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【コミカライズ】鉄仮面のマリア ※続編完結!  作者: 春志乃
第3話 零れ落ちたミートボール
19/60

3-3

 本日の仕事を終える。今日は、初日ということで皆が定時で上がる。真理愛は、十和子と共にロッカールームを後にする。腕にかけていたコートを羽織り、バッグから取り出したスマホを確認すれば、御影から連絡が来ていて、今から行く旨を伝える。


「あー、新年早々、よく働いたわー」


 そう言いながら十和子がぐっと伸びをする。

 今日は、他の社員たちも定時退社が多いのだろう。エレベーターもロビーも帰路に着く社員でごった返していた。

 真理愛は、十和子の正月の愚痴を聞きながら足を進める。十和子は、三児の母で、今年は、夫の実家に里帰りしたので大変だったらしい。


「お義母さんのことは大好きなんだけど、義弟の嫁がねぇ。真理愛ちゃんは、お正月はそのお友だちと過ごしたの? ご両親とこ行ったり?」


「お友だちと。……一緒にお餅を食べたり、おせちを作ったり。お正月は、アナログからデジタルまでゲーム三昧でした」


「ふふっ、いいなぁ。独身時代、私も友達とすっごく怠惰なお正月を過ごした思い出がよみがえるわぁ」


 十和子が朗らかに笑う。

 エントランスロビーを人波に流されるようにして、ビル前の広場を通り抜ける。外に出れば、冷たい風が頬を撫でて肩を竦める。


「あ、真理愛ちゃん、あの車でしょ?」


 十和子が通りに停められた車を指差す。

 朝と同じ黒い高級車に「そうです」と頷こうとして、真理愛は息を詰める。

 視界の端に、鮫島がいたような気がして、鞄を持つ手に力がこもる。

 そろっと視線だけを動かす。よかった、気のせいだと安心しかけた時、その姿を見つけてしまった。

人波に紛れるようにスーツにコートを羽織り、黒いマスクをした鮫島が少し離れたところに立っていた。傍らにバイクが停まっている。

 目が合った。

 瞬間、鮫島が笑ったのがマスク越しでも分かった。


「真理愛ちゃん?」


「畠中様」


 御影の声がして顔を向ければ、いつの間にか目の前に御影がいた。


「日野様、ですね。主人より聞いております。畠中様の先輩でございましたね。私は、運転手を仰せつかっております、御影、と申します」


 御影が早口で告げて、まるで執事のように胸に手を当て、かしこまった礼をする。十和子が「こ、こちらこそ」と慌てて頭を下げた。


「申し訳ありませんが、時間がありません。さあ、お二人とも乗って下さい」


 御影が有無を言わさず、真理愛と十和子を後部座席に押し込んだ。忙しなく、運転席に戻ると真理愛たちがシートベルトをはめるより早く車が動き出す。


「勝手ではございますが、少々、遠回りいたします」


 バックミラーをちらりと見た御影が、アクセルを踏む。


「ええと、御影さん?」


 どこかピリピリとした空気をまとう御影に押し黙ったままの真理愛に代わり、十和子が困惑気味に声をかけた。


「……例の男がバイクで追跡を。警察には通報済みです。メッセージをしたのですが……」


 体が跳ねる。十和子が「大丈夫よ!」と真理愛の肩を抱いてくれた。

 震える手でスマホを持ち、アプリを開けば真理愛が返事をしたあと、新たに御影から「ストーカー男らしき人物がいます。その場に待機をお願いします」と返事があった。


「す、すみません、気が付かなくて……っ」


「いえ、私も急ぎ電話をすればよかったのです」


「ったく、うちの可愛い真理愛ちゃんを付け回すのはどこのどいつよ」


 そう言いながら十和子が後ろを見る。


「……んー、だめね。どれか分かんない」


 十和子が、唇を尖らせながら隣に戻って来る。

 真理愛は、祈るようにスマホを握りしめた。結弦の顔が浮かぶ。「大丈夫」と告げる彼の優しい声が聞きたいと思った。

 すると間を置かずサイレンの音が聞こえてきた。十和子が再び後ろを見る。


「あ! 一台、逃げた! あいつね!」


「パトカーのサイレンに怖気付いのですよ。あの辺の路地裏は、入り組んでいますから、それにかこつけて逃げる気でしょう」


 御影は時折、バッグミラーを確認しながらも冷静にハンドルを操っている。


「会社もバレてるってこと?」


 再び隣に座り直した十和子が首を傾げる。真理愛は、スマホを握りしめたまま、なんとか頷いた。サイレンの音のおかげで少し恐怖が和らいだ。


「畠中様は、私の主人宅に避難しております。犯人は、その場所が特定できずにおりますので、なんとか尾行して、現在の居場所を特定しようとしているのでしょう。ですが、一番リスクの大きい会社に来るとは予想外で、対策が一歩遅れてしまいました。……っと失礼。はい、御影です。……はい……いえ、はい」


 インカムを付けているから、電話がかかってきたのだろう。彼は、車を路肩に寄せて停車した。暫く誰かと会話した後、再び車が動き出す。


「日野様、今、犯人は警察に追いかけられて我々を追跡できない状態です。可能ならば、先に畠中様を送り届けてもよろしいでしょうか」


「もちろんもちろん! 今日は、旦那くんがうちにいるから遅くなっても大丈夫だから」


 十和子が快諾すると御影は「ありがとうございます」と表情を緩めた。


「すみません、十和子さん。巻き込んでしまって……」


「いいのよー。真理愛ちゃんの安全が第一だもの。ご両親、確か今はフランスでしょ? 頼れる人には頼りなさい」


 十和子がスマホを握りしめたままの真理愛の手を両手でそっと握ってくれる。


「申し訳なく思わなくていいから、もし、どこかで真理愛ちゃんが誰かに頼られたら、そのとき、その誰かを受け入れてあげて。そうやって人情ってのは巡っていくものなのよ」


 そう言ってウィンクをした十和子に真理愛は、か細い声で「分かりました」と返事をする。十和子は、真理愛にはもったいないほど素敵な先輩だと胸がいっぱいになる。


「ところで、お友だちのところに今はいるのよね? 女性ばっかりで大丈夫?」


「えっ、あ。は、いえ、あの」


 男が苦手で恋人がいない真理愛の友だちというなら、女性を想像するのは、とても自然で当たり前だろう。


「ストーカー野郎は、男なんでしょう? 女の子の二人暮らしなんて心配だわ」


 十和子の真理愛の手を握る力が強くなる。

 真理愛が、十和子の立場であったら同じ心配をしただろう。武道の心得もない一般女性は、例え二人でも男性に対しては不利だ。

 だが、真理愛のお友だちは、身長一九〇センチ越えのとても体格の良い「男性」である。

 しかし、それを十和子にいうわけにはいかない。相手が弊社の王子様である小鳥遊結弦である以上、絶対に知られるわけにはいかない。十和子は、面白おかしく噂を流したり、嫉妬してくるなんてことがないのは百も承知だが、根掘り葉掘り聞かれて、きゃっきゃっされるのは想像に容易い。


「その、えっと、犬!」


「犬?」


「大きなシェパードを友人は飼っていて、警察犬候補生だった優秀な子なんですよ。それにとてもお金持ちなので、マンションもコンシェルジュ付きのオートロックでセキュリティも万全なんです」


 嘘は言っていない。

 ちらりと見た先、ミラーに映った御影の口元が引きつっている。笑いをこらえているに違いなかった。


「そうなの? コンシェルジュ付きなんてすごいわぁ! あ、でも御影さんという運転手さんとこんな高そうな車なんだから、きっとすごいお家なんでしょ?」


 十和子が真理愛の手を放して、ぱちぱちと拍手をしてくれた。「こんな時じゃなかったら、見学させてもらうのに」と悔しがる十和子に、真理愛は胸を撫で下ろす。


「そろそろ到着しますよ」


 車がマンションの敷地内に入って行く。十和子が後ろを確認して「いないわよ! 大丈夫!」と励ましてくれた。

 車は、ゆっくりとエントランスの前に停まる。


「十和子さん、巻き込んでしまって、本当にすみませんでした」


「ううん。おかげでこんな高級車に乗れたんだから気にしないで。それに実は年末に定期切れちゃってたから、電車賃が浮いてラッキーよ。朝、面倒だったから更新してないのよ」


 そう言って十和子はあっけらかんと笑った。難しいかもしれないけれど、真理愛も十和子のような優しくて、素敵な女性になれたらと思わずにはいられなかった。


「畠中様、日野様はこの御影が必ず無事に送り届け……おや、まあ」


 御影が呆れたように笑うのと同時に、真理愛側のドアがばたんと開いた。


「真理愛!」


 焦った声が真理愛を呼んで振り向けば、スーツ姿の結弦が肩で息をして立っていた。

 確か、今日は取引先に年始の挨拶をして、直帰するとメッセージが来ていたなぁ、と現実逃避をする頭の中で思い出す。


「ストーカー野郎が君を会社で待ち伏せていたって連絡があって気が気じゃなかったんだ! 大丈夫、何もされていない⁉ やっぱり僕と一緒に通勤する⁉」


 結弦は真理愛の頬を両手で包んで、怪我の有無を確かめるかのように真理愛の体に視線を走らせる。

 真理愛は、後ろを振り返れず、さらに言えば言葉でも出なかった。


「結弦様、畠中様はお怪我一つございませんよ。警察に追われて、犯人は尾行を断念して逃げました。その隙にこうして帰ってきた次第です」


 御影の言葉に結弦は、はぁぁと大きく息を吐くと真理愛の膝に突っ伏した。


「よかった……無事で……っ」


 後ろを振り向くこともできなかったが、真理愛の無事に心から安堵する結弦をないがしろにすることも真理愛にはできなかった。

 真理愛に触れた彼の大きな手は、確かに震えていた。


「あらあらあらぁ、うふふふっ、真理愛ちゃんのお友だちは、王子様だったのねぇ」


 十和子の弾んだ声に結弦が弾かれたように顔を上げた。ようやく、真理愛の後ろに十和子がいることに気が付いたようだった。小柄な十和子は、真理愛の陰にすっぽり隠れてしまっていたに違いない。


「小鳥遊くん、一生懸命、真理愛ちゃんに声かけてたもんねぇ」


 十和子が何やら一人納得している。真理愛は、両手で顔を覆って項垂れる。


「ひ、日野さん⁉ な、なんで……」


 結弦の声には焦りと驚きが滲んでいる。


「犯人が近づいてきそうな気配がありまして、その際、お二人は一緒にいたものですから押し込むように乗せてしまいました。申し訳ありません」


 御影がちっとも申し訳なく思っていなさそうな口調で言った。


「いいの、いいのよ。小鳥遊くんは、いつも経費関係きっちりしてくれているから、今日のところは大人しく帰るから。ささ、降りて、早くお家に入って」


 真理愛は背中を押されて、結弦の腕の中に飛び込む形になった。ドアが閉められ、窓が開く。

 真理愛は、結弦の腕の中から十和子を振り返る。


「あ、大丈夫、二人が()()してることは、この日野十和子、絶対に誰にも言わないから。ふふ、小鳥遊くんなら安心だわねぇ。じゃあ、詳しいことはまた明日ねぇ」


 ウィーンと窓が閉まる中、十和子がひらひらと手を振る。真理愛と結弦は、反射的に十和子に手を振り返していた。「あ、御影さん、私の家は△×の方でーす」と十和子の声を最後に黒の高級車は走り去っていった。





「ごめん。僕、全然気が付かなくて……っ」


 スーツから部屋着に着替えて、ソファで項垂れる結弦に、同じく部屋着に着替えた真理愛は「いえ」と声をかけて隣に座った。落ち込む主人を心配したジャスティンが、結弦の膝に顎を乗せて、様子をうかがっている。


「私のこと、心配して下さったんですよね」


「……うん。御影と正人から連絡が来て、」


 結弦が顔を上げ、真理愛を見つめる。


「会社に戻って、無理矢理にでも一緒に帰ればよかったって思った」


 ジャスティンの頭を撫でる大きな手が、まだかすかに震えていることに気が付いた。

 少しだけ距離を詰めて、大きな手に自分の手を重ねた。


「大丈夫です。御影さんがすぐに車を発車してくれて、十和子さんが傍にいてくれたおかげで、本当に大丈夫でした。結弦さんが御影さんに私の送迎を頼んでいてくれなかったらと、考えて息ができなくなりそうでした。……あの人、今日はバイクに、乗って……いたんです。きっと、わ、私を、追いかける、ため、に」


 大きな手が真理愛の手を包み込むように握り返してくる。


「…………こわかった……っ」


 ギシッとソファが軋んだ音を立てた。

 結弦との距離がゼロになって、真理愛の手から大きな手が離れていく。代わりにその手は真理愛の頬を包み込んだ。

 切れ長の双眸が、真理愛をとらえる。きっと、情けない顔をしている。会社にいる時のように鉄の仮面を被りたいのに、頬から伝うものが邪魔をする。


「……ご、めなさ……っ」


 甘えようとしている自分に気づいて、真理愛はその手から逃げようとするのに、結弦はそれを許してくれなかった。


「抱き締めても、いい?」


 嫌だと言うべきだ。駄目だと、怖いと言えば優しい結弦は、絶対に真理愛に触れることはないだろう。

 だが、この大きな手が離れていくことが嫌だった。彼の腕の中が、とても安心できることを、真理愛は警察署で知ってしまっていた。

 気付かれないことを願って、ほんの僅かに縦に動かした首を彼は見逃してくれなかった。

 ぐいっと強い力で引き寄せられて、その腕の中に閉じ込められた。

 車の中で、真っ先に思い浮かんだのは、隣にいる十和子でも無くて、両親でも親友でもなくて、結弦だった。

 何もかもから真理愛を護ってくれると約束してくれた、優しい彼の顔が思い浮かんだのだ。彼の優しい声で「大丈夫」と聞きたいと願ってしまったのだ。

 気づかないふりをして目を背けていたその想いが、遂に溢れ出して唇を噛む。


「……ごめ、なさ……っ」


 貴方を、好きなってしまって、


「ごめんなさい……っ」


「謝らないで真理愛さんは、何も悪くないんだから」


 結弦の優しいその声音に、真理愛は涙がまた溢れるのが堪えられなかった。

 優しくしないでと叫びたかった。


 ――ひとりで、生きていけなくなってしまうから。

 

 そんな理不尽な言葉を叫びたかった。

 でも、それが、どうしてもできなくて、真理愛はただ、彼の腕の中で小さな子どものように泣くことしかできなかった。



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