その4 鉄仮面の母と父
※真理愛さんのご両親と結弦さんの初対面(画面越し)
真理愛に告白をした時も緊張したが、それはそれとして、愛する人の両親に挨拶するイベントがこんなにも緊張するとは知らなかった。仕事でプレゼンするときの緊張は、緊張と呼べないかもしれない、と落ち着かない頭で結弦は考えた。
リビングのローテーブルの上に真理愛のノートパソコンが置かれている。その前に座って、真理愛は、スマホで母親とメッセージのやりとりをしながら、ビデオ通話の時間を調整しているようだ。
日本は現在、夜の九時。フランスとの時差は、八時間ほどだから現在向こうは、ちょうどお昼頃だ。今日は土曜日なので、ご両親も仕事は休みのはずである。
結弦は、床に座って真理愛を眺めている。いきなり結弦が映ると騒ぎでそれどころじゃなくなるから、まず「紹介したい人がいる」という話を両親にさせてくれと真理愛に頼まれたのだ。
真理愛の両親は、父親が日本人で母親がフランス人だ。
二人は現在、真理愛が生まれ育ったフランスのパリで、母親の実家で母親の両親と共に暮らしているそうだ。
真理愛の父親の勤める会社がパリに支社を出して、その支社長を務めているのが真理愛の父親だそうだ。なんの会社か聞いたら、ジュエリー関係だと言われた。本人もよく分かっていないようで「宝石を売ったり、買ったり、加工したりしてるらしいです」と曖昧な答えをくれた。
元女優の母親は、夫の会社のモデルをやりつつ、実家のお店(雑貨屋)を手伝っているそうだ。
「結弦さん、英語は喋れるんですよね?」
そう問われて、結弦は「英語なら大丈夫だよ」と答えた。
「私のママ、日本語はあまり喋れないんです」
「そうなんだ。ああ、でも真理愛さんも日本語が喋れなかったって言ってたもんね」
「はい。本当に苦労しました。私が小さい頃、パパは世界中を飛び回っていたから、ほとんど一緒に過ごせなくて、日本語を覚える必要がなかったんですよね」
パソコンでテレビ通話アプリの設定を調整しながら真理愛が言った。
「畠中家では何語が共通語なの?」
「フランス語と英語が半々ですかねぇ。日本語は、こっちにいた時は練習も兼ねて私とパパは話してましたけど、最近はほとんど出番はないですね」
へぇ、と相槌を打つ。
「あ、そろそろオッケーみたいですよ」
スマホに目を落として真理愛が言った。結弦は、ドキドキしているのを落ち着かせようと深呼吸をする。
真理愛は「大丈夫ですよ」と言いながら、パソコンを操作する。
『ママ! パパ! 久しぶり!』
『マリア、あなたったら、本当に電話の一つも寄越さないんだから!』
『ああ、パパの可愛いマリア、元気だったか? 引っ越したって聞いたけど大丈夫かい?』
聞こえてきたのは流暢なフランス訛りの英語だ。お父さんのほうは、もっとはっきりと聞き取りやすい英語だった。
両親の声は、愛情に満ち満ちていて、ここから見える真理愛も稚い笑みを浮かべていて、家族間の愛情がひしひしと伝わって来る。
そして流石はキスが挨拶の文化圏だ。真理愛が当たり前のように自分の手にキスをして、その手をパソコンのカメラに向ける。
直接会っていたら、普通に頬にキスをしていたんだろうな、と異文化に感心しながら、是非、僕にもやってほしいとアピールしたが無視された。
『そこが新しいお家? なんだかとっても広いわねぇ』
『マリアの収入で足りるのか?』
『そのことなんだけどね、パパとママに紹介したい人がいるの。一緒に暮らしてるのよ』
わりと単刀直入だな、と結弦はいよいよ迫りくる出番に背筋を正す。
『もしかしてルームシェア?』
『リタが日本に店でも出したのかい?』
微塵も相手が異性の恋人であると両親は考えていないようだった。確かにあの男性恐怖症の真理愛が、いきなり男と同棲しているなんて、露ほどにも思わないだろう。現に父親は、真理愛の親友が日本に来たのだと思っているようだ。
『えーっとね、男の人なの』
真理愛が気恥ずかしそうに頬を染めて、ちらりと結弦を見た。その合図に結弦は、ジャケットの襟を正して(今日は一張羅のオーダーメイドの三つ揃えのスーツでばっちりと決めているのだ)、真理愛の隣に移動し、彼女の腰を抱くようにして腰かける。
『初めまして、真理愛さんと結婚を前提に真剣にお付き合いさせて頂いている、ユヅル・タカナシです』
初めて見る真理愛の両親は、母親は若々しく、はっとするほどの美人で、真理愛は母親の生き写しといっても過言ではなかった。髪の色が真理愛より明るく、ミルクティー色というよりはブロンドに誓い。目の色は同じ菫色をしている。
そして、父親は黒髪のこれまた端正な顔立ちの男性で真理愛の母との体格差から、結弦同様背が高くがっしりした体格をしているのが見て取れた。
両親は、揃ってぽかんと口を開けて、目をこれでもかと見開いて固まっていた。
『ママ、私、初めて恋人ができたのよ』
真理愛の言葉に最初に我を取り戻したのは、母親の方だった。
『きゃぁぁあ! 本当⁉ マリアったら驚かせて! もうもう! とってもイケメンじゃない! ああ、ママにも教えなきゃ!』
少女のようにはしゃぎだした母に真理愛が「ママ」と照れ臭そうに笑う。だが、父親の方は、まだ意識を取り戻していない。もしかしたら、目と口を開けたまま気絶しているのかもしれないと結弦は心配になってくる。
『ええと、ユヅル? 私はマリアのママの、フェリシアよ』
『はい、ユヅルです』
『あら、声も素敵。ええ、見てパパ、あのマリアがこんな素敵な恋人、パパ? トール? トールってば!』
小声で真理愛に「お父さん、トールって言うの?」と尋ねると「ええと、透明の透です」と教えてくれた。
フェリシアが、透の頬をぺちぺちしたり、顔の前で手を振ったりしてみるが反応はない。
『パパ? 大丈夫?』
マリアも画面越しに声をかけるが、父は瞬き一つしなかった。
『だめね、気絶してるみたい。ちょっと許容できる情報量を超えちゃったのかしら』
頬に手を当て首を傾げている姿が、母子揃ってそっくりだ。真理愛は外も中身も母親似のようだ。
『まあいいわ、呼吸はしてるから。ねえ、どこで知り合ったの?』
さっさと夫を捨て置いたフェリシアが菫色の瞳をキラキラと輝かせて尋ねて来る。
『会社よ。結弦さんは、営業さんなの』
『オフィスラブね! ユヅルは何歳なの?』
『今年の五月で二十九歳になります。真理愛さんの三つ上です』
『ふふっ、いい年の差ねぇ。私とパパは十歳違うのよ』
『そうなんですね。でも、本当に真理愛さんはお母様にそっくりで驚きました』
『でしょう? 自慢の娘よ』
フェリシアが結弦の隣の真理愛に愛しそうに目を細めて笑う。真理愛も「自慢のママよ」と同じ笑みを返す。
真理愛が正しく両親に愛されて、大事にされて育ったのだと実感する。
『ねえ、どっちが告白したの?』
『僕です。僕の方が、彼女に一目惚れで』
『あら真理愛、鉄仮面の変装してなかったの?』
当たり前のようにフェリシアが尋ねる。真理愛が「してたわ」と答えて結弦を見上げる。その視線を受けとめて、結弦は口を開く。
『会社で一目ぼれしたんです。彼女の真っ直ぐに伸びた背筋と、悪口を言われてもたおやかな笑み一つで交わして去って行った姿に』
『あらあら、うふふふっ』
フェリシアが自分の頬を押さえて笑う。真理愛は真っ赤になって俯いてしまっていて、可愛くてつむじにキスを落とす。
『でも、お恥ずかしい話、自分から惚れたのが初めてで、どう声を掛けたらよいかもわからず、昨年の秋口にようやく接点を持てまして』
『日本の男の人って、なんでか奥手よねぇ』
フェリシアが不思議そうに首を傾げた。
『いやぁ、面目ない』
『あのね、ママ。実はまた変な男の人に目をつけられちゃったの』
フェリシアの表情が強張る。気絶していた透が、ばっと意識を取り戻して前のめりに画面を覗き込んでくる。
『その男の人から、ずっと守ってくれていたのが、結弦さんなの』
真理愛の手が結弦の手に重ねられた。結弦はその手を両手で挟むようにして包み込む。するともう片方の手もそっと重ねられる。
『その男はどうなった?』
透の問いに結弦が答える。
『警察に捕まりました。もともと、僕と真理愛さんと同じ会社の人間だったんです。昨年の秋に真理愛さんが、そいつのところに書類の催促に行ったんです。実は、そいつは横領で摘発される寸前で、書類の催促に来た真理愛さんを逆恨みして、標的にしたようでした。でも、真理愛さんのこの姿を見て、歪な執着心に火が付いたみたいで、彼女の部屋に侵入しようとしていたんです』
結弦の言葉に二人が息を呑んだ。
『あの日は、結弦さんと夕ご飯を食べに行ってたの。彼がいなかったら、どうなっていたか分からないわ。でも、結弦さんが自分のお家、ここに避難させてくれて、ずっとずっと守ってくれたの』
真理愛が言葉を重ねる。
フェリシアの手がもどかしげに動く。透は、フェリシアの肩を抱き、険しい顔で真理愛を見つめている。
きっと、今すぐに画面など通り越して、二人は真理愛を抱き締めて、その体に怪我がないか、抱き締めてキスをして、愛する娘の無事を確かめたいのだ。
『ママ、パパ、結弦さんは私に、私のままでいていいって言ってくれるの。結弦さんと一緒なら、私、変装しなくてもお買い物も自由にできるし、おしゃれだって楽しめるの。彼がいれば、何も怖くないわ。だって結弦さんは、必ず私を守ってくれるもの』
「真理愛さん……」
結弦は感動で胸がいっぱいになる。
真理愛は、ふふっと微笑んで結弦の頬にキスをしてくれた。彼女がフランス育ちで良かったと思うのは、こういう時だ。恋人になって以降、彼女は事あるごとにこうして軽いキスなら頬でも口でも気軽にしてくれる。
結弦も真理愛のこめかみにキスを落とす。くすぐったそうに笑った真理愛が、結弦の手を握りしめ、両親に向き直る。
『それに、それにね、ママ……私の家族以外の、ファーストキスは、好きな人と、結弦さんと出来たの』
フェリシアが両手で口元を覆って、目元に笑みを浮かべた。真理愛と同じ菫色の瞳に涙が浮かんでいるのに気づいた。
『そう、そうなの?』
『うん。……ありがとう、ママ』
『ああ、今すぐ貴女を抱き締めて、キスしたいわ。私の可愛いマリア』
フェリシアが手にキスをして、カメラに手を伸ばせば真理愛もカメラに手を伸ばして、そのキスを受け取り、自分の口元に寄せる。
感動的な母子のやりとりの横で透の顔色が死人みたいな色になっている。
『あ、あの、お父さん、大丈夫ですか?』
「君に、お、お父さんと、呼ばれる筋合いは、ないはずだ……っ」
噛み締めるように透が日本語で言った。フェリシアが訝しむような目を夫に向けている。
「真理愛」
「なぁに?」
「パパが迎えに行くから、フランスに帰って来なさい」
思わぬ言葉に結弦の心臓が嫌な音を立てた。
だが、当の真理愛が握り合っていた手をほどくと結弦の腕に抱き着いて来る。
『いやよ。私、結弦さんと一緒がいいもん。今の会社も好きだし、大好きな先輩もいるの。結弦さんとは結婚の約束もしたのよ』
顔をしかめて、真理愛は英語で返す。
真理愛さん、お父さんの息の根を止めちゃダメだ、と結弦は真理愛の口をふさごうとしたが一歩、及ばなかった。
『ねえ、ママ、見て、結弦さんが恋人の指輪を贈ってくれたのよ」
『まあ、素敵! エメラルド?』
『うん。結弦さんの誕生石なの』
息の根を止められた父の横で、母子はきゃっきゃっしている。
真理愛さん、わりとはっきりものを言うんだよなぁと結弦は、魂が抜けてしまった透を憐れみながらも、真理愛が結弦との結婚を真面目に受け取ってくれていることに胸がじーんとする。
『それにね他にも家族がいるのよ。ジャスティンくん、おいで』
その言葉にテレビの前にどべーっと寝そべっていたジャスティンが、ぴょんと起き上がってこちらにやってくる。
『大きなワンちゃん!』
『結弦さんの愛息子のジャスティンよ。すごく勇敢で優しい、私の騎士なの』
『いいわねぇ。私ももふもふしたいわ。ジャスティン、ジャスティーン』
フェリシアに呼ばれたジャスティンがパソコンに顔を向けるが、画面の中でよくわからないのか首を傾げる。女性二人に「可愛い」と言われて、ジャスティンはばさばさと尻尾を振った。
『ねえ、マリア、夏のバケーションには私たちが日本に行くわね。その時、改めてユヅルを紹介してね』
『もちろんよ、ママ』
『うちは部屋が有り余っているので、いつでも遊びに来て下さい』
『ふふっ、ありがとう。じゃあ、またね。愛してるわ、マリア』
『またね、ママ、私も愛してるわ。パパ、急にごめんね。でも私はパパのことも大好きよ、愛してるわ』
『マリア……パパも君を世界で一番愛してるよ。…………そこの君、俺はまだ認めてないからな! マリアは、マリアはまだ嫁になんか、ださ、出さないんだからな! ぐすっ、マリアはまだ二十五歳なんだぞ……っ』
『もうトールったら泣かないの……あなた、自分は十八歳の私と結婚したくせに。パパのことはママに任せておいて。ユヅル、娘を頼むわね』
ひらひらと手を振るフェリシアを最後に通話が終了する。
最後の最後で割と大きな爆弾が落とされた気がした。どうやら透は、結弦の年の時、十も年下のフェリシアと結婚したらしい。
真理愛が、ふうーと息をついてパソコンを閉じる。結弦も深々と安堵の息を吐き出し、ネクタイを緩める。
「結弦さん、ありがとうございました」
「お父さん、大丈夫かな」
「パパは、ママがいれば大丈夫です。多分」
ちらりとパソコンの方に視線を走らせて真理愛が言った。
「……日本にいきなり来ないようにママに釘を刺しといてもらわないと」
真理愛がぼそりと呟く。
あの勢いだと来かねないなぁ、と結弦でも思う。
「ねえ、結弦さん」
結弦の腕を取って自分の肩に回して、再び腕の中に戻ってきた真理愛に結弦は、なんとか顔を引き締めて「どうしたの」と返事をする。
「パパとママに紹介させてくれて、ありがとうございます」
「どういたしまして。こちらこそ紹介してくれてありがとう」
結弦が笑うと、幸せそうに目を細めた真理愛が、ちゅっと唇にキスをしてくれる。
結弦は、真理愛と恋人になってからキスが大好きなフランス文化に感謝しない日はない。普段の(特に鉄仮面の時の)真理愛の様子から、恥ずかしがってスキンシップは少ないのかなと考えていたが、慣れれば慣れるだけ、真理愛はくっついてくるし、こうしてキスもしてくれる。
ありがとう、愛の国フランス。
ただ男性に恐怖心のある真理愛は、あまり性的な色が強くなると怯えてしまうので加減が難しい部分も確かにあるが、まずは結弦という存在に慣れてほしいし、結弦は決して真理愛に怖いことはしないのだという信頼を築いていきたい所存だ。
真理愛のことは、何よりも大事にしたいのだ。
「ジャスティンくんも、ありがとう」
真理愛に撫でられて、ジャスティンは嬉しそうに鼻を鳴らす。
「さて、着替えなきゃ」
「結弦さんのそのスーツ、初めて見ます」
少し距離を取って真理愛がまじまじと観察して来る。
「これはここぞという勝負時に着る一張羅だからね」
「オーダーメイドですか?」
「うん、そう。祖父の友人のお店なんだ。似合う?」
胸を張ると真理愛が頬を赤らめて、こくん、と頷いてくれた。
なんて可愛い恋人だろうと結弦は、心の中で叫びながら真理愛を抱き締めようとするが、ひょいと逃げられる。
「いまさらですけど、結弦さん、スーツ、しわになっちゃう。せっかく格好いいのに」
「そう言われちゃうと弱いなぁ。着替えて来るよ」
くすくすと笑って立ち上がる。
「私もパジャマに着替えます」
そう言って真理愛が隣に並ぶ。ジャスティンが「僕も!」と着いてきた。
「明日も休みだし、お茶でも飲みながら、ちょっとだけ夜更かししようよ。見たい映画が今日から配信されてるんだ」
「どんな映画です?」
「アクション映画。僕の好きなアメリカの映画監督の新しい作品なんだ。公開してた時、仕事が忙しくて行けなかったんだよね」
「ホラーじゃないなら見ます」
「真理愛さんホラー苦手?」
「洋画は『きゃあ、怖い』で済みますけど、日本のホラーはだめです。あれはだめです」
真剣な顔で首を横に振る真理愛に、日本のホラーは海外のホラーとまた違うからなあと苦笑する。
「大丈夫、怖くないよ。着替えてリビングに集合ね」
「はーい。おいで、ジャスティンくん」
軽やかな返事と共に真理愛が自分の部屋に入って行く。ジャスティンが、当たり前のようについて行く姿に少々のヤキモチを自覚しながら、結弦は自分の部屋へと向かう。
くしゃりとセットした髪を崩して、幸せだなぁ、とひとりごちた。
おしまい