フィリピン死の行進(2/5)
捕虜と難民でとうとう10万人を越えました。これを輸送するのはジェット機とジープトレインでした。
コレヒドールは病気が蔓延し、一刻も早く離れないといけない。
そうこうするうちに捕虜はさらに増え続けた。
本間司令官「捕虜が増えてるぞ、ありえないことだ!」
それは現地比島の困窮した戦争難民である。
いつのまにか膨れ上がり、およそ10万人に達しようとしていた。
戦火に巻き込まれ、疲弊衰弱した原住民が難民となっていた。
難民に食事を出し、貧素だが住居を提供し、病人を治療する。
まるで慈善団体の有様だが、かといって無為無策ではまた困る。
今の日本軍には輸送能力と積み上げた物資がある。
日本軍は「大東亜新秩序」を掲げて進軍してきた。
比島の自由・自治・公正をスローガンに地元の協力を得てきた。
それを信じて地元民が救済を求めているのを無下にはできない。
本間雅晴司令官はその様子を渋い顔で見ていた。
「ここに留まれば留まるほど、捕虜/難民は密になる」
マラリア、デング熱は蚊媒介の伝染病だ。
赤痢、コレラは不潔な環境から伝染する経口感染症だ。
本間「まず重傷の1万人をなんとかせんといかん」
陸路なのでトラックか輸送機しかない。
本間は台北の飛行場に試作輸送機がいるのを思い出した。
1920年代末、帝国陸軍は戦争計画に従っていた。
そして将来、対フィリピン進攻を考慮する事になる。
台湾から比島へ空路で進撃はできないか?
それにはコレヒドール島の米軍基地をまず破壊せねばならない。
台湾からコレヒドールを超遠距離爆撃出来る機体の開発である。
その時は技術及ばず計画が断念された九二式重爆撃機|(キ20)。
後に、新技術で四発重爆ジェット爆撃機として蘇っていた。
本間「陸軍は実戦投入で成果を出したいのではなかろうか」
台北飛行場に連絡するとさっそく飛びついてきた。
台北飛行場「秘匿爆撃機をすぐ出すぞ!気が変わらないうちにな!」
陸軍の四発ジェット試製爆撃機が台北の飛行場から飛んできた。
ズシーン、キュルッキュルキュル!
6輪降着装置(主脚)が凄まじい接地音を上げる。
米兵で飛行機を知る者はこれは墜落しただろと思った。
だが平然とジェット機はタキシングを始めている。
ネ式(燃料噴射推進)ジェットエンジンを搭載した怪物機だ。
全長30m、全幅43m、貨物室搭載量4400kg。
異常なほど進化した降着装置に工兵がビックリ仰天。
米工兵「こここれ、さわってもいいスカ?」
日工兵「触るぐらいどうぞどうぞ」
米工兵「材質は何でしょうか?」
日工兵「AISI 4340鋼ですよ」
米工兵「???」
日工兵「今、Ti10-2-3材を試験中です」
米工兵「???」
日工兵「トラックビームは熱間鍛造で」
米工兵「???」
<青菜に塩>状態の米工兵である。
米工兵「「理解が追い付かない、分からない」
やがてジェット機は米比軍兵士のところにやって来た。
これに一回70人以上を詰め込んでオドンネル基地まで空輸した。
日本兵「はいはい、はいったはいった」
米比軍兵士はキョドキョドしていた。
米軍兵「おい、これにはプロペラがないぞ」
比軍兵「terkejut pada apa yang aku lihat」
およそ143kmを700km/h出るジェット機による往復である。
15分の空の旅に、米将兵は度肝を抜かれ、声も出なかった。
キング少将「こんなのに勝てるわけがない」
米兵「一体どうなっているんだ!」
およそ1万人の捕虜が空輸された。
彼らは医師の手当てが必要なほど衰弱していた。
健常な米比兵3万6千余名は用意された200台のトラックしかない。
大本営参謀の辻政信大佐がこの時ひょっこり現れた。
河根・本間「おお、ようこそ、僻地で何もありませんが」
心の声<また厄介なのが現れたもんだ>
辻参謀は米軍兵が怠惰なのが大嫌いだった。
そして比島兵が米軍に付き、敵対しているのが気にくわない。
彼は比島兵を虐殺しようかとも考えてきた。
しかしマッカーサーは比島を離れる時、こうも言った。
「この戦争は日米の戦争であり、比島民は巻き込まれただけ」
「比島兵士は武器を捨て、降伏するよう表明する」
こう言われては、まさか殺すわけにもいくまい。
大本営参謀だった辻は捕虜処刑の偽命令書を懐に忍ばせていた。
辻「だがそんな姑息な手を使うまでもない」
「要は一刻も早く奴らを収容所にぶち込めばいいのだ」
幸い鹵獲した米軍のジープ(BRC-60)が多数あった。
辻「これを軌陸車に改造して使わせてもらう」
彼は何やら夜遅くまで野戦司令部で企画していた。
翌日、辻参謀は捕虜代表を野戦司令部に呼んだ。
辻「お前らは戦いを放棄した恥ずべき人間以下の畜生だ」
「畜生なのだから手厳しい扱いを受けて当然だ」
捕虜代表は青い顔をさらに緑色にして聞いていた。
これは最悪の人事という他ない。
辻「従って一刻も早く日本軍から米兵捕虜を遠ざけたい」
「怠惰な精神は伝染し、大和魂が汚染されるからだ」
米兵はいざ戦えなくなると簡単に両手を上げて降伏する。
笑いながらこう言う「あ~あ、運が悪い、負けちゃったよ~」
まるで戦争は命を掛けたスポーツだとも言わんばかりだ。
なぜ最後まで戦わないのか?なぜ捕虜になって安堵するのか?
彼は日本兵の愚痴をあちこちで聞いていた。
辻はこれを恐れていたのだ。
日本兵A「米軍捕虜は30分もすると疲れた休憩だと言って座り込んだ」
日本兵B「こっちが20kgの背嚢を背負って2時間も黙々と行進しているのに」
日本兵C「こっちだってマラリアや赤痢に罹患しとるんじゃ」
そういう内面の怒りを日本人は貯め込んで貯め込んで爆発させる。
すでのあちこちで理由なく米兵を殴りつける事件が起きている。
もし米国の自由で個人主義の気質が伝染したらえらいことだった。
辻は人間本来がだらしない方向に流れるのを知っていた。
彼は偽の代理命令書を懐で握りしめた。
今はまだその時ではない。
一刻も早く米比軍捕虜を日本兵から遠ざけたい一心だった。
彼は自ら立てた企画書を黒板に掲げた。
辻「新機軸の軌陸車を使う」
オーストラリア軍がすでにボルネオで使った「ジープトレイン」だ。
鉄道貨車に仮設タイヤを付け、道路を走らせる仕様にする。
鉄道では牽引する自動車に鉄輪を付け、鉄路搬送に使う。
この日の夕方、米比兵3万6千余名は広場に集められた。
有蓋貨車にタイヤを付けたモノに乗り込む。
この有蓋貨車にはアンモニア循環の熱交換器が付いている。
今でいう冷房付き客車と言ったところである。
貨車床下に膨張弁、熱交換器、圧縮弁が一式揃っていた。
これを鹵獲したジープ(BRC-60)でゆっくりと引っ張った。
貨車数は200両にも及び、牽引ジープは30台にもおよんだ。
これがゾロゾロ83kmもの陸路を鉄道駅のサンフェルナンドまで牽引した。
捕虜と難民合わせて6万人もの大移動だった。
炎天下、集中豪雨が次々と移り変わる熱帯の天気。
有蓋貨車(タイヤ走行)はノロノロと進んだ。
食料、トイレ休憩もままならない。
沿線の住民は水や食事を持って、貨車の列に追いすがってきた。
時速16kmのノロノロ運転なので手渡しが可能だ。
トイレ休憩の際にも住民は差し入れをもってきた。
警備の日本兵はそれを見て見ぬ振りをしていた。
サンフェルナンド駅からカパス駅まで48kmは鉄路である。
今度は自動車が軌陸車となり、鉄路で貨車を牽引した。
そこからオドンネル収容所まで陸路は12kmあった。
貨車を軌陸車に換え、自動車で牽引した。
辻参謀がひょっこりあらわれたのは正史でも同じ、捕虜を処刑しようと仮命令書を忍ばせていたのも同じです。そして全員徒歩と鉄道で輸送されました。病人対策として道には補給/給水所も設けられたようですが当時の限界でどうしようもなく病人は死んでいったのです。ジープトレインは戦地での利用がネット上に画像で数多く残っています。次はフィリピン死の行進(3/5)です




