ハワイ王族と日本の皇族の縁談
第二次世界大戦前の太平洋でどうしても押さえておかなければいけないのがハワイです。日本は1881年にハワイの王族と日本の皇族の縁談話があり、チャンスがあったのですが破談になってしまいました(正史)。ここではそれを破談にせずハワイ王国存続を目指します。
太平洋地図の真ん中、ちょっと米国寄りにハワイ諸島がある。
のちにハワイは太平洋地域の緊要地形となる事がわかる。
1778年英国冒険家クックがハワイを発見する。
その後クックは原住民との諍いで殺されている。
1793年に後任の英バンクーバーが来た時、ハワイは王国になっていた。
ハワイ王国の国王はカメハメハ一世であった。
バンクーバーとカメハメハ一世は懇意となり、防衛援助協定を結ぶ。
1810年今度は米国の援助でハワイ諸島全域の統一を成し遂げる。
1853年(嘉永6年)日本に黒船来航。
日本も外交の舞台に立つ事になる。
米国にとってのハワイは英仏にとってのそれとは価値が違う。
それは米中間の貿易航路の拠点との位置づけだ。
それまで日本はハワイに何の興味も無かった。
当時ハワイ王国は西洋諸国の干渉に脅かされていた。
その時目を付けたのが極東の新興国家「日本」だった。
欧米の干渉を撥ね除けている姿は雄々しく映ったことだろう。
1881年ハワイの元首カラカウアが来日し、ハワイとの関係が始まった。
明治天皇と会見したカラカウアはいくつかの提案をした。
1つはハワイへの移民の勧誘であった。
2つはハワイ王国の王族と日本の皇族の政略結婚である。
国王の姪カイウラニ王女5歳と依仁親王13歳との縁談だった。
依仁親王は後の東伏見宮依仁親王となる皇族であった。
当時日本は清国の圧倒的戦力の前に煮え湯を飲まされていた。
清国兵士の傍若無人ぶりが引き起こした長崎事件もその一例だ。
当時清国は独国製の最新鋭戦艦「定遠」「鎮遠」を有していた。
日本海軍はこの清国北洋艦隊に遠く及ばないと考えられていた。
明治政府は富国強兵に勤めていて、ハワイとの縁談どころではない。
しかし明治天皇の心中は未来を見通していたようだ。
1886年ハワイ王国カイウラニ王女と依仁親王との御成婚なる。
これにぶったまげたのは米クリーブランド大統領だった。
ホワイトハウスの執務室で、大統領は怒鳴った。
クリーブランド「なんだこれは、どうしてこうなる?」
「米国系移民がやっと富裕層に定着してきたというのに!」
米国系移民が裕福なエリート社会を構成し、ハワイを支配する構図だ。
ハワイの特産物はサトウキビで、白人農場主がそれを独占する。
島民やアジア人は全て下働きで、貧富の差が定着しつつあった。
ハワイ王族と日本皇族の結婚はこの構図を覆す可能性があった。
そうなると米国のハワイ支配は躓いてしまう。
クリーブランド「王制廃止とハワイ併合の目論見が泡と消えてしまうぞ」
「ハワイ準州化が米国の目的であり、ハワイ王国には滅亡してもらう」
カラカウア王はかつてポリネシア王国構想を夢見ていた。
ハワイ-トンガ-イースター島を含む巨大三角形エリア。
これに含まれる島々が作る海洋王国勃興計画だ。
カラカウアの海洋王国が日本と手を組めば、それは米国の悪夢だ。
「カラカウアのポリネシア王国構想が逆に真実味を帯びてきた」
「やばい、まずい、なんとかせねばならん」
「民兵を結集して、クーデター計画をすぐに実行せねばならん」
富裕層のエリート社会にはその富を守るための自警団がある。
砂糖貴族の農園を守るための民兵集団だ。
彼らは密かに武器を集め始めた。
1887年米国は米国系移民を武装蜂起させ「ハワイ連盟」を結成。
カラカウアに退位と王政廃止、米国への併合を要求した。
カラカウア「そう来ると思っていた、まっぴらごめんだな」
ハワイ王国は日本の後ろ盾を経て、軍隊を日本に要請していた。
日本の皇族となるカイウラニ王女保護を理由による出兵だ。
陸戦隊3000人を満載した貨客船は7日間でホノルルに到着した。
武装蜂起の民衆と軍隊では話にならない。
あっという間に鎮圧され、クーデターは失敗した。
米大統領「内政干渉だ!」
日本「皇族の安全の為だ」
しかも1887年真珠湾の独占使用権更新はされなかった。
米国はクーデター成功を先読みして、更新を怠っていたのだ。
つまり真珠湾の使用権利はハワイ王国に戻ってしまった。
カラカウアは日本海軍の船舶の停泊を許可した。
煮え湯を飲まされた米大統領は怒り狂った。
クリーブランド「我々の真珠湾が!」
1887年11月。
日本の防護巡洋艦「浪速」「高千穂」が真珠湾に入港した。
まだ港湾設備は修理用ドックと補給用石炭基地しかない。
そこに日本軍が先に軍事基地を作り始めたのだ。
クリーブランド「な、なんだとう!」
米大統領は直ちに海兵隊を送り対抗処置に出た。
カラカウア「港湾の使用期限が切れていますが」
クリーブランド「米移民保護のためなのだ!」
日本もそうはさせじと海上工兵中隊を派遣する。
これは後の海上機動旅団の前身になるものだ。
いわば日本版海兵隊といったところだ。
米軍対日本軍、一触即発のにらみ合いが続いた。
しかし事態は急変し、日本に不利な世界情勢となる。
1893年日清関係は悪化の一途を辿っていた。
日本海軍「浪速と高千穂は黄海海戦にぜひ必要だ」
日本にはまだ中国と米国と二方面で対抗する力はない。
秋山真之「ハワイは太平洋の拠点だ、失う訳にはいかん」
「しかし日清戦争もまた最重要課題だ」
日本は涙を呑んで、ハワイから退くことに決まった。
1894年浪速と高千穂は日清戦争の為にハワイを離れた。
日本駐屯跡地にはすぐ米軍が入り占拠してしまった。
ここに真珠湾は事実上米海軍の独占となった。
クリーブランド「ふはははは、真珠湾を手に入れたぞ」
「これでハワイは我々米国のものだ、ふはははは」
1901年ハワイの守護要塞カメハメハ砦が竣工する。
この湾岸要塞は真珠湾に近づく艦船を睨む位置にある。
これでは戦艦による艦砲射撃は格好の射的のマトだった。
攻撃方法は「航空機か潜水艦による」しかない。
日本は後年航空機による真珠湾攻撃を選ぶことになる。
米国は後年潜水艦による真珠湾攻撃があると恐れていた。
もう日本の軍港は米国軍港に吸収されてしまった。
米国系移民の砂糖貴族たちもやっと胸をなで下ろした。
砂糖貴族A「やれやれ一段落付いたな」
砂糖貴族B「これでハワイは我々のモノか」
砂糖貴族C「ゴルフにでも行くかね」
貴族たちは広大なサトウキビ農園を眺めた。
これが彼らの金のタマゴを生むガチョウだ。
そこで働きアリの如く働く小作人たち。
そのほとんどが貧しい日系移民であった。
もはやハワイには日系移民が20万人以上いる。
これはハワイの人口の45%以上(当時)にあたる。
日系二世に至ってはもはやそれ以上だ。
二世は農業から金融業まであらゆる業種に食い込んでいる。
ハワイ王国の治世はリリウオカラニ女王に引き継がれた。
女王は米国人と結婚し、親米路線を選択した。
砂糖貴族(白人)が多い議会はさらに親米路線に傾いた。
女王は国王権限強化の草案を議会に提出したが否決された。
この事がハワイの王政派の決起を招きかねない争乱となった。
危機を感じた米国は海兵隊を鎮圧に派遣する。
やがて日本軍が撤退したハワイ王宮を米海兵隊が取り囲んだ。
ついにハワイ革命が起きて、共和国となった。
これは共和国として独立して国政を認めた訳ではない。
宗主国と従属国の関係をはっきりさせたかっただけだ。
①国際的にハワイ共和国を国家として認めさせる
②次にハワイ準州として米国に組み入れる
③最終的に州として吸収する
これで米国準州としてハワイを吸収しやすくなった。
ハワイ併合により、やがて王政は消えゆく運命にあった。
総督官はやがて領事となり、最後は州知事になるのだ。
米国本土から次々と陸海軍が押し寄せてきた。
米国の軍事基地は駐屯地となり、ハワイ各地に点在した。
もはや軍事的にハワイは米国のものと言っていい。
米国にとって懸念は人口のほぼ半分が日系人である事だ。
まるで日本人の島にアメリカ人が棲み着いたかのようだ。
しばらくして親日派と親米派での棲み分けが自然に出来上がった。
オアフ島以東は親米派、カウアイ島以西は親日派の区分となった。
オアフ島は白人砂糖貴族がエリート社会を築く「西欧文明」の島だ。
米国と同じ文化を享受出来る「異人館街」が立ち並ぶ。
カウアイ島はハワイ王国に反抗していたカウムアリイ大族長の島だ。
秋山真之はひそかにこの部族をカウアイ軍閥に育てていた。
日本は秋山の密命を受け、顧問団を派遣し、王政維持に専念した。
秋山「ハワイ準州はもはや避けられぬ運命、しかし王政は残す」
カウイウラニ依仁親王妃は23歳で炎症性リューマチが原因で御逝去。
親米派のオアフに逆らい、親日派になったカウイウラニ家も喪に服した。
ハワイ王国と離反した彼らも悲しみに暮れたという。
「日本との縁がこれで切れたとは思っていない」
「もし万が一の事あらば”ハワイにカウアイ島有り”を思い出して欲しい」
「今は米国準州ではあるが、統治権はカウムアリイ家に一任されている」
米国の支配下にありながら、カウアイ島には王政が残っている。
ここは植民地(コロニー)ではなく自治領(ドミニオン)なのだ。
米国「もし日本と戦争になったら、えらいことになるのではないか」
そしてその懸念は第二次世界大戦で現実のモノとなってしまう。
さすがに当時の日本の国力を考えれば、ハワイ準州をひっくり返すのは無理でした。しかしオアフの隣のカウアイ島は王政が残り、親日のエリアとして残す事が出来ました。次回は張作霖は死なず(1/2)です。