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3話 剣士と魔獣と少女の献身②

①の続きで後編です。三話はこれで終わりです。


 リン()の話は、今回の討伐任務を受けた経緯から始まる。


 『王族の方から薦められた』と言って彼が持ってきたのは、王都から北にしばらく行った村で行われる群喰羊の討伐任務だった。あれは弱いし、私にも討伐の経験がある。少しは彼の助けになることもできるだろう。何よりも、他に参加する冒険者も多そうなことは心強かった。駆け出しの私達が受けるのにピッタリだと思い、この任務で戦うことの練習を、あわよくば活躍して彼の有用性を示そう。そういう結論に至った私達は、一も二もなく村へと向かったのだ。

 

 

 予想した通り、彼の初陣はうまく行った。初めて遭遇する魔獣に対し、生き物を殺す手応えに顔色は優れないながらも彼は懸命に戦っていた。他の冒険者の皆さんも、ちょっと見た目は怖かったけど、拙い私達に色々と教えてくれた。思っていた以上に順調に進められていたことが、今思えば油断に繋がったんだと思う。


「リン!」


 鋭い叫びと共に、私の体を強い衝撃が襲った。彼に突き飛ばされたのだと気づくのと、先程まで私が立っていたところを巨大な植物の蔓が叩き付けたのは同時だった。


「巨大毒蔓!?そんな、なんでこんなところに!」


 目の前に出現したのは厄介な麻痺毒を持つ植物型の魔獣。しかも通常よりも大分大きい。大人の胴ほどもある幹をくねらせ、凶悪な見た目の花弁は高みから私達を見下ろしている。


「リン、怪我は?」


「大丈夫です。それより、動けるのならすぐに逃げましょう!あれは中級の魔獣です。とても私達の手には負えません!」


「わかった!とにかく距離をーーあれっ?」


撤退を即断し魔獣から距離を取ろうとした彼が、突然倒れた。…まさか、


「毒を!?」


「そう…みたい。まずいな、体が全然動かない」


 既に体の自由はほとんど奪われてしまったらしい。いずれ意識も刈り取られるだろう。彼の肩にある真新しい傷。恐らく私を庇った際に受け、そこから毒が入ったのだ。知識としては持っていたが、まさかここまで毒の回りが早いなんて。


「に…げ………ろ」


「嫌です!私のせいなのに、見捨てることなんてできません!」


動けない彼を、襟を持って引きずりながら、蔓による包囲が薄い方へと逃れる。牽制に初級の火魔法をいくつも放つが、蔓は怯む様子もない。木々を巻き込み、なぎ倒しながらその包囲を狭めてきていた。


 間違えた。彼はこんなところで死んではいけないのに!

深い後悔が襲ってくるが、既に遅い。私はせめて盾になろうと彼を庇った、その時ーーー

 

「そのまま伏せてなよ!」


突然、蔓の檻の向こうから勇ましい声が響いた。

 次の瞬間、業火を伴った刃によって檻が破られる。渦巻く火の粉の中から姿を現したのは、赤い髪の毛のたくましい女剣士だった。


「よしよし、ギリギリのタイミングだったね」


 その女性は私達の無事を確認すると、油断なく周囲に気を配りながら後続の仲間達に指示を出し始めた。


「オットーは盾でこの子らを守りな!オリヴィアは魔術で援護!ケイド!あんたは奴を切り刻め!」


「「「おう!」」」


 冒険者達の威勢の良い声と共に、巨大毒蔓の討伐が始まった。

 初めに起こったのは、風魔法による攪乱だった。蔓による包囲はその内側で起こった強烈な暴風によってかき乱され、包囲網のあちこちに穴が開いた。そこを突破する形で剣士と盾職の男達が飛び込んで来る。

 荒れ狂う風の正面突破は難しいと、魔獣も判断したのだろう。今度は地中から蔓を伸ばし、未だ風の中心で動けないでいる私達へと叩きつけ始めた。だが盾の男はそれも予期していたらしい。巨大な盾を軽々と操り、太い蔓による打撃を防ぎ切っている。そしてその間に剣士は迫る蔓を搔い潜り、魔獣の根本へと肉薄しようとしていた。


「―――――――!」


自身の危機を察知した魔獣は、次々と剣士に向けて攻撃を繰り出す。しかし、剣士は動じることなく全てを躱し、切り捨て、


「――ハッ」


短い気合と共に、その茎を断ち切った。


「――――!」


 本体を斬られた魔獣の断末魔が響く。それが、戦闘の終わりを告げる合図となった。


「これが、本物の戦い…」


 瞬く間の出来事に、リンは茫然と目を見開いていた。

 

 眼前で行われた彼らの戦闘は、ただただ鮮烈で迅速だった。



                   ☆



「嬢ちゃん、怪我は無いかい?」


 駆けつけた冒険者達が、本体が死んでなお蠢いていた蔓の掃討をしている中、最初に窮地を救ってくれた赤い髪の女性が話しかけてきた。


「私は大したことありません…。それよりも彼が!」


 意識を失くした彼の体にはここまでの戦闘で刻まれた無数の傷があるが、特に酷いのは右肩の真新しい裂傷だ。恐らく、毒を受けたのもここだろう。深い怪我は未だに出血している。


「包帯はあるかい?麻痺毒はこの際問題ないが、この肩の怪我は何とかしないといけないね。ほっとくと弱ってく一方だよ」


彼女はそう言いながら、彼の体をテキパキと診ていく。


「簡易的な物ですが、ええと…」


「ああ、名乗りが遅れたね。あたしはイゾルデだ。よろしく」


「リンです。ごめんなさい、ご迷惑をお掛けしてしまって」


 救急道具を渡しながら、イゾルデと簡単な自己紹介を交わす。



          ☆ 



 それからしばらくの間、私と彼女は布を取り出して止血を試みているが状況はあまり芳しくない。太い血管が傷ついてしまったのか、出血量自体は減っているが完全には止まってくれないのだ。


「今できるのはここまでだね。とにかく、すぐにでも村に戻って、ちゃんとした治療を受けるべきだ」


「はい…」


 彼女のお陰で怪我の多くを手当することができた。しかし、この場では手に余るものもあり、予断を許さない状況は続いている。

 …実は、私にはこの状況を変える力があるにはある。しかしその特性上、第三者からの代償無しで使うことはできない力なのだ。


「イゾルデさん…実は、私…」


「?」


「いえ、あの…ごめんなさい、なんでもないんです」


 ここまでお世話になった方々に、これ以上負担をかけることは私にはできない。そう俯く私の肩に、優しく手が置かれた。


「なあ、嬢ちゃん。あんたの様子から察するに、嬢ちゃんにはこのガキを救える手立てがあるんじゃないかい?」


 口にもしない内に自分のことを言い当てられ、驚いて彼女を見返す。


「そんなに目を丸くして驚くことかい?あんたを見てれば、こういう状況で変なことを言う性格じゃないってのは分かるさ」


 彼女は私の驚きにカラッとした笑顔で答えた後、表情を引き締めて言葉を続けた。


「まあ言い難いことなんだろうが、あんたも冒険者の端くれなんだ。だったら、命の懸かってるここ一番で、手札を出し惜しむんじゃないよ」


 その言葉は私の中にすんなり溶け込んで、決意を固めさせてくれた。


「良い顔だね」


 そんな私を見て、彼女は満足そうに息を吐いた。



           ☆



「私の持っているスキル、『恩寵の吸精(グレイス・ドレイン)』を使えば、たぶん彼を救えるはずです」


 現在私は、イゾルデとその仲間の方々に向けて話していた。事情を明かす決意をした私のために『使い潰してくれて構わない』と、彼女が集めてくれたのだ。


吸精ドレインって、じゃあお嬢ちゃんはサキュぶへぇ!」


 私のスキル名に反応した若い剣士をイゾルデが殴って黙らせた。

 明るい金髪に手を当てて掘りの深い丹精な顔を歪めながら痛がる彼はケイドと言う。一応、先の戦闘で魔獣にトドメを刺してくれた方なのだが、ちょっと緊張感に欠けているところがある。


「…はい。スキルから察していただけたと思いますが、私は人とサキュバスの混血です。ただ、そのお陰か、少し特殊なスキルに恵まれました」


「それが〈恩寵の吸精〉か…。一体どんなものなんだ?」


 そう尋ねてきたのは、大柄ながら細目の柔和な表情が印象的な、盾職の男性、オットーだ。


「私のスキルは通常の吸精と違って、吸収した生命力を他の人に与えることができるんです」


「へえぇぇぇ、面白いわね!治癒魔法のようなものかしら?」


 元気に割り込んできたのは、丈の短い真っ白なワンピースに魔女帽子を被ったお姉さんでオリヴィアと言う。恐らくさっきの戦闘の時に、風魔法で援護してくれていた人だろう。


「似たようなものなのかもしれません。怪我を治すことはできませんが、体力の回復や、抵抗力の向上のような『生きようとする力』に影響を与えるみたいです」


「なるほどねぇ。確かにそれなら、この子を診療所まで持たすことはできるかもね。けど、それを躊躇うってことは…何か使う上でのデメリットがあるんだね?」


「…はい、イゾルデさんのおっしゃる通りです」


彼女が指摘した通り、このスキルには致命的な部分がある。それは――


「この力は、吸精した方のスキルまでも複製し、…さらにそれを、生命力を与えた人に強制定着させてしまいます」


「それは…」

「―――――」

「へええぇぇ…」


 私の言葉に、その場で聞いていた全員が沈黙した。

 当たり前だと思う。スキルというものは、生得的なものでも後天的なものでも、その人にとっては唯一無二な力だ。その力の存在が所持者にとって善でも悪でも、その人の人生を、個性を形作ってきたものだ。…それを、合意も無しに他人に渡すなど、できるはずがない。だから私は、その特性を知って以降この冒涜的なスキルについて軽々に明かすことを、ましてや使うこともしてこなかった。


「なるほどねぇ。そいつは確かに、言い出すのが難しい内容だ…」


 しばらく続いた沈黙を破り、イゾルデがゆっくりと口を開く。


「安心しな嬢ちゃん。この話をするように焚きつけたのはあたしだ」


彼女は、胸を張って言葉を続ける。


「少なくともあたしの生命力ぶんは、あんたのお仲間にくれてやるよ。あと、あたしの部下の分もな。お前らもそれで良いな?」


「異議無し」

「隊長がそう言うんなら」

「あたしは別に気にしないよ」


「…ありがとうございます」


 快く私からの頼みを聞いてくれた彼らに返せるものが何も無い自分を歯痒く思いながらも、今できる最大限の誠意を込めて礼を言った。



          ☆



 彼の容態も考え、スキルの使用はすぐに行うことになった。先鋒はイゾルデさんだ。『どうせスキル持ってかれるつっても、そもそもあれは1人につき1つしか持てない物だしね。あたしが最初にやれば、仲間の分が持ってかれる心配は無いだろう』というのは、彼女の言だ。


「始めます」


「はいよ。どうすればいい?」


「皆さんの血をいただこうと思います。血液は、体の中でも特に多くの生命力を内包していますから。…そうですね。イゾルデさん、右腕を貸していただけますか?」


「はいよ?」


 差し出された腕はよく鍛え上げられており、重みがあった。ただ、今から行うことは自分でもどうかと思う行為なので、説明するのはちょっと恥ずかしい。


「これから、その…手首の方からイゾルデさんの血を吸います」


「ああ、なるほど。けっこうストレートに持ってくんだね」


「はい、それが一番確実だと思うので」


「そうか。うん、そうかもね。よし、死なない程度に持ってきな!」


 彼女は納得したように頷くと、改めて、腕を突き出してきた。


「はい、気を付けます」


 そう応じて、私は体の奥底に魔力を流す。スキルを起動すると、少しして体の芯が熱くなってきたのが分かる。

 こうするのはずいぶんと久しぶりだったが、どうやら上手くいったらしい。

 改めて手元に視線を下す。不思議なことに、吸うべき場所がどこにあるのかは自然と理解できた。手首の、最も血管が近いところ。そこに歯を立てれば良いのだ。狙いを定め、鼻先まで距離を縮める。

 ここからだと、彼女の腕が緊張で固まっていることがよく分かった。冒険者としての経験が長くても、こんな経験は初めてなのだろう。けれど、硬いままでは必要以上に痛むかもしれない。どうしよう、と躊躇していると、


「なあ」


 頭上から声が降ってきた。顔を上げると、いたずらっぽく笑顔を浮かべる、イゾルデさんと目が合った。


「痛くしないでくれよ?」


 そう、冗談めかした彼女に思わす微笑んでしまう。


「大丈夫です。たぶん、痛くはないはずですから」


 私はそう答えると、そのまま彼女の手首にそっと接吻した。すると、少しだけ緊張が取れる。その機を逃さず、手首に歯を立てた。僅かな手ごたえと少しだけ筋肉がこわばる感覚。それからすぐに、口の中を膨大な生命力が満たしていくのが分かった。

 


             ☆



 どれくらいの時間が経っただろう。抱えている腕の体温が上がり、微かに聞こえていたイゾルデさんの息遣いも少し荒くなってきたのが分かった。これ以上は危ない。そう感じた私は、名残惜しい気持ちを抑えつつ彼女の腕から口を離した。

 意識がイゾルデの腕から離れると、生命力を得た私の体がこれまでに無いほどの充足感で満たされていることに気がついた。吸えば吸うほどに入ってくる、新鮮な生命力。それがもたらす心地よさは、それまでの私がいかに抑圧されてきていたのかを教えてくれた。

 けれど同時に、人としての理性が、快楽に身を任せそうになる私を必死に繋ぎ止めてもいた。スキルの行使は、私が考えていたよりもずっと、ギリギリの境界を彷徨う行為だったようだ。

 自分の中の人ではない部分を、普段より近くで感じた気がする。


「お疲れ様リンちゃん。気づいてないかもしれないけど、瞳の色変わってるよ。いつもの青が、今は綺麗な金色になってる。あと八重歯も少し伸びてるね」


「ああ、ちょっとエロいっぐほぉっ!?」


 オットーに無言で沈められるケイドはともかく、スキルを使うことで容姿が変化するのは初めて知ったことだ。心に留めておいたほうが良いだろう。

 と、余計な思考はそろそろ止めないといけない。吸精しただけでは、目的の半分までしか達成できていないのだから。私の中でいまだ渦巻くイゾルデさんの生命力。これを、彼に渡さなければならない。


「お願い」


 祈るように呟きながら、横たわる彼の唇に、自らの唇を重ねた。

 冷たく、柔らかい感触が伝わる。冷え切った彼の体温は、それだけ状態が危ういということを、私に意識させた。

 先程とは魔力の流し方を変え、彼の中に力を注いでいく。不思議とその行為に、せっかく得た生命力を失う喪失感は無かった。

 しばらくして、私の中の熱いものがスッと引いていくのを感じた。恐らく、全ての力を移し終えたのだろう。私は静かに彼から離れ、身を起こした。



            ☆



「いや、驚いたよ。いきなりキスなんてし始めるもんだからさ」 


 彼への行為を終えてからしばらくの間、私は体力を回復させるため

の休憩をとっていた。久しぶりのスキル使用は思いのほか体への負担が大きく、それを察したイゾルデさんに連続使用を止められたのだ。


「たぶん、生命力を渡すだけなら直接触れていれば良いはずなんですけど…。あの方法が現状の中では一番効率が良いと思ったんです。…根拠はないのですが…」        


 話題が話題だけに、話しながらも私の頬は紅潮している。


「どういう原理かは分からないが、間違いなかったようだね」


 そう言う彼女の視線の先には、危険な状態を脱した彼がいる。土気色だった顔色は僅かに血色を取り戻し、浅く不規則だった呼吸もある程度の落ち着きを見せている。

 私が彼に流し込んだ生命力は、確実に彼を回復させていた。


「この分なら心配はいらないね。念のため、村に運びながら恩寵の吸精は使っていく方が良いだろうが」


「はい。本当に何から何まで、ありがとうございました。皆さんがいなかったら、彼も私もきっと死んでいたはずです」


「気にしなさんな。あたしとしちゃ、ここで拾った命を無駄にせず、しっかり生きてくれればそれで良いさ」


 彼女の言葉に同意するように、皆も頷いている。私は、そんな彼らへの感謝の言葉を見つけることができず、ただただ、深く頭を下げたのだった。



            ☆



「イゾルデさんの仲間の皆さんのおかげで、村に到着する頃には彼の体調はすっかり回復しました。そこからは、皆さんに始めにお話した通りです。残る麻痺毒をどうにかするために、デニスさんの元を訪れ、今に至ります」


 場面は、再びテントへ戻っている。少女(リン)が語るここまでの経緯を、デニス(私達)らは黙って聞いていた。既に話の最中に少年の治療の方は終わり、レオナとイゾルデもスープを片手に少女の話を聞いていた。


「…大変なことが起こっていたんですね」


 私から最初に出たのは、恐怖からの言葉だった。そういった命のやり取りが頻繁に行われている世の中なのは、もちろん知っている。ただ、今私の目の前にいる子供達が間近でそれを経験してきたのだと思うと、そんな知識としての現実が実体を伴って迫ってきたように感じたのだ。


「本当に、もう駄目だと何度も思いました。でも、皆さんのおかげで、私たちは今もこうして生きることができています」


 私の気持ちを代弁するように、彼女は弱音をこぼした。けれどそれは、続く言葉と彼女のまっすぐな瞳によって、やや雰囲気を変える。


「ここで拾った命を無駄にせず、これからを精一杯生き抜くことが恩返しになると、イゾルデさんは言ってくれました。私には、それが本当かどうかまだわかりません。だからまずは、生きて私なりの答えを見つけてみようと、そう思いました」


 そう言い切る彼女を見て、私は先ほどまでの後ろ向きな考えを打ち消した。人生を賭けた経験は、それに関わった人に大きな成長をもたらすこともある。三十年弱生きた私もずいぶん前に感じたことのあることだ。少女の成長が垣間見えたのは私だけではないのだろう。レオナもイゾルデも穏やかな笑みを浮かべていた。


「さて!少年君の容態も安定したし、そろそろあたしは引き上げようかね」


 最初に気持ちを切り替えたのはイゾルデだった。彼女は、明日また様子を見に来る、と言ってさっさと出て行ってしまったのだ。


「私達もそろそろお暇しましょう。各々に疲れもあるでしょうし」


 私もそれに続こうとすると、止める間もなかったイゾルデの即断即決に呆けていたリンが我に返った。


「あ、ごめんなさい。ずいぶんと皆さんを引き留めてしまいました」


「気にしないでください。それと、そちらの薬は差し上げます。今後も必要になるはずですから」


「そんな、タダでなんていただけません!ここまでしていただいたのに」


 私の言葉にリンは驚きの声を上げる。


「まあまあ。私は彼の件であまりお役に立てていませんから」


 そう言ってリンを押しとどめ、私はテントの出入り口に向かう。続いて、レオナが私に『少し待て』という仕草をしてから、リンに寄っていった。


「リンちゃん、さっきの処置で、麻痺自体はほとんど取れてるはずだから。でも、小瓶の薬が切れるまでは、毎日一回ずつ、必ず傷口に塗るようにね」


 それだけ伝えると、ねぎらうようにリンの頭を撫でて、その場を離れた。そんな私達に向かって、彼女は深く頭を下げた。


「デニスさん、本日は、本当にたくさんお世話になりました。このご恩は決して忘れません」


「こちらこそ、お役に立てて光栄でした。これからも頑張ってくださいね」


 私の声援に、少女は顔を上げてはにかんだ。


「――っと、そうだ。聞きそびれていました。あの子の、彼の名前は何というのですか?」


 一瞬出ていきかけたのだが、それなりに大切なことを聞き逃していたことに気が付いて足を止めた。そんな私の言葉に、リンはハッとした表情をしてから、申し訳なさそうに答えた。


「ごめんなさい。そう言えば、すっかりお伝えしそびれていました。

 




―――彼はカケル。ホウショウ・カケルと言います」



             ☆



 翌々日の早朝、商いを終えた私達は、王都へ帰るために村の出入り口付近で準備をしていた。とは言っても既に大半は済んでおり、今はレオナと共に、見送りに来てくれたリンとイゾルデに別れの挨拶をしていた。


「カケル君は、まだ目を覚ましませんか?」


「はい。ただ、お医者様のお話では疲労が原因の昏睡だそうす。十分に休めば目覚めるだろうと」


「それは良かった。少しお話をしてみたくもありましたが、それはまた別の機会ですね」


 結局、一昨日の治療から彼とは一度も話せていなかった。ホウショウ・カケル。都度都度話を聞いていた少年と、こんなところで会えるとは思っていなかった。色々と聞いている分、やはり直接話してみたいという思いはあった。とは言っても、現状は私の方が一方的に知っている状態なので不必要に彼を混乱させてしまう可能性もある。この方が、返って良かったのかもしれない。


「はい。必ずお礼にうかがいます」


 畏まってしまった彼女の姿勢に、少し苦笑してしまう。


「イゾルデさんも、私から言うのも変な話ですが、彼女達を救ってくれてありがとうございました」


「それはお互い様だね。あんたはもうちょっと、商人らしく足元見るようにしな。こんな調子じゃ繁盛できないよ」


 彼女の方は、相変わらず潔が良い。今日中に村を出て次の仕事に向かうそうだ。その仕事の性質上、もう会える機会も無いかもしれない。


「あの、本当にありがとうございました。デニスさんからはお薬を頂いて、レオナさんには彼の治療もしていただいて。心から感謝しています」


 会話が終わる気配を感じたのだろう。リンは改めて礼を口にする。


「あたしも、治療が上手くいって良かったよ。あと二、三年はデニスさんの店で働いてると思うからさ。気が向いたら訪ねてみて」


 レオナはそう言って、リンの頭を軽く撫でた。どうにもリンにはついつい撫でたくなるような愛らしさがあるように思える。


「では、またいつかお会いしましょう。王都のギルドにお立ち寄りの際は、王都表通りギルド横のデニス雑貨商にお立ち寄りください。今回のお礼はその時にでも」


 私はいつもの宣伝文句を伝え、馬車に飛び乗る。レオナが乗り込んできたのを確認すると、外の2人と別れの挨拶を交わし、馬車を走らせ始める。

 



 徐々に加速する馬車からは、思わぬ滞在となった村が遠のいていく様子が、よく見えた。


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