」
「少しできるようになったんですよ」
真理愛がフォローを入れるも花音は、疑わしそうに兄を見ている。結弦が「本当だよ」と焦ったように言う。
「じゃあ、ちょっとだけよ? お兄さまも一緒だなんて、もっと楽しいわ!」
「わーい、ありがとう、花音」
無邪気に喜びあう兄妹に真理愛も自然と顔が綻ぶ。
それから一行は、食品売り場で買い物を済ませて、ショッピングモールを後にしたのだった。
帰宅後、三時のおやつを済ませた後、花音がコンビニに行ってみたいと言い出したので、ジャスティンも一緒に三人と一匹で出かけた。
結弦は真理愛と花音をマンションに送り届けたら、改めて夕方の散歩に行くようだ。
「新発売って言葉は、強いわ」
「本当に。私もいつも負けてしまって」
花音の言葉に真理愛はうんうんと頷く。真理愛の持つエコバッグには、コンビニで売っていた新発売のチョコレートが言葉通り、きちんと入っている。
「真理愛さん、お気に入りのアイスも新発売が出ると必ず買うもんね」
「だって、新発売ってほとんどが後々、残らないんですよ? 食べておかないと損じゃないですか」
「そうよ、お兄さま。すーっごく大ヒットしないと定番にはならないんだもの」
花音の言葉にうんうんと頷きながらエントランスへ入る。
コンシェルジュの佐々木が「あ」と声を漏らした。
「おかえりなさいませ、小鳥遊様、お客様が」
「お客様? なんの連絡もな、い、けど……凪咲、さん」
佐々木が目を向けた先、エントランスの片隅に女性が立っていた。
一目で花音の母だと分かった。花音は母親似だと、きっと誰もが言うだろう。
「……ママ」
花音の小さな声が広いエントランスにか細く響いた。
「久しぶりね、結弦さん。いきなり花音が押しかけてしまって、ごめんなさい」
柔らかくてまあるい、彼女の人柄がにじみ出るような優しい声だった。
真理愛とつないだままの花音の手に力がこもった。
「花音、いきなりいなくなって、ママがどれほど心配したか」
「わたし、わたし帰らないもん!」
「花音ちゃん!」
真理愛の手を、ぱっと放して花音が駆け出す。
「花音! ごめん、真理愛さん!」
結弦がエントランスの外へ飛び出して行った花音をジャスティンとともに慌てて追いかけていく。
「えっ」
残された真理愛の口から間抜けな声が漏れた。
待ってほしい。いきなり初対面の人と二人きりにしないでほしい。しかも、見知らぬ他人ならともかく、恋人の継母? 義母?なら尚のことだ。
真理愛は、おずおずと凪咲へと顔を向ける。
「B、Bonjour」
なんとかこの場を切り抜けようと、まずは挨拶だと頑張った真理愛だったが、でてきたのは一番、舌に馴染んだ言語だった。
凪咲が「どうしよう」と小さく呟いたのが聞こえた。
「ご、ごめんなさい。驚いてしまって、日本語、大丈夫です!」
真理愛は、なんとか日本語を口から送り出すのに成功した。
「よかった。ごめんなさい。夫や結弦さんとは違って、日本語と英語しか話せなくて……あの、貴女が真理愛さん?」
「はい。畠中真理愛と申します」
「そう、会えて嬉しいわ。私は花音の母の鷹野凪咲といいます。この間、結弦さんが結婚したい人がいるって連絡をくれて……ごめんなさいね。こんな形で会うことになってしまって、私も花音を追いかけないと」
「それは、結弦さんに任せたほうがいいかと……冷却期間は必要です」
真理愛の言葉に凪咲は、踏み出そうとしていた足を止めた。
そして、娘が去って行ったほうを見つめていた視線が、下に落とされる。
「……ごめんなさい。あの子ったら急に家出なんてするから、驚いて……ご迷惑をおかけしてしまって」
「いえとんでもないです。花音ちゃん、とてもいい子で……まだ少ししか一緒に過ごしていないけれど、とても楽しい時間をもらっています」
凪咲は、真理愛の言葉にわずかに目じりを緩めた。
「ありがとう。今回のことは私たちが悪かったの。あの子、ずっと楽しみにしていたのに」
「そういえば、弟さんは……」
「涼真は熱も下がって家政婦さんとお留守番をしているわ。ここには連れて来られないから……」
何で連れて来られないのだろう。風邪をうつしちゃ悪いからかな、と真理愛が首を傾げると同時にどこからともなく着信音が聞こえてきた。真理愛は、サコッシュの中の自分のスマホを確認するが、画面は真っ暗だった。
「もしもし、結弦さん? 花音は?」
どうやら着信があったのは、凪咲のスマホのようだ。
「ええ、ええ…………でも! …………仕事があるもの。連れて帰るわ…………だから、それは!」
真理愛はなんとなく気まずくて、意味もなく天井を見上げてみる。蜘蛛の巣一つない綺麗な天井だ。ライトが眩しい。
「…………うん。…………うん、ええ。ごめんなさい、分かったわ。ええ……よろしくね」
だんだんと凪咲の声が落ち込んでいく。
耳にあてていたスマホを下ろして、凪咲はなんだか泣きそうな顔で胸元にでスマホを握りしめた。
「真理愛さん、しばらく花音のことをお願いしてもいいかしら?」
「もちろんです。あの、結弦さんはなんて……」
「花音を捕まえてくれたんだけど……花音は絶対に帰らないって、それで少しお互いに頭を冷やした方がいいって」
「花音ちゃん、話を聞く限りだとパパに怒っているようでしたけど……」
「……私、パパを庇っちゃったの。花音の味方をするべきだったのにね」
凪咲が力なく告げて、眉を下げた。
「花音ちゃん、言ってましたよ。今は気持ちの整理がつかなくて、涼真くんに八つ当たりをしてしまいそうだし、ママに酷いことを言ってしまいそうだからここにいたいんだって」
凪咲が弾かれたように顔を上げた。
「花音が?」
「はい。心配だとは思いますが、今は少しだけ花音ちゃんの意思を尊重して、見守って頂くことはできませんか?」
凪咲は視線をさ迷わせ、少し悩んだ後、小さく頷いた。
「そう、ね。いつも聞き分けのいい花音が、これだけ頑固に主張するんだもの。今日は私が折れるべきね。真理愛さん、あの子のことよろしくお願いします」
凪咲が深々と頭を下げた。
ゆっくりと体を起こした凪咲は、そのままエントランスを出て行こうとする。
「あ、あの……! もし、よければなのですが……」
真理愛は思わずその背を呼び止めていた。
不思議そうに振りかえった凪咲に真理愛は、とある提案をするのだった。
※本日は2回更新しています!
※朝7時に2-2話を更新しています。