8話 海と先代と港湾都市 ②
トリス編はまだ続きます。
事件が起こったのはおよそ一月前。
その日、いつものように人々で人々で溢れかえっていた砂浜に、突如として悲鳴が響き渡った。
「おい何だあれ!?」「大きな…魚!?」「こっちに来る、逃げろぉ!」
海岸線に現れた巨大な背びれは、轟音と共に人々のいる浜辺へと迫り始めた。やがて海上に姿を現したそれは、まるで機械でできたサメだ。サメはそのまま勢いを殺すことなく前進し、いよいよ人々が未だ逃げ惑う海岸に到達しようとしたその時、
「はあ!」「おらぁ!」
2人の影がその進路に割り込み、前進を押し留めた。
1人は、大きな盾を持った体格の良い青年、そしてもう1人は黒髪に少年だ。なんと少年は、防具も身に付けず、素手でサメを押さえ込んでいる。
「アイリス!」
「任せろ!はあぁぁぁ‼︎」
少年の声に応じて、新たに1人の女が跳躍する。陽の光を受けて輝く金髪を振り乱し、豊かな体を惜しげもなく晒すその女の手には、明らかに不釣り合いな豪槍が握られている。
「食らえ!」
高所から繰り出した重い刺突は、的確にサメの脳天を貫いた。しかしーーー
「ーーー‼︎」
「くっダメか」
「急所を突いてもダメか。機械の魔獣は相手にした事がないから倒し方がわかりません」
生物であれば確実に死ぬ一撃を受けても、この魔獣には効果が無いらしい。
早くも膠着状態に陥るかと思われたが、
「風を起こす。トドメはお前が刺せ」
「ヨミか!分かった。リン、こいつの足元を焼き尽くしてくれ!」
どこからか聞こえてきた声に、少年はハッと反応する。
「そう言うと思って、詠唱は済ませてあります!いつでも撃てますよ!」
背後に控えていた魔術師らしき少女は、少年の言葉を受けるよりも早く動気、火花を散らす杖を目標に向けている。
と、突然強風が巻き起こり、サメの腹部へと集束する。凄まじい空気の圧縮は、わずかではあるがサメの巨体を浮き上がらせた。
「そこです!」
何者かによる風魔術の行使に即座に動いた少女の炎魔術は魔獣の腹部に叩き込まれ、その周囲もろとも豪快に焼き尽くした。
「今だ、行け!カケル!」
「はい!スキル発動ーーー『土魔術』‼︎」
魔獣の体が業火に包まれ、その体が融解した瞬間を見流さずに発動した少年のスキルは、熱でガラスと化した砂を複数の巨大な槍とし、容赦なく魔獣を貫いた。身体中を引き裂かれた魔獣は、それが決定打になったらしく、静かに動きを止めたのだった。
☆
「あいつらの活躍もあって、人的被害は皆無だった。こちらとしても色んな意味で助かったって訳だ」
ハンス曰く、動かなくなった魔獣を調べてみたところ、ダンジョンと同一の部品や構造が見られたそうだ。そもそもダンジョンが動くと言うこと事態が、これまでに例のないことなのだそうだ。
現在はギルドが中心となって、原因の究明に動いていると言う。
「そうですか。あの少年がいつの間にかそこまで成長を…」
「なんだ小僧、ちょっと嬉しそうだな」
感慨深く呟いた私を、ハンスは興味深そうに覗き込んできた。
動き出したダンジョンと言う話しにはもちろん興味をそそられたが、私としては、やはり少年の方が気になる。
「実は私も少しだけ、彼と関わったことがありまして。まあ、その話は夕食の時にでもお話ししますよ」
「それもそうだな。話し込んでるうちにすっかり夕方だ」
顔を上げると、真っ赤に染まった太陽は水平線上に沈みつつあった。忙しない1日ではあったが、思いの外満喫した日になった。
☆
「そうか、あれだけやれるガキも最初は雑魚魔獣相手に死にかけてたのか」
「そんな感じです。それが今では、王女殿下の命を救って立派な領主様です。冒険者としても名を上げているようですし」
時間は流れ、既に深夜になっている。
夕食を済ませた我々は、ハンスの部屋で晩酌をしながら近況報告などをしていた。ちなみに面子は、私とハンス、ゴルドンそしてアカツキである。
「領内の治安も落ち着いたとかで、最近はあちこち旅してるらしいな」
「噂は聞きますね。なんでも北部の森では野盗に襲われていた貴族令嬢を助けたとか」
「トリスを出た後船でさらに南下したらしいんですけど、なんとその海の底に眠っていたダンジョンで巨大な魔獣相手に圧倒した、とか聞きました」
「アカツキさん、それは本当かい?地元の話なのに俺は聞いたことなかったぞ」
ここ最近になって、勇者ホウショウ・カケルの噂をよく耳にするようになった。入ってくる話は、ゴルドンの言うように王国各地で彼らが活躍するものばかりだ。まあ、中にはアカツキの話のように真偽不明のものも混ざっているのだが…。
「なんだか、カケル君が現れてから世の中が明るくなった気がしますね。騒がしくもありますが…」
「そうだな。景気が良い話が多くなったのは確かだ。…ふむ、景気が良いついでに、お前達に話しておきたい事がある」
ハンスは珍しく声を落とし、考え込むようにように手元のグラスを回している。
「恐らくだが、近いうちに戦争が起こる。王国とイムカの、大規模な衝突だ」
☆
「…根拠を聞こうじゃねぇか」
まず口を開いたのはゴルドンだった。傭兵をしている彼としては、見逃せない話題なのだろう。
「根拠は3つ。1つ目はイムカの輸出制限だ。明確に禁止されたわけじゃないが、ここのところ『黒い水』やイムカ製武器の輸出が明らかに減ってきている」
『黒い水』とは、イムカの地下から取れる燃料の一種だ。古代の魔獣の遺骸が長い年月をかけて圧縮され精製されたもので、その経緯からかなり高密度の魔力を有している。
イムカはこの燃料を動力とした魔術アイテムの研究、生産が盛んであり、数こそ多くはないが王国にも輸出している。
それの量がさらに減少したと言うことは、確かに何らかの影響があったと見るべきだろう。
「2つ目は1つ目にくっついているようなもんだが、イムカからの商船が減ったことだ。完全に途絶えてはいないがな。ちなみに王国からイムカへの船も減少傾向にある」
「それは聞いたことが無かったです。そうですか…船の行き来が減っているんですね」
「王国の船まで減ってきてんなら、何らかの報復措置が取られた可能性があるな。大々的に公表されてない辺り、まだまだ水面下でのことなのかもしれないが」
確信を得るほどの証拠ではないが、状況証拠としては十分考慮に値する内容が揃えられつつある。この事実に、私達は難しい顔で考えこむしかなかった。
「白状すると、実は俺にも心当たりがあるんだ」
「心当たりですか?」
アカツキの問いにゴルドンは頷く。
「最近、イムカと隣接している西海岸沿いの要塞の増強任務が増えてる。最初はいつもの公共事業かと思ってたんだが、それにしては数が多くてな」
「そう言えば、最近は忙しそうにしてましたね」
私は、暇があればしょっちゅう店に顔を出していた彼が、最近あまり来ていなかったことを思い出した。
「俺が言いたかった3つ目は、まさにそれだ。王国も密かに軍備の増強を始めている。長く見積もっても1年以内には動きがあると見て良いだろう。お前らの仕事も無関係なもんばかりじゃないだろう。巧く立ち回れよ?」
「ハンスさんはどう立ち回るんですか?」
「そらお前、戦力的に厳しい方に秘蔵の魔術アイテムを売り付けるに決まってる。でかく儲けるまたとない機会だからな」
「商人の鏡ですねぇ…」
「情けない声出してんじゃねぇぞデニス。お前も商人だろうが」
「デニスさん苦手ですもんね、血生臭い話」
暗い気持ちが声に出ていたらしく、両側から叱咤や慰めが送られてくる。
「まあ、良心が痛まない程度で頑張ります…」
「それが良いだろう。小僧が何もしないとか言い出したらこの場で殴り倒していたところだ」
脱力したようにソファに寄りかかったハンスは、天井を見上げながら、またずいぶんと物騒なことを言い出す。
「何であれ、動くことが大切だ。何もしなけりゃ、最悪死ぬだけだ」
そんな風にして、大人達の夜は更けていった。




