表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
(本編完結)また第二次世界大戦かよ  作者: 登録情報はありません
5/131

戦争計画オレンジ(1/2)

正史では戦争計画は1884年以降から、カラーコード戦争計画は1920年頃から始まりました。以降戦争計画オレンジは対日戦争実行計画として1941年まで20余年に渡って鍛錬され、細部にわたるまで研究されていました。つまり日本が米国との戦争やむなしと決断した時、米国は20年以上日本と模擬演習(シミュレーション)で戦った経験値を持っていたのです。

1884年から1941年まで米国が練り上げた軍事戦略。

それが米国の「世界戦争計画|(カラーコードWar Plan)だ。


1884年米国で軍事大学「Naval War College」が設立される。

学長はアルフレッド・セイヤー・マハン。


最初は4人しか研究員がいなかった。

米国-カナダ戦争(1813年)など戦史の研究が主だった。


米英戦争は首都ワシントンD.C.が陥落した唯一の戦争だ。

2度とこんな事が起きてはならない、戒めでもあった。


やがて戦史研究は戦争計画「War Plan」の研究に衣替えした。

模擬演習「War Gaming」により、あらゆる戦争を模擬訓練する。


今までの開戦と同時に戦略を練る方法では遅きに逸する。

常に戦争のシナリオを専門研究し、戦術/戦略を練るのである。


1887年海軍大学校で作戦行動を図上で再現した兵棋演習が始まる。

ここであらゆる戦略が、地域と条件を変えながら、徹底的に研究された。


1888年日本でも海軍大学校「Japan's Naval War College」を創設。

英軍事顧問を招聘して、日本式カリキュラム支援が行われた。


日本の当面の敵は清国とロシアであり、それに沿った教育となった。

海戦術(艦隊の陣形・運動・射撃)を徹底的に学んだ。


日本でも敵味方関係なく、戦術/戦略の書籍は訳出された。

アルフレッド・セイヤー・マハン「海上権力史論」。

ステパン・マカロフ「海軍戦術論」。


特にこの2冊は東郷平八郎、秋山真之も精読していた。

東郷は戦艦三笠の私室に筆写したものを備えていたという。


秋山真之は1868年生まれ。

1897年すでに海軍大尉にまで昇進していた。


1897年06月26日海軍で留学生を募る事になった。

ロシア、英国、仏国、独国、そして米国が留学先だ。


日本は極東の小さな島国で1639~1854年の間、鎖国していた。

世界はその間戦争の歴史を繰り返し、戦史を積み上げてきた。


戦史は戦略概念と戦術の集積である。

それを留学によって学び取るのだ。


秋山真之大尉は米国に留学する事になった。

当時の留学は、指名はあっても私費留学であった。


秋山「留学するからにはあらゆる知識を体得したい」

「米国の海軍大学校の留学生枠に入れないだろうか?」


1897年渡米した秋山真之は領事館の全権大使の星亨(ほし とおる)を訪ねた。

米海軍大学校長を紹介してもらい、外国人留学生の枠を貰い受けるためだ。


だが米軍戦術研究の最高峰である海軍大学は、当時学制改訂されていた。

留学生の6ヶ月の受講期間枠がなくなり、秘密主義になってしまっていた。


駐在武官の成田中佐「誰か紹介出来る講師はおりませんか?」

枠がなければ、家庭教師としてでも学ぼうというハラだった。


グードリッチ校長「初代校長のマハン氏ならばどうでしょうか?」

「現役を退き、ニューヨークで悠々自適の生活を送っておいでです」


それを成田中佐から聞いた秋山はビックリ仰天した。

秋山「マハン!あの海上権力史論の著者のマハン氏ですか」


成田「現役はまずいが、退役なら問題なかろうという事だ」

「面会の許可は取ってあるから、一度訪ねてみたらどうだ」


ニューヨークのマハン氏は実に気さくな老人だった。

日本には一度神戸を訪ねた事がありと言う事だった。


北野町の異人館や六甲山のゴルフ場の話に花が咲いた。

自慢の手料理を秋山に振る舞い、これもまた実に美味かった。


だが外国人留学の話になると、急に眼光が鋭くなった。

マハン「留学の6ヶ月で学べるのは米国の戦争史までなんだよ」


1776年米国独立から独立戦争、米墨戦争、南北戦争、南西戦争。

南西戦争は現在進行形のスペインとの戦争である。


これらの戦史から歴史上の個々の戦闘について紐解いてゆく。

ジョージ・ワシントンの戦歴からゲティスバーグの戦いまで。


これらを学んだ留学生将官は戦史家気取りになって帰国してゆく。

マハンは米国の戦史を学んで終わりでは不足だと言いたいのだ。


これらはあくまで米国の戦争史を伝えるものだ。

留学生の目的は自国では得られない先進国の知識を得た先にある。


マハン「君たち日本人は日本の戦争観を持たにゃあイカンよ」

「例えば日本海の対馬、ウラジオストクの戦略的価値」


「マラッカ海峡のペナン島、インド洋のセイロン島」

「ベンガル湾のアッドゥ環礁、アフリカのマダガスカル島」


「ケニアのモンバサが英国東洋艦隊の基地なのは知ってるかね?」

「艦隊保全主義によってインド洋に睨みを効かせている」


マハンの海上権力史論にある海洋国家(戦略)理論だ。

さすがに著書を(したた)める膨大な知識に秋山は恐れ入った。


うってかわって秋山は自分の知識の無さに茫然自失だった。

米国にさえ来れば何とかなると思っていた。


海外の一流大学で一流の講師につけばいい。

いっぱしの戦略/戦術の知識が手に入る。


マハンはそれは違うと言っているのだ。

自分で学び、自国の戦争観をあみ出せと言っているのだ。


応用理論は留学生では学校で教えてはもらえないのだ。

独学で考え、予測して、将来に備えなければならない。


秋山は受講や家庭教師の件は諦め、独学の道を選んだ。

マハンの紹介で海軍大学校図書館への出入りを許された。


それは日本語訳ではなく、英語の原書である。

陸海軍両方の書籍を借り出し、読み漁る日々が続いた。


海軍情報部「変わった日本人がいる」

情報部内でも話題になり始めた。


デーヴィス中佐「英語の原書を読み漁って勤勉そのものだ」

ピアズリー少将「話してみたが中々intelligentなヤツだ」

ロジャーズ中佐「陸海軍クラブに呼んで、一席打たせよう」


こうして「陸海軍クラブ」に出入りするようになった秋山真之。

たちまち秋山の周りには人だかりが出来ていた。


デーヴィス「黄海海戦でキミは巡洋艦筑紫に乗っていたそうだね」

ピアズリー「筑紫は偵察と警備、通報が任務だったとか」

ロジャーズ「ここで一席設けるから気楽に語ってくれたまい」


秋山「連合艦隊司令長官伊東祐亨は立派に計画、指揮なさいました」

「しかし三景艦主砲の32cm砲はまったく役にたちませんでした」


副砲の速射砲と艦隊運動の妙味を褒めながらも言うべきところは押さえる。

まるで戦場にいるかのような簡潔巧妙で、なおかつ堂々たる弁舌。


居並ぶ情報部高官たちも相当に心を揺さぶられたようだ。

戦闘を目撃した米国籍の補給船コロンビアによる報告書もあるにはあった。


乗っていた将校ジェームズ・アランが提出したものだ。

航跡の詳細な図解が研究のために残されている。


だが実際の海戦経験者の口述は、凄まじい迫力であった。

とうとう海軍文庫(蔵書2500冊)へのアクセス権まで手に入れた。


1898年信用を得た秋山は観戦武官として米西戦争を艦戦する。

乗船は米海軍旗艦「ニューヨーク」だ。


結果は米国軍の圧勝だった。

この時の戦略/戦術の妙を詳細に観察した報告書を提出している。


「米軍はサンチャゴ湾閉鎖に給炭船を自沈させ閉塞作戦を採った」

秋山は後に日露戦争で旅順港閉塞作戦を採った。


この作戦を参考にしたのではないだろうか。

1899年ついに秋山は一通り米国で得られるモノは得たと感じた。


所蔵の書籍も参考書類もあらかた読破してしまったのだ。

秋山は実地研学を希望して、再び旗艦「ニューヨーク」に乗艦した。


旗艦「ニューヨーク」は大西洋各地を訓練のために周回した。

ジャマイカ、ベネズエラ、スペイン、プエルトリコ。

そしてニューヨークに帰港した。


その間の米国海軍の演習風景をつぶさに観察している。

秋山「根性と精神力はやがて物量と技術力に置き換わるかもしれない」


1899年04月25日ついに米国駐在武官となる。

これで私費留学は官費留学の身分となっていた。

ここまではほぼ正史の通りで付け加える事はありません。次回は戦争計画オレンジ(2/2)です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ