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ぱぁぁぁっという言葉が彼の背後に見えるくらいに、結弦の顔がかがやいている。
ダイニングテーブルの上に並ぶのは、冬が旬のぶりの照り焼き、揚げ出し風豆腐、ほうれん草のおひたし、油揚げとなめこのお味噌汁とカブとキュウリのぬか漬けだ。
例の高級炊飯器で炊いたご飯は、艶々で美味しそうだ。
「家でこんなご飯が食べられるなんて……きっと、キッチンも初めてまともに働かせてもらえて喜んでいるよ」
結弦が大真面目な顔で言った。真理愛は、二人分の湯飲みにほうじ茶を注ぎながら「そうですか」と頷くにとどめた。
「このお豆腐は?」
「揚げ出し風豆腐です。揚げ出し豆腐より簡単なんですよ。お豆腐を温めて、とろみをつけた餡をかけるんです。それで天かすとねぎ、お好みで大根おろしを添えれば完成です。天かすがサクサクして美味しいんですよ」
揚げ出し豆腐も好きだが、天かすのさくさく感が美味しい揚げ出し「風」豆腐も好きだ。
「いただきます」
待ちきれないと言った様子で手を合わせた彼につられて、真理愛も「いただきます」と手を合わせる。
結弦は、真っ先に味噌汁に口を付けた。
お口に合うかな、とどぎまぎしながら様子をうかがう。
「…………おいしい」
ぽろっと零れた一言は、感動さえしているように聞こえた。
「すごく安心する味だね。他のも楽しみだな」
そう言って笑った結弦の箸は、軽快に動き出す。どれもこれも「美味しい」と顔を綻ばせる彼に真理愛もほっとして、箸を手に取る。
今が旬のぶりは、こっくり濃厚な照り焼きのタレと脂の相性が最高だ。同じく旬のほうれん草も甘みが強く、特有の苦みがその甘みを引き立てていて美味しい。
「あの、真理愛さん」
「はい」
ぬか漬けに伸ばした箸を止めて顔を上げる。
なぜだか、結弦が深刻な顔でこちらを見ている。
「どうか、しましたか?」
やっぱり口に合わなかったのだろか。
「……おかわり、ありますか?」
想像と違った言葉は何故か敬語で、真理愛は目を瞬かせる。
真理愛の茶碗より一回り大きな茶碗は、たっぷりご飯をよそったのに、もう既に空っぽだった。買ったばかりの黒い丸皿の上からもブリがいなくなっている。
「真理愛さんのごはん、すごく美味しくて、すぐにお米がなくなっちゃって」
「……ありますよ。ブリも三切れ入りだったのでありますし、お味噌汁もほうれん草もあります」
「なら、おかわりしていいですか⁉」
彼は、非常に真剣に問いかけて来る。その勢いに押されて真理愛が頷くと、彼は空の茶碗とお皿を持ってキッチンに行き、ご飯を先程と変わらないほどたっぷりよそい、ブリも連れて帰ってきた。
「すごく、すごく美味しいよ!」
そう言って、再び「いただきます」と手を合わせた結弦の箸はまた元気よく動き出す。
結弦は、その後、味噌汁もほうれん草もおかわりした。
その食べっぷりは、作った側にしてみれば、最高としか言えないほどで、何もかもが空になったキッチンで洗いものをしながら、にやける頬を隠すのが大変だった。
結弦は手伝うよと言ってくれたが、とにかく今日はいいですと説得した。
現在、彼はリビングのソファに座って、ジャスティンとおもちゃをひっぱりっこして遊んでいる。大型犬のジャスティンの興奮した顔は、なかなか迫力がある。
真理愛は、泡を流し終えて水切り籠にお茶碗や皿を並べていく。食洗器があることを思い出したのは、半分ほど洗った頃だ。だが心を落ち着けたかったので、今日は手洗いだ。
明日は、何を作ろうか。ほうれん草は、朝ご飯にもしようと思っていたのだけれど、結弦が全部食べてしまったなと、とりとめもなく思考は流れていく。
久しぶりに「誰か」のために作った料理は、自分のために作る時より、少しだけ楽しかった。いや、本当はとても楽しかった。
「ねえ、真理愛さん」
最後に湯飲みを水切りラックに置いたところで、声を掛けられる。
ソファの背凭れ越しに振り返った結弦と目が合った。
「明後日は、もう晦日でしょ? 真理愛さん、おせちはどうしてる?」
「毎年、自分で作っています。結弦さんは、注文、とかですか?」
「前も言ったけど、年末年始、僕以外は家族は海外に行っているから一人でしょ? 僕一人ならカップ麺とかコンビニで済むから家政婦さんもお休みしてもらってたんだ。頼むのも面倒でね。だからここ数年、おせちなんて遠ざかってて」
それもそうか、と真理愛は納得する。
一人用おせちだって、探せばあるのだろうけれど大抵は「家族向け」だ。あれを一人で食べるのは、よほど好きでなければ味気ないだろう。
真理愛のように自分で作れば、一応はおせちの伝統や形をなぞっていても好きなものを多めに、嫌いなものは作らないなんて選択も可能だ。
「荷物を運んだ時に、重箱があったでしょ? だから作るのかな、って」
膝立ちになった結弦が背凭れに両腕を乗せる。
「……ご要望とあればお作りしますが」
「本当⁉」
ひょいとソファを飛び越えて結弦が駆け寄って来る。ジャスティンが「遊ぶ? 遊ぶの⁉」とついてくる。
「僕、そういうの一度やってみたかったんだ!」
つまりは料理をしたいということか、と真理愛は納得する。今日は、買い物帰りで疲れていたからか、結弦は気を使ってくれて料理をする真理愛をにこにこ眺めていただけだった。人に教えるのはなかなか大変なので、有難いが、あんなにずっと見つめられているのも気恥ずかしかった。
おせちは、そう難しい料理ではない。もちろん味の加減や丁寧な下ごしらえは大切だが、料理初心者の結弦に手伝えることも色々とあるだろう。野菜の皮むきとか。
「……なら、晦日にはお餅でもつきますか?」
「うち、杵と臼はないんだ……」
「私の持ち込んだ荷物の中に、ホームベーカリーがあるんです。あれは、パンを捏ねたりもできるんですが、なんとお餅もつけるのです」
「やる! やります!」
はしゃぐ様がジャスティンそっくりだ。
「なら、明日はもち米とか、おせちの材料の買出しに行きましょうか」
「そうしよう。あー、楽しみだね! そうだろ、ジャスティン」
ジャスティンが「わん!」と返事をする。
「明日の朝ご飯は、和食と洋食、どちらがいいですか?」
「今朝食べたオムレツ、また食べたいな」
「なら、洋食にしましょうか。パンも買ってありますし」
今日の買い物であれこれきちんと買ってきた。結弦の言葉ではないが、初めてたくさんの食料をしまわれた冷蔵庫も喜んでいるだろう。
真理愛は、あれこれ頭の中で献立を組み立てて、冷蔵庫の中身を思い出す。
「あ、電話。ごめんね」
不意に結弦がポケットからスマホを取り出す。ぶーぶーと震えるスマホを手に、結弦がリビングを出て行く。ばたんとドアが閉まると結弦の声はくぐもって詳しい内容は聞こえてこない。
真理愛は、せっせと片づけをして、布巾で皿を拭いて棚に仕舞う。二人分のそれはすぐに終わってしまい、真理愛はご当地マグカップにインスタントコーヒーを淹れる。結弦の分をどうしょうかと思ったが、まだ電話が終わらないようなのでカップだけ出しておいた。
ジャスティンと一緒にリビングに行ってソファに腰かける。
真理愛がカップをテーブルに置くと、隣に座ったジャスティンが膝に大きな頭をのせて来るので、撫でると気持ちよさそうな顔になる。
「真理愛さん。ちょっと仕事の電話、長引きそうだから先にお風呂どうぞ」
リビングから顔を出した結弦の言葉に「ありがとうございます」と慌てて返す。結弦はひらりと手を振ると顔をひっこめた。多分、自分の部屋に行ったのだろう。
営業さんは大変だなぁ、と真理愛はジャスティンの頭を撫でるのだった。