フィリピン死の行進(4/5)
このIF歴史世界でもキリスト教とイスラム教はいがみ合っています。正史ではフィリピンでは宗教+民族+土地問題でしっちゃかめっちゃかになってしまいました。
フィリピンは8世紀以降アラブ人がアラビア語で支配していた。
その後イスラム圏のラテン語になった。
16世紀にスペインの植民地になるとスペイン語が支配した。
ここでキリスト教が西洋から齎されて各地に広がる。
やがて9割がキリスト教となり地場信仰は衰えていく。
スペイン語圏ではあるが現地語のタガログ語も残っている。
この地域言語だけで87におよび、言語序列が存在する。
それは支配と従属の序列でもあった。
フィリピンは米国によって1942年までに近代化を終えていた。
この時点では英語が言語序列のトップに躍り出た。
東洋の真珠と呼ばれた近代都市マニラがそのいい例だ。
また極東進出の足掛かりとして、米国は大規模な投資を行っていた。
コレヒドールの要塞化、クラークフィールド飛行場等の大規模改修。
そしてそれら軍事基地を維持する為のインフラの整備も怠らない。
電信電話/鉄道網、水道/電気網、潅漑/下水網がマニラにはあった。
さらに病院、教会、学校、映画館と無いモノはないという有様だ。
人民は西洋化されて、基本的人権や民主主義にも詳しかった。
しかも1人あたりの所得は当時の日本より高かった。
そこに日本軍がなだれ込んできたのだ。
本間雅晴司令官「とんでもない所へ来たもんだ」
「焼くな犯すな奪うな」は有名な訓示である。
西洋人になった現地人を「征服者の特権」で虐げるわけにはいかない。
軍政部はマニラの街を整備し、水利衛生を整え、道路や病院を建設した。
雇用や福利厚生を活発化させ、保険制度を充実させた。
米国植民地であった為、年号は西暦である。
普通は元号と皇紀に改めるが、本間雅晴司令官は違った。
本間は皇紀とともの西暦の併記を認めた。
宗教も教会への礼拝とキリスト教の祭事については認めた。
国民の9割がキリスト教徒で、その他がイスラム/仏教徒になる。
キリスト教は特に熱心な信者が多い。
教会の前をバスが通ると乗客は十字を切る程だ。
フィリピンではイスラム教徒は虐待されており内乱の恐れがあった。
就職差別、医療差別とあらゆる差別の対象になっていた。
女性の被るスカーフ(ヒジャブ)を見ると乗車拒否するタクシーもある。
そもそもキリスト教徒は差別ゆえにイスラム教徒を極度に警戒する。
迫害ゆえにその報復を恐れるスパイラルに嵌まってしまっている。
マニラ首都圏にはおよそ2万人のムスリムが住んでいた。
本間「彼らが余りにも不憫である」
共存は出来ない、宗教問題は複雑である。
そこで日本軍が仲介役になって両者のトップを引き合わせた。
今までもムスリム側から「話し合おう」と打診はあったのだ。
だがキリスト教徒は時間の無駄と取り合わなかった。
当時の支配者米国人はキリスト教徒で、この態度を支持していた。
だが日本人に支配者が変わった今、従わないワケにはいかない。
本間司令官が仲介して熱弁を振るった
「衝突と対立より協調と連携で、成長と繁栄の果実を共有するのだ」
「変えられない過去に囚われるより今を切り開く事を学ぶべきだ」
ムスリム「我々は未来に願いをかけすぎたのかもしれんな」
キリスト教徒「どうなっても知らんぞ、日本人」
かつてキリスト教徒は静かな抵抗として不買運動を展開した。
キリスト教徒はムスリムの作ったモノは買わないと暗に示した。
今回もそれは起こるだろう。
そこで日本人がその全てを引き受けることになった。
マニラには日本からの出稼ぎの人たちの「日本人街」がある。
そこを経由してムスリムたちへの莫大な投資が始まった。
投資した分、生産物を日本側がすべて買い取った。
ムスリム労働者はイスラムの戒律を忠実に守った。
ムスリム「1日5回の礼拝の義務が、ハラルのしきたりが」
日本人「いいよ」
ハラールビジネスは大変だ。
あらゆるものが我々と絶縁されていなければならないからだ。
例えば農作物の肥料でさえ豚由来であってはならない。
薬品の研究段階でさえ豚由来の酵素を使ってはならない。
ただし代替品の無い創傷の消毒にはアルコールを使ってもよい。
ただしこれは各国のファトワ委員会の見解によった。
こういった細々したしきたりが鬱陶しいことは認める。
だがこれが全てビジネスチャンスなのだ。
これらの手間と手数がすべて工賃となってビジネスになる。
ムスリムの指示なんか聞きたくないというフィリピン人は多い。
その為に今まで虐げられてきたのだ。
一方日本人は特に関心が無い。
神仏合祀/判然を繰り返してきたゆるい宗教観はある。
神主や僧侶でない限り、なにがどうという事はない。
日本人は「モウカリマッカ、マアボチボチデンナ」の精神である。
ビジネスチャンスはなんでもモノにしてしまう商人気質がある。
この日本軍政部の友好的態度に、ゲリラもすっかり鳴りを潜めてしまった。
ここでゲリラの大物にも偏心が始まっていた。
ホセ・アバド・サントスはマッカーサーとの脱出を拒否した抗日派。
あえて比島に残り、徹底抗戦に身を投じていた。
マニラに潜伏していたが、やはりとっ捕まって監禁されていた。
日本軍との協力を断固拒否して銃殺を待つばかりだった。
ペドロ・アバド・サントスはホセの兄でやはり日本軍に捕縛されていた。
その片腕が革命家ルイス・タルクであり、未だ捕縛には至っていない。
本間司令官は司令部にサントス兄弟を呼び出した。
本間「我々に協力はしたくない気持ちは分かる」
そこで本間は一呼吸置いてからしゃべりはじめた。
「もし我々が撤退してフィリピン人に行政を任せたらどうかね?」
サントス兄弟はギョッとして顔を見合わせた。
この支配者は何を言おうとしているのだ?
本間「それでも革命とやらの為に命を投げ出したいのかね?」
ペドロ「一体なんの話をしようとしているのか?」
「我々が欲しいのは人命ではなく、ニッケルという泥だけだ」
本間はポケットから小さな瓶を慎重に取り出した。
それはニッケル・コバルト硫化物の泥が入っていた。
「米国に勝つにはどうしてもこの泥が必要なのだ」
「含有量は0.1%、微々たるものなのだ」
「だがどうしても鋼材の添加物として必要だ」
「先にも述べたように対等の条件で話し合おう」
「我々はスペインとも違うし、米国とも違うのだよ」
兄ペドロは頑迷だ、鉄の意志は揺らぐことはない。
だが弟ホセは違う、銃殺か否かが掛かっていたのだ。
ホセ「絶対に日本軍には協力はしない」
「だが比島の開発には未来が見込めるだろう」
「今ここで死ねば高額紙幣の肖像画ぐらいにはなれよう」
「だが子孫の為には資源開発の奇貨を残す方が価値がある」
兄ペドロは笑った。
コイツにはやはり政治家として素質がある。
ペドロはかつて政界入りを掛けてホセと選挙で争い負けた経緯がある。
今回も、兄より一歩前に、いつの間にか立っていたのだ。
こうしてゲリラの頭目たちは活動をやめてしまった。
片腕だったタルクは比島北部の貧農の出である。
貧しいゆえ熱心なキリスト教信者で、マルクス主義にはまり込んでいた。
だがキリストも社会主義も貧村を救うことは出来なかった。
ゲリラ/レジスタンス活動は比島民の心を荒ませるだけだった。
そこに日本人があらわれ、正直に話し合おうという。
スペイン人も米国人も最初はそう言っていた。
だが最後には騙されて、いつのまにかいいなりになっていた。
つまり人間とは悪心の湧くおろかな生き物なのだ。
我々キリスト教徒でさえ下位のムスリムをいじめるではないか?
かつてキスンビン博士が三菱の担当者に対等な知識を突きつけた。
その時道理が通って日本人は莫大な資産を投じて処理工場を建設した。
日本人はスペイン人や米国人のように厄介払いはしない。
そりゃあ内心厄介だろうが、対等な知識には対等な態度で応じる。
変わるべきは我々、比島の現地人たる我々なのだ。
まだ学生の頃、革命家タルクは医学と法律をマニラ大学で2年勉強した。
資金不足で学位は取れず中退となったが熱意はまだ衰えていない。
彼は日本の制度(教育一般貸付と奨学金制度)を併用して再入学した。
学位と博士号を取得して、日本人と対等に話し合うのだ。
彼はやがて医者で政治家というインテリ階級となる。
その後、革命家タルクは政治家タルクとなって比島に尽くした。
こうして革命家三大巨頭はいなくなった。
異教徒同士の共存はこのIF世界でも出来ませんでした。お互いに許し合えず、理解出来ず、わかり合える共通の基盤がないのですからどうしようもありません。この章の目的はゲリラ組織の分解にあります。正史では分解出来ずに日本軍が空中分解してしまいました。次回はフィリピン死の行進(5/5)です




