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その2 王子の先輩

*結弦さんの先輩・城嶋さん視点


 城嶋(じょうしま)弘樹(ひろき)の後輩は、顔良し、頭良し、性格良し、スタイル良し、の三拍子どころか四拍子揃った男である。

 小鳥遊結弦という名のその後輩は、城嶋より三つ年下でありながら、営業課のエースとして恥じない営業成績を誇っている。

 まるで漫画みたいな話だが王子と呼ばれているのは皆が知っている事実だ。

 その王子に恋人ができたという噂は、瞬く間に社内中を駆け回り大騒ぎになった。

 いや、これまでも恋人がいたことはあるのだが、問題は今まで恋人がいてもなんの変化もなかったこの男が分かりやすく浮かれているのが原因だと思う。

 今日も今日とて元気に仕事をこなす後輩は、とてもご機嫌に電話を受け、営業に出かけ、帰って来ても疲れも見せずに書類を片付け、明日の会議の準備をしている。

 だが、激震が走った一番の要因は、今年度の入社社員で一番かわいいと評判の女性社員が、本当に恋人ができたのかと突撃してきたときのことだ。




 あの日、城嶋は結弦と共に珍しく社内の社員食堂にいた。城嶋はAランチ、結弦は恋人の愛情たっぷり手作り弁当だった。

 偶然が重なって、会社で王子と呼ばれる後輩の想い人が、同じ会社で経理課の鉄仮面と呼ばれている畠中真理愛だと知った時は驚いた。

 だが、彼に付きまとっていた女性社員に比べれば、畠中さんは(少々期限や内容に厳しいが)真面目に仕事をしている人なので、納得だ。

 身バレを危惧する恋人に弁当を会社で自慢することを禁じられた後輩は、食べる前に撮った写真をいつも幼馴染の親友に送っている。同僚じゃなくて警察官だからいいだろうという判断らしい。相手にしたらいい迷惑だと思うが、人様のことなので口出しはしない。


「来週のA社との会議なんですけど、やっぱりあの商品を推した方がいいと思うんですよね。ターゲット層的にも最適ですよ」


「ああー、俺もそう思うんだけどさ、どうもあっちのお偉いさんがさ」


 仕事の話をしながら箸を進める。

 それにしても結弦の弁当は今日も旨そうだ。

 メインはタルタルソースたっぷりのチキン南蛮。副菜は綺麗に巻かれた出汁巻卵、いんげんのごまあえ、彩のプチトマトにきんぴらごぼう。白いご飯には、梅干しがちょこんと一つとゴマ塩少々。その上、スープマグには味噌汁か何かが入っているはずだ。


「小鳥遊さん、お隣いいですかぁ」


 間延びした柔らかい声が聞こえて顔を向ける。

 城嶋と結弦が座る二人掛けのテーブルの隣に女子社員数名が各々の昼飯を手に席を確保していた。弁当だったり、食堂のランチだったりと様々だ。


「どうぞ。それでこの間の件なんですけど」


営業スマイルと共に返事をして、すぐに結弦は仕事の話に戻そうとした。だが、女性社員は引かず「小鳥遊さん」と城嶋たちの会話を遮るように呼び掛けて来る。


「はい。何ですか?」


 この後輩は、感心するほど気が長い。城嶋は今まで、様々なアクシデントに見舞われた結弦が怒っている姿を見たことは一度もない。

 城嶋だったらこの時点で溜め息くらいは、これ見よがしに吐いているかもしれない。


「お聞きしたいことがあって」


 その言葉に結弦は首を傾げることで先を促した。城嶋は、Aランチの生姜焼きを箸でつつきながら様子を見守る態勢に入る。


「えーっと、その、恋人ができたってお聞きしたんです」


 単刀直入に来たな、と城嶋は、わくわくして箸を握りしめる。

 結弦は、ぱちりと長い睫毛を揺らすと、ふわりとこっちが恥ずかしくなるくらいに柔らかな笑みで端正な顔を彩った。


「ああ、うん。そうだよ」


 女子社員の顔がひくりと引き攣った。

 城嶋は、すごいな、と辺りを見回す。ざわめきに満ちていた社員食堂が今や静まり返っている。女性社員たちの目と耳がこちらに向けられているのを肌で感じる。


「た、小鳥遊さんの恋人なんて、きっとすごく素敵な人なんでしょう?」


「そうだね、すごく綺麗な子だよ。でも、僕よりちっちゃくて細くて可愛いんだ」


 にこにこと機嫌よく結弦は答えている。

 まあ、一九〇センチ越えの結弦に比べれば、日本女性は大体小さいだろうなと城嶋は噴き出しそうになるのを堪える。あの長身の畠中真理愛だって、結弦よりは確かに小さいのだ。城嶋自身は一八〇センチあるのだが、時折、高いヒールを履いている彼女と目線が同じ高さになることがある。あと結弦と一緒にいすぎて一人でいるか、ほかの平均身長の社員といると「城嶋さんってもしかして本当は大きい?」と言われることが多々ある。


「同じ、会社の人ですか?」


 結弦は微笑んだまま質問の意図を探るように女子社員を見つめている。

 ああー、と城嶋は最近、結弦に恋人ができたのと同じくらい話題になっている存在を思い出す。

 経理課の鉄仮面と呼ばれる正真正銘結弦の恋人の畠中真理愛だ。

 彼女の左手の薬指に給料三か月分どころじゃなさそうなプラチナとエメラルドの指輪が輝いているは皆が知っていて、その上それが恋人の「誕生石」だというのが噂が盛り上がっている要因の一つだ。

 エメラルドは五月の誕生石で、王子の誕生月が五月であることは、彼を狙う女子社員なら皆知っているのだ。入社一年目に結弦が自分で普通に答えたので代々語り継がれるように皆が知っている。

 単純に鉄仮面の恋人が王子であると彼女らは疑っているのだろう。


「僕の恋人は、それはそれは綺麗な人でね。美しすぎるが故に妬まれたり、勝手に惚れられたり大変で、苦労してきた人なんだ。そもそも僕に恋をしてもらうのだって一年もかかったんだ」


「え、マジで?」


 心の声が思わず出てしまった。結弦は、本当ですよ、と苦笑を零してお弁当に視線を落とす。愛情たっぷりと見て分かる手作りのお弁当を見つめる結弦の目は幸せそうに細められる。


「彼女はひとりでも生きられる強い人だけど、僕は彼女なしでは生きていけない弱い男だから、お願いして、いや、懇願してどうにか僕の恋人になってもらったんだ」


 結弦は、これまで恋人ができてもその相手が誰かをあまり隠していなかった。そもそも彼女のほうが積極的に自分があの小鳥遊結弦の彼女だと誇らしげだったのだ。

 だが、今回は全く相手が誰か分からないというのが、彼女たちを駆り立てたのかもしれない。


「だから、あまり詮索はしないように。そもそもがプライベートなことだし、僕は何が何でも彼女と結婚したいから、みっともないくらいに恋人になった今も必死なんだよ」


 息を呑む音がどこそこから聞こえて来る。


「……もしかして、そのタイピン、彼女からか?」


 城嶋はなんとなく尋ねる。

 最近、結弦は好んで銀にアメジストがあしらわれたネクタイピンをしてくる。時折、それを弁当を見つめる時と同じくらい甘い眼差しで見つめているのだ。

 結弦は、ネクタイピンに視線と落として、全世界の女を落とせそうな甘い笑みを浮かべて頷いた。


「はい。彼女からの贈り物です。彼女の瞳の色なんですよ」


「マジかよ」


 語彙力のない城嶋の驚きに「マジですよ」と結弦は笑った。

 そこからは、隣のテーブルが葬式会場かなというくらいにどんよりと重苦しかったが、城嶋と結弦は気にせず、昼飯を腹に収めて席を立つ。

 廊下を歩きながら「なぁ」と小声で尋ねる。

 顔を向けた結弦を見上げて城嶋は言葉を続ける。


「瞳の色ってマジのマジ? 誕生石じゃなくて?」


「マジのマジですよ。誕生石でもあるんですけどね、彼女、二月生まれだから。でも内緒ですよ」


 長い指を唇にあてて子どもみたいに笑った後輩に城嶋は呆気にとられる。

 すると結弦が「あ」と声を漏らして、嬉しそうに顔を綻ばせた。見れば、前方から真理愛がやってくる。


「畠中さん、お疲れ様。今日はお昼は外?」


「はい。先輩とランチを」


 厚い前髪、大きな眼鏡で顔がよくわからない。でも確かに唇や鼻筋は整っているように見えるし、スタイルもよさそうだ。

 だが、瞳が紫かどうかなんてさっぱりと分からない。今日は高めのヒールを履いているので、目線の高さがおおむね同じで圧が強い。


「用事がありますので、失礼します」


 一礼して彼女はさっさと通り過ぎていく。恋人ってマジ?と疑いたくなるくらいに、口角だって一ミリも動かなかった。

 いや、鉄仮面と呼ばれるくらいなのだから、とんでもない秘密が隠されているのは正しいと言えば正しいのだろうか。


「……お前、会社では話しかけるなって言われたってこの間騒いでなかった?」


 とりあえずの懸念事項を問いかけると結弦は、困ったように眉を下げた。


「今、僕が約束破ったから間違いなくめちゃくちゃ怒ってましたよ。どうしよ。いや、怒ってる顔もそれはそれは可愛いんですけどね」


 結弦が振り返るが真理愛の姿はもう見えない。


「……知るか」


 城嶋には鉄仮面の感情の機微なんてさっぱりと分からなかったが、真理愛を溺愛する結弦には彼女が「怒っている」というのが分かったらしい。


「まあなんでもいいけど、結婚式には呼んでくれ」


「フランスで挙げようと思ってるんで、パスポート用意しといてくださいね」


 そう言って結弦は、いけしゃあしゃあと笑った。




 あの事件の翌日、女性社員の有給取得率がすさまじかったと興奮したように総務の同期から教えられたのは、記憶に新しい。城嶋の後輩は、色々な伝説をよく作る男でもあった。


「えらくご機嫌だな」


 パソコンの電源を落とし、伸びをしながら結弦に声をかければ、同じく帰り支度を始めていた結弦は「はい」とご機嫌という感情がにじみ出ている声音で返事をした。


「今夜は、おでんなんですよ」


「おでん?」


「昨夜から仕込んで、僕も手伝わせてもらったんで、もう楽しみで楽しみで!」


「いーなぁ! 今日寒いし、最高じゃん、熱燗をこーくいっとさぁ!」


「僕も彼女もお酒は飲まないので、お米を食べます」


「じゃあ、俺もお米食べるからぁ!」


 さりげなくご相伴にあずかりたいという意味を込めた。

 彼女の鉄の仮面が外れるところを一度でいいから見てみたいという好奇心が城嶋にだってあるのだ。あと普通におでん食べたい。


「だめです。新婚家庭なんで」


「お前まだ結婚してねえじゃん!」


「僕はもう結婚してもいいと思ってるんですけど、彼女がまだ恋人でいたいって」


「だってまだ付き合って一カ月さえもたってねえじゃん!」


 まだ付き合って二週間かそこらだよな、と城嶋は目を白黒させる。


「付き合い初めて三日後にはいつでも出せるように婚姻届けを用意していたんですけど……彼女、僕が初めての恋人だからデートとかしたいって。めちゃめちゃ可愛いですけど、デートなら結婚してからもできますよねぇ」


「いやいやいや、なんか照れながら言ってるけど、重くない? お前、重くない?」 


 隣の島で残業してたグループの連中が、白目剥いてるよ。お前の愛の重たさにと城嶋は心の中で叫んだ。


「え? まあ、僕の方が筋肉質で背が高いですし、彼女、細いので二十キロ、下手すると三十キロ以上は違うんじゃないですかね?」


「そっちじゃねえ!」


 時々ぶちかまされる天然発言は今じゃないんだと城嶋は力の限り叫んだのだった。



 城嶋の後輩は、顔良し、頭良し、正確良し、スタイル良しの四拍子揃った男だったが、それはそれは愛の重い男だと知った冬の夜だった。

 ちなみにやっぱりおでんは分けてもらえなかったので、その晩、コンビニおでんとワンカップで城嶋は擦れた心と胃を温めたのだった。



おわり

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