ジェットエンジンへの道(1/2)
ジェットエンジンを糸川技師が研究していたのは本当です。ここで井上成美が関わってきます。井上の妻が肺結核で死に、以降井上は新技術に飛びつく意欲を失って、海軍機関科問題などの地道な人権問題などに取り組んでいきます。ここで妻の喜久代を死なせてはなりません。
ジェットエンジンの構想自体は古くからあった。
1903年ジェットエンジン実働モデルが完成する。
1903年は世界初の有人動力飛行にライト兄弟が成功した年だ。
あまりにも西洋の技術革新は進んでいた。
ノルウェーのエリング技師が成功させた。
だが耐熱合金がなくタービンブレードにも亀裂が入った。
エンジンが高熱で危険な状態になり、試作に終わった。
現代に繋がるターボジェットエンジンは1920年代の発明だ。
英国F・ホイットルと独国H・オハインによるものだ。
<オハインについてはアシカ作戦(2/4)参照>
ホイットルは1939年グロスターE28/39を完成させた。
H・オハインはハインケル社でHe178を完成させた。
1935(昭和10)年日本。
このところ陸軍で新兵器の開発が著しい。
誰かが指揮を執って何かを開発しているのだ。
1935年中島飛行機に入社した新鋭、糸川英夫だ。
陸軍のキ27、キ43、キ44の設計に関わった天才だった。
その糸川がジェットエンジンに関わっていた。
自作ジェットエンジンによる燃焼試験だ。
ホイットルのジェットエンジンの特許は1935年失効。
世界中にこの機密が公開され、専門誌に掲載された。
当時の先進国は競ってジェットエンジンを試作し出した。
糸川「ちょっと造ってみるかな」
開発拠点を大田の中島飛行機に構え、試作を始めた。
日本人は発明は下手だが、改造に才能があった。
そしてそれは時に「魔改造の天才」を生み出すのだ。
井上成美「なに、ジェットエンジン開発を独学で?」
海軍の航空化について思案に暮れていた井上。
後の海軍航空本部長である。
彼の青年時代は欧州駐在が長い異例の来歴がある。
英語が堪能で英国に半年駐留(遣英艦隊所属)した。
帰国後山本五十六に兵器学を学んだ。
さらのスイス駐在武官となり、ここでドイツ語にも習熟した。
ここでスイス訛りが残り、ベルリンで平和条約実行委員となった。
ドイツ語に磨きを掛け、通訳なしで英独将校と会話できた。
井上はその後パリに転勤を希望し、フランス語も堪能となった。
帰国の途に就いた際に大西洋を回って米国に3ヶ月ほど滞在した。
当時の世界をまんべんなく見聞きした井上。
その後さらにイタリアの日本大使館付武官となる。
この時の体験から日独伊三国同盟に異を唱える。
1929年、井上の妻は結核に罹患しており、病状は思わしくない。
当時結核は死の病であり、なんとかならないかと手を尽くして回った。
1929年ペニシリンが発見され抗生物質が分離される。
大使館付武官のツテから日本にその薬を輸入した。
だが妻の肺結核には効かなかったのだ。
当時最先端の抗生物質もダメとなると手の施しようがない。
井上は旧知の仲だった昭和農産化工に泣きついた。
昭和農産化工がペニシリンを井上に仲介してくれたからだ。
社長の武井はさっそく欧米の研究者を調査した。
1人のロシア生まれのユダヤ人が目にとまった。
1910年に渡米し、6年後に帰化している。
調べてみると、セルマン・ワクスマンが有望だと分かった。
全世界ではペニシリン発見以来、カビや腐葉土が研究の的になった。
あらゆるカビや腐葉土がひっくり返されていた。
放線菌学者のワクスマンは10000株の放線菌を調べていた。
そして1000株が殺菌作用がある事が分かった。
その頃武井大助がアメリカに留学し、ワクスマンと知り合いとなる。
武井は後の昭和農産化工の3代目社長。
1908(明治41)年の申酉事件の首謀者である。
武井「畑は違うが、これが凄い研究である事はわかる」
ワクスマン「おだてても日本で研究とかしませんよ」
武井は図星だったが「実はそう考えておりました!」と正直に詫びた。
武井はペニシリンの効かない病気の特効薬を探していた。
ワクスマン「1000株の放線菌が殺菌作用があります」
武井「じゃあその1000株を日本で研究します」
ワクスマンは心を動かされた。
日本には発酵や醸造の長い歴史がある。
味噌や醤油やぬか漬けの技術は発酵の歴史そのものだ。
日本は菌類を扱う手法については世界でもずば抜けていた。
ワクスマン「日本ならやれるかもしれませんね」
40ページに渡る契約書に武井はサインさせられた。
ワクスマンは抜かりがない。
彼はユダヤ人だった。
武井は菌株を昭和農産化工にもちこんだ。
実験には結核菌を使う為一般企業では出来ない。
「結核の特効薬を精査願います」
1000株の放線菌を北里伝染病研究所で分析した。
福澤諭吉が出資し、北里の為に用意した研究所だった。
だが所長の北里はずっと独国に出張したままだ。
研究所顧問の志賀潔が分析を快く引き受けてくれた。
「新しい抗生物質が見つかるかも知れません」
井上「早く、早く頼む」
「妻が死にそうなんです」
志賀「わかりました」
「全力を尽くします」
1000株の内、100株が有用と分かった。
武井/志賀はすぐにワクスマンに連絡を取った。
1932年06月日米はまだ険悪な関係ではない。
ワクスマンは日本にすっ飛んできた。
100株をそれぞれ日本用と米国用に分株する。
ワクスマン「その100株は無償提供する」
「ただし発表は控えるように」
志賀「分かりました」
こうして得られたのが結核の特効薬ストレプトマイシンだ。
ワクスマンの発表を待って日本も発表する塩梅だ。
井上成美の妻には治験に入ってもらい投与する。
「第Ⅰ相試験」(臨床薬理試験)は少数の健康成人に投与する。
「第Ⅱ相試験」(探索的試験)は少数の患者に投与する。
この第Ⅱ相試験で彼女に投与して様子を見るのだ。
患者抽出は無作為が原則だが、この際は原則を破ってしまった。
ジェットエンジンから話がそれていますがもう少しお付き合い願います。次はジェットエンジンへの道(2/2)です




