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【コミカライズ】鉄仮面のマリア ※続編完結!  作者: 春志乃
第2話 ふわふわオムレツからの餅つき(ホームベーカリー)
16/60

2-7



 結弦は、餅つきを心から楽しんでいる。

 真理愛は、手をぎゅっと握り、親指と人差し指で作ったわっかから熱々のお餅をひねり出す。それをひと口大くらいの大きさにして醤油とおかかを混ぜた大根おろしの上に落とす。結弦が菜箸でお餅を和えて、別の皿に乗せる。時折、つまみ食いをしているが、つまみ食いは楽しいものだから仕方ない。

 ほかにも黒蜜と黄な粉をまぶした安倍川餅、餡子をたっぷりまとった餡ころ餅もある。餡ころ餅は結弦がお餅をひねり出す係だったので、大小さまざまなサイズのお餅がお皿に並んでいる。


「でも、珍しいね。黒蜜までかけるなんて。黄な粉だけじゃないんだ」


「父の実家が山梨県なんです。山梨では、安倍川餅といったらこれなんです。日本のおばあちゃんちでお盆とか年末に必ず食べていたので、これが普通だと思ってました」


 大学に入り、同じゼミの子から他県では安倍川餅といえば、黄な粉をまとわせたお餅に白砂糖を掛けたものだというのを知って、衝撃が走ったのは今でもよく覚えている。


「お盆にお餅?」


「山梨県では、一般的なお供え物の他にお盆に安倍川餅を供えるんですよ。おばあちゃんちでは、送り火を焚く時、小さく切った安倍川餅を茄子の葉で包んで、精霊馬の背に藁で括り付けて、お土産として持たせていました」


「へえ、面白いなぁ。僕、お盆とかもちゃんとやったことないんだよね」


 感心する結弦の頬には片栗粉がついている。


「あー、つきたてのお餅はこんなに美味しいんだね」


「もう、お昼に食べる分がなくなっちゃいますよ」


 餡ころ餅を頬張る結弦に苦笑を零しながら、もういいだろうと熱々の餅を、ラップを敷いて片栗粉を広げたテーブルの上に置き、お餅にも片栗粉をまぶしてめん棒で広げていく。丁度いい大きさと厚さになったら新聞紙の上に移動させる。これで冷めたら、切って冷凍しておくといつでも美味しいお餅が食べられるのだ。

 このお餅は本日、二回目に搗いたものだ。一回目のお餅は、結弦の要望により鏡餅になり、今は乾いて固まるのを待っている。その残りもこうして広げて新聞紙に乗せてあるので、当分はお餅が楽しめそうだ。

 本日、大活躍したホームベーカリーを真理愛が片付けている間に、結弦がテーブルの上を片付けてくれる。良い子で待っていたジャスティンには、鳥のささ身を茹でてあるので、後でご褒美にあげよう。


「あ、また電話だ……」


「あとはやっておきますよ」


 真理愛がそう声をかけると、結弦は「ごめんね」を告げてスマホを片手に部屋を出て行く。大変だなぁ、とその背を見送りながら、真理愛は手を動かし、片付けを終える。

 お昼までは少し時間があるので、ちょっと休憩とソファに腰を下ろす。ジャスティンがひょいとソファに飛び乗ると真理愛の膝を枕に仰向けになった。人懐こい彼は、真理愛にもとてもよく懐いてくれて、お腹を撫でろと甘えてくる。


「ジャスティンくんは、いい子ね」


 お腹を撫でるとジャスティンは嬉しそうに尻尾を振る。


「……ここは、平和ね」


 撫でる手が止まり、ジャスティンが「どうしたの?」と言いたげに真理愛を見上げている。その澄んだ瞳には、真理愛の情けない顔が映っている。

 ここは、平和だ。セキュリティのレベルも高くて、コンシェルジュも常駐しているから本当に平和だ。

それに結弦の隣は、とても穏やかで安心できる。本来の姿で買い物を楽しんでいても、結弦が隣にいてくれるだけでナンパもしつこい勧誘も一度も受けることがなかった。


「なんにも、解決していないのに……」


 まだストーカーが逮捕されたという一報はない。まだあの白い手紙はポストに入れられているのだろうか。あの男は、真理愛の部屋にどうにかして入ろうとしているのだろうか、とそんな考えがふとした時に脳裏をよぎる。

 ジャスティンが起き上がり、真理愛の隣に座り直した。腕を伸ばすと自らすり寄って来てくれて、大きな体をぎゅっと抱き締める。

 ジャスティンは、やわらかな陽だまりの匂いがした。

 結弦がとても気を使ってくれているのは、分かっている。真理愛が、不安になるようなことを、ストーカーのことをあれこれ考えなくていいようにしてくれている。

 今日の餅つきも、明日のおせち作りも、きっとその一つだ。もちろん、好奇心旺盛な彼は、それそのものも心から楽しんでいるのは分かる。だから、真理愛は罪悪感を抱かなくて済む。

 でも、心苦しい。迷惑をかけている。心配もかけている。

 無関係の結弦に、もし何かあったらどうしようと真理愛は、ジャスティンに縋りつく。優しい元正義の味方候補は、真理愛を慰めるように体を寄せてくれる。


「真理愛さん、ちょっといいかな」


 結弦に呼ばれて、顔を上げる。目が合うと心配そうに結弦が眉を下げた。


「大丈夫?」


「は、はい。大丈夫です。ジャスティンくんが可愛くて」


 ジャスティンが、真理愛の言い訳に付き合うように尻尾をばさばさと振って、真理愛にすり寄って来てくれる。ありがとう、と呟いて大きな頭を撫でる。

 結弦は少し迷うような素振りを見せた後、ジャスティンの向こうに腰を下ろし、スマホをローテーブルの上に置いた。


「さっきの電話、正人からだったんだ。今も繋がってる。僕らの会話を聞いてもらおう」


「正人……東条さん、ですか」


 ローテーブルに置かれたスマホの画面には「東条正人」と名前が表示され、確かに通話中になっている。

 勝手に体が強張る。東条正人は、結弦の友人で先日、会ったばかりの刑事だ。


「うん。被害届を出した日から真理愛さんのマンションに張ってたらしいんだけど、ストーカーは現れなくて、どうやら警戒しているようなんだ。……それでなんだけど、今まではストーカーが自分の手で、手紙を入れてたんだよね」


「はい、切手がなかったのでそうだと思います」


「でも、今日は郵便配達員が投函した……つまりストーカーは警察が張り込んでいるということを警戒しているんじゃないかって、正人は言っていたよ」


 ジャスティンが「きゅーん」と鳴いて、ソファに上ると真理愛の膝に上半身を乗せた。その重さと温かさに真理愛は、なんとか結弦の話に耳を傾ける取り戻す。


「それで、今日の手紙には文章が書いてあって……『あのクソ野郎()()はだめだ』って書いてあったらしいんだ。どうやらあの日なのか翌日なのか、僕と君が一緒にいるのを見ていたらしい」


「それって……」


 息を呑み、両手で口元を覆う。

 結弦が、うんと一つ頷いて目を細めた。


「だけ、ってことは僕が誰かを知っているということだと思う。つまり君と僕、両方が知っている誰かが犯人だ」


「ということは、会社の人ということです、よね」


「そうだね、僕らに会社以外では共通の友人はいないし。でも僕と君は課が違うし、社内でそれほど交流があるわけじゃないし……」


「私には、心当たりは……ないです」


 真理愛はジャスティンを撫でて心の平静を保ちながら言った。

 結弦は眉間に皺を寄せると、大きな手で自身の顎を撫でた。


「僕、正人から話を聞いて、君のストーカーに大分嫌われているように感じたんだ。クソ野郎なんて失礼な言葉もくっついているしね。……それであれこれ考えてみたんだけど、一人、いるんだ。君とも接点がある」


 真理愛は記憶のページをめくるが、結弦と共通の知人、それもストーカーをされるほど、或いは結弦が恨まれるほどの人間がどうやっても思い浮かばない。


「……鮫島君人」


「鮫島さん、ですか……?」


 鮫島君人は、真理愛が結弦と知り合うきっかけとなった人物で三カ月と少し前に会社をクビになった人だ。結弦と同じ営業課の社員だった。

 会社の金を横領していたとあって、経理課はてんやわんやだったのだ。だが、営業部の翠川部長が徹底的に証拠を押さえていたため、鮫島は呆気なくクビになって会社を去ったと聞いている。


「でも、私は結弦さんが助けて下さったあの一回しか鮫島さんには関わったことが……顔もうろ覚えで」


 別の男性社員が彼の担当だったのだが、その日、男性社員が朝から具合が悪そうで、彼の代わりに椎崎課長にも許可をもらって真理愛が書類の回収に向かったのだ。鮫島の顔は知らなかったが、営業部に事前に電話して社内にいることを確認し、一課に着いたら入り口にいた女性社員に誰が鮫島かを教えてもらったのだ。まさかあんな騒ぎになると思わず、担当だった男性社員と椎崎課長には平謝りされた。


「詳しいことは言えないんだけど、鮫島は色々あって……もしかしたら逆恨みで真理愛さんをつけていて、それがだんだん恋情になっていったんじゃないかな」


「ゆ、結弦さんは私を助けたりなんかしたから、だから、恨まれて……?」


 申し訳ない気持ちと恐怖で声が引きつる。結弦は「まさか」と首を横に振った。


「彼が僕を恨んでいるのは、翠川部長の指示で、鮫島の不正の証拠を一通り揃えたのが僕だからだよ。僕に対して、かなり恨み言を言っていたから」


 くしゃりと苛立たし気に結弦が髪をかき上げる。


「そうか、そういうことか。ちょっとこの場で正人とこのまま話をしても?」


「は、はい。かまいません」


 真理愛の了承を得ると結弦はスマホに向かって、友人の名を呼んだ。すぐに『もしもし』と低い声が聞こえた。


「聞こえていたと思うけど、今、真理愛さんと話し合った結果、一人、僕ら共通の知人で、僕に恨みを抱いている奴の心当たりがあったんだ」


『ああ。もっと詳しく話してくれ』


「鮫島君人、二十九歳、男性。彼は大学を一浪しているらしいから年齢は僕より一つ上だけど、同期で同じ営業部営業一課だった」


『営業一課、っと……だった、ってどういうことだ?』


「会社をクビになったんだ。横領でね。真理愛さんは、あいつが摘発されるその日、鮫島に仕事の関係で書類の催促に行っていて、恨みを買ったのかも。僕は、上からの指示で鮫島の不正の証拠をそろえたから、大分恨まれていると思うよ」


『なるほどな……鮫島について詳しく知りたいんだが、お前の会社、休みだよな。つか、前科とかありそうな男か? 前がありゃデータベースにいるんだがな』


「そこまでは知らないよ。僕の上司で今回の件の指示役だった翠川部長の電話番号を教えるよ。僕からも事情を話すから、聞いてみてくれ。部長なら鮫島について僕よりも詳しいと思う。僕は証拠をそろえただけで、処遇を決めたのは翠川部長以上の役員だから」


『そうか、ならあとでメッセージ送ってくれ。……そこに真理愛さんまだいるか?』


「いるけど?」


『真理愛さん。犯人は俺たちが絶対に捕まえるからな。結弦の傍にいれば安心だから』


「……あ、ありがとうございます。先日は、大変、失礼をしてしまって……本当にすみません」


 東条は、真理愛の苦手な見た目をしていて、厳しい表情も相まって、結弦の背中に隠れるという子どもみたいな真似をしてしまった。とても失礼だったと冷静になってから頭を抱えた。


『事情は分かってるから。それにあんたを傷つけたのも警察だろ。あんまり気にしなくていい。まあ、俺は結弦とはダチだから、その内、プライベートで会うこともあんだろうから慣れてくれると助かるがな』


 そんなことがあるだろうかと思いつつ真理愛は「頑張ります」と返事をした。


『おう。頑張ってくれ、俺たちもそれ以上に頑張るからな。結弦、番号、頼んだぞ』


「ああ、分かってるよ。部長に電話をしてからでいいだろ」


『かまわねえ、つか、むしろそうしてくれ。んじゃ、一旦、切るぜ』


 言うが早いか結弦が返事をする前に通話が終了する。


「せっかちなんだよね、昔から」


 呆れたように結弦が言った。


「……大丈夫?」


 一転、心配そうに結弦が顔を覗き込んでくる。真理愛は、逃げるように目を逸らして唇を噛んだ。膝の上で握りした手が震えている。


「だっ、だいじょうぶ、です」


 じわじわと襲ってくる恐怖に声が震えて、嫌になる。

 本当に犯人が鮫島かどうかも分からない。だが、ドアを蹴っていた犯人の姿がありありと思い出されて、体が竦む。

 正直、鮫島のことは「怖かった」という感情が邪魔をして、その姿は朧気た。真理愛に向って拳を振り上げた男は、真理愛より幾ばくか背が高く、それなりにがっしりしていたが、結弦よりは小さい。それくらいしか記憶に残っていなかった。

 ジャスティンがソファから降りて開いた隙間を埋めるように少しだけ結弦が真理愛に近づいた。

 ジャスティンが足元に座って真理愛の膝に顎を乗せ、結弦の大きな手が真理愛の手を包んだ。二つのぬくもりが真理愛の心に安心を繋ぎとめてくれる。


「鮫島は元々僕を目の敵にしていて、僕を嫌いだという感情を隠してもいなかったよ。営業課は皆知ってる。僕があいつより、顔が良くて、脚が長くて、性格が良くて、成績優秀だったのが気に入らなかったみたい」


 やれやれと結弦がわざとらしく肩を竦めた。真理愛は、自然と肩の力が抜けるのを感じた。真理愛の手に重ねられた大きな手は、やっぱり温かい。


「そ、れは、なかなか結弦さんに勝てる方はいないのではないでしょうか?」


 真理愛の言葉に結弦は、ぱちりと目を瞬かせると、何故か嬉しそうに笑った。照れたように「そうかなぁ」と言いながら頭を掻く。

 心にあったはずの恐怖や不安が、はらはらと(ほど)けて消えていくのを感じる。結弦は、柔らかな空気を作るのが、とても上手だ。


「ところで真理愛さん、お腹空いた」


「じゃあ少し早いですけどお昼ご飯にしましょうか」


 自然と小さな笑みが零れた。


「やった! ねえ、真理愛さん。僕、いそべ餅も食べたいな」


「はい。海苔も買ってありますから、できますよ」


「やったね、ジャスティン! さ、ご飯にしよ」


 立ち上がった結弦が、すっと差し出してくれた手に真理愛は、反射的に自分の手を重ねていた。

 そんな自分に驚いて、我を取り戻した真理愛がひっこめるより早く、ぎゅっと大きな手に包まれて、ぐいっと強い力で引っ張られて立ち上がる。

 目が合った先で、結弦は切れ長の眼差しを、蕩けそうなほど優しく細めた。


「さ、行こう」


 ご機嫌に笑う結弦に手を引かれて、すぐそこのキッチンへ歩き出す。ジャスティンが、尻尾をふって付いて来る。

 心臓が、口から出そうだ。頬は火照るし、繋いだ手は汗ばんでいる気がしてならない。

 結弦は、怖くない。嫌じゃない。会社でお姫様抱っこをされた時は、放心状態だったけど、警察署で抱き締められた時は安心したけで、ショッピングモールで手を繋いだり、腕を組んだりしていた時は、男が寄って来ないことに感動していただけなのに。

 今は、何故か動悸、息切れ、顔の火照りが追加されている。

 これは、よくない傾向だ。いくら真理愛に経験値が全くないからと言って、これが何か微塵(みじん)も分からないほど鈍感ではない。

 彼は、弊社の王子様だから。誰にでも優しい人だから。勘違いをしてはいけない。


「真理愛さん? 大丈夫?」


「だ、だいひょぶです! ひゃい!」


 噛んでしまった。その事実が恥ずかしくて、片手で顔を覆う。結弦は「だいひょぶですか」と揶揄うように真理愛を真似てケラケラと笑っている。

 なんだか今度は憎たらしくなってきて、真理愛は、赤くなっているであろう顔は俯けたまま、結弦の肩をグーでぽかっと殴った。逞しい肩は、びくともしなかった。

殴られたはずの彼は、「まるで猫パンチだね」とまた可笑しそうに笑うのだった。




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