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2-2

※本日は2回更新します!

※夜19時に2-3話を更新します。




 真理愛は、この三か月でいくらか私物の増えた客間へ入る。

 真理愛が改めてここで暮らすことになった際に、結弦は新しくしようと言っていたカーテンやベッドカバーは、花音が使っていた時のものを今も真理愛が使っている。

 ベッドにうつぶせになり、伏せをして寄り添うジャスティンを片腕で抱き寄せている花音の姿があった。

 真理愛は、手に持っていたぬれタオルとペットボトルをサイドテーブルに置き、ベッドのふちに腰かける。ジャスティンが先に顔を上げ、次に泣きはらした目をして、花音がわずかに顔を上げた。


「……お兄さま、おこってた?」


 布団に半分口をうずめたままなので、もごもごとくぐもった小さな声だった。

 真理愛は手を伸ばして、花音の口に入りそうな長い髪を指で払う。


「いいえ、泣かせてしまったことを反省していましたよ」


 拒絶されなかったので、優しく頭を撫でる。花音は、すんと鼻をすすると再び布団に突っ伏してしまった。真理愛は、頭から背中に手を移動させて、とんとんとあやすように撫でる。

 しばらくして、もぞもぞと花音が動いて真理愛に背を向け、ジャスティンに抱き着く形で横になった。


「……あのね」


「はい」


「…………明日ね、パパとママと涼真(りょうま)とね、動物園にいく約束だったの」

「涼真ってどなたですか?」


「弟よ。まだ一歳なの。すごく可愛いけど、ときどき、いじわるしたくなっちゃう」


 真理愛は、一人っ子だから分からないけれど、三人兄弟の一番上である親友のリタが似たようなことを言っていたな、と思い出す。

 あれはちょうど、花音くらいの頃だ。「年が離れているから、可愛いけれど、パパとママを取られちゃうし、どんな理不尽なことでも私が悪くなっちゃうからむかつく。でも可愛いから、よけいむかつくのかも」と親友は拗ねていた。


「明日の動物園はね、私の三年生の時の成績がパパとママとお約束したとおり、すごく良かったからごほうびだったの。私、図鑑とインターネットで、いっぱい動物のお勉強したのよ」


 うん、と真理愛は相槌を打ちながら、こちらに向けられた小さな背を見つめる。


「…………でも、昨日の夜、涼真がお熱を出しちゃったの」


 ささやく声が湿り気を帯びる。


「ずっと、ずっとっ、たのしみにしてたのに……っ」


 がばり、と起き上がった花音が抱き着いていて真理愛は、その勢いによろめきながらも受け止める。


「ふえぇ、うえぇええぇぇ……」


 真理愛にしがみつくようにして泣き出した花音を抱き締めかえして、慰めるように背中を撫でる。

 もしかしたら、いや、おそらくだが何かもっと、動物園に行けなくなったことに関して言葉のやり取りが親子間であったのだろうし、日ごろの鬱憤だって溜まっていて、爆発してしまったのかもしれない。


「大丈夫、大丈夫ですよ、花音さん」


 そう声を掛けながら、真理愛は花音が泣き止むまで、ただずっと少女を抱き締めていた。

 それから三十分もすると泣き声が止んで、真理愛の背中に回されていた花音の手が、するりと落ちた。

 よいしょ、となんとか抱き上げて布団に寝かせようとするが、寝ている子どもは重い上、子どもと接する経験値が無さすぎてどう動かしていいのか分からない。

 真理愛が四苦八苦しているタイミングで、結弦が顔を出す。


「寝ちゃった?」


「泣きつかれてしまったみたいです」


「そっか」


 結弦がひょいと花音を抱き上げてくれたので、真理愛が布団をめくり、そっとベッドに寝かせる。さすが、ジャスティン(四十キロ)を難なく抱き上げられるだけはある。

 真理愛は、花音に布団を掛けなおし、用意してあった濡れタオルを真っ赤に腫れぼったくなっている花音の目元に充てる。


「……家政婦の棚橋さんに電話で聞いたところによると」


 再びベッドに腰かけた真理愛の隣に立ったまま、結弦が口を開く。


「昨日、涼真が熱を出して、今もなかなか下がらないから動物園は延期になったんだって。…でも、どうも父が昨夜の内に仕事を入れたらしいんだ」


「お仕事を?」


「ああ。花音は涼真を可愛がっているから、涼真が熱を出したことは心配してたし、それで動物園に行けないかもってことは熱が出た時には分かっていたんじゃないかな。……だけど、もしかしたら今日にはよくなって明日は行けるかもしれないって思っていたのに、父が花音に断りもなく仕事を入れてしまったものだから、部屋に閉じこもってしまったそうだよ。それで、家の皆の目を盗んで、いつの間にかタクシーを配車し、家出してきたらしい。『学校にはちゃんといきます。ご心配なく』というメモを残してね」


「……すごいですね」


「我が妹ながら、なかなかの行動力だよ。まさかタクシーの配車までできるようになっているとは」


「その上、手土産にアイスクリームまで買ってきてくれたんですよ」


「……それは、すごいな」


 苦笑交じりに零して、結弦は大きな手で包むように花音の頭を撫でた。


「明日は、花音の十歳の誕生日でもあるんだよ」


 俯く結弦の横顔は、長い前髪のせいで口元しか見えなかった。形のよい薄めの唇が、心なしか悲しそうに見える。


「……聞かないの?」


 温度のない声で結弦が言った。


「…………僕と妹の名字が……違う理由」


 花音の頭を撫でていた手を引っ込めて、結弦が顔を上げた。

どの程度のいたずらまでこの人が許してくれるのかうかがう子どものような顔で、真理愛を見つめている。


「結弦さんが話したくなったらでいいですよ」


 真理愛は手を伸ばして、結弦の頬に触れた。一瞬、たじろいた彼は、それでも真理愛の手の温もりに頬を寄せ、静かに目を閉じた。


「……父が再婚した相手の子。異母妹なんだ。花音と涼真は、僕とは母親が違う」


 今はこれだけしか言えない、とかすれた声がこぼす。

 真理愛は「はい」と一つ頷いて、真理愛の手に寄せられたままの結弦の頬を親指の腹で優しく撫でたのだった。





「お兄さま、ごめんなさい」


 右手で真理愛の服の裾を掴んで、左手で自分のスカートをぎゅっと握りしめて、花音がおそるおそる兄を見上げる。

 ソファで雑誌を読んでいた結弦は、顔を上げるとふっと笑って手招きをした。真理愛が、そっと背を押すと花音は、おずおずと結弦に近づいていく。結弦の足元で寝ていたジャスティンが、ちらりと花音を見た。


「僕のほうこそ、話も聞かずに叱ってしまって、ごめんね。連絡をもらって本当に驚いたし、心配したんだ。凪咲さんだけじゃなくて、棚橋さんからも連絡がきたんだよ」


 低く甘やかな声がいつもの優しさを携えて言葉を紡ぐ。

 ちなみに凪咲さんは花音の母で、棚橋さんは花音の家で働く家政婦さん(女性・五十二歳)だそうだ。


「そこでなんだけど、花音はどうしたい? 帰るなら送っていくよ」


「…………まだ帰りたくない。だって、涼真にいじわるしちゃいそうなんだもん。ママにもきっといやなこと言っちゃう。……パパ、いないし」


 桜色のスカートをぎゅうと握りしめて俯いたまま、花音がか細い声で告げる。

 優しい子だな、と真理愛は目を細める。家に帰って八つ当たりをしたって許される年齢だろうに必死に自分を制御して、誰かを傷つけないようにしている。


「よいしょ、っと」


 ひょいと抱き上げた花音を結弦が自分の膝に乗せた。花音が驚いた顔で結弦を見上げる。


「じゃあ、しばらくここで暮らす? 必要なものは全部持ってきたんでしょう?」


 花音の顔が見る間に輝いていく。


「ただ、僕は今、前みたいな一人と一匹暮らしじゃないからなぁ。僕の婚約者の真理愛お姉さまがいいって言ってくれるかなぁ」


「婚約者⁉ お兄さま、結婚するの⁉」


 花音が驚きに目を白黒させている。


「お兄さまはしたいんだけど、真理愛さんがうんって言ってくれないんだ」


 毎月結婚情報誌を買ってくる男は、遂には自分の妹まで巻き込もうとしている。


「私は結婚が嫌なんじゃないです。結弦さんのことは愛してますもん。でも早すぎます。だってまだお付き合い始めて三か月じゃないですか」


 真理愛がじとりと睨むが結弦はにこにこしている。


「……お兄さま、それは気が早すぎると思うわ。スピード結婚なんて、テレビの中だけよ」


 小さな手を兄の両肩に置いて、花音が至極真面目な顔で言った。

 結弦がすんと真顔になる。

 花音はそんな兄を放置して、膝から降りると真理愛の下へやってきた。真理愛は目線を会わせるために膝に手をついてかがむ。


「真理愛さん、お願い、お泊りしてもいい? 私、お手伝いしたことないけど、お手伝いするわ!」


 いつぞやの結弦と同じようなことを言っていて、兄妹だな、と微笑ましくなる。


「ふふっ、お手伝いなんてほどほどでいいですよ」


 ぱっと顔を輝かせた花音が抱き着いて来る。


「ありがとう、真理愛さん! ねえ、お兄さまの婚約者なら、お姉さまって呼んでもいい?」


「僕は大賛成だよ! ありがとう、花音!」


「結弦さんは黙っててください。……ちょっと恥ずかしいけど、いいですよ」


「ありがとう、真理愛お姉さま! 私のことも花音って呼んでね。私、ずっとお姉さまがほしかったの」


 眩しいくらいの笑顔で花音がぎゅうと抱き着いて来る。真理愛も花音を抱き締め返して笑顔を返す。

 思う存分、ぎゅうとしてから体を離し、花音の頬にかかっていた髪を指先ではらう。


「じゃあ、私、お部屋を片付けちゃいますね。私の毛布も干しておかないと、あ、シーツは今朝換えたばかりだから安心して下さいね」


「待った。真理愛さん、どこに寝る気?」


「ジャスティンくんとリビングで寝ますよ? ソファ、大きいから大丈夫です。やっぱり二階も掃除しとかないとだめですね」


 結弦が珍しくむっとした顔をしている。


「それなら僕がソファで寝るから、花音は僕の部屋で寝ればいいよ」


「お兄さまの部屋は嫌よ」


「えっ」


 花音が真理愛に抱き着いたまま「お姉さま」と甘えた声で真理愛を呼ぶ。


「私、お姉さまが嫌じゃないなら、一緒が良いわ。ベッドは大きいし、寝る前に女子トークしましょ!」


「私と一緒でいいの?」


「言ったでしょ? お姉さまが欲しかったって。あれ、嘘じゃないの、本当よ。私の一番のお友だちには、お姉さんがいるの。私とお兄さまほどじゃないけど、年が離れていてね、ママやお友だちとはできない秘密のお話をするんですって!」


「花音、それは僕とじゃダメなの⁉」


 結弦が抗議の声を上げるが、花音はさらっと無視する。


「お兄さま、仕事以外はポンコツだから、お姉さまは諦めていたんだけど、こんなに美人で素敵なお姉さまをゲットしているなんて、感動だわ!」


 再びぎゅうと抱き着かれる。そういえば、真理愛も昔、きょうだいが欲しいと両親にねだったことがあったな、と微笑ましくなる。

 こころなしか結弦が酷い言われようだった気がしないでもないが、真理愛は聞こえなかったことにして「じゃあ、一緒に寝ましょうか」と笑って頷いた。


「本当⁉ やったわ! お姉さま、お風呂も一緒に入りましょう!」


「いいですよ」


 結弦が「僕だってまだなのに」とかなんとか騒いでいるが、これも聞こえなかったことにしようと真理愛は二度目の決意を固めたのだった。




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