開戦前夜(パープル暗号)
パープル暗号は米国によって1941年ついに復号化されてしまいました。暗号を解けば、作戦日時、場所が全て分かってしまいます。日本はこの時すでに負けていたのでした。
昔から貴重な資料、重要な指令は暗号で送られていた。
たとえば紀元前404年スパルタの将軍リュサンドロスの逸話がある。
彼はスキュタレー(転置式暗号)によってペルシャの攻撃を知った。
暗号を知る事は敵の知られたくない秘密に触れる事だ。
それは2300余年後の今でも同じ事だ。
敵の暗号を解けば、敵の隣で秘密を盗み見る事が出来る。
米陸軍情報部 (SIS) は日本の外務省の暗号を解こうとしていた。
1930年代に米国の戦争計画オレンジは益々現実味を帯びていた。
1931年米国名レッド暗号が完成、クリハ式を参考とした。
米国は1年でレッド暗号の論理的解読に成功している。
日本対米国で本当に先端が開かれるのか?
それは数学者の戦争である「暗号戦争」に掛かっていた。
暗号さえ解いてしまえば、有利に戦闘を進められる。
日本は米国の掌の上で暴れる猿のようなものだ。
当時の日本は仏印進駐、三国同盟締結、汪兆銘政権承認。
まさしく八面六臂の大活躍を呈していた。
これに対して米国は高オクタン価の燃料、屑鉄の禁輸で制裁した。
日本では鉄鉱石は採れても、添加物のCrやNiは採れない。
クロム鉱床は南阿、北米、露ウラル、アルプスに濃集している。
その総量は120億トンと見積もられ、日本の4万トンに比ぶべくもない。
合金屑鉄を買えば、添加物は元から入っているので心配ないのだ。
高オクタン価燃料についても言わずもがなである。
日米の関係は険悪になって輸出は半減し、やがて禁輸となったのだった。
日本にとって米国との外交関係の修復は急務であった。
なんとしてでも日米関係を良好に保たなければならない。
これは英国の残った植民地「埃/印」を援助する米国も同じだ。
太平洋側で日本といさこざは起こしたくない。
そのためにも日本の暗号は真っ先に知りたい秘密だった。
1937年米国名パープル暗号が完成、在外公館で使用される。
日本の外務省が利用していたパープル暗号。
これは頻繁に東京-ワシントン間で交信され長文も多い。
その為に推測するパターンを多く得る事が出来た。
だがこれはエニグマのような形式ではない。
少なくともどんなローター式でもない。
今までにない未知の暗号機であると推測された。
日本語は子音20文字と母音5文字+Yで構成される。
<TYOUTYO、HANAなど>
つまり20文字側スイッチと6文字側スイッチがある。
これの膨大な組み合わせが暗号になっているのではないか?
また日替わりで配線が切り替わる(プラグボード)。
ロータリーラインスイッチの初期設定も切り替わるのだろう。
SISは何ヶ月にも及んで、暗号解読に尽くしていた。
ローター式ではないのなら日本暗号機は何なのだ?
エニグマをも越える天才が日本にはいるのだろうか?
いや、そんなはずはない、何かを見落としているのだ。
米国は少しずつ暗号を切り崩したが、余りにも膨大に過ぎた。
そこでSISはMITのローセン技師に自動化を依頼した。
彼は電話交換機のステッピングスイッチを使い自動化した、
そうすると、妙な事に、実に快調に作動し始めた。
米陸軍情報部 (SIS) はこれで自動電話交換機に着目し始めた。
<これが見落としていた暗号機の原器ではないか?>
1941年01月ついにパープル暗号機の模造に成功。
やはり原器は自動電話交換機のステッピングスイッチだった。
模造暗号機で暗号を複号化出来るようになった。
米の日本大使館宛暗号の年227通の内223通の解読に成功した。
日本側はもちろんこの事をまったく知らなかった。
1941年04月独国から「米国に暗号が解読されている」と警告される。
びっくり仰天した外務省は直ちに安易な運用を改めた。
すぐに運用の変更が行われたが、後の祭りだった。
米国には原器の複製品があるのだ。
こちらも運用の調整を行い対応した。
米国は日本大使館が復号するより早く電文の中身を手に入れていた。
その中身は直ちに暗号化され米国本土/日本の米国大使館に伝達された。
日本は米国暗号をついに破る事が出来なかった。
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1941年11月26日06時45分ハルノートが在米大使館員に手交される。
時間は日本時間で、06時45分は米国時間16時45分である。
1941年11月26日06時00分南雲機動艦隊は単冠湾を出港。
これはハルノートの手交より45分早い。
艦隊は密かに集結し、密かに消え去った。
攻撃目標は機秘扱いで当時はだれも知らない。
飛行士A「この分だとアラスカのフォート・リチャードソンだ」
飛行士B「カリフォルニアのエドワーズ空軍基地空爆だろう」
飛行士C「サンフランシスコ海軍造船所ではないか」
攻撃命令は「ニイタカヤマノボレ」、中止は「トネガワクダレ」だ。
ハルノートは直ちに暗号化され日本へ発信。
11月27日午後には日本に着電している。
午後2時には東条首相/東郷外相らが連絡会議で審議した。
同日昭和天皇に上奏され、28日にはハルノートの説明を受けている。
12月01日御前会議にて対米英蘭開戦が決議される。
昭和天皇はついに開戦の聖断を下したのだ。
12月02日、開戦は12月08日と決定した。
同日午後05時30分、すでに出航していた機動艦隊に攻撃命令が下る。
「ニイタカヤマノボレ一二〇八」
ついに真珠湾攻撃命令が下されたのだ。
1941年12月06日(ワシントン時間)電報901号が日本大使館に届く。
大使館はただならぬ雰囲気につつまれた。
12月01日着の暗号機3台のうち2台の破壊命令。
12月05日着の館員(諜報担当)4名の即時出国命令。
単なる交渉打ち切りではない、只事ではない何かが起こっていた。
これは明確な戦争準備公電ではないのか?
続いて長文の電報902号が14分割されて届き始める。
機密保持のために米国人タイピストが使えない。
野村・来栖大使は顔を見合わせた。
タイプは奥村勝蔵一等書記官の仕事である。
だが彼は暗号文に不慣れで浄書が得意では無かった。
そのために修正・清書は遅々として進まなかった。
13部は滞りなく届いたが最後の14部が届かない。
おかしい、こんな事は有り得ない。
もし宣戦布告なら遅れてはならない。
14部目にはその文面があきらかにされているはずなのだ。
わざと遅らせているのではないか?
野村・来栖大使は何かの意図を感じぜずにはおれなかった。
野村大使「奇襲攻撃を成功させ、起因をなすりつけるつもりでは?」
宣戦布告が遅れれば、奇襲作戦は必ず成功する。
その騙し討ちの責任を大使館員に転嫁しようという魂胆が見えた。
12月07日午前07時ワシントン日本大使館に第14部が受信される。
内容は(最後通牒=宣戦布告)という遠回しなものであった。
<ワシントン時間13時(ハワイ時間08時)までにハル国務大臣に手交せよ>
野村大使「いくらなんでも13時までには間に合わない」
そこで野村大使がまず先にハル国務大臣に会う事とにした。
来栖大使が後から正式書類を持って追っかける体制だ。
これは野村大使の気転であった。
遅れれば奇襲となり、後世で卑怯者の謗りを免れないだろう。
ワシントン時間午前11時<ハワイ時間06時>野村はハル長官と対面。
暗号を複合化した電文を読み上げて最後通牒=宣戦布告を宣言した。
この「帝国政府ノ対米通牒覚書」は日米交渉を打ち切るだけの文章だ。
<帝国政府ハ「アメリカ」合衆国政府トノ間ニ友好的諒解ヲ遂ケ(中略)>
<帝国ガ仏国トノ間ニ締結シタル議定書ニ基キ仏領印度支那共同防衛ノ>
<措置ヲ講スルヤ合衆国政府及英国政府ハ之ヲ以テ自国領域ニ対スル>
<脅威ナリト曲解シ和蘭国ヲモ誘イ資産凍結ヲモ実地シテ(後略)>
これは妙訳だが、実に回りくどい言い回しである。
読むとだんだん腹が立ってくる日米交渉の打ち切りの最後通牒だった。
ハル「これを読む限り日米交渉の打ち切りを突きつけているだけだが?」
「考えすぎなんじゃないか?"WAR IS ON"と訳せる部分がないが」
野村「それが日本流の”宣戦布告”なのです、長官」
「光風霽月、寛洪大量を重んじる民なのです」
ハル「なにを言っているのかわからないな」
「つまりは”奥ゆかしく宣戦布告”という事か」
ハル「この13時までに手交せよというのは何を意味するのだ?」
野村「貴方がたのお察しの通りでございます」
ハル「奥ゆかしく説明というわけか」
「もうたくさんだ!」
ハル「それが宣戦布告の文章か?恥さらしが!」
野村「お叱りは後でいくらでも受けましょう」
野村「今ここで貴方がやらねばならない事があるはず」
野村はチラッと電話機に視線を移した。
ハル「そうだった、この部屋から出て行ってくれ」
すでに全文を暗号解読で知っていたハル長官。
だが野村大使から直に通告される事がハーグ開戦条約では必要だ。
開戦意志の明確な対手国への通告が「開戦ニ関スル条約」にある。
ハル長官は時計を見た。
ワシントン時間12時<ハワイ時間07時>。
ハル「1時間も野村大使と話し込んでいたのか」
「野村が時間稼ぎをしたなら相当な老獪だな」
まだ間に合うはずだ。
彼は電話を取った。
ついに日本は宣戦布告をします。それは攻撃の1時間前(現地時間7時)でした。次回は真珠湾(1/4)です。




