アシカ作戦(2/4)
英国沿岸にはレーダー網が張り巡らされています。これを叩くのが巡航ミサイル(巡航爆弾)Fi103でした。如何せん速度がレシプロ機より遅く(600km/h)、撃墜は簡単でした。そのためUボートTypeIX/D2が巡航ミサイル母艦に改造されて、英国沿岸から発射したのでした。
ヒトラーは甘言蜜語、巧言令色を尽くしてチャーチルと交渉した。
チャーチルは徹底抗戦の構えを見せ、どんな懐柔も受け付けない。
ヒトラー「チェンバレンの時とは違うな」
ネヴィル・チェンバレンの時は上手くいったのだ。
1938年09月29日ミュンヘンに各国首脳が集まっていた。
英仏の首脳は独の首相に宥和政策を持ちかけていた。
チェコスロバキアのズデーテンの独国への帰属を認める。
その代わりこれ以上の領土拡張は行わない。
ミュンヘンで次の国際会議まで戦闘行為はないとヒトラーは約束した。
そのヒトラーのサインの入った書類をチェンバレンは信用した。
チェンバレン「約束をもし破るならそれでもいい」
「米国も彼がその程度の男だと見限るだろう」
だがミュンヘンではヒトラーの方が三枚舌だったのだ。
ヒトラー「かつての英国首相パーマストンはこう言った」
「永遠の同盟も、永遠の敵もない。あるのは永遠の国益のみ」
ヒトラー「それを英国人はわすれてしまったようだな」
「ミュンヘン協定は私に自信を与えてくれた」
「英国は三枚舌だそうだが、あの時は容易に処理できた」
ヒトラーは瞑目から覚めてチャーチル攻略に戻った。
「チャーチルという男は一筋縄ではいかないようだ」
「なら実力行使しかないだろう」
独国は否応なく英国本土上陸作戦を練る事になる。
だが上陸作戦の揚陸艇、戦車揚陸艦はどうするのか?
まさかドーバー海峡越えとは、独国もそこまで用意周到ではない。
航空機でさえ英国本土までの航続距離はギリギリなのだ。
Me109の航続距離は650km、ドーバー沿岸からロンドンまでの距離160km。
往復320kmなので余裕に見えるが戦闘機は旅客機と違って戦闘がある。
戦闘は巡航の2~3倍の燃料を食ってしまう。
なんと英国上空には戦闘時間として20分しか残されていなかった。
英国本土の制空権は英国のもので、これをどうするのか?
制空権無しでは上陸部隊はあっという間にハチの巣だ。
制空権を握るには少なくとも英国本土南方の航空基地の殲滅が必要だ。
ところが英国沿岸基地にはレーダー網が張り巡らされている。
ライ、ダンカーク、ドーバー、ポーツマス、ベントナー等々。
これらを叩かなければ、どこに侵空しようと即座に探知される。
英国レーダーは高性能で、とにかく探知が早い。
レーダサイトに辿り着く前にやられてしまう。
なんとか被害を最小限に効果を最大限にする方法がないものか?
ここで登場するのが独(Fieseler)フィーゼラー社である。
新兵器「慣性誘導噴進弾」だ。
F社は1933年から巡航爆弾Fi103の研究を続けてきた。
パルスジェットエンジンの慣性誘導式飛行爆弾だ。
なんとミサイルの概念の無い時代に巡航ミサイルを開発したのである。
この時代のナチス独国の技術はぶっ飛んでいる。
この兵器でレーダーサイトを吹き飛ばそうというのだ。
Fi103は1940年07月から量産を開始であった。
これを1年前倒しして1939年から量産に入った。
構造が簡単で低オクタンガソリンで飛行可能な設計だ。
誘導装置は自己誘導式(慣性誘導)である。
慣性誘導装置はAskania社のものだ。
この巡航爆弾Fi103でレーダーサイトを攻撃。
慣性誘導の為、妨害電波が効かない。
レーダーサイトを吹き飛ばしたところで独空軍が進撃開始。
そして英国空軍基地を完膚なきまでに叩く。
次にまた復旧したレーダーサイトを叩く。
これの繰り返しで航空戦力を少しずつ疲弊させる。
これが英国パイロットの訓練や休養の時間を奪うのだ。
新入りの鍛錬もなく睡眠もとれない。
昼夜を分かたず基地・サイトを攻撃する。
沿岸地域の主要な空軍基地、レーダーサイトは壊滅するだろう。
制空権を奪ったところで上陸部隊が行動を開始。
次にブラントンからドーバーに至る沿岸都市を制圧する。
橋頭堡はカンタベリー近郊ウィンガムとする。
これが独軍の完璧作戦の予定だった。
唯一の欠点はパルスジェットの速度がレシプロより「遅い」ことだ。
英軍機が補足すれば、追い付いて簡単に撃墜出来た。
そこで考えられたのは潜水艦発射型巡航ミサイルだった。
UボートTypeIX/D2にはFa330(艦載機)格納スペースがある。
このTypeIX/D2を巡航ミサイル発射台にして英国本土に接近する。
沿岸からカタパルトでFi103を打ち出してすぐ潜航する。
レーダーがFi103を発見した時はすでに手遅れだ。
UボートTypeIX/D2は巡航ミサイル潜水艦となったのだ。
一方、戦車揚陸艦や上陸用舟艇母艦はどうしたのか?
独国は準備不足で艦船が足りないのではないか?
確かに独国だけでは準備不足だった。
そこに1939年、日本から技術譲与があった。
日本陸軍運輸部の伊藤氏が派遣した技術団だった。
だが伊藤氏本人は日本でエンジンの開発にも取り組んでいた。
そこで仏国にいた上司の桜井技駐在官が技術供与を引き受けた。
仏国駐在武官だった彼は帰国せず、独国に渡った。
桜井「はしけ総計2945艘だと、バカいうな」
「2/3が無動力でタグボートで牽引?ああもう!」
「平底舟で外海を突っ切れるはずがなかろう?」
「戦時標準設計船だろ?この場合は」
死にかけの鯉みたいに口をパクパクさせる独国担当者。
「工期が、納期が、期限が、あああああ」
桜井は伊藤と同じ上陸用舟艇の設計技術者である。
日本技術団はバルト海に面した造船所に案内された。
桜井「主要造船所はUボートで手一杯だろう」
「近郊の民間造船所をドック増設して取り掛かりたい」
キール、ブレーメンの造船所はUボートの建艦で多忙である。
このほかの造船所を増設して量産体制を整えた。
巨大な揚陸艇母艦を造船所で70隻造船する。
バルト海沿いに4つの造船所が選ばれた。
マイヤー、ネプトゥーン、フレンスブルガー等々。
70隻をそれぞれ18隻づつに分けて造船する。
1隻に付き30隻の上陸用舟艇を搭載する。
これには完全武装の兵員70名を乗船できる。
70×30×70で14万7千名、充分な兵力だ。
これが英仏海岸を2回も往復する手筈である。
147000×2、つまり30万人という大輸送計画だ。
戦車揚陸艦も70隻建造した。
1隻あたり30輛の中戦車を積載可能だ。
これで英仏海岸を2回も往復する手筈である。
70×30×2で戦車4200輛を輸送しようという大作戦だ。
電気溶接とブロック工法は米国仕込みの石井造船技官が伝授した。
だが石井技官は日本造船界でも必要な人材だ。
そこで日本でその技術を伝授した日本鋼管から人材派遣となった。
造船するのは戦時標準船と言われる簡易構造船だ。
ドックもコンクリのドライドックも時間も掛かりNGとなった。
クレーンもガントリーでなく簡易型カンチレバーを設置した。
バルト海沿いの造船所も24時間操業となった。
造船、造船、また造船である。
主要造船所のある都市は電気溶接で電力不足になるぐらいである。
製鉄所で使う鉄鉱石とコークスも充分な量を確保していた。
仏領アルザス=ロレーヌは鉄鉱石・石炭の大鉱山である。
独国は真っ先にこの大資源鉱山を征圧していた。
材料確保、技術供与、造船所増設。
そんな忙しい日々の造船所にひょっこりある男が現れた。
ハインケル社ジェット部門のハンス・フォン・オハインだ。
オハイン「船舶用ガスタービンエンジンはいかがですか」
桜井「ジェットエンジンじゃないの。コレ?」
オハイン「ジェットエンジンですよ、コレ!」
なんとマックス・ハーン自動車工場のための大型バスエンジンだという。
あまりにも出力が大きい為、採用は見送られ、ここに辿り着いた。
それを船舶用に改造した見積もりを取ってみた。
ボイラーが無いので場所はほとんど取らなかった。
桜井「出力10500馬力?最大速力52ノット?」
「怪獣かなんかか、コレ?」
桜井「タービンブレードと中間冷却器が厄介だな」
オハイン「耐熱合金がまだ出来てないのです」
「もしかしたら魔改造が得意な日本人ならと思いまして」
桜井「誰が魔改造じゃ!」
結局ガスタービンエンジンは見送られ間に合わなかった。
だが桜井は密かに設計図を日本の石井造船技官に送った。
戦時標準設計船はブサイクだが造船は早い。
1隻あたりの建造は200日以上だが、ここでは42日であった。
並行して造船するので、あっという間のように感じる。
続々と進水して独国人を驚かせた。
こうして1年間で全ての準備が整った。
ヒトラーは本気で「はしけ」に兵士や戦車を乗せて外海に出るつもりでした、それを戦時標準設計船に変えたのは日本人技術者でした。こうしていよいよアシカ作戦発動を迎えます。次回はアシカ作戦(3/4)です




