欲しがりな妹には天罰を
「では、堕ちなさいアテッサ。残念だわ」
「ひどいっ、だましたのね、お姉様!? 憎んでやるわっ」
ばくんっ、と神殿の床に貼られた大理石の床の一角が左右に割れてその上には我が愚妹が。
覚えていらっしゃい……ィ、なんてドップラー効果のもたらす音の余韻と共に……我が妹は冥府の神の聖女として召されていったのでした。
……ことの起こりは少し前。
「お姉様、聖女になられたんですの? それ、わたくしにも下さいな!」
と、これは凡百な王国貴族の中でも一、二を争うほどに美しいと評判の我が妹、アテッサが放った、最初の祝いの言葉でした。
聖女というものは神様より与えられるものであって、そうそう好き勝手に譲れるものではなくってよ? と、言いたいのを我慢して、私はにこりと微笑みます。
するとアテッサは女から見ても惚れ惚れするような美しい素振りで悲しそうな一声を……言うのですね。
しかも、あざとく周囲に誰かいるのを確認してから、まるで虐められて尻尾を丸めてしまった仔犬のごとき保護欲をそそりながら……。
「そんな笑顔だけで拒絶されるなんて。なんて冷たいの、お姉様……」
正直、我が妹を見ているとちょっとおつむが弱いかなー、なんてところが幾つかありまして。
生まれながらの美しさ、年齢がまだ十代前半ということもあり、醸し出される幼さ、構ってやりたくなるあどけなさなど、どう見ても作っていますよね、と姉から見れば丸わかりなことを、他人の前ではそつなくこなすのです。
事情をよく知る長年我が家に勤めてくれている家人はそうでもないですが、まだ付き合いの浅い友人・知人や関わった方々だとそれにころっと騙されてしまうのです。
「そうかしら。あなたが神に祈りを捧げて、主が認められたならいつでも譲りますわよ」
「神の御意見を伺うなどと、そのような人の身で大それたことなんて、できませんっ!」
諭すように言うと、ブルブルと全身を振るわせてさも、恐ろしいことを聞いてしまったかのように肩を抱き寄せてすくんでしまう。
そんな愚妹はたしかに可愛らしく、手を差し伸べる男性は後を尽きないのです。
特に今回のようなこの場。
「止めなさい、神の御前ですよ」
「だって、だって……」
「はあ、情けない。皆様が見ていらしているではないですか、アテッサ」
と、たしなめても妹の悲しそうな演技は止むところを知りません。
また今日という日を狙ってこんな真似をしてくるなんて、とあざとさに怒りさえ出そうになる始末。
本日はここ数十年いなかった神の聖女が認定されるという、王国でも一大行事が行われる日なのです。
もう神託は下り、私が選ばれましたけど……国王夫妻に王太子殿下夫妻、その他、王族に貴族諸侯、果ては国内外の同盟国や関係する神の親戚筋の神殿の方々まで。
まあ、とにかく妹の行為により我が家の名前が地に失墜するのも時間の問題、というところでしょうか。
「皆様が見ているから、これも良い効果があるのですよ、お姉様」
「なっ……」
どの口がそんな言葉を、本音をすらすらと述べるのか。
発言から行動、その仕草に至るまでアテッサの根底にあるのは、新しい物を手に入れて満足したい。
ただ、それだけなのです。
そしてその為には手段なんて選ばない、いや、選ぶつもりもない。
「おや、いけませんか? わたくしは欲しいと感じたことを素直に申し上げているだけです」
「よくもまあ……その発言を私の陰にかくれて見えないのをいいことに言うのではなく、皆様の前で言ってみてはどう? もう、私の妹だという威光も通じないのよ?」
「威、光――?」
なんですか、それ。
そんな顔をしてきょとんと首を傾げたアテッサは確かに、可憐で清楚な美少女風。
滑るような絹のごとき金髪も、湖の底のまぶしさをそのまま溶かし込んだような苔色の瞳も、白磁のような艶やかな真っ白い肌も美の女神が降臨したかのよう。
被害者である私ですらそう感じてしまうのだから、本性を知らない誰かが見たら虜になってしまうのも理解できるところ。
がやがやと私以外の存在に対しての視線が集まってきているのを、背中に痛く感じてしまいます。
「いい、アテッサ。あなたが欲しがってあげたそれら、指輪だったり服だったり、なんでもいいですが。それらは私が女神様の司祭だったり神官長になったり、神殿の持つ地位があったから叶ったものなのです」
「だって……変ですよ、それ?」
「何が変なのですか」
「お姉様が手にした物を妹のわたくしに譲ることの何がおかしいのですか?」
「あげられる物は譲りましたよ。私が身に付けていなければ効果を表さない護符などもあなたが欲しがって止まないから、特別にあげたではないですか」
「それなら!」
と、愚妹は名案を思い付いたかのように顔をぱあっと明るくさせて言いやがりました。
最高の名案だというかのように。
「お姉様が身に付けていなければ効果を成さない護符でも、わたくしにくださるのですから! 聖女の地位ですらも譲っていただけるはずです!」
……と。
ついでにふふんっ、と鼻を高くして付け加えてきやがりました。
「わたくしは眉目秀麗、どこをとっても完璧無比な美しさを誇りますが、しかし……」
「なっ。なんですか、アネット……」
「お姉様は王国でも最下層の民が持つ黒髪に黒目。幼い頃につけた左眼の焼け跡とどれ一つとっても美しさと高貴さ、とは無縁の存在ですから」
「その心の醜さを見抜くような誰かに出会った時、あなたの立場や評価はすべて失われるかもしれませんね、アテッサ。いい加減になさい」
「嫌ですわ、負け犬になるなんて――耐えられませんもの。ああ、違いましたわ。正しい評価を奪っていく泥棒猫からそれを奪い返すことは正しいことだと思いますの。お姉様はどう思われますか?」
「あなたがっ! 今すぐ滅びればいいと思っているわ」
「……まあ、怖い……」
傍らから見れば姉妹の仲良いひそひそ話。
その内側を覗けばこんなどうしようもない泥沼のような会話だと、誰が想像するでしょう。
居並ぶ諸侯や有力者たちの視線はもちろん、本日の主役たる私にではなく妹に注がれていくのは看過できないものがありましたが……。
しかし、天罰というのはどこかからやってくるものですから。
我が主たる女神様が天界からそっと下した一言がこの耳に入るまで抑えようのない怒りの最中にいた私も、これから起こる結果次第では、妹を許すことにしたのです。
「そんなに言うなら、この姉を断罪してみてはどう、アテッサ」
「は? だん、ざい……? 何をせよ、と」
「簡単です。あなたが神に選ばれるかどうかを試してみればいいわ」
「はあ?」
馬鹿なの、この姉は?
妹の顔にはそんな侮蔑がありありと浮かんでいました。
普段なら我慢の限界がやってくる頃ですが、今回は別。
やることは簡単よ、と私は妹の背後にある祭壇と、そこに設置されたある物を指さします。
「あれよ」
「あれって――神託の水晶球……」
「そう。触れてみたら?」
「はっ、なにを怪しげなことを言われますの、お姉様。わたくしのような一般の貴族が触れれば、神の怒りの罰が下る……はず?」
はず、で小首をかしげると後ろでも何か動いた気配。
見かえると、若い男性から老爺に至るまでその視線は妹が私の陰から出した顔を見ようとしてどよめいたのがその正体のよう。
本当に男を惑わす悪魔のような女ぶりに姉としては呆れるしかありません。
「心配しなくても、私が一緒にいるから触ってお叱りはありませんよ」
「……ほんっとう!?」
「本当。出来ればさっさとその鬱陶しい顔を見たくないから。さっさとやりなさい」
「ひっ!?」
ほんの少しばかり女神様の力を利用してしまったかも。
人の身では耐え切るのには難しいかもしれない。
それくらいの『威圧』を妹の心に叩きつけてしまいました。
「で、やるの、やらないの?」
「それで女神様の恩寵が頂けるなら――やるわっ!」
「あ、そう」
誰も恩寵を与える、なんて言ってないけどね。
ただ私の存在を悪と決めつけるアテッサにとっては、思い通りにならない姉を断罪して更なる好きな物を手に入れる絶好の機会と思い込んだ様子。
ここに集まる有力者たちの協力とか、王家とお近づきになれるとか。そんな自分に都合のよいことだけを勝手に並びたてて理解した気でいるのでしょう。
「でも、お姉様?」
「何? 怖気づいたの?」
「違いますっ! お姉様は女神さまの聖女ではありませんか」
「だから……何?」
「そんな存在を誰が断罪できると言うのですか? 女神様が聖女の首をあっさりと挿げ替えるとも思えません……」
「妙なところで慎重なのね、あなたって」
「だって!」
と、言い募るのを制して教えてやります。
神殿に関しては詳しく知らなくても仕方ない、そう思ったから。
「いい、アテッサ。この大神殿では女神様いがいの神様の分社もあるの。つまり、大陸にある十数柱の神々の目が、今この場にそそがれている。そういうことよ」
「そんなっ!」
「え……?」
一瞬、妹が己の愚かさに気づいたから天罰を与えられるのかなーと恐れたのかと――思ってみたら誤解でした。
「神々の前でお姉様の愚かさを断罪できる機会を与えられることに歓びを感じますっ!」
「……何よそれ……」
私の呆れ声も興奮したその耳には届かず、彼女はただただ神託を早く! なんて叫んではしゃいでいました。
それならさっさと済ませましょう。
私は神殿の管理主である大神官様や王家の方々にご挨拶。
その合間にも、愚妹は男性陣の視線を集めることに貪欲的。
しかし、あの程度の美しさなどとは比較にならない王太子妃様を妻にもつ殿下などは、「大変だねー」とお声かけ頂けるなどして、正しい心を持つ方々は動じないのだな、と思ったりもしました。
仔細を伝えてみると、国王陛下はうーん、と首をひねります。
「いいのかね、聖女殿。新たな神託が下されるとまた、その……」
「……お布施、ですか。陛下」
「そう、だな……」
確かに、この神殿はドケチなことで有名なのです。
王宮の隣にどどんと神の威光を利用してそびえたつ……あ、いえ口が滑りました。
王など神に比べれば大したことなんてないと言いたそうな――我が豊穣の女神の大神殿は何をするにも多額のお布施を要求することで有名なのです。
それも今の代の大神官様がドケチで有名なだけなんですけどね。
「それはいずれどうにか致しますので、どうか。お願いいたします」
「そうまで言われるのならば……まあ、よかろう」
結果。
私が聖女となった褒美として与えられる予定だった土地の一部を王国に返上することで、話がつきました。
そして、愚妹は水晶球に手を触れ、選ばれたその神の名は――。
冒頭に戻ります。
妹が地の底に消え、大理石の床が元通りに戻ったのを目にしてふふっ、とひとごこちついた私でした。
心の中で我が主と冥府の王にどうか妹をよろしくお願いいたします、と祈りながら。
今夜は久しぶりにゆっくりと寝られそうな私でした。
(終わり)