張作霖は死なず(2/2)
蔣介石、張作霖、田中義一の三つ巴の駆け引きが始まる。そこでとうとう爆殺事件が起こってしまう。関東軍高級参謀の河本大作のしわざである。だが張作霖を逃がした者もいた。関東軍松井石根陸軍大将のしわざである。どちらも関東軍のしわざであり、まさの猿芝居の呈であった。
蒋介石は青幇出身の組織構成員である。
彼が張作霖の前に立ちはだかる。
蒋介石「勝てるかな?」
張作霖「どっちがだ?」
田中義一が恐れていた抗争が始まった。
蒋介石はメキメキと頭角を現し始めた。
1927年蒋介石の上海クーデター勃発。
案の定、青幇の助力もあり、クーデターは成功。
ソ連人顧問を罷免し、清党で共産党員を追放、国民革命軍を再編した。
この処理が欧米に受け、今度は蒋介石が欧米の支援を勝ち取った。
二者択一、2人が同時に権力の座に着く事はない。
蔣介石に欧米の全ての支援が注ぎ込まれた。
蒋介石は何度も日本に渡った事のある知日派であった。
欧米「彼なら日本ともやっていけるかもしれない」
一方、張作霖の出自は、山出しの馬賊である。
エリート社会を好む欧米の食指は張から離れていった。
張の北京支配はゆっくりとぐらつき始めた。
もともと軍閥は烏合の衆の私兵集団である。
あっという間に実入りのいい軍閥に乗り換えてしまう。
私兵は1人また1人と、櫛の歯が抜けるように去って行った。
1927年日本国総理となった田中義一は、張を気遣っていた。
1928年暴走する張は、次々に欧米各国の支援を失っていった。
田中「張に身の危険が迫っている」
公使を通じて再起を図るよう促したのだった。
芳澤謙吉公使「東三省に転進して再起を図っては如何?」
この説得を最初は張は拒否していたが、戦局の悪化についに膝を屈した。
張はとうとう北京を脱出し、極秘列車で満州に帰国することになった。
密かに北京を脱出した特別列車は天津駅で停車した。
ここで水と石炭を積めば、一路満州までノンストップだ。
その脱出行の最中、彼の乗った列車は爆発した。
正確には奉天付近の立体交差の鉄道線ごと爆破されたのだ。
車両はメチャクチャに吹き飛んで、影も形も無かった。
張作霖は粉々になり。遺体の軍服で死亡を確認するのみだった。
だが張作霖は秘密裏に天津で下車していた。
松井石根陸軍大将のしわざである。
松井は穏健派であり「将来は蒋介石が中国を統一する」と睨んでいた。
その為には日中の防波堤が必要で、間接政治には張が必要だった。
張作霖が満州を治めれば満州は上手くまとまる。
それから先は軍政ではなく、民政の出番なのだ。
張作霖の遺体は阿片中毒死した中国人に軍服を着せたものだ。
愛用の時計と指輪が決め手となり、息子が本人と確認した。
爆破担当の亀山工兵隊は何も知らず、爆薬を仕掛けた。
実行犯の東宮鉄男大尉は下車を知らず爆破のスイッチを押した。
副官の張景恵もやはり天津で下車を促されている。
この命令の源流を辿れば、そこには田中義一がいるのは間違いない。
関東軍が爆殺を命じ、関東軍が救命する。
まさしく低俗な猿芝居であった。
関東軍のジレンマは「怒り心頭に発する」ところまで来ていた。
言うなりにならないなら殺してしまえという理不尽な怒りだ。
関東軍高級参謀の河本大作は爆殺に乗り気だった。
「張の1人や2人、野垂れ死しても差し支えない」
「今度こそ僕は唯唯満州に血の雨を降らせて見せるよ」
事も無げにこう言う参謀もいるのである。
だが後になって収まりが効かなくなるのは自明の理だ。
そしてどうしてあの時あんな事をと後悔に苛まれる。
バカみたいだがそういう気質が関東軍にはあった。
その為に張作霖には「死んで」もらう必要があったのだ。
張作霖は東三省に必要な人材だからこそ目障りになったと言えよう。
しばらく彼を目立たない場所で匿う必要があった。
田中義一「しばらく日本国瀬戸内海の直島に隠れていよ」
張は恩義に感じ、しばらくは言われたままにしていた。
張作霖の息子、張学良は実父の死を嘆き悲しんだ。
張学良「日本を許すわけにはいかない」
父の側近たちも張作霖は死んだものと思っていた。
学良は父の側近を味方にすると、首相となり奉天軍閥を掌握した。
一方、多く地方軍閥を吸収して巨大化した国民軍。
蔣介石率いる国民軍は北伐を敢行しようとしていた。
これを学良は易幟により未然に防いだ。
易幟とは北京政府の五色旗を国民政府旗に挿替する事だ。
これにより奉天軍閥は国民政府に下った事を意味した。
張学良「他意はありません、降伏します」
蒋介石「よく決断してくれた、キミに北洋軍閥を一任しよう」
1928年12月29日蔣介石は北伐を終了した。
満州を治める奉天軍閥が降伏した事で中国は統一されたのだ。
だがこれは形式的なモノに過ぎなかった
国民政府も、実態は各地方の軍閥が糾合した集合体に過ぎなかったからだ。
各地で挙兵し、蒋介石との戦いに敗れ、配下に甘んじているだけなのだ。
閻錫山、馮玉祥、李宗仁ら友好的な軍閥はお互いに三竦みの状態だ。
バランスが崩れれば一気に内戦突入の危機を帯びていた。
今は屈従しているが、時が来ればやがては・・・・・・というわけだ。
そこに張学良率いる奉天軍閥が加わったに過ぎない。
そして服従と引き換えに満州への政治不干渉を引き出している。
これは満州独立を保つことに成功したとも取れた。
学良「政体の確保、主権の維持、独立の保持は確約された」
「これで父さえ生きていてくれれば」
一方、河本参謀は満州が思い通りにならず、イライラが収まらない。
「首(張作霖)を斬ったら首(張学良)がまた生えてきた」
「もう鼻薬も効かない(賄賂のこと)」
「息子は父爆殺で怒りに燃えている」
「愚民どもは意気消沈どころか、ますます反抗的になってしまった」
「ヤツが生きていれば、穏健派の松井がなんとかしただろうに」
さらに直島に隠匿されている張は気が気ではなかった。
張「息子を支えて満州を興起する時期が来たのではないか?」
田中「いやまだ早い、もう少し待て」
「中国だけで解決出来る場を与えるから待て」
1927年09月、蒋介石は日本の首相田中義一と密約を交わしている。
北伐に日本軍は一切関知しない、援助も妨害も行わない。
密約があるので日本軍との衝突は避けられてきた。
ここからはいよいよ中国だけで解決することになる。
1929年01月15日。
ついに張作霖は満州に帰国。
于沖漢、袁金鎧、張景恵ら三巨頭とまず会合した。
于沖漢「生きておられたのか」
袁金鎧「さては深遠な策がおありかな」
張景恵「これで満州は万福だ」
ここで張学良は父親が生きている事を知る。
父が日本で生きていると知った張学良は感無量だった。
父の張作霖も学良の働きぶりに目を見張った。
父子で満州を日本と良好な関係を保つ事を誓った。
三巨頭、特に張景恵は関東軍とのコネを活かし外交に専念した。
この決着に不満顔なのが蒋介石を支援してきた米国だ。
泥沼の満州問題が日本寄りに上手くまとまったのが気にくわない。
いきなり死んだはずの張作霖が現れ、形勢が日本に傾いたのだ。
まあ何か策謀が動いたと考えるのが普通だった。
米外交官A「日本が何もしないのにおかしいだろ」
米外交官B「これは密約だぞ、しまった!」
米外交官C「米国も割り込ませてもらおうか」
満州は蔣介石の国民軍に下ったが主権/自治/独立は維持されている。
この親日派となった張親子による万全の権力掌握も気に入らない。
米国はスティムソン外交官を派遣し、日中満の蜜月を裂こうとした。
いつものパターン、だが今回はいつものようには行かなかった。
蒋介石「また欧米は悪い癖を出してきたか」
度重なる欧米の横槍にうんざりしていた。
蒋介石「関東軍も確かにやり過ぎのところはある」
「それは私と関東軍の間で話をつければ良いのだ」
蔣介石も、国民政府重鎮の閻錫山も、日本へ留学した知日派である。
調略を利用して関東軍の動きをやんわりと押さえつけてしまった。
蔣介石、張作霖、田中義一。
中国、満州、日本は上手くまとまろうとしていた。
しかし関東軍にはさらに強硬派の陣営が生きていた。
関東軍作戦参謀の石原莞爾と板垣征四郎である。
彼らが傀儡である愛新覚羅溥儀を擁立してしまったのだ。
蒋介石は日本の動向に不信感を抱いた。
時代の趨勢は強力で、じりじりと戦雲は濃くなっていく。
さらに日本国内でも五一五事件、二二六事件とクーデターが頻発。
世界恐慌や関東大震災の震災手形焦げ付きなど不慮の事態も続いた。
日本国内は満州に目を向け始めた。
満州を征服すれば「なんとかなる」という世情だった。
蒋介石は日本の国力の弱体化を感じていた。
ここでドイツ人のジョン・ラーベ(John Rabe)という男が登場する。
シーメンス社の中国駐在員で、後のナチ南京支部長だ。
彼は中国で軍事産業に不可欠な鉱物タングステンが産出する事を知った。
タングステンは切削バイト、電気炉で必要な元素なのだ。
これはシーメンス社にいたヒムラーという男から上層部に伝わった。
ヒムラー「タングステン輸入と武器輸出でWinWinの関係だな」
こうして中独の関係が始まったのだ。
すでに独国は密かに蒋介石軍に独製兵器を供給していた(中独合作)。
虎視眈々と機を伺っていた蒋介石は、やはり反応が早い。
日本が右往左往している間に心変わりしてしまったのだ。
独軍オブザーバーも派遣され、独式教練が始まった。
独国の東漸政策はすでにはじまっているのだ。
日本は電光石火の転轍に気付かない。
のちの第35代内閣総理大臣の平沼騏一郎はこう言った。
「わけがわからないよ」
この後、満州事変から蘆溝橋事件と時勢は日中戦争へと転がり込む。
満州事変も蘆溝橋事件もやはり起こる事になった設定です。やはり関東軍タカ派の溥儀擁立が露骨過ぎる事、蔣介石が剿共から抗日に転換した事などが響いて事態は日中戦争へと転がり込みます。次回は尼港事件(1/2)です




