5話 王女とシノビと馴染みの行商 ①
ひょっとして一話の文量が長いのでは、という思いに至ったので、この話数以降は読みやすくなるように極力刻みます。
「貴族街」。ベルトリンデル北西部を占めるこの区画は、国政を担う貴族達の屋敷が軒を連ねていた。
その中でも、特に位の高い「建国の5大貴族」。その内の1つ、バルトルク家の屋敷裏口にとある行商人がいた。名を「アサヒ」と言う30代前後と思しきこの男はワ出身の行商人であり、この物語の主人公デニスとは旧知の間柄だ。
そんな彼は今日、バルトルク家から毎月依頼されている商品の納入に来ていた。商品の中身は大したことは無い。日用品や少量ながら大陸各地の特産品などの生活用品だ。ただ、この日は馬の調子が振るわず、すっかり日が落ちた頃の到着となってしまった。そして現在、薄暗い裏口で屋敷のメイドと共に、積み荷の確認を行っているのだった。
☆
「ん?」
ふと気配を感じたアサヒは、眼前の暗闇に視線を向けた。
「あの、どうかなさいましたか?」
その様子が少々険しかったせいか、隣で帳簿を見ていたメイドが不安げに尋ねてきた。
「ああ、いや。出入口から何やら気配がしたものですから。たぶん、猫か何かでしょう」
「そうですか。この辺りではよく見かけますから」
幸い、朗らかに笑って剣呑な空気を誤魔化すと、メイドは納得してくれた。
「はい、納品書の内容確認終わりました。上長に見せてきますので、こちらで少々お待ちください」
そう言って一礼すると、裏口から屋敷の中へと入っていった。
「はいはい。お待ちしておりますよー」
1人になったアサヒは、再び屋敷の前に広がる暗がりにジッと目を向けるのだった。
☆
この日、バルトルクの家では、王女派による会合が開かれていた。
出席者は上品な赤いドレスを身にまとったプラチナブロンドの少女、リリアン王女。金髪をポニーテールてしてまとめ、白いブラウスに乗馬ズボンという、比較的動きやすそうな出で立ちの現バルトルク当主代行のアリシア。そして、白地に緑のカーディガンという制服姿の勇者のカケルとリンだ。
会合と言えば何やらお堅い印象を受けるが、実際のところは勇者とその仲間達による近況報告のようなものだった。
「では、剣を持ったユーゴー様とその取り巻きを相手に、長時間の大立ちまわりをなさったのですね?」
「大立ちまわりなんてもんじゃないです。アリシアさんが来てくれるまで、必死に粘ってたってだけですよ。剣のスキルに頼り切りでした」
屋敷の談話室では、カケルの口から話される高校生活は、まだ幼さの残るリリアンをよく楽しませていた。鈴の音を転がしたような彼女の笑い声に王宮での緊張感は無く、まるで十年来の友人同士が語り合っているかのような空気が流れている。
「けれど、最近のカケルは剣術スキルの精度に磨きがかかってきたように見えます。毎日欠かさず鍛錬してるお陰ですね」
「そうかな。ユーゴー達相手に立ち回った次の日なんて、無理に使いすぎたせいで筋肉痛になっちゃって。リンの助け無しじゃ満足に歩けなかったよね?」
「いや、リンの言う通りだよカケル。今の君は、私と決闘した時よりもさらに腕を上げている。筋肉痛だってもっと鍛えれば問題ではなくなるさ」
しみじみと語るリンと、それに強く同意するアリシア。王女を含め、すっかりカケルの周囲に定着した面々である。
「そうですわ!カケル様にお渡ししたい魔術具がありましたの」
リリアンは、思い出したように手を叩いて立ち上がった。
「では、給仕に持ってこさせましょう。誰か!王女殿下がお呼びだ!」
即座に応じたアリシアの声に、しかし反応する者はいない。
「変ですね。外で控えているはずなのですが」
普段であれば飛んでくるはずの使用人が誰一人として答えないことに、アリシアは怪訝な顔をする。
「ちょっと見てきます」
そう言って、カケルは入り口にある両開きのドアまで行くと、そこを開けて廊下を見回す。
「誰もいませんね」
が、廊下にも誰もいないようだった。
「構いませんわ。少々間が悪かったのでしょう。そう遠くはありませんもの。自分で取ってきますわ。カケル様、護衛を頼めますか?」
「もちろん。でも、俺だけで大丈夫かな」
「殿下。彼では力不足とは申しませんが、さすがに少し危険かと…」
「いいえアリシア、それにリンも。貴女方はいつもカケル様と一緒にいられるのでしょう?たまには、私にも独り占めさせてくださいな」
リリアンはカケルの傍によると、その右腕に自身の腕を絡め、いたずらっぽく笑った。
突然抱き着かれたカケルは努めて無表情を保っているが、顔は真っ赤になっている。
「べ、別に私は独り占めにしようなどとは…!」
「そうです!私は彼と同じパーティなわけで…」
「あらあら、お二人ともずいぶんとはっきりしない態度になってしまいましたわ。とにかく、すぐに戻りますから大丈夫です。ここで少しお待ちなさいな」
「せ、責任をもってお守りします!」
リリアンは余裕たっぷりの笑みを、カケルは余裕のなさそうな声を残し、部屋を出て行った。
☆
日の落ちた屋敷の廊下は、照明こそあるが薄暗く、寂しげな雰囲気が漂っている。途中、行商人の連れを名乗る女性とすれ違ったが、それ以外で人と出会うことは無かった。
「今の方、綺麗な方でしたわね」
「そ、そう?別に何も思わなかったけど」
「あら、そう仰るわりに、ずいぶん熱心に見つめていたようですが?」
すましているが、リリアンの声音は明らかに拗ねている。
「いや、大した理由は無いんだよ。あの人、黒くて長い髪にワ特有の顔だちだったでしょ?」
「そうでしたわね。あ、ひょっとして…故郷のことを?」
「そう。日本人っぽいなーって」
どういうわけか、ワの人々は日本人とよく似た容姿をしていた。また、話してみて分かったことだが、食文化や性格にも共通点が見られるのだ。だから、道端で見かけるとついつい視線が行ってしまう。
「まあ、今回はそういうことにしておいてあげましょう」
「手厳しいなぁ」
と、上手く誤魔化されてはくれない王女様だった。
こういう時は、話を逸らすに限る。
「渡したい魔術具っていうのは、どんなものなの?」
「イムカ製の、折りたたむことができるランプですわ。手で持てるので屋内でも屋外でも使えます。小さくなるので旅にももってこいの品なんですよ」
「それはありがたいな。元居た世界と違って、消灯後は真っ暗だったから。ちょっとした明かりが欲しかったんだ」
「ええ、ええ。そうだろうと思っておりました。」
話を逸らされてムッとした様子のリリアンだったが、素直にカケルが喜ぶのを見ると、頬を緩めた。
そうこうしているうちに、リリアンが控室として使用している客間に着いた。
「カケル様はここで少しお待ちください」
「いや、それじゃ護衛にならないから―――」
ダメだ、と言おうとした口を、リリアンは人差し指でふさぐ。
「カケル様より年下ではございますが、私とて年頃の女の子です。間借りしているだけとは言え、あまり私室を殿方に見られたくはありませんわ」
「…うーん」
そう言われてしまうと、カケルとしては無理に同行することは憚られる。
「わかったよ、部屋の前で待ってる。でも、すぐに戻ってくるんだよ?」
「ちょっと取ってくるだけですから大丈夫ですわよ。何かあったら、王都中に響き渡るくらいの声で助けを呼びますわ」
不承不承、といった風に頷くカケルに笑いかけ、リリアンは部屋に入っていった。
☆
「――!」
リリアンが部屋に入って、まだいくら経っていないだろうか。突然、廊下に灯っていた照明が全て落ちたのだ。
「王女殿下!無事ですか!」
躊躇うことなく部屋に飛び込んだカケルは、廊下同様暗闇に包まれた客室を前に、息をのむ。ただ、ある一点、窓から差し込む月の光が、部屋の中で起こる異常事態を照らし出したのを見ると、即座に剣を抜き戦闘態勢をとった。
「何者だ!」
カケルの視線の先には、リリアンを抱えるようにして拘束する不審者の姿があった。